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誘惑

 あれから、数回の小休止を挟みながら歩き続け、いつしか東の空に明けの明星が輝き、仄かに地平線に沿う空が薄明るくなってきたその向こうに、かすかに町が見えてきた。


 先ごろ盗賊に襲われたあのオアシスの町に比べれば小さいが、ここから見る限りはかなり栄えている町であるらしく、建物が所狭しと並んでいる。

 これだけのオアシスなら、確かに宿屋も酒場もあるはずだ。

 ここのところずっと野宿が続いたライラにとって、多少粗末であろうとも、部屋の中の寝台で眠れる、というのとても魅力的な事に思えた。

 しかも、数時間もの間慣れない馬に揺られて、全身筋肉痛で辛い今はなおさらだ。


 地平線近くに見えていた町に実際到着する頃には、太陽も地平線の向こうからしっかりと姿を現し、空は漆黒の星空から眩しいばかりの青空へと入れ替わり、早速ジリジリと冷たかった空気を熱し始めていた。

 暑くなる前に、と朝の仕事に精を出す忙しない雰囲気の町並みを、アルフレートはやはり迷いなく突き進み、いくつも宿屋の看板の並ぶ通りのうちの一件の前で馬の足を止めた。

 彼は変わらず身軽にさっそうと馬から降りると、続けてライラを抱えて馬から降ろし、勝手知ったる、といった様子で宿屋の厩に馬を繋いでいると、ひょいっと窓から顔を出した女性が声をかけた。


 「おや、客かと思えばアルフじゃないか。随分と珍しいお客を連れてるようだが……今日は?」

 この手の街ではよく見かける、顔も髪も身体もあえて隠すことなく、妖艶な雰囲気を纏った妙齢の女性が、ニヤリと愉快なものを眺めるような目つきでアルフレートに問いかけた。

 「……部屋を借りたい。あと、彼女の食事も頼む」

 だが、アルフレートは動揺の欠片も見せずにやはり淡々と述べながら、懐に手をつっこみ、引っ張り出した金貨を彼女へ放った。

 「はいよ。食事はちょうど昨日の上客に出したやつの余りがあるから、いいの食わしてやれるよ」

 彼女は手にした金貨に目を輝かせながら、にっこり微笑んだ。

 表へ回り、中へ入ると1階部分が酒場になっており、カウンターとテーブル席が狭く薄暗い室内に雑然と並んでいる。


 少し埃っぽいテーブルに、彼女は湯気の立つ皿をいくつも運んできては並べていく。


 温かく、具だくさんのスープ。脂ののった肉にたっぷりのスパイスを振って炙ったもの。豆の煮物に、焼きたてのパンに、果物まである。

 本当に久しぶりのまともな食事を前に、ライラは思わずごくりと口の中に湧いた唾を飲み込んだ。

 そろそろと向かいの席に座ったアルフレートを見上げると、彼はやはり不機嫌そうな顔のまま祈りの言葉を小さく呟いた後で、皿へ手を伸ばし、肉を口へ放り込んだ。

 こちらを見下ろす彼の目は、無言で「さっさと食え」と言っているように見えたライラは、慌てて神に祈りを捧げ、パンにかじりついた。


 久しぶりの、干からびていないパンは、ライラにとっては最上のご馳走に思えた。次いでスープを啜ると、旨みのきいた野菜が喉を通過していく。スパイスたっぷりの肉は食欲を刺激し、水気たっぷりの果物はとても甘い。

 砂漠の真ん中である事を思えば贅沢過ぎる程の豪勢な食事に夢中になっていたライラだったが――。


 「ぶどう酒も良いのがあるんだけど……アンタは呑まないんだよねえ?」

 女性はアルフレートの隣の椅子に腰を下ろすと、しなを作って彼にしなだれかかりながら、艶っぽい色目で上目遣いに彼を見上げ、尋ねる。

 その姿を目にしたライラは――なぜだろう、飲み込んだパンが喉の奥に引っかかったような気分になった。

 「要らん。……それより、こいつの食事が済んだら先に部屋へ放り込んでおいてくれ。俺は先に用事を済ませてきたい」

 だが、アルフレートはその豊満な身体を迷惑そうな顔で退けると、先に食事の席を立った。

 

