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煩悶

 はぁ、と、アルフレートはもう何度目か分からない重たいため息を心の中で吐きだした。馬の手綱を操りながら、空に浮かぶ星を見上げる。

 当たり前だがここは砂漠の真ん中、他に人影などは見当たらず、暗がりの中時折ごく小さな小動物がちょろちょろ動き回る以外に動くものはない。それとて、こんな闇の中では人の目では捉え切れまい。

 そんな中で、唯一の同行者である少女は、先程からずっとだんまりを決め込んでいる。

 ――アルフレートは決してお喋りなたちではないから、ぺちゃくちゃと絶え間なく囀られるよりはまし……だとは思うのだが、何やらそわそわと落ち着きがない。

 その原因については、大いに心当たりがあるため、あえて彼女にそれを問おうとは思えない。おそらく尋ねてしまえばきっと更に彼女の挙動不審は悪化するに違いないだろうから。


 その“原因”であろう光景を思い出し、アルフレートは再び重たいため息を吐く。

 いつだったか、彼女――ワルダもこんな反応を見せた頃が一時期あった。それまで、村に招かれた客人だったり、他所から来た新しい村人程度にしか思っていなかったはずのアルフレートとの婚姻を、族長に示唆されたのがきっかけで、彼女は初めて自分を“異性”として意識したのだろう。

 例えば顔を見ただけで悲鳴をあげて逃げていったりだとか。やたらとアルフレートを避けてみたりだとか。一方で顔を合わせれば、ひたすらに喋り続け、合間の沈黙が訪れるたび、それが耐えられないとばかりに彼女は必死の形相で話題を探していた。

 今、ライラが見せている態度は、まさにあの時の彼女の様子と酷似していた。

 間違いなく、彼女は今この自分を男として意識せざるを得なくなり、戸惑いと混乱の中に在るのだろう。


 一番の原因は、もちろんあのリーの発言だ。だが、今回に限ってはもう一つ、アルフレートにもその原因がある。

 

 己の持つ牙が、己の持つ魔力が、吸血という行為に於いて人間にもたらすものを、もちろんアルフレートは承知している。

 ――痛みと、快楽。

 ある意味対極にありながら実は似通ったその感覚は、吸血行為とは切っても切れないものだ。


 牙で肌を破れば当然相応の痛みを伴う。そして、唾液に含まれる魔力がもたらす快楽は――吸血鬼にとって撒き餌のようなものだ。

 獲物を快楽に溺れさせて誘惑し、次の食事の獲得を容易にするための甘い“毒”。

 

 性的快楽に酷似したその感覚に――おそらく――どころかほぼ確実に初めてであるはずのそれに戸惑っていたのであろう彼女を煽ったのは間違いなくリーだが……。彼女を混乱させた根本の原因はアルフレートが与えたそれだろうことは容易に察せられる。

 と、なればその原因たる自分が下手に動けば、余計に彼女を刺激してしまう。


 ――本当に彼女のためを思うのなら、今から、少しでもいい。異性に、男という生き物に馴れて、免疫をしっかり獲得させてやるべだと私は思う……


 リーはそう言っていたが……。やはりアルフレートは彼女の意見には賛同しかねた。

 こんな少女を買って慰み者にしようなどと考える下衆な輩は是非地獄へ堕ちるべきだと思うが、やむを得ない事情があるとはいえ、やはりそんな男に身体を預ける行為は罪なのだ。

 犯した罪は必ず償うべきで、その為には償わねばならない罪など少ないにこしたことはないはずだ。


 それに。……彼女の言う事を認めるならば。

 (――ワルダは、どうなる)

 彼女とて、異性への免疫など殆ど無いに等しい。……どころか。

 ――心に想い人を抱えながら他の男と夜を共にするのは、それは辛いものだけど……

 ワルダとは、族長の取り決めによるものながら婚約の話があった間柄だ。

 彼女が、実際に自分にどれほどの想いを寄せてくれていたのか、本当のところはアルフレートも知らない。

 だが、あの時彼女は確かに言ってくれた。

 ――神を信じ、神の教えに従うならば、あなたが何者だろうと、私は気にしない、と。


 そんな彼女が、恐ろしい盗賊団に無理やり連れ去られ、下衆な男の元へ売られて――。果たして今、どうしているのだろう?

 “心が壊れる”

 リーの言葉が耳奥で繰り返し木霊し続ける。


 やっと見つけたはずの運命が壊れただなど。……アルフレートは信じたくなかった。

 状況的に、彼女が未だ清い身であることが望めないのは嫌でも受け入れざるを得ないであろうが……。

 だが、彼女ならその罪を嘆き、償おうとするはずだ。そして、自分はその手助けをするべきなのだ。

 彼女が犯さざるを得なかったその罪は、あの日彼女を守れなかったアルフレートの罪でもあるのだから。


 個人的な心情を言えば、この少女――ライラがこれから踏み入れる罪の世界から救ってやりたいと、そこへ足を踏み入れる前に引き戻し、その世界をぶち壊してやりたいと思う。

 だが、この世界には、残念ながら彼女のような身の上を持つ少女などざらに居るのだ。

 彼女一人を特別に扱うことはできない。

 それを約定に契約を結ぶか――あるいは……彼女を運命の、あの指輪の持ち主と定め、己の主として認めぬ限りは……。

 だが、後者はもう既にワルダと定めた以上絶対に有り得ない。そして、ライラとした契約は、無事にその男の元へ送り届けるところまでで、“それ”は約定に入っていないし、何より彼女自身がそれを望んではいないようだった。


 だからせめても、自分はライラを安全に目的地まで運んでやるべきなのであって。まさかその自分か、彼女を傷つけるような行為に及ぶなど決してあってはならない事なのだ。


 だが吸血鬼である以上、そして契約を結んだ以上は、代償としての吸血は欠かせない。

 それもまた、ライラを傷つける行為に値することは重々承知しているけれど、こればかりは譲れない。


 アルフレートはもう一度、ため息を吐いた。


 今夜のうちに目指すのは、ごく小さなオアシスで、当然町などないから、今日は野宿をするしかない。

 相応の装備はあの町で揃えてきたからそちらの心配はないけれど……。

 この様子だと、別の心配が要るかもしれない。


 (……さて、どうするべきか)


 実に面倒で、厄介だ。だが、契約を結んだ以上はそれを考える義務がアルフレートにはある。

 星を見上げ、止まらないため息で破裂しそうな心を持て余しながら考えを巡らせる。


 ワルダの時にはどうしたのだったかと記憶を探り――


 (ああ、ダメだ……)

 アルフレートは頭を抱えて首を横へ振った。

 彼女の時は、ゆっくり時間をかけて慣らしていったのだ。彼女は、アルフレートの婚約者になる予定であったし、何より指輪の主として仕えるつもりでいたから。

 けれど、今はそんな時間はないし、ライラを婚約者にするつもりも指輪の主に据えるつもりもないのだから、何の参考にもならない。

 ゆっくり慣らす――それではリーの言葉を認める様ではないか。


 だが、これといった良案が浮かばぬまま、馬の足だけは確実に、前へと進み続ける。

 (さて、どうしたものかな……)

 

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