クラスメイトの推し活が限度を超えている
「フンフフフ~ン♪」
ちょうど今朝のニュースで満開の発表がされたソメイヨシノが咲き乱れる高校までの通学路を、俺は鼻歌を歌いながら軽快に歩いている。
誰かがフラワーシャワーの演出をしてくれているのかと思ってしまうほどに舞っている花びらは、俺の春到来を祝ってくれているが、昨日まで死んだ魚の目をして灰色の人生を送っていた俺は、こんな日が来ることはないと思っていただろう。
いつもは長いとさえ思っていた通学時間だったが、今日はだいぶ短く思えた。だからと言って寂しい感情なんてものは一切抱かない。なぜなら本当の楽しみは、この教室のドアをくぐってからなのだから。
いざ行かん。
ガラガラガラ
カシャ
「--ッ!おはよう、前田さん」
「おはようございます!悠里様!」
ドアを開けたすぐ先には、長い黒髪を後ろで結い、くりっとした黒い瞳を輝かせている前田さんが、スマホのカメラをこちらに向けていた。
入ってすぐに前田さんがいるとは思っていなかったから少し驚きはしたけれども、カメラを向けられていることも、ちょっとむず痒い「様」付けも、理由を知っているから驚きはしない。だから何も気になることはなかったかのように、俺は席につく。
だが、事情を知らないクラスメイト達は、今まで見たことのない光景にザワついている。そんな彼らの代表をするかのように、
「おっは~悠里。お前って前田さんと仲良かったっけ?てか挨拶だけでツッコミどころ満載なんだけど」
と、いつも学校で一緒に行動したり、じゃれ合ってる友達の大輔が聞いてきた。初対面だと短髪な好青年の印象を持てるコイツだが、着痩せしており、かなりの冗談好きだ。そういうところが楽しくて好きなのだが。
「おはよ大輔。前田さんとは昨日仲良くなった。んで彼女は推し事中」
「ん?お仕事中?暇人なお前に、人に頼むほどの仕事なんてあるのか?」
「めっちゃ腹立つけど確かに暇人だから文句言えねぇ…。違ぇよ、推し活だよ。アイドルとかでよくあるだろ?」
カシャ、カシャ
「あぁ~そっちか…………はっ?どゆこと?」
「いや~昨日の放課後に、前田さんに呼ばれてさ」
「何?告白?」
「いや俺もそう思ったときはめっちゃウキウキして舞い上がった。そうじゃかったけど……」
「勘違い乙~(ニヤニヤ)」
「うるせ!」
カシャ
「んで、前田さんから『推しです』って言われてさ」
「あぁ~だから推し活」
「そうそう。俺もよくわかんなかったんだけど、まぁ可愛い女子から好意をもたれるのは悪くないな~って思って『ありがと!』とだけ言っておいた」
カシャ、カシャ、カシャ
「告んなかったの?絶対チャンスっしょ」
「いや~さすがにチキったわ」
「童貞」
「お前もだろ。慎重と言え、慎重と」
「はいはい。まぁ状況は掴めたわ。ところで1限目数学だけど、宿題やってきた?」
「うわっ!やっべ…昨日浮かれてて忘れてた。見せてくれな----」
カシャ…シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ
「----ちょっと良いかな?前田さん」
「はい!どうかしましたか?悠里様」
シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ……
さっきから小出しでカメラ音聞こえてきたときは『初日だし張り切ってるのかな〜?』ぐらいで微笑ましいとも思えたが、さすがに連写音は気になる。
豪速球で前田さんに声をかけに行ったが……なぜ撮り続けてる!?タフすぎないか!?それともなんだ?接着剤か何かでシャッターと指が離れなくなったのか!?
