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素数

作者: 西園寺歩

男はあるユニットグループに所属している。いたって普通のルックスと程よい交友関係を築いて、波風立てず平穏に東京の郊外で暮らしている。

彼が所属しているグループだが、これまた何の特徴もない世間からも注目を浴びることのない日陰の集団と言えるだろう。これまでは。今後、これから大きな騒動を引き起こすとは誰も知る由もない。

「幸せなら手をたたこう」

ホールに響き渡るアカペラの歌声。

日本なら、いや世界でも教育番組・教育現場で、耳にしたことのある歌が頭の中を掻き混ぜる。声は1人、また1人と大きな渦を巻いて飲み込んでいく。

「パン。パン。」

リーダーが手を叩いた。続くように、その側近どもも手を叩き出し、ひいては男以外全員が叩いた。

「幸せなら手を叩こう」

「パン。パン。」


隣に座っていたやつがささやく。

男の周辺にいる客観的事実から、ユニットでも下層ランクの捨て駒ということがわかる。

「おい、手叩けよ。見せしめに合うぞ。」


男は幸せとは何かを考えていた。

極めて平凡な家庭に生まれて、当たり前のことを当たり前にこなしてきていた。幸せなのか。一度だけ今思えばこれが幸せだったと感じる出来事があった。男が小学5年生の時、周りの女子からたくさんのラブレターをもらったことだ。”たくさん”はいささか抽象すぎるから、数で答えと"23"枚。未だに理由はわからない。ではその後どうなったかというと、ひっきりなしに女子から遊びに誘われるようになる。男は年頃も重なり、嫌がり断ろうとしていたが周りはそうさせなかった。自分は実はナイスガイなのではないかと薄々感じ始めるまで4ヶ月かかった。そして、女子からの誘いがぱたりと無くなったのも同時期である。

男は突然の出来事に焦り、また当然ながら友達からも疎まれていた。

「ラブコメの主人公かよ。女に囲まれてうれしかっただろ。今までが幸せだったことに気づいた時、不幸だと思うなよ。」

こう囁かれている時は何も感じなかったが、無くなって感じる悲壮感が心を包む。

悲しみか、しかし安らぎもある。なんとも言えない気持ち。その時が幸せだったのかといえば、そうでもないと断言できる。平穏とはかけ離れていたから。望んでいるのは、合コンで可愛い女性に言い寄られても、キャバクラでチヤホヤされることでも、風俗で一発抜いてもらうことでもない。ただただ何も干渉せず、干渉されず、社会に溶け込んで毎日を過ごすことこそが私悦である。


「おい、聞こえてるなら手を叩けよ。」

声が聞こえる。あぁそうだったと思い出す。今ここは決起集会の会場だと。忠誠心を見せるべく手を叩くことが求められていること。


「幸せなら態度で示そうよ。ほらみんなで手を叩こう。」


なぁ、これが求めていたものか。何事も起こらない日常の中で、感情を動かさず毎日生きていることが幸せなのかい。これまでは周りを否定してきた。何を言われても、誘われても、もう信じないと。あの時を経験したから。でも雪解けの時じゃないのか。ここで手を叩いたら、平穏の暮らしを肯定する、すなわちこの宗教の一員の仲間入りだ。考えろ。考えろ。


「パンパン」

「みなさん、今日のお勤めお疲れ様でした。みなさんは優秀な人材ですね。みなさんの中から平穏を蔑視する人はいませんでした。ではこれから、みなさんと私たちとでこの国の誤った考え方を変えていきましょう。みなさんのニー…失礼、無こそが全てを救うのです。」


今日の収穫は教祖の口癖が「みなさん」であることと、「みなさん」の一員になったこと。決して手を叩きたいわけではなかった。考える暇もなく体は動いていた。そうやすやすと染み付いた"平穏"は体から外へ追いやることはできないのだ。


「よかったよ。お前。異端者ギリギリじゃねぇか。殺されないかひやひやしたよ。」


初めて会った人にこんなに話しかけてくるやつは異端者だと思う。だが、気持ちがむずむず動き出す。感情が芽吹く。なんだこれ。衝動は一瞬ながら、全身に響いた。


「おれ、中田っていうんだ。君の名は、、君もなかた??すごいな、こんなことあるんだな。まぁよろしく。」


市民集会所を後にした男たちは、長野県へ旅立つ。



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