 さっさと戸口を出ていくアルフレートの背を残念そうに見送り、彼女は卓に頬杖をつきながらまじまじとライラの顔を眺める。

 「相変わらずつれない男だよねえ、あれも。……この辺りで彼の名を――暁の狼の名を知らない者は居ないけど」

 観察でもするように、じっくり眺めまわしながら、彼女は興味深そうな顔をする。

 「……アンタ、もしかして彼の契約者――なのかい?」


 彼女の言葉に、ライラは思わず口にしかけていたスープを吹き出しそうになった。

 「ふうん、その反応……あいつが何だが、知っているんだね?」

 彼女はますます面白いものを見る目つきでライラを見ながら、笑った。

 「ああ、安心しな。アタシの名はリー。ある意味あいつの同類だからね」

 「……同類」

 と、いう事は彼女も吸血鬼なのだろうか……?

 「ああ、昔かのソロモン王に仕えた神に忠誠を誓った魔物って意味でね。……まああちらはクソ真面目な王の側近中の側近、こちらはといえば不真面目なしがない下っぱだけど」

 そろりと彼女は細い綺麗な指をライラへ伸ばし、耳にかかる髪に触れる。

 「それにしても、美味しそうなお嬢さんだねえ。……昨日、散々男らからいただいた後だけど、少しだけ味見をしてもいいかしら? こんな砂漠の真ん中で若いお嬢さんにお目にかかれる機会はそうないからねえ」

 熱っぽい眼差しは、同性のはずのライラまでぐらりときそうで、ライラは慌てて首を左右に降った。

 「だ、ダメです、血はあげられません!!」


 まだ、彼への支払いを済ませていないのに、他へやるなど、以ての外だ。だが、そうライラが言うのを聞いた彼女は目をぱちくりと瞬かせ、そのあとで吹き出す。

 「やぁだ、アタシは吸血鬼じゃないよ。基本的には若い男の生気を吸って生きる、サキュバスさ。……けど、男臭い食事ばかりが続くとねえ、たまには可愛いお嬢さんの生気が欲しくなるんだよ」

 髪に触れていた指が、そろそろと首筋まで降り、肌をそろりと撫でる。

 「それも、無垢な娘となれば……、アタシたちにとっては最上の餌だ。思わず舌なめずりしたくなるのが当たり前さ」

 色を秘めた瞳が、欲の熱を孕み、ライラの目を射抜くと、頭がぼぉっとなって、痺れていく。

 「……ほぉんと、アルフってば、クソ真面目てお固い性格は大昔からちっとも変わらないんだから。こぉんな美味しそうなの前にして、まだ食べてないなんて、ね……」

 クスクスと笑いながら、リーはライラに顔をぐっと近づけた。

 「吸血鬼に血を吸われるって事がどういう事なのか……。お嬢ちゃんは知っているの?」

 「へ……?」

 くらくらする頭で、ライラは間抜けな声を出した。

 

 「あれは……アルフレートは、ソロモン王の時代から存在し続ける、現存する吸血鬼の中でもかなりの古参だよ。当然、持っている魔力も桁違いだ。その彼の牙にかかるというのがどういう事か……、ふふ、その様子じゃお嬢ちゃん、知らないんだね?」

 

 彼女は、うっそりと微笑んだ。


 「ねえ、お嬢ちゃん。アタシと、取引しない? あなたの知りたいこと、色々教えてあげる。吸血鬼のこと、アイツのこと、何でも教えてあげる。……代わりに、アタシにあなたの生気をちょうだい?」


 

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