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ライラの悩み

 「今日はここで休む。――野宿になるが……」

 アルフレートが差し出した手に助けられながら、ライラはがちがちに強ばった身体を馬の背から地面へ降ろした。

 馬に半日もの間こうして揺られるのは今日で2回目だが、流石にたったそれだけですぐに慣れられるものではないらしいが――それ以上にライラの身体を強ばらせている原因は他にもある。

 そう大きくもない馬の背は狭く、その背に2人も乗るとなると、どうしてもお互いの身体が密着する。

 昨日はさして気にも留めなかった、布越しに触れる彼の筋肉質な胸板の感触だとか、そこから伝わる彼の体温や鼓膜を揺らす彼の心音や呼吸音、ライラを支えるたくましい腕のラインだとか、手綱を握る骨ばった男らしい手だとか、そういったものがやけに目や耳につき、ライラの心臓はずっと休まることなくいつもより早い脈を刻み続けた。

 しかも変に意識したせいで、筋肉に余計な力が入り、そのせいで昨日よりも更に身体の強張りが酷くなった気がする。


 彼はといえば、早速火と食事の準備を淡々とこなしているというのに。

 自分ばかりがリーの言葉を意識してしまっているようで、とてつもなく恥ずかしく、また居たたまれない気分になる。

 このままいると、暑さも手伝って呼吸ができなくなりそうで、ライラは彼の隣にしゃがみながら尋ねた。


 「あの、何か私に手伝える事はありますか……?」

 何もかもを彼にやらせて、自分はただ黙って見ているだけだなどと、ライラには心苦しくてたまらない。何より、何か手を動かしていないと余計なことばかり考えて息が詰まりそうだ。

 ――自分の心に素直になりな。

 リーはそう言ったけれど。

 (自分の心に素直に、って言ったって……いったいどうすればいいの?)

 ライラにはその方法がさっぱり思いつかない。


 確かに心臓がドキドキして、心が苦しくて。けれどそれは決して不快ではなくて。彼の視線をまっすぐ受け止めようとするとどうしても逃げ出したくなったり、けれど気づけばいつでも彼の姿が視界の中にあったり――これはまあ砂漠の真ん中ではほかに見るものもないせいかもしれないが――

 自分の手でコントロールしきれない感情が心に溢れているのは分かるのだけれど。

 しかし、それをどう処理するべきなのか、その手段がまるで分からない。


 ライラは、自分の気持ちを完全に持て余していた。

 (……でも、この気持ちが恋、なの?)


 お忍びで城を出て城下の街を出歩く王が、下町の貧しい少女を見初めて求婚する話。

 敵国同士の貴人がお互いに惹かれあう話。

 裕福な商人が美しい娘に惚れ込み、数々の高級品を貢ぐ話。


 あの有名な千一夜物語の中にも、そういった話は描かれているけれど――。


 王や貴人、商人や労働者、はたまた不思議な精霊ジンなど、登場人物は様々だが……。

 基本的に、女が積極的に男に迫るなど、女は男に従うべきであるというのが常識から逸脱した行為であり、はしたないとされる行為だ。

 彼女たちは、彼らの前で可能な限り魅力的に振る舞い、目を留めてもらい、見初められ、彼らから言葉をかけられるのを待つのが、あるべき姿と語られている。


 では、ライラが自らの心に素直な振る舞いをする、という事は。

 (――でも、魅力的な振る舞いって何よ?)


 そろそろと自分の身体を見下ろし、絶望的な気分になる。

 こぼれ落ちんばかりの豊かな胸に、綺麗なくびれのライン。魅惑的な腰つきから、ライラでさえ直視しがたい魅惑的な脚。男たちが揃って目を釘付けにされるだろう魅力に溢れた身体を持ったリーを、アルフレートは明らかに迷惑そうに邪険にしていた。

 それを、胸はぺたんこ、肉付きも微妙でくびれもくの字もないようなライラの身体のいったい何処に魅力を見出せば良いのか。

 いや、人間大事なのは外見ではなく中身だと言い張るにしても……。

 大概の男が女に望むのは、自分に従順であることくらいで、それ以外に大の大人の男が魅力的に思うだろう項目など、ライラには皆目見当もつかない。

 料理や裁縫など、一通りの家事は娘の嗜みとして人並みにできはするが……こんな何もない砂漠の真ん中ではそれを披露する場などあるはずもない。


 出来ることなど、せいぜい彼の機嫌を損ねないようにすることぐらいだ。

 ふと、彼にぺっとりとくっついて抱きついていたリーの姿が脳裏に蘇り、一瞬記憶の中の彼女にムッとしながらも、同じことをライラがアルフレートにする光景を想像し――ライラは慌てて首を左右に激しく振ってその画を頭の中から必死に追い出した。思わず大声で叫び出したくなるほどにそれはあまりに恥ずかしすぎる。


 有り得ない。絶対にそれはありえない。ライラはそう確信しながら一人頷く。

 (でも、じゃあどうすればいいの?)

 そして結局疑問はそこへ戻ってきてしまう。


 ここから都まで、あと一体どのくらいかかるものか、ライラは知らない。けれど、その未来はそう遠いものではないはずだ。

 ――時間は、あまりない。ゆっくり悩んでいる暇はない。

 

 ぐるぐると同じところを回り続ける疑問を解決できず、ライラは黙り込んだまま眉間にしわを寄せた。

 簡単に食事を済ませ、眠る段になってもまるで落ち着かない心が、ライラを疲弊させていく。

 まだ、旅路は始まったばかりだというのに。今から疲れているようでは、本当にお荷物になってしまう。それでは彼の足を引っ張る事となり、つまりは魅力的な振る舞いとは程遠い行為だ。


 「――眠れないのか?」

 忙しなく寝返りを繰り返していたせいか、アルフレートが尋ねた。

 「……ごめんなさい」

 謝るライラにアルフレートは淡々と首を横に振る。

 「わざとでないなら、謝ることはない。生きていれば、中々寝付けない日くらいそう珍しくなくあるだろう」

 だが、とアルフレートは続ける。

 「この砂漠の過酷な旅路でそれはあまり好ましくないのは確かだ。……だから、今は全部忘れて眠れ」

 言いながら、つん、と人差し指でライラの額をつついた。


 ――すると、見る間に視界に靄がかかったように景色が霞み、一気に睡魔がライラを襲った。

 ふっと、意識が遠くなり、力の抜けた身体が砂の地面へ倒れ込むのを、アルフレートが支えながらゆっくりとライラの身体を地面に横たえた。


 ホッとした顔で少女を見下ろしながら、アルフレートは毒づいた。

 「全く、リーの奴め。面倒な事をしやがって……。俺に、どうしろと言うんだ」

 折しも、ライラと同じような呟きを漏らし、彼もまた地面に身体を横たえた。

 次の町までもまだ少なくとも数日、目的地である都までは数週間はかかるというのに。

 「……どうすればいいんだ」

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