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契約と誓い

 「血……を……?」

 確かに、それならば今のライラでも差し出すことのできるものだ。今のライラにとってそれは願ってもない申し出でもある。断る、という選択肢は今のライラには与えられていないのだから。

 ライラの心臓が、ドクンと強く脈打った。――緊張と、少しの恐怖心。そして、ライラの心の中に芽吹いた一つの思い。……彼のことをもっと知りたい、そう思ったのはそういえばつい昨夜の事だった。


 ライラは、ゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決める。

 これまで、折に触れ彼に抱いた所感を、ライラは信じようと思った。少なくとも、あの“連れ”の男との旅路より酷いものにはなるまい。

 ライラは、服の裾を強く握り締めたまま、頷いた。

 

 「なら、お願い。私を、都へ連れて行って。……その代わり、アラー神に誓うわ。その対価に、私の血をあなたに捧げると」


 じっと見上げていた彼の瞳が、そのセリフを聞いた瞬間、僅かに揺らいだ。だが、彼はすぐに普段の不機嫌そうな眼差しと声でそれに答えた。

 「では、契約成立だな」

 彼は空を見上げ、眩しそうに手で目を庇う。

 「……まあ、今はまだ日も高い。もうしばらく身体を休めていろ」

 彼は、その言葉をまず自らで体現するかのようにごろりと砂の上に体を横たえ、目を閉じた。


 その様子を見ながら、ライラは恐る恐る尋ねる。

 「あの……、それで怪我は……本当に大丈夫なの?」

 アルフレートは面倒くさそうに片目を開けてライラを見上げる。

 「お前、その目で見ただろう? 傷はとうに癒えて消えている。……まあ、少々大掛かりな怪我だった分、治癒に魔力をかなり費やしはしたが」

 腕を頭の後ろで組んで枕がわりにし、彼は再び両目を閉じる。

 「この程度なら、どうという事もない。……多少渇くが」


 「……渇く?」

 「水ではなく、血を欲する渇きだ」

 目を閉じたまま、彼は答える。

 「魔力を使えば、その分渇く。だが、この程度ならまだ耐えられる――が……」

 彼はライラを見上げた。その視線に、ライラはもう一度ゴクリと唾を飲み、息を詰めた。


 「契約を交わした相手からの吸血であれば誓いに縛られず渇きを癒せる。だがその代わり、契約者以外の者からの吸血はできなくなる。今、俺の渇きを癒せるのは俺の契約者たるお前だけだ」


 アルフレートは身を起こし、彼女の首筋に手を触れた。ぴくりとライラの身体が強ばる。

 「今ここで、俺の渇きを癒してくれるか……?」

 彼の顔がぐっと近づき、耳元で囁かれた。たまらず、ライラは声にならない悲鳴を上げながら目尻に涙を貯め、きゅっと瞼を閉じて――それでも、ライラは小さく頷いた。


 血を吸われる。そのことに対する本能的な恐怖が否応なく心を支配していく。だが、契約を交わした以上、――彼に血を捧げることを誓った以上はそれを拒否する事はできない。

 それに、彼の渇きの原因――彼の怪我の原因はライラの“連れ”だったのだから、ここは甘んじて受け入れるべきだ。

 ライラは震えそうになる心身を叱咤し、じっとその瞬間を待つ。

 だが、吐息が肌にかかるほど近くにあった彼の気配が不意に遠ざかったと思えば、ライラの耳に彼がため息を吐くのが聞こえてきた。

 怪訝に思いながらそろそろと薄目を開け、彼を見る。……と、こちらを眺める彼と目が合った。その目はいつもの不機嫌そうなものだったが、瞳の奥に何故か苛立ちが揺らいで見えた。

 アルフレートはすぐに視線を外し、そっぽを向いた。

 「ふん、……冗談だ」

 そしてそっけなく呟く。


 「そんな、狼に喰われる兎みたいに怯える子どもを苛める趣味はない」

 「なっ……!?」

 ライラの頬が朱に染まる。

 

 「少し、試させてもらっただけだ。……契約の報酬だけ受け取って代価の支払いから逃げようとする小狡い輩も少なからず居るからな」

 「わ……、私そんな事しません! 神様への誓いを破るなんてそんな恐れ多い……!」

 再びごろりと砂の上に体を横たえたアルフレートにライラは抗議の声を上げる。

 「そ、それに私はあなたの怪我を本気で心配して……!」

 ライラの反論に、アルフレートは目を閉じたまま眉間にしわを寄せ、ため息を吐いた。


 「……分かっている。それを知るために試したんだ。しかし、お前は頭が良いのか馬鹿なのかどっちなんだろうな」

 不機嫌そうな目でライラを観察しながら、彼は呟く。

 「まあ、俺と契約したことの意味はきちんと理解しているようだし、俺にはさして関係のないことだが」

 だが、必死に覚悟をしたつもりだったライラは、ムッとして彼を睨んだ。 

 「じゃあ、渇いてるっていうのも嘘?」

 「いや。……俺は、神の教えに縛られている。嘘をつくことは許されていない」

 つまり、渇いてるのは本当で、それを癒せるのがライラだけであるのも本当だという事。

 

 「だが、今のお前から血は吸えない」

 しかしアルフレートはきっぱりと言い切った。

 「これまで殆ど飲まず食わずの上、睡眠すらまともにとっていなかった小娘から、さらに体力を奪うような真似ができるか」

 ごろりと寝返りを打ち、こちらに背を向けながら彼はライラに命じた。

 「いいから、今は身体を休めておけ。……日が落ちたら、次の街へ出発する。今夜は夜通しで砂漠を行く事になる。今のうちに、しっかり眠っておけ」


 そして、それきり彼は黙り込む。……眠ったのだろうか?


 それならば今のライラでも支払えると思っていたのに、どうやら今はそれすら彼に支払うことがかなわないらしい。

 彼はそうと知りながら、契約を持ちかけたのか。……彼にとっては確実に足かせにしかならない、ライラのために。


 やっぱり、彼は優しい人なのだと思う。

 ライラは、せめてこれ以上の足でまといにはなるまいと、ライラは、彼の言葉に従い、彼に倣って身体を横たえ目を閉じる。

 

 オアシスのほとりに僅かに茂る藪の影に、ささやかな涼を求めた寝床は、これまでの硬い荷車の上より随分と身体が楽だ。

 砂漠を行く旅は、これまでと同様、厳しいものになるだろう。

 だけど、少なくとも怖い思いはせずにすむ。辛い思いもせずにすむ。そう思ったら、心も軽くなる。

 

 ライラは、程なくして眠りに落ちた。



 気配でそれを察したアルフレートは静かに身を起こし、彼女の寝顔を見下ろした。

 「……全く、本当に――。度胸があるのか、それともただの世間知らずなんだか……」

 

 自分が人間ではないと、――魔物だと知った人間の多くは、あのモハメドのように攻撃的になるか、慌てて逃げ出すかのどちらかで、そうでなければ邪な望みを叶えてくれと迫ってくるか、見て見ぬふりをするか……。

 彼女のように、事実をしっかり見据えながら、拒絶することなく、彼の存在を受け止められる人間は滅多に居ない。

 ライラを見ていると、つい彼女の面影を重ねてしまいそうになる。


 「……ようやく、探し求めていた情報を得ることができた。あと少し、……もう少しだけ待っていてくれ、ワルダ――」

 



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