聖女には選ばれなかったけれど、勇者さまの最愛となりました。
かつて、魔王を倒すため。
国王は国民から聖女を選ぼうと、聖なる力――加護を持つ女性を国中から集めた。そこで最も力の強い女性が聖女となり、人間側を勝利へと導いた。
人間と魔王との闘いが終結した後、聖女以外の加護を持つ女性はどうなったか?
彼女たちは国力を安定させるため全国の教会へと派遣された。17歳のマリーナもそのなかのひとりで、辺境領の教会で暮らしている。
「マリーナ! 治して!」
青い屋根の、教会の庭。
色とりどりの花に水をやっていたマリーナめがけて、ふたりの少年が飛び込んできた。
「もう。また転んで擦りむいたの?」
「どっちが先に港へ着くか競争してたんだ。そしたら、ボブが石につまずいて」
ボブと呼ばれた少年の膝からは血が流れている。
マリーナはしゃがんで彼に目線を合わせてにっこりと微笑んだ。そして両手をボブの膝にかざす。
「痛いの痛いの、とんでいけ」
ふわっとオレンジ色の光が生まれて、ボブの膝を包み込んだ。それは、マリーナの髪と同じ色。光は怪我に吸い込まれるように消えていき、同時に膝はつるんと元に戻った。
「やっぱりマリーナはすごいや!」
「おれらにとってはマリーナが聖女さまだよ」
立ち上がったマリーナはきらきらと瞳を輝かせる少年たちの頭を撫でる。
「本物の聖女さまはもっとすごいわ。それより、マイクもボブも、あんまり無茶なことはしないでね?」
「「はーい!」」
勢いのよい返事をして、少年たちは教会から走り去った。
マリーナはそんな彼らの背中を見送って、水やりに戻る。じょうろから注がれる水が光に反射して煌めいた。
故郷で両親と5人の弟妹と共に貧しい暮らしを送っていたマリーナだったが、聖女候補を探す神官によって王都へと連れて行かれたのは数年前のこと。
残された家族には莫大な金貨が支払われた。彼らは一生食べるものに困ることはないだろう。マリーナにとってそれはせめてもの救いだった。
聖女には選ばれなかった上に、故郷へ帰ることは許されなかったからである。
(教会での暮らしはなかなか悪くない。どこでもそれなりに楽しめる性格でよかった)
水やりを終えたマリーナは教会の脇にある白い平屋へと向かった。ここは、教会に勤める人々の住まい――寮のような建物である。
たっぷりと光の差しこむ食堂に、探している人物はいた。
「先生、終わりました」
「ありがとうございます」
先生と呼ばれた白髪の紳士は本を読んでいる手を止めて眼鏡を外し、マリーナを見た。
この教会の神父であり、マリーナの親代わりでもある。
神父は彼女の後ろへ視線を向けた。
「おや、来ましたね」
マリーナが肩越しに振り返ると、黒檀のような色をした髪の美丈夫がぎこちなく歩いてくるところだった。
肩幅は広く筋骨隆々としていたが、右手で杖をつき、左足を引きずっている。
白いシャツと黒いスラックスを着こなしている様から、それなりの身分の高さが窺える。革靴も磨かれて上品な光沢を放っていた。
神父が立ち上がり、マリーナの隣に並ぶ。
「マリーナ。紹介します。彼はアルベルトといい、辺境伯の遠縁に当たります。足を痛めていて、療養を目的にしばらくこの街に滞在することになりました。あなたの加護で彼を癒してさしあげるといいでしょう」
えっ、と驚く言葉をマリーナは思いきり飲みこんだ。
当然ながら聞いていない。
しかしマリーナはここの主ではないし、来るものに対して拒むことはない。
「はじめまして、アルベルトさま。わたしはマリーナと申します。どうぞよろしくお願いします」
ぺこり、とアルベルトが頭を下げた。
(翠色の瞳。美しい色だわ。きっと、悪い方ではない)
それがマリーナの、アルベルトに対する第一印象だった。
・・・
アルベルトは、教会の裏手にある立派な屋敷を借りて生活することになったらしい。
ところが彼は頻繁に教会へ足を運んだ。それは神へ祈りを捧げるためであったり、――マリーナの加護を求めて、だったりした。
教会の前庭には木でできたベンチがある。
アルベルトは教会を訪れるとまずそこに腰かけて、花に水をやるマリーナを眺めることが多かった。
マリーナは仕事を終えるとアルベルトの隣に座り、自らの手のひらをアルベルトの足へと翳す。
今日もまた、日課となった、癒しの時間を終えたところだった。
「君の光は、穏やかで丸みを帯びているな」
アルベルトがぼそりと零した。
彼は今までマリーナが出会ったなかで、いちばん低い声の持ち主だった。
