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エリート幼馴染が私の知らないところで婚約していました

作者: 六花

アルヴィンが宮廷魔導士になったらしい。


彼の周りはそれはもうすごい大騒ぎで、今度家族が大々的に祝賀会も催す予定だとか。


アルヴィンなら驚くことじゃないかもしれないけれど、それでもやっぱり驚いた。


宮廷魔導士。


この国にいる人間なら誰でも憧れる存在。


王家直属の特別な魔導士で、魔法の実力はもちろん、その知識の深さや運動能力の高さ、機転、基礎能力等において普通の魔導士とは比べ物にならないと言われている。


魔導士という職業自体、かなりの狭き門であることを考えれば、まさにエリートの中のエリートである。


王都で行われる年に一度の試験、数多の魔導士のなかから合格するのは、毎年ほぼ一人だけ。


誰も受からない年もざらで、ここ数年はずっと合格者が出ていなかったくらいだ。


毎年この時期になると、今年は宮廷魔導士の合格者が出たのか、どんな人が合格したのかが国中で話題になる。


受かれば給与とは別に、一生遊んで暮らせるほどの莫大な報奨金と勲章、平民なら爵位が国から与えられる。


この国では王族を守るという仕事は、この上ない名誉なことだとされているから。


王族としても、その価値やブランドを上げておくことは自らの地位の盤石さに繋がるんだろう。


だからその価値を落とさないためにも、審査は必然厳しいものになる。


そのものすごい資格を知り合いが、しかも史上最年少の19歳で取ったというのだから……まあ驚きもするというものだ。


「あっ、アルヴィンだ!」

「きゃああ! アルヴィンさまー!」


と、受付でぼんやりと考え事をしていた私のもとに、大きな歓声が聞こえてきた。


どうやらアルヴィンが来たらしい。


入り口の方に目を向けると、仲間やファンに周りを囲まれながら楽しそうに話しているアルヴィンを見つけた。


清潔感のある短く綺麗に整った金色の髪に、すらりと伸びた背筋。

服の上からでも分かる、バランスよく鍛えられた体。

誰と話しても臆さないような、実力に裏付けされた堂々とした雰囲気。

そして、温和な印象を与え見た者を落ち着かせる、翠色の瞳。


アルヴィン自体は変わらないが、宮廷魔導士となった今は、その魅力が相乗効果でさらに増しているように見えた。


見慣れている私ですらそう思うのだ。


アルヴィンと話している女の子たちはまるで神様でも見るような、恍惚とした表情でアルヴィンを見つめているけど、無理もないと思う。


「アルヴィン! 聞いたぜ、やったな! おめでとう!」

「すごいよ! 本当に合格しちゃうなんて!」

「俺は信じてたけどな!」


仲間たちからの称賛ににこやかに応えるアルヴィンを見ながら、私はカウンターに頬杖をついた。


アルヴィンは基本誰にでも平等に接するし、裏表がない。


彼と話していればそれはすぐに分かるから、老若男女問わず人気がある。


(……そういえば)


早速、どこかの貴族のお嬢様からアルヴィンに結婚の申し出があった、という噂を聞いた。


アルヴィンもそれを受けて、どうやら了承したらしいという噂も。


アルヴィンは平民出身だが、宮廷魔導士ともなれば全く話は変わってくる。

そのくらい、この国において宮廷魔導士という存在は大きいのだ。


まして、あのさわやかな容姿に最年少合格ともくれば、貴族の方から申し出があっても全くおかしくない。


話題性やブランドに価値を置く貴族たちからは、むしろ格好の標的だった。


(それにしても……変わったなあ、アルヴィン)


皆と楽しそうに話している彼を見ながら、そう思う。


一躍国のヒーローとなったアルヴィン。

もはや私にとって、遥か遠い存在となってしまった。


でも、そんな彼の幼い頃は、今とはずいぶん違っていた。





アルヴィンと私は、いわゆる幼馴染だった。


アルヴィンは小さい頃はとても気弱でおとなしく、ひ弱で、病弱で、嫌いな食べ物が多く、その上いじめられていた。


「メルス……今日も遊べる?」

「ええ、遊べますわ」


メルスというのは、私の名前だ。


貴族の家に生まれた私は、周りに遊べる友達がいなかった。


厳格な父は平民の子と私が必要以上に関わるのを嫌がり、学校以外ではあまり屋敷の外に出さなかったのだ。


その父は普段から仕事で何日も家にいないことが多いし、母親は私が生まれた頃に病気で亡くなっていた。


当時おてんばな子だった私はそれゆえ暇を持て余し、庭師にちょっかいを出したり、メイドや執事にいたずらをしたりして毎日を過ごしていた。


暇と言っても、子供というのは一人でもずっと遊んでいられる生き物だ。


色んな遊びを自分で思いついては一人でずっと遊んだり、メイドや執事を巻き込んで屋敷の中を駆け回って遊んだり、あまり寂しいとは感じていなかったと思う。


そんな頃のある日の夕方。


執事たちとかくれんぼをしている最中、私は庭の隅で小さな男の子がうずくまっているのを見つけたのだ。


(うちの庭で一体何をしているのかしら)


興味を引かれた私は、近づいて話しかけてみることにした。


「……あなた、ここで何をしているの?」

「……!」


男の子はびくっと肩を揺らしてから、恐る恐るこちらに振り返った。


「……まあ」

「……ぐすっ」


男の子は泣いていた。


目元を赤くして、ひっく、ひっくとしゃくりあげながら、私の方を濁った目つきで、驚いたように見つめている。


くすんだ金髪で痩せている、なんだか頼りなさそうな子だった。


でも、その翠色の綺麗な瞳は、強く私の興味を引いた。


なにを隠そう、それが初めて会った時の、小さい頃のアルヴィンだったのだ。


「まあ、あなたひどい顔。顔がりんごみたいに赤くなってるわ」

「うう……」


そう言うと男の子はまた向こうを向いて、しくしくと泣き始めてしまう。


私はそれでも構わず、無理矢理彼の体を掴み、再びこちらに向かせる。


「あなた、お名前は?」


そう聞くと、男の子はしゃくりあげながらも答えてくれた。


「……あ、アル、アルヴィン」

「そう。アルヴィン。あなた、どうしてここにいるの? ここは私の家なのよ」


そう聞くと、アルヴィンは少しずつ、しどろもどろになりながらも経緯を話し始めた。


何を言っているのか分からないところもあったが、どうやら無くし物を探しているうちにここにたどり着き、辺りも暗くなってきて、もうどうしたらいいのか分からなくなって泣いていたらしい。


