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契約の代償

 「吸血鬼に血を吸われるって事がどういう事なのか……。お嬢ちゃんは知っているの?」

 先刻、リーに投げかけられた問い。


 契約を交わした際、試しだと言って血を吸われそうになった時。ライラはそれに対して本能的な恐怖を感じた。


 「生気を吸うっていったって、吸血鬼みたく牙を立てて咬み付こうってんじゃないんだから、痛くなんかないんだよ?」

 彼女――リーはそう言った。つまりは、吸血鬼に――アルフレートに血を吸われる、という事は、牙で咬まれて血を啜られるという事で。

 ――それは、少なからず痛みを伴うものであるらしい事も、彼女の言葉から察せられた。


 だけど。


 「――契約に従い、俺にお前の血を差し出せ」


 改めて彼にそう言われて。……ライラは不思議と怖いとは思わなかった。

 ライラを見下ろす彼の顔は、相変わらず不機嫌そうなままだが……。彼の場合、これが普通の顔であるらしいから、本当に機嫌を損ねているわけではないはずだ。

 彼は、ライラの身体の痛みを取り除いてくれた。その直後から、彼の瞳の揺らぎが顕著になったのをライラは見逃さなかった。


 アルフレートは渇いているのだと言った。血を欲しているのだと。

 彼の瞳に揺らぐのは、血を渇望する吸血鬼としての本能に基づく欲情だ。


 ……それを見ながら、ライラはしかし怖いとは思わなかった。潤んだ瞳は、リーのそれよりずっと、ライラには綺麗に見えて。


 だから、ライラは素直に頷いた。だが、それを見たアルフレートが僅かに顔を顰めた。

 何か、彼の気に障るような事でもしてしまったのだろうか? 内心、首を傾げるライラの左手を取って持ち上げ、手の甲に口付けを落とした。

 ――それは、その仕草はまるで姫に傅く騎士のそれのようで。

 ライラの心臓の鼓動が一気に早まり、サッと頬が朱に染まるのを感じながら、声にならない悲鳴を喉の奥に詰まらせた。


 異性との積極的な触れ合いは、あまり褒められたものではない。そう知っているはずが、……何故だろう、嫌な気はしなくて――。

 ライラは内心焦りを抱えながら、彼の行動をじっと凝視し続ける。


 手の甲から、一旦唇を離すと、そのままライラの手のひらを返し、手首の内側の柔らかな場所を、口元へと運び――再び、口づけが落とされる。

 かすかに触れる、唇の感触。――感覚の鋭い部分なだけに、余計に意識がその部分へと集中するようで、ライラは直視し難くて、目を泳がせた。が、怖いもの見たさか完全に目を離すこともできず、視線が定まらない。

 手に触れた彼の唇から、鋭い2本の牙がこぼれ、肌へあてがわれる。

 2つの、固く尖ったものが押し当てられ、グッと容赦なくそれに圧が加えられる。ライラの柔な肌は呆気なく破られ、牙が根元まで深々と肌の下へと埋め込まれた。

 その瞬間、熱を伴った痛みがライラの脳を揺さぶった。

 「――っ!」

 思わず強く目をつぶり、歯を食いしばる。――と、穿たれた傷口の周りを彼の舌がじっくりと舐り、じわりと染み出した血を、肌に触れた唇が傷口に吸い付き、音を立ててそれを吸い上げる様が、よりリアルな感覚として伝わってくる。