マリーナはオレンジ色の瞳をしぱしぱと瞬かせた。
「穏やかでまるい、ですか」
「聖女の光は大きく包み込むような金色だった。そして君の光は範囲は狭くても、とても温かくて心地いい」
アルベルトが瞳を閉じると、彫りの深い顔立ちと睫毛の長さがよく分かった。
間近で見たような口ぶりから、アルベルトは聖女に近い立場であることが容易に想像できた。
つまり、マリーナがこの教会にいる理由も知っているはずだ。
(範囲が狭いせいで聖女には選ばれなかったんだけどなー)
マリーナがささやかなため息を飲み込むと同時に、アルベルトは瞳を開けて空を見上げた。
つられてマリーナも顔を上に向ける。雲ひとつない、からっとした晴れ空だ。
「私の怪我と君の力は相性がいい。どんどん状態がよくなっていくのを感じる」
「お役に立てているなら、光栄です」
そこへ、マリーナとアルベルトの間に割って入るようにマイクとボブが飛び込んできた。
「アルベルト、覚悟!」
「今日こそはおれたちが勝つ!」
「ちょっと、あなたたち」
マリーナが制しても少年たちは臨戦態勢を崩さない。
マイクとボブの手にはそれぞれ木の枝が握られている。
応じて、アルベルトもゆっくりと立ち上がって杖をついた。
「さて、どうかな?」
マリーナに対するぼそぼそとした喋り方は消えて、堂々とした声。大きくて通りがよく、立派な大人そのものだ。
「いくぞーっ」
がむしゃらにふたりの少年がアルベルトへ挑む。
杖をついていた筈のアルベルトだったが、ひらりと少年たちの攻撃をかわしつつ、足の不自由さを感じさせない見事な動きで彼らの手にある木の枝を杖で弾いた。
どさっ、と勢いで尻もちをつくマイクとボブ。
「マイク! ボブ!」
マリーナの悲鳴とは真逆に、ふたりの表情は明るかった。
「すげー! やっぱり強いや!」
「アルベルト、かっこいい!」
彼らは最初こそマリーナを取られたと言わんばかりに敵対心むき出しだったが、今ではアルベルトの強さに惹かれて、こうして戦いを挑んでいた。
「なぁ、アルベルト。おれたちを弟子にしてくれよ」
「10年早いな。まずはたくさん食べて、大きくなることだ」
ベンチに座り直したアルベルトは、マイクとボブの頭をわしわしと撫でた。
「好き嫌いは駄目だぞ。にんじんもピーマンも残さず食べる。話はそれからだ」
「なんでおれがにんじん苦手だって知ってるんだ?!」
「さぁ、どうしてだろうな」
アルベルトがくしゃっと破顔する。それはまるで少年ふたりと同年代のよう。
マリーナは、敢えて何も言わず3人を見守ることにした。
昼食は平屋の食堂で取ることが多いアルベルトが、たびたび野菜を皿の隅へ避けているのを知っているからだ。
(アルベルトさまもにんじんが苦手だからっていうのは、黙っておこう)
・・・
ある日のこと。
マリーナが食堂でカフェオレを飲んでいると、杖をつきながらアルベルトが入ってきた。そして自然にマリーナの向かいの席に座る。
「マリーナ。お腹はいっぱいかな」
「いいえ。どうされましたか?」
「王都から菓子が送られてきたんだ。どうぞ召し上がれ」
こぢんまりとした缶のなかにはたっぷりとクッキーが詰まっていた。
「ありがとうございます、いただきます」
さく、ほろ。
粉糖のまぶされたまるいクッキーはアーモンドとバターの豊かな風味が鼻を抜け、コクのある甘さが口いっぱいに広がる。
「とても美味しいです」
「よかった。どうしても君に食べてもらいたかったんだ」
「え?」
「普段お世話になっているお礼」
相変わらずマリーナに対しては絞った声量で話しかけるアルベルトだったが、だいぶ打ち解けてきたのか、声には穏やかさと親しみが混じるようになっていた。
「足はだいぶよくなってきたから、来月には王都へ戻れると思う。マリーナのおかげだ」
「恐れ入ります。それは元々アルベルトさまの自己治癒力が高いのだと思います。わたしはわずかに手助けしているだけで」
「そういうものだろうか」
「そういうものだと、思いますよ」
(アルベルトさまは療養に来ただけで、王都の方なんだよね。帰ってしまったら、もう二度と会うことはないだろうな)
マリーナは寂しさを口にしなかった。
瞳と瞳が合って、お互いなんとなしに微笑んだ。
・・・
アルベルトが王都に戻る日が近づいているとはいえ、マリーナの日常は変わらない。
「マリーナさんがこの街へ来てくれてよかったよ」
「ありがとうございます。お大事になさってくださいね」
