竜の群舞に踊る剣
馬の蹄が踏みしめているのは、踏み固められた地面ではない。捉えどころのない砂地を駆ける馬の足音は、故郷で聞きなれていたはずのそれより聞き取りづらい。
それでも、数が居る彼らが操る馬のそれは単騎で駆けるアルフレートの馬の足音をかき消してしまう。
明かりひとつ持たないこちらの位置を掴もうと、彼らは必死に目を凝らすが――今夜の月はまだ地平線の向こうに隠れたままだ。
星の明かりだけでは、入り乱れる影のどれが味方で、どれが目的のそれなのかを見分けるのは困難を極めた。
――だが、こちらは。
夜にこそその真価を発揮する吸血鬼だ。たとえ空が曇り、星明かりすらなかったとしても、彼らの姿を見分けるのに何の苦も無い。
そも、こちらにとっては自分以外全てが敵なのだから、特に見分ける必要もない。
ひとまず、相手の武器を見分け、その凶器をライラの身に触れさせなければそれだけで、充分――。
剣を携えた腕を振るうたび、苦悶の悲鳴が上がる。
舞い散る血飛沫。辺りに充満していく濃厚な血の匂いに、アルフレートの心は高揚する。
ひしめく賊の合間を縫うように駆け、文字通りの血路を切り拓く快感。
圧倒的な力の差の前に感じる優越感からくる愉悦。
凄腕と評判の相手ながら、お荷物を抱えたたった一人の男だと――これだけの人数でかかれば確実に勝てると踏んでいただろう賊たちは、松明の明かりを必死に掲げながら惑い続ける。
血の赤と、松明の炎に照らし出される赤と。怒号が飛び交う中、アルフレートは休むことなく剣を振るい続ける。
人間よりはるかに勝る膂力を有するアルフレートが振るう剣は、骨をも難なく断ち切る。
高速で繰り出される剣は、撒き散らされる血の脂すら振り切り、砂漠を血の海に変えていく。
ぺろりと、飛んできた血の飛沫を舐め取りながら、アルフレートは顔を顰める。
ライラの甘い血の味に馴染んだ舌には不快なばかりの、質の悪い血の味に不満を感じながら、アルフレートは強い喉の渇きを覚えた。
――血に餓えた魔物の本性が、アルフレートの四肢に力を漲らせる。
もっと、もっと斬りたい。もっと、血の赤が見たい。もっと濃厚な血の匂いの中で、もっと多くの血飛沫を全身に感じたい。
人の血に興奮する吸血鬼の性が、魔物の闘争本能を呼び覚まし、火を点ける。
「うおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
腹の底から、吠え、叫ぶ。
しん、と、それまで飛び交っていた怒号が一瞬静まる。
獣じみた叫び。その声が孕む狂気に、彼らはようやく、自らが追いかけていた何かが、自分たちが思っていたものとは違っていた可能性に、本能的に感づいたのだろう。
ピンと、張り詰めた空気が彼らを縫い止める。
が、彼らよりもより強く、その事を本能的に悟った馬が、一斉に嘶いた。
高々と前足を掲げ、騎手を振り落とそうとするもの。無茶苦茶に駆け出すもの。ぴたりと動かなくなるもの。
揃って騎手の命令を聞かなくなった馬が隊の足並みを乱し、千々に入り乱れた賊たちの怒号がたちまちのうちに戻ってくる。
混乱する群れの中に、アルフレートはためらいなく切り込んでく。
統率のなっていない集団など、恐るるに足らない。
数こそ多いが、あまりに呆気なく倒れていく様に、物足りなさすら感じる程だ。
だが、夜目の効くアルフレートの目は、そんな混乱の中にあっても取り乱すことなく、号令を発し続ける者たちの姿を捉えていた。
残念ながら、混乱する仲間を鎮める仕事は上手くいっていないようだが、今この状況でパニックを起こさず、周りを見渡す余裕があるというのは特筆に値する。
あれを倒すのは、ただ剣を振るうだけでは叶わないだろう。
惑う集団を相手にするより、強敵一人相手にする方が、より労力を要するものだ。
――だが。
相手が人間であり、こちらが吸血鬼である事実に変わりはない。
こちらの優位は揺らがない。
やがて、地平線の向こうから月が姿を現す。
太陽よりずっと淡い、儚い光りだが、他に明かりのない荒野の真ん中で、その明かりがどれだけ心強いか。
男は、松明の明かりを放り出した。
混乱を極める味方の中を突っ切り、真っ直ぐアルフレートに向かって突っ込んでくる。
男は、長槍を構え、その穂先を馬の腹を目掛けて突き出した。
――将を射るならまずは馬から。
戦場の定石通り、抜け目ない攻撃を仕掛けてくる男の槍を、アルフレートは鐙から離した片足で蹴り飛ばした。
吸血鬼の脚力をもって繰り出した重い蹴りは、見事狙いを狂わせ、槍の穂先は足元の砂に深々と突き刺さる。
砂の地面に埋もれただけの武器は、男が少し腕を引けばするりと簡単に男の手元に戻る。――が、さすがにバランスを崩された相手は、苦々しげに舌打ちをした。
アルフレートは周囲の雑魚を一刀で切り伏せ、男に馬首を向ける。
「お前が、赤竜の牙の頭目か?」
「ああ、そうだ」
「そうか、ならばお前を倒せば事実上赤竜の牙は消える。――そういう事だな」
言葉を交わしながら、互いに微笑みあった。――友好的な笑みとは程遠い、狂気の笑みを湛え、両者はそれぞれ馬の腹を蹴った。
頭目直々の戦いに、賊たちは邪魔にならぬよう馬を下げ、場所を開ける。
それぞれ松明を掲げ、場を照らし、赤々とアルフレートの姿を照らし出す。
そこで、彼らは改めてアルフレートの異様さに気づく。
「おい、あいつの目、赤くないか?」
「あんな目をした奴、見たことねぇ」
ぼそぼそと囁き合う声が聞こえる。
「しかもなんか……光って見えるのは、気のせいか……?」
「まさか、化け物……」
「黙れ! 例え悪魔が相手でも、我らは“竜”だ。竜の牙が、こんなひょろっちい野郎に折られる訳がないだろう!」
頭目は、手下の群れに雷を落とし、槍を振るった。
月明かりと、周囲の松明に照らされ、すっかり暴き出されたアルフレートの姿。
こうなれば、二人も乗せたアルフレートの馬は、上等な馬に一人跨る相手の馬の速度にはかなわない。
剣と槍では当然リーチの差は槍の方が勝る。
だが、積み重ねた戦いの経験値は、比べようもなく圧倒的にアルフレートの方が上。身体能力の基礎値も、残る体力の総量も、アルフレートの方が上。
――キィン!
次の瞬間、金属同士が強くぶつかり合う音が、静かな砂漠の空気を裂いた。