「じゃあ私も一緒に探してあげる。まだ暗くなるまでは少し時間があるわ」

「……いいの?」

「ええ。こんな所で泣かれていても困りますもの。仕方ありませんわ」

「あ、ありがと……」


正直に言うと、この時の私はとても舞い上がっていた。


泣いていたアルヴィンには悪いが、同い年くらいの子と学校以外でこうして長く話せることが、とにかく嬉しかったのだ。


「それで、何を無くしましたの? うちの庭にありますの?」

「……わからない」

「わからないって……」

「この辺に捨てたって、言ってたから……」

「だから、何をですの?」

「本……」


もう少し話を聞くと、どうやら同級生に本を取られ、この辺りに捨てたと言われたらしかった。


それからしばらく二人で家の庭を探してみたが、本らしき物は見つからなかった。


辺りも暗くなってきた。


「もしかしたら、屋敷の外かもしれませんわね……」


もうこの時間だと外に出るのは憚られたが、彼の泣き止んでなお、くしゃくしゃになった顔を見て、私はなんとも言えない気持ちになり、こっそり家の庭を抜け出して一緒に探すことにしたのだった。


屋敷の者たちに見つからないよう注意を払いながら、私たちはそっと門の方まで行き、隙を見て無理矢理よじ登り、抜け出した。


「いい? このことは、私たちの秘密ですわよ」

「う、うん」


秘密という、子供にとっては甘い響きにも聞こえる言葉。


自分で言いながらも、その時の私はその状況に酔いしれて、興奮していた。


ずっと、屋敷で一人でしか遊べなかったから。


アルヴィンと一緒に外に抜け出しながら、これから何か始まるような、そんな漠然とした予感を感じていたのだ。


……まあ実際は、特に何も始まらなかったんだけど。


しばらく二人で家の前の道や、その脇にある藪の辺りを探していると。


「あった!」


本は、屋敷を出てしばらく行った先の、木が等間隔に植えられているところの草むらに捨てられてあった。

ちゃんと探さないと、分かりにくいところだった。


「よかったですわね」


私はその時喜びながらも、もうこの冒険が終わってしまうんだ、という寂しさも一緒に感じていた。


アルヴィンは嬉しそうに本を両手で抱えながら、私にぎこちなく笑いかける。


笑った顔は、泣いている時とは違って可愛らしかった。


「ありがとう。……えっと」

「メルスですわ。……ところで、それ、なんの本ですの?」

「あ……えっと」


彼はおずおずと言った風に、その表紙を見せる。


「魔法書……?」


中身を見せてもらうと、挿絵もなく、難しい単語や表現、言い回しばかりで、当時の私にはほとんど読めなかったが、それは確かに魔法書だった。


読めないのは彼も同じようで、「まだ全然読めないんだけど、この前誕生日に買ってもらったから、大事なんだ」と言っていた。


前から魔法に興味があったから、無理を言って買ってもらったのだと。


私はといえば、「そう。それなら、大事ですわね」と言いながら、魔法書のことは既に忘れ、また彼とどうにか遊ぶことだけを考えていた。


また、この子と遊びたい。


そして特に何の案も浮かばなかったので、思い切ってそのまま誘うことにしたのだった。


「……あなた、またうちに来なさいよ。今度は紅茶とお菓子も出してあげるから」

「え? でも……君の家は……」


アルヴィンの表情が曇る。


おそらく、親から私の屋敷には近づくなと言われていたのだろう。

万が一、領主の貴族に目を付けられたりしたら大変だからだ。


だからこそ、アルヴィンの本を隠した子たちも、私の屋敷の周辺を“近寄りづらい場所”だと判断して、嫌がらせで捨てたのだ。


そこまでの事情をその時の私が気づくことはなかったが、それでもうちが特別な場所だというのは、当時から嫌というほど理解していた。


だからこそ、構わず屋敷内に入って来たアルヴィンに、興味を持ったのかもしれない。


「構いませんわ。お父様はいつもほとんど家にいませんし、メイドや執事は私の言うことは必ず聞くんですから」

「……本当に、いいの?」

「いいったら。レディに何度も言わせるのは失礼ですわよ」


アルヴィンはまだ迷っているようだったけど、しばらくして覚悟を決めたように、一度頷いた。


「……うん。わかった。じゃあ、また来るね。メルスちゃん」


そう言って、彼は小走りに去っていった。


辺りはもう暗くなっていた。


その後、屋敷に戻ると執事長に抜け出したことをこってりとしぼられたが、私はまだ先ほどの余韻が冷めず、半分放心状態で聞いていた。


ようやく小言を満足に言い終わったのか、執事長から解放された私は、自分の部屋のベッドに入り、そのまま眠ってしまった。





正直、期待はしていなかった。


また来る、というのは子供ながらの社交辞令、だと思っていたのだ。


だから次の日、またアルヴィンが屋敷に来た時は、私は嬉しくて飛び上がりそうだった。


「あら、本当に来ましたの」

「う、うん……だめ、だったかな……?」


ただ、それを表に出すことはせず、あくまで貴族として上から振舞ってはいたけど(可愛げのない子供だ)。


幸い、父はその日も留守だった。


「いいえ、そんなことはありませんわ。じゃあ、お上がりなさいな」


今回は正門からちゃんと訪れたアルヴィンは、最初不審に思った執事の一人に追い返されそうになっていたが、私が偶然それを見つけて無理矢理止めたのだ。


そしてもしこのことを父に言いつけたら、あんたたちを一人残らずクビにする、とも言っておいた(我ながら本当にひどい子供だ)。


アルヴィンを門から屋敷まで案内し、中に入れる。


「……!」


アルヴィンは、その日はずっと驚いていたと思う。


屋敷の中に入ってからはずっと口をぽかーんと半開きにしていて、私はおかしくて笑いそうになるのをこらえていた。


でも当然かもしれない。


執事やメイド、庭師、料理番などの働いている人の多さ。

部屋の数や廊下の広さ、そして天井の高さと上にある豪華なシャンデリア。

廊下や階段の踊り場に並んだ甲冑の鎧、絵画、壺などの高価な調度品の数々。


普通の家とは全く勝手が違うだろうから。


アルヴィンは、この前の魔法書を脇に大事そうに抱えていた。


その時だけでなく、当時彼は家で遊ぶときも外で遊ぶ時も、常に魔法書を肌身離さず持ち歩いていた。


アルヴィンを私の部屋のひとつに案内してからメイドを呼び、紅茶とお菓子を運ばせる。


「……おいしい」


慣れない手つきで紅茶をおいしそうに飲んでいる彼を見て、私も満足して微笑んだ。


「ふふ。よかったですわ」


彼は相変わらず痩せていて顔色も悪かったが、この前よりも目は濁っていなかった。


その後は一緒に屋敷内の色んな部屋を見て回って(それでもすべては回り切れなかったが)、外に出て庭で走り回って遊んだ。


同い年くらいの子とほとんど遊んだことがなかった私は、アルヴィンと外に一緒にいるだけで楽しかった。


私はアルヴィンと一緒に初めて遊んだ、その日のことをよく覚えている。


本当に、楽しかったから。


二人で無我夢中で遊んでいると、あっという間に辺りが暗くなり始める。

楽しい時間はすぐに終わってしまうもの。


「僕、そろそろ帰らなきゃ」

「また、来るんでしょう?」

「……え? いいの?」

「もちろんですわ」

「……メルスちゃんがいいなら、また、来るから」

「ええ。また」


そして、本を大事に抱えながら帰っていった。


(本当に、大事なんですのね)