マリーナは教会の入口で老人が去って行くのを見守っていた。畑仕事中にぎっくり腰になりかけたらしく、大事になる前にと教会へ来ていたのだ。加護で腰を治してやると、老人は心から喜んでくれた。
(ささやかでもわたしの力で喜んでくれるひとがいるって、幸せだなぁ)
背伸びをしながら教会へ入ろうとすると、誰かの気配を感じた。
「あなたがマリーナ?」
レースの日傘を差した、レモンイエローのドレス姿の女性が立っていた。豊かな金髪を完璧に巻き、真っ白な肌にレースの手袋をつけている。
「はい。そうですが」
「ご挨拶が遅くなってごめんなさいね。あたくしは辺境伯家の三女、スカーレット。一昨日王都から戻ってきましたの」
「はじめまして。そして、わたしなんかのために、わざわざありがとうございます」
マリーナは深く頭を下げた。
この街へ初めて来たとき、辺境伯家で一晩を過ごした。そのとき辺境伯から、三女のスカーレットは王都へ留学中で不在だと聞いていた。
なるほど、よく見れば辺境伯の面影を感じる顔立ちである。
「そうですわね。あたくしはあなたのために教会を訪ねたのではありません。実はお願いがあって参りました」
「お願い……?」
「父の言いつけで、アルベルトさまに加護を使っているのでしょう。どうかあたくしのことを、アルベルトさまによき友人として紹介していただけないかしら」
辺境伯の依頼ではなく神父からの指示だったような気がするが、マリーナは黙っておくことにした。そして、尋ねられてはいるものの、マリーナに断ることはできない。
(初対面なのによき友人って。このご令嬢、なかなか圧が強い)
「分かりました。もうすぐいらっしゃると思うので、ご紹介します。アルベルトさまは、やはり王都でも有名なお方なんですね」
するとスカーレットはマリーナを見下すように、優雅に唇の端を吊り上げた。
「まさか、ご存知ないのかしら? 彼こそが魔王を倒した勇者だというのに」
(なんですって!?)
マリーナは、えええええ、と叫びたい衝動を堪えるのに必死だった。
(いや、でも、杖をついていてもマイクとボブをかんたんにあしらえちゃうあの強さ。分からなくもないけれど!?)
そこへ、件の勇者がちょうど現れた。
うろたえるマリーナの目線の先を追い、スカーレットが肩越しに振り返る。そして日傘を畳み、軽く膝を折った。
「お久しぶりです、アルベルトさま」
「スカーレット嬢。留学を終えられたのか」
「はい。一昨日戻ってまいりました。王都では大変お世話になりました」
「……? 数えるくらいしかお会いしたことはないと思うが」
「今日は親友のマリーナに会いに来たところですの。アルベルトさま、よろしければご一緒にお茶でもいかがですか?」
アルベルトの戸惑いと疑問へ被せるようにして、スカーレットが提案した。
「ねぇ、マリーナ?」
「あっ、はい、そうですね。親友のスカーレットさまと一緒に」
マリーナはぎこちなく応じた。
そして集中できないまま癒しの時間を終え、スカーレットに言われるまま馬車に乗り、街のカフェサロンへと連れて行かれた。サロンでは一方的にスカーレットが話すのみで、せっかくの見たことのない高級そうな紅茶も菓子も、まったく味わえずに終わった。
「それではごきげんよう、アルベルトさま」
夕方、街が黄金に染まる頃。
迎えの馬車で辺境伯家へ帰っていくスカーレットを見送って、マリーナはどっと疲れが出るのを感じていた。
「災難だったな」
「あっ、えーっと」
そして緊張ですっかり忘れていた。隣に、アルベルトが立っていることを。気の抜けた状態を見られたことが恥ずかしくなって、慌ててマリーナは話題を変えた。
「……アルベルトさまは、勇者さまだったのですね」
「言っていなかっただろうか」
アルベルトがこつん、と杖をついた。
「ちなみに、この杖はユグドラシルの枝からできている」
マリーナは目を丸くして杖を見た。
ユグドラシルといえば、人間よりも長い歴史のある巨大な落葉樹であり、国の象徴のことだ。
そして勇者の持つ聖剣の柄だという。
「初めて聞きました。先生も、教えてくださったらよかったのに」
「神父殿は君が気負わないように配慮してくださったのだろう。何故ならこの怪我は」
――魔王を倒すときに負ったものだから。
・・・
その夜、マリーナはなかなか寝つけなかった。もう何回目か分からない寝返りを打ち、アルベルトの言葉を反芻する。