「一回スマホは片付けようね?(笑顔の圧)」
「わかりました!(気づいてない)」
ようやくカメラ音が止んだ。どうやら彼女の指は離脱可能だったようだ。
「それでなんだけど…………撮りすぎじゃない?」
「いえいえ!悠里様の魅力を一瞬たりとも逃さないためには、まだまだ精進しなければいけないぐらいです!ご心配ありがとうございます!!」
「違う違う。前田さんの性格は心配になってきたけど、そうじゃない」
「?」
俺か?おかしいのは俺なのか?気づかないうちに俺の常識が通じない別世界に転生してきたのだろうか。だとしたら俺は死んでしまったのか…?真面目に首を傾げる彼女を見ると、つい自分を疑いたくなる。
大輔の方を振り返り、自分を指さしながら『俺、間違ったこと言ってる?』と気持ちを込めて眉をひそめてみると、大輔は首を横に振った。よかった、どうやら俺はまだ死んでいないらしい。
「あのね、確かに前田さんに写真を撮ってもらうのは嬉しいよ」
「やった!悠里様に褒めてもらえ----」
「おいコラ待て。話は最後まで聞け」
「どのような体勢ででしょうか?応援団みたいに手を後ろで組むような感じでしょうか?それとも王子様を取り囲む貴族みたいに跪きましょうか?(真剣)」
「いや普通にリラックスして聞いてくれるかな?(イラッ)」
彼女の中で俺はいつ高校生からアイドルに転職したのかな?それとも、どこぞのアイドルに掛け声とか振付が決まっているように、誰しも決まったポーズがあるのか?もしかして決まってないの俺だけ?
振り返ると大輔は三三七拍子をしている。オイィ!今すると……ほら前田さん真似し始めてしまったじゃないか。やめろやめろやめろ、真顔のまま俺を三三七拍子で挿むな。まわりのクラスメイトが『何あれ新手の宗教……?やらされてる2人可哀そう……』みたいな目で見てきてるじゃないか。俺がカルトの教祖だと誤解されるじゃないか。オイこら笛を取り出すな。なんで笛を持ち歩いているんだよ。お前らグルなのか?事前に打ち合わせでもしたのか?
2人の笛を取り上げた俺は前田さんの方を向く。
「…………(ペンとメモ帳を構えている)」
「何して----」
カサカサカサ
「----るの?」
カサカサ
「人の話を聞くときはメモをするべきだとマナー本に書いてありました!」
「ここでド正論ぶつけるの辞めてくれる!?」
カサカサカサ
書店員の皆さま、および親御さん方、彼女にハウツー本は一生涯与えないでください。
「はぁ……メモするほどの大層な話じゃないから」
「そんな!?(カサカサ)悠里様の(カサカサ)貴重な(カサ)お言葉ですよ!?後でじっくりと解釈しなければいけない大切な記録です!」
「……片付けようか」
「なるほど、推し活をする上での規則ですね。わかりました!」
「いやわかってない!わかってないから!友達と普段話すときはメモしないでしょ?」
「…………!なるほど、私たちファンのことは『友達』と呼ばれるということですね!」
「やめて!!日常生活ボッチで寂しいからファンサービスを通して友達をつくろうとしてる悲しい人みたいだから!!クラスメイトの俺へのイメージがどんどん改竄されていくからやめて!!(切実)」
前田さんを説得するのに大輔にも協力してもらい、さらに誤解を生んだりしてかなりの時間がかかった。
まだ本題に入れてないんですけど……人と会話するのってこんなに疲れるものだっけ……?まだ学校始まってないけど帰りたい……。
「さすがにあんなにカメラ音鳴ってると気になるから、休み時間1回につき1枚にしてもらえる?」
「カメラ音が気になるんですね!わかりました!」
「よかった……。これでやっと----おい、どこに行く?何で壁をよじ登っている?降りて来い。天井裏に行かなくて良いから今すぐ降りて来い!」
スパイみたいな動きで天井裏に行こうとした前田さんが降りてきた。どこでその動き身につけられるの?ご家族は暗部でもされているのかな?
