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暁の狼

 「――護衛を頼みたいんだが。いいかね?」

 そう言って声をかけられたのは、聖堂で礼拝を済ませた直後の事だった。 

「どこまで?」

「聖地までだ」

「運ぶ荷と量は?」

「絹と宝石。ラクダ百頭分だ」

「――いくら払う?」

「儲けの2割でどうだ?」

「……いいだろう、引き受けた」

商談は、要点のみの会話だけ――ものの数秒で済んだ。

 黒目黒髪のすらりとした長身痩躯の青年は、僅かばかりの荷物の入った革袋の紐を肩にかけ背に負いながら立ち上がる。

「出発はいつだ?」

「――明日の早朝だ」

自分より頭二つ分ほども背の高い彼を見上げ、男は答えた。

「隊商の準備は完璧に整っていたんだがね、頼んでいた護衛が前金だけふんだくってどっかへ消えちまったんで困ってたんだ。――いや、しかしついてる。あんた、あれだろ? “あかつきの狼”で通った凄腕の! 噂にゃ聞いていたが、まさかこんな所で会えるとは思わなかったよ。なあ、これから呑みに行かねえか? おごるからさ」

気安く肩を叩こうとして――届かなかった彼は、青年の背を叩きながら、クイッと酒をあおる仕草をして見せた。

「断る。……酒は飲まない主義なんだ。」

「――なんだ? 付き合い悪いなぁ。」

あっさり誘いを断った青年に男は不満げな表情を見せたが、

「ん、もしや……」

と、今出てきたばかりの建物を振り返ると、一人納得したように頷いた。

「――ああ、そうか。だがしかし……かの凄腕が敬虔な信者だったとは知らなかったな」

 この辺り一帯の土地は、唯一神を信仰する者のの多く住む土地だ。どの町にも大抵一つは必ず聖堂がたてられ、外を歩く女性は皆ベールで顔を覆い隠している。

 その教典には酒は飲むべきでないと記されているのだが、町はずれの宿屋などでは隠れて酒を売り、夜な夜な酒飲み達が集うのだ。彼らの様な行商人達は、そうした酒場で買った酒を夜の冷え込む砂漠で火を囲みながら呑み明かし、寒さをやり過ごすのである。

「まあいいや。こっちは仕事さえきっちり勤めてくれさえすりゃ、それでいいんだからな。明日から、頼むぜ」


 ――それが、約一週間前の事だった。


 じりじりと照り付ける太陽の熱が、大地を覆う砂に反射して、倍の気温に跳ね上がる。空気は暑さに揺らめき、男達はじっとりと汗ばんだ額を袖で拭いながら荒い呼吸を繰り返していた。


 ライラは、ラクダに繋がれた荷車に載せられたまま空を仰いだ。目を焼かれるような強烈な光線が眩しい。

 ――それでも、この暑さの中を大の大人の男に混じって歩かされる事を強要されなかっただけましだった。

 昨日までは、半ば引きずられるような恰好で無理やり歩かされていたのに。――あの、護衛の青年の鶴の一声で、ライラの旅は随分楽になった。

「ガキを歩かせるな。護衛の邪魔だ」

 ――なんて。素っ気も味けも無い言葉ではあったけれど。実際、それだけの理由でしかないような表情で冷たく言われた言葉だった。

 それでも、彼のおかげで今日はこうして歩かずに済んでいる。ライラは、少し前で馬に乗り、暑さを感じさせない涼しげな表情で淡々と歩を進める青年を盗み見た。

 青年の目は、隊列の前方・後方と油断なく気を配りながらも、ここではない、どこか遠くを見つめているようで――。

 特に、夜ごと月を見上げる彼の目は、どこか切なげだった。

 所詮、金で雇っただけの護衛だ。彼の仕事ぶり以外に目を向けるなどと言う暇な事をするような人間はこのキャラバンにはライラ以外いなかったから、そんな事に気付いた人間も、おそらくライラだけだったのだろう。


 ――実際、彼の働きぶりは噂通りだった。全部で約ひと月半程の行程のうち、まだ四分の一にも至っていないにもかかわらず、すでに三度も盗賊の襲撃に見舞われたが、その全てを完璧に退けた青年は、いつでも涼しい表情を崩すことなくそれをやってのけた。


 彼は半月刀シャムシールを巧みに操りながら、しかしまるで戯れのように相手を軽くあしらうだけで、相手方はなす術もなく倒れ伏していくのだ。


 当然、隊商の荷も商人達にもダメージは皆無である。その間ライラは、ただ荷車の中で小さく丸まっていればあっという間に済んだ。


 ――それでも。

 耳をふさいでも聞こえてくる盗賊らのあげる罵声や奇声、ドカドカと踏みにじるような無遠慮な足音が恐ろしかった。


 小さく丸まって、ぶるぶる生まれたてのシカみたいに震えて。

 でも、たかが荷物。誰も、気に留めてなんてくれない。


 ……所詮、隊商なんて盗賊に襲われるのが当たり前なのだから、賊の襲撃の一つや二つ、騒ぐような事ではないのだ。しかも、今回雇った護衛は通り名付きの凄腕で、実際その腕っ節を目の当たりにしたのだ。

 彼の働きぶりに満足した商人たちにとって、盗賊騒ぎより砂嵐に遭遇する方こそが余程問題だった。

 完全な自然現象である砂嵐だけは、人の力では避けようがない。一度遭遇してしまったら、過ぎ去るまでその場に足止めされてしまうのだから、その分行程が遅れ、遅れた分だけ儲けが減る可能性だってでてくる。

 もちろん、砂嵐に出会わず全行程を行く事も到底不可能である。当然、ある程度の猶予は含めてある。――が、なるべく出会わないに越したことはないのだから。


 でも、ライラは。盗賊と、砂嵐とだったらまだ砂嵐の方がましだった。……どちらも荷車で小さく丸まっていなくてはならないのは同じだったが、それでも。

 あの日の記憶が、閉じた心の扉をこじ開けられ引き出されてくるよりは――ずっと気が楽だった。


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