それからは、たびたびアルヴィンと遊ぶようになった。


彼は病弱だったのでいつも遊ぶというわけではなかったが、それでも週に三、四日はアルヴィンと遊んでいた。


執事やメイドたちはアルヴィンのことを見て見ぬふりをしていたようだったが、今ならなんとなく理由が分かる。


アルヴィンのことに目をつぶっていたのは、私にもようやく同い年くらいの遊ぶ子ができたことを喜ぶ気持ちと、暇を持て余した私からの悪質ないたずらから解放される思いと、おそらく両方があったからだろう(あと言いつけたらクビにすると私が脅していたのもある)。


執事長あたりは父に報告していても不思議ではなかったが、とにかく私としては助かっていた。


屋敷に来るたび、アルヴィンはいつもなにかしらに驚いていたようだった。


私はその顔を見るのが好きで、わざわざ驚くような物を執事に遠くまで買ってこさせたことも何度かある。


それでも通い始めるうちに流石に慣れてきたのか、彼があまり驚かなくなったので、私は理不尽ともいえる不満をアルヴィンに感じたものだった。


「あなた、もっと驚きなさいよ」

「そ、そんなこと言われても……」


二人の時は、色んな遊びをした。


広い庭でかくれんぼや鬼ごっこ、縄跳びをしたり、花を結って草冠を作ったり。


屋敷の外に、こっそり二人で抜け出すこともあった。


平原の丘で転がりまわって寝そべったり、木陰で昼寝をしたり、釣りをしたり、動物を追いかけたり。


雨の日はチェスやバックギャモンをして遊び、飽きたらまた屋敷でかくれんぼをしたりして遊んだ。


チェスでアルヴィンを何度も負かしていた時のこと。


「メルスちゃん、お願い、もう一回」

「またですの?」


アルヴィンは気弱なくせに、少し頑固なところがあった。


「お願い」


そう言って、綺麗な瞳でまっすぐに私を見つめるのだ。


「……仕方ないですわね」


思えば私は、昔から彼のその表情に弱かった。


私の方が一つ年上だったので、周りには姉とその後ろをついていく弟みたいに見えていただろう。

お互い一人っ子だったのもあり、一緒に遊ぶ子が欲しかったのだ。


彼の顔色は日ごとによくなり、くすんだ金髪も少しずつ明るくなっているように見えた。


遊んでいる時、私はふとこんなことを聞いてみたくなった。


「あなた、学校のお友達とは遊びませんの?」

「え? ……うん。僕、友達いないから」

「あら、私は友達じゃないの?」

「メルスちゃんは……」

「友達ですわよね?」

「う、うん……そうかも」

「決まりね」


無理矢理言わせたようなところもあったが、そうして私たちは正式に(?)友達になった。


たまに父が屋敷に帰って来る時もあり、その間は流石に呼べなかった。


訪ねてきてくれたアルヴィンを、門の前で今日は父がいるからと追い返すようにするのは、とても心が痛んだ。


(なんで、平民の子と遊んではいけないのかしら。アルヴィンはあんなにいい子で、おとなしいのに)