 穿たれた傷の痛みと、それを嬲られる痛みが、波のようにライラを襲う。

 ――だが、何故だろう。その痛みの波間にかすかに感じる、痛みとは違う何かが、ライラの脳と心臓を揺さぶり、ジンと思考が痺れ、心臓がさらに鼓動を強く早く打ち出す。

 左腕から、次第に力が抜け、徐々にそれが全身へと広がっていく。それと同時にゾクゾクとする何かが、全身を駆けていくような――。


 たまらず、ライラは身体を小刻みに震わせながら、そろそろと薄目を開けた。

 その瞬間、まず網膜に焼き付いたのは――血を啜るアルフレートの、瞳。目を伏せ、一心不乱に血を啜る彼の瞳は熱っぽく潤み、妙な色気を漂わせている。

 思わず、心がゾクリと震える。ドキドキと、既に心臓の鼓動は限界近くまで早まっているのに、その拍動ごとに、心まで一緒に揺さぶられる。


 くらくらと、先程リーに迫られた時とは比べ物にならない強さで、頭が痺れていく。いつしか、穿たれた傷の痛みすら溶けて消え、ただ心地の良い痺れの中に思考が漂う。

 ――到底、抗う余地などない。これが、“吸血鬼に血を吸われる”という事なのか。

 これはもう、下手な魔物の誘惑よりも余程タチが悪い。


 いや、ある意味当然なのかもしれない。だってこれは、既に交わした契約に基づく行為なのだから、つまりすでに誘惑の段階より一歩踏み込んでしまっているという事で。だってライラはさっき、彼が血を吸うことに対し首を縦に振ったではないか。


 これが、契約の代償……。ただ、血を差し出せばいいだけだと思っていたのに。何だかよく分からない、こんな未知の感覚に心身を支配されるなどとは予想もしていなかった。

 だが……何故だろう。だからといって嫌だとか、契約を後悔するような感情は不思議な程に湧いてこない。

 混乱はしていても、不思議と恐怖や不安は感じない。


 痺れた脳の壊れかけた時間感覚では一体どれくらいそうしていたのか分からなかったが、ライラの感覚ではようやく、という言葉がしっくりくるタイミングで、彼の牙が傷口から抜かれた。

 すると、全身を駆け巡っていた痺れとあのよく分からない感覚がすっと引いていき、頭の中も一気にはっきり覚醒する。

 鼓動がゆっくりと落ち着きを取り戻し――代わりに、ズキズキとした傷の痛みが蘇り、疼く。


 ライラは、寝台にへたりこむように腰を下ろし、大きく息を吐きだした。

 落ち着きを取り戻した心臓だが、まだ心の奥では熱を持ってトクトクと普段とは明らかに異なる拍動を刻んでいる。


 そろそろと見上げた彼の顔は、尚も不機嫌そうなまま――。だが、欲に揺らいでいた彼の瞳はすっかり落ち着きを取り戻し、静かにライラを見下ろしている。

 その瞳と目が合った瞬間――ライラの心臓が、一際大きくドクンと脈打った。


 「契約の代償は、確かに受け取った」

 じっと、ライラの目を見つめながら、彼は淡々とそう口にした。

 「……行くぞ」

 アルフレートは荷物を背負い、踵を返して扉を押し開ける。

 「食事を済ませたら、出発だ」


 開けた扉を抑えながら、アルフレートが首だけこちらへ向けて振り返る。ライラは、慌てて立ち上がり、彼に歩み寄った。

 

 「……次の町までは数日かかる。その間はまた保存食だけの食事になるからな。今日のうちに、しっかり食いだめしておけ」

 そんなライラを見下ろしながら、アルフレートが珍しく微かな苦笑を浮かべて言った。


 その彼の表情を見たライラの心臓が、再び派手に跳ねた。こくこくと無言のまま首を縦にふりながら、ライラは手を胸に当てる。

 体が、熱い。

 

 彼の背を追って宿屋の廊下を歩きながら、ライラは言う事を聞かない心臓の処遇に困りながら、後から後から湧いてくる不思議な気持ちに戸惑う。

 もしかして、魔物に魅入られる、というのはこういう事を言うのだろうか?


 本来、魔物に魅入られるなど、最悪の大罪だ。けれど、彼は神の教えに従う吸血鬼で……。そんな彼に魅入られるのは、果たして罪になるのだろうか?


 もしも、それが罪なのだとしたら……。

 (私……は……)


 ライラは、胸に当てた手を強く握り締める。

 逸る心臓の鼓動は、一向に治まる気配がなく――。

 

 でも、それが何故なのか、ライラには分からない。


 (私……、どうすればいいの……?)


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