スタッと天井裏から降りてきて、まるで『すごいでしょ!撫でて!』と言わんばかりに頭を差し出してきた前田さんの頭を俺は、
「あいた」
叩いた。
「説明を。なぜ奇行に走ったのか俺にも理解できるように説明をしろ」
その瞬間、今の光景を見たクラスメイト達は、
『うわっ、人叩くとかサイテー』
『さすがにアレはないよね~』
『ないわ~』
『悠里君は真面目な人だと思ってたのに……』
『大輔君、悠里君なんかとじゃなく私たちと話さない?』
『お!それは良いかもな』
非難殺到である。
確かに手を挙げたのは俺が悪かった……でも!……お前らも同じ立場になったら絶対同じことするって!……てか大輔お前はなぜノリノリなんだよ!?少しは友達の俺をかばおうとしてくれよ!?……覚えてろよ大輔、お前はあとで一発殴る(反省してない)。
「カメラが気になるとのことだったので、無音カメラで陰から撮ろうかと……」
「----よし!カメラは金輪際禁止で!(面倒臭くなったから笑顔でバッサリ切る)」
「そんな殺生なああああああああああああああああああああ!!」
「あっ、動画もボイスレコーダーも無しね(追い打ち)」
「(白目)」
最初っからこうしておけば良かったんだ。これで彼女の奇行は止まるだろう。
それからは何もなく平和だった。俺は30人のクラスで真ん中の席に座っているが、右隣の列の最後尾にいる前田さんの様子を見るため振り返ってみると、落ち込んでいた彼女も普通に授業を受けている。これで何も問題が起こることはないだろうと思っていた。
…………昼休みまでは。
「あの……悠里君、ちょっと良いかな?」
「ん?どうしたの委員長?」
俺と大輔が一緒に昼飯を食べていると、三つ編みに黒縁メガネという、誰が見ても『委員長っぽい』と納得できる姿の委員長が話しかけてきた。
「悠里お前今日はモテモテだな(ニヤニヤ)」
「あっそういうの欠片もないから(一刀両断)」
「委員長、頼むから真顔はやめて!真顔は!…おい大輔!」
「泣きたかったら……泣いていいんだよ……?悠里」
「泣かせた元凶がそれを言うな!」
よし、帰ったら藁人形をつくろう。誰の写真を使うかは言わずもがな。
「それで委員長、どうしたの?」
「その……私もどう説明したら良いかわかんなんないから、とりあえずクラスのメッセージグループを見てもらっても良い?とにかくそれを止めてほしいんだけど……」
「「?」」
俺と大輔がスマホのメッセージアプリを開こうとす----通知101件!?!?
しかもその間にも102、103とどんどん増えていってる。
「俺たちのクラスってこんなにグループでやり取りするようなクラスだったっけ?」
「そうじゃなくて……それほとんど1人が送ってるの…」
「「…………は?」」
委員長が俺に話しかけてきた時点で誰の仕業か予想できたが、とりあえず見てみないと何とも言えないので開いてみると、
『普段よりも早めの時間に登校した悠里様のお顔が明るく見えました。おそらく昨晩あたりから表情筋を使われたのではないかと思われます。後の言動から、これまで女性とお近づきになる機会が少なかったようで、私が推しているとお伝えしたことが大きかったらしいです。私なんかが悠里様の表情筋のお役に立てるなんて、とても幸せです!』
『悠里様のイメージカラーであるターコイズブルーは、本日は黒字の下着にドット柄として刻まれていらっしゃる模様。残念ながら拝見はできなさそうですが……ご友人の大輔君は情報提供ありがとうございます!』
『おうよ(サムズアップ)』
『ちなみにターコイズブルーは<幼少期>から<なんとなく>好きだったらしいです。高校入学初日で自己紹介をする際に、悠里様が<ターコイズブルーが好きで、毎日どこかには身につけてます!>とクラスメイトの興味を惹くために伝え、その意図を汲んだ大輔君が理由を聞いていた会話を参照です。おそらく幼少期の環境が無意識に好きにさせたと考えられるのですが、残念ながらまだ手がかりは見つけられておりません…』
『俺も探ってみる!(名探偵大輔参上)』
『ありがとうございます!!』
『ご尊顔を写真に収めていたところ、注意されてしまいました…。ただ悠里様が本当に怒ったときと比べ、目尻が10度ほど下がっていたので、本気では怒っていた訳ではないのでしょう。もっと正確な角度を図りたかったのに、分度器を忘れてしまったことが悔やまれます…。でもおかげで悠里様の優しさが身に沁みました!音に敏感なのかと思ったのですが、どうやら視線に敏感だったそうですね。これからは気配を消していこうと思います!』
『授業中は…………』
「前田さんストォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオップ!!」
なんじゃこりゃぁああああああああああああああああああああ!?!?怖い怖い怖い怖い!!なんでここまで詳しいの!?なんで俺の知らない情報まで載ってるの!?ストーカー顔負けだよ……全世界のストーカーの皆さんを凌駕するほどの記述だよ……なんだよ『全世界のストーカーの皆さん』って……混乱しすぎて頭おかしくなっちまったよ……。
てかちょくちょく出てくる大輔お前なんなんだ!?