私はアルヴィンを呼ぶことができない苛立ちを、ほのかに父に対し感じ始めていた。


思えばこの頃の何とも言えない嫌悪感が、私が家を離れる最初のきっかけだったのかもしれない。




ある日、私の寝室のベッドに二人で寝転がりながら、一緒に魔法書を眺めていた時のことだ。


「相変わらずこの本、何が書いてあるのかさっぱりね」

「ねえ、メルスちゃんは魔導士って知ってる?」


アルヴィンが突然、そんなことを聞いてきた。


「ええ、知ってるわ。魔法を使う人たちでしょ。それがどうしたの?」

「……実は僕、魔導士になろうと思ってるんだ」

「へえ……そうですの。だから、魔法書を買ってもらったの?」

「うん。メルスちゃんは、興味ない?」


魔導士になるのはものすごく難しいと、父から聞いたことがあった。


血の滲むような努力をしてなお、なれないものが後を絶たないと。


「興味がないこともないけど……私は、どちらかというと魔法は見ている方が好きね。綺麗ですもの」


一度、父と一緒に王都の魔導士の集まるイベントに行ったことがあった。

そこでは色鮮やかな魔法が宙を舞い、夜空を煌びやかで幻想的に映していた。


魔導士という人たちがこれを作ったと教えられ、すごい人たちがいるんだな、と子供ながらに思ったものだ。


「そう、なんだ。……じゃあ、僕がいつかメルスちゃんのために、綺麗な魔法を作るよ。僕、メルスちゃんのこと好きだから」

「あらそう。……ありがとう。私もあなたのこと好きよ。それじゃあ、作れるようになるまで待ってますわね」

「約束だよ」

「ええ」


私たちは、お互い見つめ合ってからはにかむように笑った。




アルヴィンはそれからというもの、いつものように私と遊びながらも、魔法の練習もするようになった。


私はそれを眺めているだけだったが、真剣な表情のアルヴィンを見るのは好きだったので、茶化したりはしなかった。


でも心のどこかでは、まだ私たちのような子供には魔法は難しいと思っていたのだ。


だから、アルヴィンが興奮した様子で訪ねてきて、こう言った時は本当に驚いた。


「メルスちゃん! 魔法が使えるようになったんだよ! 見て!」


アルヴィンは右手の手のひらを上に向ける。


しばらくそこに視線を集中していると、ぽん、と白い光が手のひらから出てきた。


光のかたまりはしばらく宙をさまよった後、ふっと消えてしまった。


「ね? まだ未完成だけど、出るようになったんだ!」

「……」


私は驚きのあまり、言葉を失っていた。


まさか本当に、魔法を使えるようになってしまうとは。


大の大人でも、初めて魔法が使えるようになるには少なくとも半年は必要だと言われている。


それをアルヴィンは、たったひと月で使えるようになってしまった。


「メルスちゃん?」


ぼーっとしていた私はアルヴィンの視線に気づいて、慌てて取り繕った。


「すごいじゃない。こんなに早く使えるようになるなんて」

「ありがとう。まだまだこれからだけど、嬉しくて。メルスちゃんに最初に見てほしかったんだ」

「まあ、ありがとう」

「うん、見ててね。もっとすごい魔法をきっと使えるようにして見せるから」

「ええ」


私は……。


私は、何をすればいいのだろう。


まだ子供ながら、私は将来に向けて頑張っているアルヴィンを見て、その時から少しずつではあるがそんなことを思い始めたのだった。





アルヴィンが魔法を使えるようになってから、二年が経った時。


アルヴィンは読めなかった例の魔法書を完全に読破し、そこに書いてある魔法は全て使えるようになってしまった。


今だから分かるけど、これは本当にすごいことだ。


ひとつの魔法書を読み込むのに何年もかかっている大人の魔導士がいる中で、子供がたった二年で、誰の教えもなくマスターしてしまったのだから。


この頃から、アルヴィンはその才能の片鱗を見せるようになった。


「なんとなく、魔法が分かってきた気がするんだ。魔法は使うというより、自分の体の一部にすることが大事なんだ」

「……私には、あなたが何を言っているのかさっぱり分かりませんわ」


その頃にはお互い少し成長し、遊ぶ頻度は前ほどではなくなっていたが、それでも週に一、二回は一緒にいたと思う。


以前のように外で遊ぶことは少なかったが、それでも彼と一緒にいる時間は楽しかった。


私は学校のほかに習い事も増え、それに追われていたので、アルヴィンと気楽に話している時は心が休まる貴重な時間だった。


私がピアノの先生の愚痴を話している時だ。


「でね、あの先生ったら……あなた聞いてますの?」

「うん、聞いてるよ」


と言いながらも、ずっと魔法書を見ているアルヴィン。


私がそれを上に取り上げると、彼は笑って両手を上にあげる仕草をした。


「ごめんごめん。聞いてるから」

「もう……」


痩せていたアルヴィンは少し肉が付き、顔色も良くなって、風邪ばかり引いていた彼はもうどこにもいなかった。


顔も少し引き締まって、綺麗な翠色の瞳が引き立つようになり、なんというか……かっこよくなった。


悔しいけど、それは認めざるを得ない。


友達も今はだいぶ増えたようで、よく話をしてくれた。


「この前あいつらと一緒に釣りに行って、それで……」


私はそんな彼の話を楽しそうに聞きながらも、少しの寂しさも感じてしまっている自分に気づいた。


そういう時はすぐに自分の思考を責め、彼のことだけを考えるようにした。


アルヴィンに友達ができたのはいいことだ。もう私に依存しなくてもいいってことだから。


「で……聞いてる? メルス」

「ええ、聞いてますわ」


私はお返しとばかりに、向こうを向いて本を読みながら返事をした。





そうして時は過ぎていき、私は15歳になった。


その頃は少し遠くの女学校へ馬車で通うようになっていたので、アルヴィンと会う機会はだいぶ減り、もう週に一度会うか会わないかというくらいになっていた。


というより、幼馴染といえどこの年まで一緒に遊ぶことがある方が、もしかしたら珍しいのかもしれない。


私の方も、彼と少し距離を置くようになっていた。


魔法に夢中なアルヴィンに比べて、私は特にやりたいこともなく、それがなんだかひとり置いて行かれているようで少し落ち着かなかったのだ。


もちろん勉強は人一倍していたし、習い事や貴族としての所作やマナー、知識等は磨いていたが、これは自分の為というより、父の機嫌を損ねないようにするためだった。


そうでなくとも、もうお互い年頃の男女なのだ。


昔みたいに何も遠慮なしに遊ぶことは、できなかった。


それは、もしかしたら寂しいことなのかもしれないけれど。


アルヴィンはと言えば、王都の高偏差値の魔術学校に受かり、家族と一緒に王都に引っ越すことになったという。


魔術学校に入るのに、魔法の技能は一切問われない。

必要なのは高い学力と、いわゆる地頭の良さ。それだけだ。


だがそれでも魔導士を目指す子は多く、倍率は毎年すごいことになる。


魔術学校から魔法を習い始めるのが普通なのに、アルヴィンはもうその頃、基礎的といえる魔法はほぼ全てマスターしていた。


魔法書も何冊も読破し、町にある図書館にある本も全て読み終えてしまったという。


「アルヴィン、あなたそもそも魔術学校に行く必要ありますの?」

「そりゃ、あるよ。あそこは講師が有名な魔導士の人ばかりみたいだし。そういう人たちから学べるのなら行く意味はある」

「……魔法バカ」

「それ褒めてる?」

「褒めてませんわ」


彼の容姿は、ますます際立つようになっていた。


さぞかし、女の子たちから言い寄られるのだろう、と思うくらいには。


でもそういった話は一切彼はしなかったし、噂も聞かなかった。


(……魔法のことしか頭にないから、仕方ないといえば仕方ないかもしれませんわね)




