悲報
そして、その知らせは舞い降りた。
情報屋に預けた鳥が、その情報を携え、アルフレートの肩にとまった直後、鳥は霧のように姿を消した。
鳥が運んできた羊皮紙を一瞥したアルフレートは、見たこともないほど険しい表情になった。
砂漠の中、水たまりのような小さなオアシスで小休止を取っていた真昼間。
彼は、厳しい眼差しでライラを見た。
それだけで、良い知らせでなかったと分かる、真剣な顔。
脳が溶けそうなほどの暑さの中で、背中に冷たい汗が流れた。
「悪い知らせだ。……そうと分かっても、知りたいか?」
アルフレートはライラに問うた。
鳥が携えてきたそれを握り潰し、アルフレートは虚空を睨んだ。
「俺は、こんな事実、正直なところお前に伝えたくはない。……だが、お前がこの先の未来を選択するには、おそらく知っておくべき事だろう。……どうする?」
鳥が携えてきた情報は、弟妹たちの安否確認の結果のはず。――それが、悪い知らせだったということは。
「まさか……」
嫌でも察しがつく。
恐怖に怯えながらも、ライラは視線で促した。
「……お前の村から連れ出された子供たちは、確かに例の街へ連れ込まれたが、その中に、お前の弟妹たちは居なかった。……おそらく、お前がモハメドに連れ出された直後、逃げればどうなるか、見せしめとして――殺されたのだろう」
恐れていた結果を聞いて、ライラはこれまで信じてきた世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
――アルフレートの様子から、その結末は予想してはいたけれど。
「まさか、そんな前に……。砂漠の旅を始めるより前に、あの子達は、もう……」
思わず、嗚咽を漏らさずには居られなかった。
言葉にならない声が、喉から溢れ、涙がとめどなく頬を伝って乾いた砂の上に落ちる。
ぽたり、と雫の跡が砂色を一瞬濃い色に染めるも、乾いた空気にさらわれ、一瞬の後には乾いてしまうというのに――次から次へ、幾度も幾度も雫は砂を湿した。
「私……、守れなかったんですね、あの子達を……」
ライラは痛いほど熱い砂の地面に指を埋め、力いっぱい握り締めた。――が、さらさらと指の間からこぼれていく砂は文字通り掴みどころがなさすぎて、ただ、その熱でライラの肌を焼くだけ。
まるで、今のライラの状況を体現されているようで、無性に腹が立った。
――何をしても、変わらない。
どんなに強く願おうと、それを叶える力を持たないならば、結局夢で終わるしかないのだと。
力無き者に、強者に抗う術などなく、ただ世界の不条理に押し流されるしかないのだと。
……そう、言われているようで、たまらなく悔しかった。
「……気持ちは、分からないでもないが。あまり砂に触れるな、火傷をするぞ。ほら、水に浸して手を冷やせ」
少し乱暴なくらいにライラの身体を強く引き寄せ、掴んだ手首をオアシスの中へ突っ込んだ。
もう片方の腕で、背後からライラの身体を抱きしめる。
「だが、これでお前が都を目指す理由は無くなったわけだな。……それで、お前はどうしたい?」
アルフレートは、その体勢のまま、そっとライラの耳元で囁いた。
……ライラを無理矢理都へ連れて行こうとしたモハメドは、もう居ない。
ライラが都を目指していた理由も潰えた。
そして、都の前では賊たちがライラ達を待ち構えている。
――都に行っても、何一つライラにとって益になる事などないというのに。
「……でも、私には帰る場所がありません」
村は既に無く、他に行く宛もない。女が一人で生きていくのは不可能だ。
「それに……、まだ、村の子供たちの中に無事な子が居るなら……。私のせいで、その子ども達にまで余計な危害が加えられたら……? そんな事になったら私、今度こそ耐えられません……!」
汗の絶えない厚さの中で、ライラは震える体をかき抱いた。
「私……、都へ行きます。……悔しくて、悔しくて仕方ないけれど。あなたの、足手纏いにしかなれないけれど……。私を、都まで連れて行ってくれますか?」
「……それが、お前との契約だからな。お前が望む限りは、勿論連れて行ってやるとも」
水から引き上げたライラの手に、口づけを落としながら、アルフレートがライラの耳へと囁きかけた。
「だが、逃げたいとは思わないのか? ……村の子どもたち、と言うが、親戚という訳でもないのだろう? ほぼ他人も同然の者の為に、修羅の道を選ぶのか?」
――甘く、甘く彼は囁く。
だが、それでもライラは首を横へ振った。
「だって、今逃げたところで何も良い事はないもの。……逃げなかったからって、良い事があるわけでもないけど。でも、あなたが教えてくれたんです。この先の未来にどんな苦難が待ち受けていたとしても、いずれ必ず救いは訪れる、と」
「……だが俺はこう言ったぞ。天上の神が地上の事に直接手出しすることは決してない、とな。今回の件で、お前はそれを嫌というほど思い知ったのではないか?」
しかしライラはまたしても首を横へ振った。
「だって、あなたに会えたから」
ライラが短く呟いた。
「俺……に……?」
アルフレートは怪訝そうな顔をするのが、水面に映る。
「賊に村を襲われてからずっと、恐ろしげな男たちと共に旅をする事を強要されてきました。……途中からはご存知のとおり、連れはモハメド一人になりましたけど、……どういう状況だったかは見ていたのでしょう?」
ライラは悲しげな笑みを水面の彼に向けた。
「でも、暑い中大人の男の足に合わせて無理矢理歩かされていた私を、あなたは助けてくれた。……オアシスで賊に襲われた時も。モハメドが逃げ出した後も、あなたは私など放って一人で旅する方が楽だったに違いないのに、私と契約して、ここまで面倒をみてくれて……。例えほんのひと時の事だとしても、私にとっては間違いなく“救い”だから……」
そう、彼に告げる。
……心の奥に生まれた想いは、まだ言えないけれど。
だが、それを聞いたアルフレートが不意にライラを抱く腕に力を込めた。
抱えられている、というのではなく、本当に抱きしめられているかのように。
両腕で、ギュッと抱き込まれ、ライラの後頭部がアルフレートの胸に押し付けられる。
――馬上でのやむを得ない接触ではなしに、彼の心音が直接聞こえてくる状況で、ライラは波立っていた感情がゆっくり落ち着いていくのを感じる。
悲しみや悔しさが消えたわけではないけれど、不思議と、まだ大丈夫だと思える。
本当は、都になど行きたくない。……だけど、そうしたら、彼は――?
こんな砂漠の真ん中でライラを放り出すような人でない事はもう知っているけれど、同時に彼が都に用事があるのだという事も知っている。
ライラが都に行かないなら、一番近い町まで送ってもらって、そこで彼と別れて――そんな未来は考えたくもなかった。
だったら、あとほんの数日でもいい。
このひと時の安らぎを、許される限り目一杯味わっていたかったから。――ライラは、その道を選び取った。