さっきの授業中は普通に授業受けてたよね!?視線こっち向いてなかったじゃん!!第三の目でもあるの!?分身の術でも使えるの!?前田さんの家は暗部じゃなく忍者なの!?
大混乱中の俺は持ち前のツッコミパワーを駆使して条件反射的に前田さんを止める。
「ん?どうかしましたか?」
「『ん?どうかしましたか?ニッコリ』じゃねぇよ!!何でこんなに詳しいの!?いやそれよりも俺のプライバシーダダ漏れなんだけどぉ!?」
「あっ!グループのメッセージのことですね!朝、悠里様が『カメラはダメだ』と仰られたときは布教できなくなるので頭大丈夫かな?と思ったのですが…」
大丈夫じゃないのはお前の頭だ。
「…私気づいたんです!これは悠里様から課せられた試練なのだと!悠里様は『写真で楽して俺の魅力を伝えようとするなんて三流のやることだ。真のファンになりたければ、言葉だけで伝えてみせろ』とお伝えしたかったのですね!なのでとりあえずはクラスで布教して正式に全世界に布教する許可をいただこうと書いてました!」
やべぇよ前田さん……勘違いしてるのもやべぇけど、俺のパンツ情報が全世界に発信されてた可能性があったなんて恐怖でしかねぇよ……。
「どうですか!?私はちゃんと悠里様のご期待に----あいた」
『うわっ、人叩くとかサイテー』
『さすがにアレはないよね~』
『ないわ~』
『悠里君は真面目な人だと思ってたのに……』
『大輔君、悠里君なんかとじゃなく私たちとご飯食べない?』
『マジで!?良いの!?サンキュー』
『あっ!私も一緒に食べて良い!?』
おい待てお前ら。俺たち味方だったよね?俺はグループの私物化を止めてやったんだぞ。なんで俺にだけ非難が殺到しているんだ。
てか大輔!なんでお前ちょっと良い思いしてんだよ!それと委員長も乗っていかないで!?
「…………金輪際、記録は禁止で。というか推し活自体禁止で。……そんな『地球滅亡寸前みたいな顔』されてもダメだから」
「えへへ、演技力褒めてもらえた」
「褒めてないから。ちゃんと文脈読んで?……もう疲れたから単刀直入に聞くんだけど、前田さんは俺のことどう思ってるの?」
「推しです!」
「『推し』ってことは好きなの?好きじゃないの?」
「好きです!」
「んじゃあ、もし俺が『付き合ってください』って言ったら?ぶっちゃけあの異常な推し活がなければ前田さんといるの楽しそうなんだけど」
「あっ、さすがに私だと釣り合わないのでそれは無理です(超真剣)」
「なんでその線引きはハッキリ自粛してるの!?」
「いえ、事実なので」
「…………」
「泣きたかったら……泣いていいんだよ……?悠里」
…………『推し』って……何ですか……?
早退して寝よ。