そして、いよいよアルヴィンが王都に引っ越す前日。


久しぶりにアルヴィンが訪ねてきたので私の部屋で一緒にチェスをしていると、彼は突然こんなことを言い出した。


「この前、いい夜景が見える所を見つけたんだ。よかったら今日、一緒に見に行かない?」

「夜景?」

「うん。ふもとの町の。とっても綺麗なんだ」

「行きたいですけど……夜に出歩くのは……」


流石にこの年になると、小さい頃と違い夜に出歩く危険性は理解していた。


でもアルヴィンと遊べるのは、今日が最後なのだ。


「少しだけだから。……駄目かな?」


私の方をまっすぐに見つめる、翠色の瞳。


彼がこうなったら、もう何を言っても無駄だというのはわかっていた。


私はひとつため息をついた。


「……わかりましたわ。じゃあ少しだけ」

「よかった。それじゃ門の外で待ってるから」


それからいったん解散し、約束の時間が来ると私は屋敷をこっそりと抜け出した。


門の前の木陰にアルヴィンは隠れていた。


「こっち。足元気を付けてね」

「ええ」


彼は魔法で仄かな光を周囲に照らしながら、私に手を差し伸べてくれた。

悔しいけど、彼は貴族でもないのに本当に動作のひとつひとつが様になっている。


私もその手を取り、ゆっくりと引っ張られるままついていく。


昔は私の方が高かった身長も、この頃は逆に私がアルヴィンを少し見上げなければいけないくらいになっていた。


「……なんだかこうしてると、最初に出会った時のことを思い出しますわね」

「……そうだね」

「覚えてる? あなた、ひどく泣きじゃくってて……」

「おいおい、今は勘弁してくれよ……」


そうしてしばらく他愛もない話をしながら道を歩き、小高い丘に出た。

アルヴィンは丘の上の方にある、小さな小屋を指さした。


「あそこに小屋があるだろ? あの辺りから良く見えるんだ」

「へえ……知らなかったわ」


二人で、道を歩く。


「……」

「……」


自然、口数も少なくなってくる。


何も言わないが、明日、お別れだということはお互い分かっている。


もちろんいつかどこかでアルヴィンと会う機会はあるかもしれないが、初めて屋敷を抜け出した時から始まった、彼との子供時代は今日、いよいよ終わりを迎えるのだ。


「着いたよ。ここ」


小屋の前にはたき火をする場所と、丸太の椅子がいくつか置かれていたが、今は誰もいないみたいだった。


アルヴィンは魔法の光を消し、少し前の張り出ている場所にわたしを案内した。


「ここ」

「……」


そこには眼下いっぱいに、町の夜景が広がっていた。


ふもとの町の、人が生活している明かり。


ぽつぽつと、ひとつひとつは小さい明かりではあるが、集まるととても綺麗に見えた。


町の向こうの森や山は夜なのでかすかにしか見えないが、それもこの景色の良い引き立て役となっている。


その幻想的ともいえる風景にしばし見入った後、私はアルヴィンの横顔をちらと見た。


「……」


……彼は今、一体どこを見ているのだろう。


ふと、そんなことを思った。


もともと彼は何を考えているか分からないところがあるから、いつものことだけど。


「どう?」

「綺麗ですわね」

「だろう」

「抜け出してきたかいがありましたわ」

「それならよかった」

「……これからしばらく、会えなくなりますわね」

「うん」

「でも、よかったじゃない。好きな魔法をこれからいくらでも勉強できるんですもの」

「……そうだね」

「私も、そろそろちゃんと将来のことを考えないといけませんわね」


痩せていて病弱で、いじめられていた頃のアルヴィンは、もうどこにもいない。


今のアルヴィンならきっとどこに行っても、やっていけるだろう。


「メルス」

「はい?」

「絶対また、会いに来るから」

「ええ、待ってますわ」


そうしてアルヴィンは次の日、家族とともに馬車で引っ越していった。





アルヴィンが王都へ行き、それから私はしばらく色々考えた末、ギルド組合への就職を考えるようになった。


貴族なのにである。


理由は今でもはっきりとはよく分からない。


冒険というものに変な憧れがあったのかもしれないし、アルヴィンと初めて屋敷の外に出た時のような、あの気持ちを未だに引きずっていたのかもしれない。


自分が冒険者にはなれないけれど、その手助け、少しでもそういった仕事に関われるのならと。


ほとんど家の中に閉じ込められ、習い事や作法の練習ばかりしていたからでもあるだろう。


とにかく理由はわからないが、家を出たくなったのだ。


このことを父に話したら、案の定大反対され、大喧嘩することになった。


しばらくお互い口もきかなかったが、その後私があらためて、父の所に行き頼むと、とうとう父は条件付きだが折れてくれた。


私が心の底から真剣なのが伝わったのかもしれなかった。


アルヴィンに比べ遅かったが、ようやく私にもやりたいことが見つかったのだ。


父は少し驚いたような、嬉しそうな、心底呆れたような、そんな複雑な表情をしていた。


私もアルヴィンに負けず劣らず、頑固だったのだ。




父が出した条件は三つ。


勉強や習い事などは今まで通り、きちんと好成績を収めること。

就職できなかったら、その時はきっぱり諦めること。

仮に家を出ていくとしても、自分が貴族だということは忘れないこと。


最後の条件は要するに、“貴族の結婚相手を見つけろ”ということだ。


それから三年間、私は時間を忘れるほどに猛勉強した。


習い事も精力的に、全て完璧にこなした。


とにかく一日でも早く屋敷から、ここから出たかったので無我夢中だった。


そして私は18歳になり、貴族という身分ながら大手ギルドの試験を受け、なんとか合格することができた。


そして、早速王都に配属されることが決まったのだ。


憧れの王都での一人暮らし。


慣れない家事を全て一人でこなすのは最初は大変だったが、屋敷にいた時よりも暮らしは遥かに楽しいし、充実していた。


仕事は元貴族(というか一応今も貴族だが)という肩書だからと言って一切遠慮したり甘やかされるようなことはなく、最初の一年は先輩のギルド員からそれはもうこってりと絞られたが、私は家にいる時より楽しくて仕方がなかった。


