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決戦の夜

 彼の予告通り、その街が見えてきたのは、あともう数刻経たずに日が沈むであろう頃合だった。

 西の方の空は、青から徐々に黄や橙へと染め替えられ、暑さで揺らぐ空気の向こうで、太陽も目を焼く真白から赤みを帯びた色に変わる。

 東の空は青が濃くなり、もうじきちらほら星が瞬き始めるだろうと思われる。


 都のひとつ前の街、という事で、視界に小さく街が見えてきた頃から、これまで砂丘しか見当たらなかった景色の中に、隊商の列をよく見かけるようになった。

 その数は両手の指では足りない程。……これだけ多くの隊商が、砂漠越えの旅をし、それを狙う盗賊はさらに数多いるというのに。

 街に入る前に人の姿を見るのは、アルフレートと二人で旅するようになってからこれが初めてだ。


 彼はこの砂漠にある、地図にも載らないような小さなオアシスの情報も、どんな小さな街の情報も、全て詳細な知識をその頭の中に持っているらしく、盗賊はおろか、そういえばあの日から砂嵐にすら一度も遭遇しない。

 さすがに昼の暑さや夜の寒さまでは変わらないものの、あのまま隊商と共に旅するよりはるかに安楽な道程だった。


 だが、今晩だけはそうは言っていられない。

 あの太陽が地平線の向こうへ完全に姿を消し、空が星で埋まる頃、決戦の火蓋が切って落とされる。

 その決戦への導火線に火をつけるため、アルフレートは街の外で馬を降りた。

 「ここで、少し待っていろ。――すぐ、戻る」

 ライラを馬上に残し、アルフレートは街の中へ消えていく。


 途端に、ライラはどうしようもない心細さに襲われた。


 ――怖い。


 正直なところ、実はこれから始まる戦いについて、ライラは自分でも驚くくらい、恐れていなかった。

 争い事が嫌なのには変わりないが、アルフレートという最強の剣と盾がライラの味方についている事実が、ライラから恐怖を遠ざけていた。

 もう、彼がどんなに吸血鬼だ、魔物だと主張しても、ライラは彼を恐ろしいとは思わない。――が、確かにライラは彼の吸血鬼としての能力を間近に見て、感じてきた。

 彼が傍に居てくれる限り、もうあの日のような恐怖を感じなくて済むと、信じられた。


 だが、彼の姿が視界から消えた途端、先程までの安心感が嘘のように、心が不安で満たされた。

 それまで何とも思わなかった、人の視線が突然痛みを伴い突き刺さってくる。

 例えば、あの男。なんだかこちらをちらちら見ているような気がするけれど、もしや賊の一味なのでは?

 いや、いまあそこの建物の窓に人の気配を感じた気がする。何か、感づかれた?

 少し落ち着いて考えれば、砂漠の町にライラのような年頃の娘が一人でいるなどあまりに不自然で、人々の視線を集めるのも無理はないと分かるものを、不安と恐怖で混乱した頭では、ただ馬の鞍に強くしがみつくしかできない。


 心配せずとも、彼はすぐに戻ってくるだろう。多くの賊をひきつれて。

 そこから、彼の言う場所まで数刻、駆け通しになる。

 並足で進む馬の揺れには完全に慣れたライラだが、そう言えば、この馬で全力疾走した事はなかった。

 どう見てもあまり上等と言えない馬に、二人も乗って長旅を続けているのだから、あまり無理はさせられない。

 だが、今夜一晩はそうは言っていられない。

 

 ライラは、馬の鬣を撫でながら、小さく囁いた。

 「ごめんね、……でも、今晩はあなたが頼りなの。よろしくね」

 馬が、首を持ち上げ、尾を揺らし、嘶いた。


 どかどかと荒々しい足音が幾重にも重なり、砂埃を巻き上げながら近づいてくる。

 その先頭で息も乱さず駆けてくるのは、見間違えようもなく、アルフレートだ。


 ライラは、衝撃に備え、改めて鞍にしっかとしがみつき、腹に力をこめる。

 ひらりと、アルフレートは身軽に馬に飛び乗り、即座に鐙を蹴った。


 駆ける馬の背で、姿勢を正し、アルフレートはライラの身体をいつも以上にしっかと抱きかかえる。

 その背後から、男たちの怒声が追いかけてくる。


 「……一、体、何、を、し、た、ん、で、す、か、!?」

 並足で感じる揺れなど、無いに等しい――。そう思えるほど、駆け足する馬の背は激しく上下に揺れる。

 口を開けば舌を噛みそうになる。

 ぶれる視界。掻き回される内蔵。ぽんぽん鞍に叩きつけられる尻。

 後ろからしっかり抱えて支えてもらっていなければ、ライラの身体はとうに馬の背から跳ね飛ばされているんじゃないかと思えてならない。


 だが、アルフレートの操る馬の足はその見かけからは予想もつかない程に早かった。

 たちまちのうちに、背後には真っ黒い塊ができ、何頭もの上等そうな馬が追ってきているというのに――1人分余計な荷物を乗せているにもかかわらず、賊の馬と一定の距離を保ったまま駆け通す。


 「何、俺は暁の狼だ、護衛を探してる隊商はないかと方々で聞いて回っただけだ」

 元々、凄腕の護衛としてその名は知られていた。彼を欲しがる者は少なくなく、彼の情報を求めるものも常に居る。

 だから、噂はあっという間に広がった。

 そして、今、その情報と彼自身を一番求めてやまないのは、彼らだ。


 アルフレートが撒いた餌に、あっという間に食いついてきた。

 「だが、どんなに頑張って噂を集めても、俺の通り名ではない名や正体を知る人間は居ないからな。俺が何者かを掴み損ねた時点で、連中の負けだ」

 

 これだけ揺れる馬上で、彼は一度も舌を噛むことなく答える。

 心なしか、少し楽しそうだ。


 夜の帳が、徐々に盗賊たちの姿を闇の中へと埋めていく。気配や音、匂いが霞むことはないが、やはり人間という生き物は視覚に強く依存する生き物である。

 背後の群れの足音が、僅かながら乱れ始める。


 「――さあ、もうすぐ目的地に着く。お前は、目を閉じ耳を塞いでいろ。夜が明ける前には必ず全てを終わらせる」

 彼の言葉通り、ライラの鼻に水の匂いが届く。


 アルフレートは馬首を返し、大挙して押し寄せる盗賊たちの集団に真っ向から突っ込んでいく。

 手綱を握る腕で、ライラを自分の胸に押し付ける勢いで強く抱きしめながら、もう片方の手で腰の剣を抜き放つ。

 既に多くの血を吸ってきた剣をしっかり握り、思い切り振りかぶる。


 「盗賊団、赤竜の牙。――今日、この場でお前たちの命運は尽きる。俺は、暁の狼と呼ばれし者。お前たちを探し歩いた日々が、今、ようやく実を結んだ。――さあ、覚悟しろ!」

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