こちらの言葉遣いを覚えるのも、仕事を覚えるのも本当に大変だったが、ここに来る人たちは皆気がおおらかで、いい人で、細かいことを気にしなかった。


そして何より、自由だった。


人との交流において、貴族社会特有の堅苦しいルールやしきたり、暗黙の了解、マウント、そういったものが全くと言っていいほどない。


お酒が飲めるようになってからは、仕事終わりに皆で朝まで騒いだりしたこともあった。


全て、屋敷にいたらできなかったことだった。




そんな時だ。ギルドに凄腕の魔導士が来るようになった、という噂を聞いたのは。


「魔導士?」

「うん。例のかっこいい子。今来てるらしいから、メルスも見に行こうよ」


同期に誘われ、仕事をこっそりと抜け出し、ギルド内の掲示板広場を見に行く。


「いた! あの人」

「あれ……」


掲示板を眺めている、その横顔。


「アルヴィン……?」


背もさらに伸び、体格も良くなっていたが、あの金髪と、翠色の瞳。

見間違えようがない。


「えっ? 知り合いなの? メルス」

「うん……!」


私は思わず、声を張り上げて彼に近づいた。


「アルヴィン!」


声に気づいたアルヴィンは、初めこちらを見た後少し目を細めていたが、すぐに驚きの表情に変わっていく。


「メルス……?」

「やっぱり、アルヴィンだ」

「驚いた。どうしてメルスが、ここに……?」


王都でのアルヴィンとの再会。


四年ぶりの彼は、相変わらずかっこよかった。


というか、さらに磨きが増していた。


片耳には魔導士の証である青いピアスが付けられ、少年時代の幼い面影も無くなり、もう一人前の男性になっていた。


騒ぎを聞きつけ、事情を聞いたマスターが「積もる話もあるだろうから、今日の仕事は上がっていい」と言ってくれたので、私はありがたくそうさせてもらうことにした。


ギルドを出て一緒に王都を歩きながら、アルヴィンが聞いてくる。


「まだ、信じられないよ。いつからこっちに来ていたの?」

「えっと、一年と少し前かな。……同じところにいたのに、王都って狭いのに広いよね」

「でも、本当に驚いたよ。一瞬、誰だか分からなかった。綺麗になったね、メルス」


歯の浮くような台詞も、アルヴィンが言えば自然に聞こえるのだから憎たらしい。


「あら、ありがと。あなたも素敵よ、アルヴィン」


それから街の静かな喫茶店に入り、お互い色んな話をした。


最初にまず、私の言葉遣いをひとしきりからかわれた。


今ではすっかり、こちらの方に慣れてしまったのだ。


「そんなに笑うことないでしょ。苦労したんだから」

「そうだね、ごめん。でもなんだか、違和感がすごくて」


そして私が王都に来た理由とそのいきさつを話している間、彼は静かに聞いていたが、とうとうまた堪えきれずに笑い出した。


「なにがおかしいの」

「いや、ごめんごめん。あんまり、聞いたことがない話だったから。貴族がわざわざ就職するなんて。……でも、メルスらしいね」

「私は本気なんだからね」

「うん。わかってる。それに僕、今すごく嬉しいんだ。メルスとまた会えて」


彼はそう言って、その綺麗な目でまっすぐに私を見つめた。


相変わらずだった。


こんな真剣な表情をされると、こちらとしてもどう反応したらいいのか分からなくなる。


しばらくそうして、思い出話に花を咲かせた。


楽しい時間だった。


四年ぶりの、積もり積もった話。


いくら話しても話しても、話題は尽きなかった。


「そう言えば……魔導士になれたんだ。おめでとう」


私は、彼が耳につけているピアスを見ながら言った。


「うん、ありがとう。二年前にね。今は学校も卒業して、魔法の勉強をしながら暮らしてる」


アルヴィンはそう言いながら体を少しひねり、青いピアスを見せてくれる。


私はあまり驚かなかった。

アルヴィンなら、魔導士になるのは当然だと思っていたから。


あまり家のお金に余裕もないので、魔導士の仕事の傍ら、たまにギルドでクエストを受けては、生活の足しにしているらしい。


「そっちは大手ギルドの組合員……すごいじゃないか」


エリートの魔導士が言うとただの嫌みや皮肉に聞こえるかもしれないが、アルヴィンが言うと不思議とそうは聞こえない。


「こちとら、ただのギルドの受付ですよ」

「大手ギルドの、王都本部勤務。努力しなければ絶対に入れない」

「そうかもね。……それで、あなた今は何をしているの?」


私は照れ隠しに、アルヴィンに聞いた。


「ああ……今度は宮廷魔導士試験を受けようと思って、勉強してるんだ」

「宮廷魔導士……」


宮廷魔導士になる難しさは、私もよく知っていた。


アルヴィンは、どんどん先に行っている。


私も、せめて後ろにいられるくらいには頑張りたい。


「今日は楽しかった。お互い頑張りましょう」

「うん。あらためて、また会えて嬉しいよ、メルス。これからもギルドには顔を出すから」


嬉しいのは、私も同じだった。


王都に配属されると聞いた時、どこかで会えるとは思っていたから。


やっぱり、私はアルヴィンのことを追いかけたかったのかもしれない。


もちろん、ギルドの仕事がしたかったのは本心だが、そのきっかけはアルヴィンだったから。


今なら、素直にそう思えた。





そうしてアルヴィンと王都で出会ってから、一年が過ぎようとしていた。


色んなことがあったけど、ギルドの仲間やアルヴィンと、忙しくも楽しい日々を過ごした。


もともと王都での暮らしは楽しかったが、アルヴィンと出会ってからはさらに充実していたと思う。


そして、ついにアルヴィンは宮廷魔導士になったのだ。




受付で見ていた私に気づいたのか、アルヴィンは仲間たちとの話を切り上げ、自信溢れる足取りでこちらにやってきた。


アルヴィンはカウンターに片肘をのせ、私の言葉を待つようにこちらをじっと見つめている。


耳には魔導士のピアスと、反対側にもう一つ、宮廷魔導士の証の赤いピアスがついていた。


私はそれを見て一言、言った。


「……おめでとう」

「ありがとう。……なんか、怒ってる?」

「別に」

「なら、いいけど。ね、今日この後少し時間ある?」

「あるけど……あなた、例の婚約者の人はいいの?」

「あ、ああ……あの人は……いいんだ。じゃあ、また夜に」


そう言って、また仲間の所に戻っていく。


「……?」


アルヴィンが少し口を濁していたのが気になったが、私はとりあえず了承した。




その夜、マスターはギルドを閉めてから、一同でアルヴィンを祝うパーティを催した。


笑って、踊って、歌って、食べて、飲んだ。


アルヴィンも私も、今日くらいはと、皆に混じって騒いだ。


最初こそ皆アルヴィンの周りを囲んでいたが、次第に酒が入り、各々好きなところで騒ぎ始める。


しばらくして少し騒ぎ疲れた私は、端のテーブルに座り、ゆっくり水を飲んでいた。


奥の方では、まだ騒いでいる声が聞こえる。


(皆、元気だなあ)


ふと、前の椅子に誰か座ったのが分かったので見ると、アルヴィンだった。


「もういいのかい」

「うん。少し休憩」

「じゃあ、後でちょっと付き合ってよ」

「それって……昼間のこと?」

「うん」


そうしてしばらく話しながら休んだ後、奥の騒ぎを横目に二人でそっと広場を抜け出した。


どうやら上の階に行くらしい。

階段を上り、ギルドの屋上の扉まで来る。


「ここ?」

「うん」


アルヴィンが扉を開けた瞬間、ふわりと涼しい心地よい風が頬を撫でた。


アルヴィンは端まで歩いていき、私にこちらに来るよう手で促した。


「こっち。見てよ」

「……」


王都の夜景。


綺麗だった。


もう真夜中なのに、王都は明るい。


下にいる沢山の人達を見て、私はなんとなく、世界って広いな、と思った。


「綺麗ね」

「うん。王都ならではの景色だ」


しばらくそうして二人で、何も言わずに眺めていた。


そうしてると風と景色のおかげか、酔いもだいぶ冷めてきた。


「それで、用って何?」


私が聞くと、彼はしばし下を向いた後、私をまっすぐに見つめた。


「子供のころの約束、覚えてる?」

「約束? えっと……もしかして、魔法を作る約束のこと?」

「そう。よかった、覚えててくれたんだ」

「でも、子供の時の話でしょ?」

「それでも、約束は約束だからね。メルスのために作ったんだ。見てよ」


そう言って、アルヴィンは屋上の今いる反対側、暗い方へ歩いていく。


私が来たのを確認してから、アルヴィンは両手を指揮棒を振るように上げた。


するとぽつ、と僅かな光が遠くに現れたと思うと、ぽつぽつぽつ、と何個も光が暗闇にでき始める。


オレンジ色の光はどんどん増えていき、ひとつの景色を生み出していく。


「これって……」

「そう。あの時の夜景」


それは五年前にアルヴィンと別れる前に見た、あの町の夜景だった。


どうやって作ったのか全く分からないが、家も、周りの森も、広場も、そして明かりも、あの時の景色そのままだった。


「……すごい」

「たぶん、今でもこの景色は見られると思うよ」

「……そうね」

「気に入ってくれた?」

「……うん。綺麗」


本当に、綺麗だった。


そして思う。


私は、やっぱりアルヴィンが好きなのだと。


たぶん子供のころから、ずっと。


「ありがとう、アルヴィン。私のために」


あんな昔の約束を、律儀に守ってくれた。


これからはもう、彼にあまり近づくことはできなくなるかもしれないけれど。


私はしばらく景色に見入った後、少し目元の涙を拭ってから、振り返った。


「じゃあ、戻ろっか」

「……待って。メルス、言いたいことがあって」

「?」

「結婚してくれ」

「え?」


一瞬、何を言われているのか分からなかった。


「ずっと、こう言える日を待ってた」


結婚?


どうして、急にそんな話に。


「ちょ、ちょっと待って。あなた、例の婚約者の令嬢さんは?」

「あー……えっと、なんか噂が勝手に広まってるみたいだけど、僕は誰とも婚約した覚えはないんだよ」

「……え? え?」


混乱する私に、アルヴィンは説明してくれた。


どうやら、例の令嬢と少し話す機会があり、それからどう解釈したのか、勝手に向こうが婚約したものだと勘違いしたらしい。


二人が話していたのを見たという目撃者もいたので、どんどんそういう方向に話がこじれていったのだと。


「そ……それ本当なの?」

「うん。だから困ってたんだ。相手は貴族だから……あんまり強くも言えないし」

「そう……だったんだ」

「それで……返事は、どうかな」


再びこちらを真剣に、まっすぐに見つめる瞳。


何度も見てきた、意志の強い目。


私の答えは、決まっていた。





翌日。


アルヴィンがギルドに来ると、受付にいる私に小さく手を振って挨拶したので、私も挨拶し返す。


「あっ、アルヴィンだ!」

「アルヴィン! 昨日は楽しかったな!」


昨日と同じく皆に温かく迎えられながら、楽しそうに話すアルヴィン。


まだ宮廷魔導士の仕事に就くまでは時間があるので、こうして皆に会うためギルドに顔を出しているのだ。


……いや、アルヴィンの場合、単にお金がないだけかもしれない。


月に何冊も高い魔法書を買ったりしているし、魔法道具や実験道具の費用も馬鹿にならないだろうから。


宮廷魔導士の報奨金が貰えるのは、まだ先だった。


と、私が一人のお客さんの対応が終わったところで、こちらを見ていたアルヴィンが近づいてくる。


「メルスの仕事している姿、何度見てもいいね」


私は、ため息をついた。


「……あなた、魔導士の仕事はいいの?」

「構わないさ。そんなに重要な仕事は入ってないし。それに僕が思うに彼らはもっと体を動かした方がいい。魔導士は頭でっかちになりがちだから」


魔導士なのに引き締まった体をしたアルヴィンに言われると、変に説得力があった。


「そう。それより、仕事の邪魔だからそこどいてくれる?」

「つれないなあ。そうだ、今度魔導士のイベントがあるんだけど、一緒に見に行こうよ」

「はいはいわかった、わかったから」

「決まりだね」


前言撤回。


やっぱりアルヴィンは、変わってない。


少し頑固なところも、魔法バカなところも。


人は変わるものだけど、変わらないものもあるのだと思った。




と、アルヴィンがカウンターを離れた時、入り口の方から突然大きな声が聞こえてきた。


「アルヴィン様!」


見ると、いい身なりをした可愛らしい女の子が、従者を二人引き連れてこちらに歩いてくるところだった。


どこかの貴族の令嬢らしい。


アルヴィンの方を見ると、気まずそうに困ったような顔をしている。


(そっか。この子が、例の……)


「ここにいましたのね。探しましたわ。さっ、一緒に私たちの結婚の準備をいたしましょう」

「ジュリーさん、何度も言ってるように、悪いんだけど僕は……」

「え? 何か言いました? さっ、行きましょう」


ジュリーと呼ばれた子は無理矢理アルヴィンの腕を引っ張り、連れて行こうとする。


……なるほど。たしかにこれでは流石のアルヴィンも困るかもしれない。


彼は人当たりが良いから。


ここは、私がひと肌脱ぐしかない。


あまりこういうことはしたくなかったけど、仕方ない。


私はカウンターから出て、ジュリーという子の手を取ると、アルヴィンと引き離した。


「お客様、彼、困っているようですよ。話を聞いてあげたらどうです?」

「なっ、なんですの!? あなたいきなり! アルヴィン様! この人誰ですの?」

「えーと……彼女は」

「アルヴィンの婚約者です」

「はあ!?」

「というわけですから、勝手に話を進めるのは迷惑ですからもうやめてください」

「なっ、なっ、なんなのあなた!? いきなり出てきて! アルヴィン様は私と結婚するのよ! 私がそう決めたの! たかがギルドの受付風情の平民の癖に、何様なのあなた!? 私を誰だかわかってますの?」


私は、少しむっときた。

受付風情などと、仕事のことを馬鹿にされたことに対してだ。


あくまで穏便に済ますつもりだったけれど、計画変更。


「存じ上げませんね」

「シャロン伯爵領のジュリー・シャロンですわ! いい機会だから、その貧相な頭に叩き込んでおきなさいな! わかったら引っ込んでなさい!」


貴族特有の、この感覚。

懐かしくすらある。


「シャロン伯爵? ……ああ、もしかして、数年前新事業に失敗して取り潰しになりそうだった、あのシャロン伯爵ですか?」

「なっ!? あ、あなた、なんで、それを……」


彼女は私の言葉に怯み、少し後ろに下がった。


そこでアルヴィンが一歩前に出て、私のことを紹介する。


「彼女はメルベルス・ド・ドルブリューズ。ドルブリューズ公爵家の令嬢で、僕の幼馴染です」


「なっ……、なっ……! こっ、公爵家? ドルブリューズの……?」

「はい」

「う、うそ、嘘よ! 一体どこの世界に、ギルドの受付をしている公爵令嬢がいるものですか!」


私とアルヴィンは顔を見合わせ、苦笑いする。


……うん。本当にね。私も言われても信じないだろう。


「そう、そうよ! そんなわけないわ! このほら吹き! よくも、私の家を馬鹿にしましたわね!」


彼女が少し余裕を取り戻しそうだったので、私は畳みかけることにした。


久しぶりに、貴族モードに切り替える。


私は一歩下がって、綺麗に貴族式の礼をする。


「ジュリーさん、でしたっけ? 領主のエドガー様はお達者ですの? マリー夫人も。新しいブドウ畑の調子はいかが?」

「え……? あ……」

「父が援助して新しく作り直して、ずいぶん順調らしいですわね?」

「あっ……、あっ……」


そう。


シャロン伯爵領が財政危機で困っていた時、父はその立て直しの援助金とノウハウを教え、その手助けをしたのだ。


だから、シャロン伯爵はうちに絶大な恩があった。


「うそ……そんな、そんなはず……」

「証拠が欲しいと言うのなら、ご覧に入れて差し上げますわ」


私は懐から公爵家の徽章を取り出し、彼女に見せた。


いざという時のため、父から持たされたものだ。


……まさか、こんなところで役に立つとは思わなかったが。


「ま、まさか、ほ、本当に……?」


彼女は助けを求めるように、アルヴィンの方を見た。

アルヴィンはそれを受け、にっこりとさわやかに微笑んだ。


「ええ。信じられないでしょうけど」


貴族社会は、がちがちの上下社会。


貴族に生まれた者ならば、それは骨の髄まで理解しているはず。


ましてや、父は屈指のやり手で有名で、貴族界にも顔が広い。


「どうしました? ジュリーさん。お顔が赤いですわよ?」

「し……し……」

「し?」


「失礼しました~~~~~~~~~~!!!」




彼女はその後、従者と一緒に何度も私に頭を下げて謝りながら、逃げるようにギルドを出て行ってしまった。


「……少し、意地悪しすぎたかな」

「容赦ないな、メルス……」

「ふふ」


でも、仕方ないよね。


アルヴィンを取られるわけにはいかないから。


絶対に。


「さ、仕事仕事」


ふと窓の外を見ると、今日も仕事日和のいい天気だった。


父には、家を出て行ったのに家の名前を出したお詫びに、今度久しぶりに、実家の屋敷におみやげを持って顔を出そうと思う。


もちろん、アルヴィンも一緒に。





メルスを家まで送り届けてから、帰路につく。


近々、住む家も一緒にする予定だった。


もちろん彼女は仕事は今まで通り続けるらしい。


「ふう」


息を吐きながら、これからのことを思う。


ようやく、メルスに思いを伝えることができた。


ここまで来るのは流石に大変だったけど。


でも、やり切った。


「……」


メルスは僕によく、おいて行かれたとか、遠い所に行ってしまったとか言うけど、逆。


逆なんだ。


ずっと、自分にとってメルスは手の届かない存在だった。


自分みたいな平民と遊んでくれる、公爵家の女の子。


初めて彼女に会った時、思わず見惚れてしまった。


メルスが一緒に魔法書を探してくれた時。

僕がどれだけ嬉しかったか。


あの時のことは、今でも忘れることはない。


体が弱く友達がいない僕にとって、どれだけ彼女の存在に助けられたか。


彼女はすごい貴族で僕は平民で、将来一緒になれないことは分かっていたけど、それでも彼女のことが大好きだった。


だから少しでも彼女に近づくため、少しでも認めてもらうため、もともと興味があった魔法を練習することにした。


そして幸運にも、宮廷魔導士という職業があることを知った。


宮廷魔導士なら平民でも貴族同等の、いやそれ以上の待遇が得られるらしいと聞いて、何が何でもなることにした。


すべては、メルスと一緒になるため。


大きくなって綺麗になっていくメルスを見て、その思いはますます強くなっていった。


今メルスは20歳で、僕は19歳。

少し時間がかかってしまったけど、これでようやく、メルスの隣に立つ資格ができた、と思う。


王都に引っ越すときは泣く泣くだったけど、宮廷魔導士になるには、やはりレベルの高い王都で勉強しなければならない。


だから、王都でまたメルスに会い、しかもギルドで働いていると知った時は本当に驚いたし、嬉しくて舞い上がりそうだった。


メルスはあまり自覚がないみたいだけど、彼女はすごく綺麗だ。


一見、華やかなタイプではないが、少しよく見れば誰でも気づくレベルの。


普段はあまり表情を変えないが、ふとした時に見せるあの笑顔がいいのだ。

昔のまま、変わってない。


だからメルスは、ひそかにギルドで人気がある。


貴族の公爵家の子だからか、あまり皆近づくことはしてないが、もしメルスが平民なら今頃男たちが何人も言い寄っているだろう。


もちろん、僕もそうならないように、細心の注意を払ってひそかに彼女を見守って、いや、障害を取り除いていたけど。


人にはできるだけ平等に接するようにしているけど、やっぱりメルスだけは特別だ。


宮廷魔導士に受かるまでは彼女にもそうしようと努めていたけど、これからはできる自信がないし、そうする必要もない。


宮廷魔導士になれば、男爵位だが爵位が貰える。

メルスのお父さんも、貴族同士、宮廷魔導士ならおそらく結婚を許してくれるだろう。


というか、メルスが「お父様には絶対に認めさせるから、安心して」と言ってくれた。




……そういえば。


何を思ったか、メルスが今度魔法を勉強したいので教えてほしいと言い出した。


僕はもちろん了承した。


代わりに、メルスはダンスを教えてくれるらしい。


宮廷魔導士が社交ダンスひとつ踊れないようではだめだと。


そんな約束のことを楽しみにしながら、静かに夜の王都を歩いた。




次の日。


受付にメルスがいるのを見て、僕はいつものように手を振る。


彼女も気づいたが、手は振らずにカウンターを出てこちらに近づいて来た。


彼女から来るなんて、珍しい。


なんだろうと思っていると、メルスは僕の前に来て、言った。


「あらためて、宮廷魔導士に合格、おめでとう。アルヴィン」


「……ありがとう。メルス」


もう我慢ができなくなり、僕は彼女をその場で抱きしめた。


                                 おわり

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