教会へ戻ったマリーナが神父に問うと、アルベルトの正体を明かさなかった理由はやはり『マリーナが気負ってしまわぬように』というものだった。
(アルベルトさまは勇者。だから聖女のことも知っていた。聖女に選ばれなかったわたしの力なんて、って比べたらだめだけど……)
神父の心配は当たってしまった。
考えれば考えるほど、マリーナは己の力不足を恥じたくなってくる。横向けになるとやわらかなブランケットを頭まですっぽり被り、膝を折り曲げて小さくまとまる。
(いや、でも。先生から与えられたお務めだもの、アルベルトさまが王都へ戻られる日まではきちんと果たそう。リップサービスとはいえ、温かくて心地いいって言ってもらえたんだし)
そしてようやく眠りにつこうとしたものの、鶏が夜明けを告げるのだった。
・・・
翌日から、アルベルトが教会へやって来るときはスカーレットも現れるようになった。
幸か不幸かふたりきりになることは回避できたものの、スカーレットは事あるごとに聖女の話題を持ち出してくる。
「聖女さまの癒しの力は美しいものですわよね」
「聖女さまに憧れない女性なんていませんわ」
「聖女さまは王子との婚約も果たされて、さぞお幸せなことでしょう」
マリーナが無言でアルベルトに加護を向けている間、ずっと歌うように話していた。
スカーレットは教会の庭だけでなく、食堂へも着いてくる。
今日はアルベルトの隣にスカーレットが座り、ふたりの向かいにマリーナが座った。
「教会のランチってこんなに粗ま……いえ、質素なんですね。アルベルトさま、あたくしのお屋敷にいらしてくだされば、もっと豪華な食事をご用意いたしますわよ」
もはやマリーナはアルベルト以上に無表情になって、ハムとレタスの挟まれた全粒粉のパンを咀嚼する。
(粗末って言いかけた。粗末って。たしかに辺境伯家でいただいた夕食は見たこともないくらい豪華だったけれど)
するとアルベルトが、スカーレットへ顔を向けた。穏やかに微笑んではいたものの、ずっと傍で見てきたマリーナは気づいてしまった。
(アルベルトさま。瞳の奥が、笑っていない。笑顔なのに見ているこちらが凍えそう……!)
「栄養を考えて作られた教会の食事が気に入っているんだ。この質素さが、私にはちょうどいい」
「まぁ、なんてこと」
「スカーレット嬢。辺境伯家の令嬢たるもの、人々の日常にもっと目を向けた方がいいのでは? この街では誰も、豪華さや華美なものを求めていない」
ようやく、スカーレットが言葉を詰まらせた。
「それから、他人の感情にも気を配ることをおすすめする。ここ最近、あなたにつきまとわれて、私が困っていることに気づいていないのかな?」
アルベルトの発言に、部外者であるはずのマリーナも肝が冷える思いだった。
(つきまとわれているって言っちゃった……!)
スカーレットは純白の頬を真っ赤に染め、眉を吊り上げた。令嬢らしからぬ勢いで立ち上がると、アルベルトを見下すように指差した。
「あたくしにそんなことを言っていいんですの? 足を悪くしたあなたを使えないと決して言わず、療養のために招いたのは辺境伯家ですのよ!」
「その通り、辺境伯家だ。しかし辺境伯であって、君ではない」
「お、覚えてらっしゃい! 必ず後悔しますからね!」
憤慨したスカーレットは食堂から立ち去った。
マリーナは、文字通りぽかんと口を開けてスカーレットを見送る。
(勇者さまの迫力って、すさまじい。これでも、かなり手加減はされているだろうけれど)
同じくスカーレットが消えるのを見届け、アルベルトはマリーナを見た。
「すまなかった、マリーナ。不快な思いをさせた」
「いえ、わたしは全然そんな。それよりよかったんですか?」
「辺境伯も三女のわがままには手を焼いているから、問題はない。それより、久しぶりにふたりきりになれたな」
「えっ。はい、そうですね?」
「気づいていると思うが、足の怪我はずいぶんとよくなった。来週、王都へ戻ることにした」
はい、とマリーナは声を出したつもりが出なかった。
(あっという間にお別れの時がやって来た)
マリーナは別れを惜しむ気持ちがこみ上げてくるのを必死に抑えた。
(あとは聖女さまによって、アルベルトさまの足は全快するんだわ……)
「? マリーナ、聞いているか?」
「えっ? す、すみません」
口が裂けても自分の想いは言えない、とマリーナは居住まいを正す。
ところが。
「もう一度言おう。共に王都へ来てくれないか、マリーナ」
聞いていなかったおかげで繰り返された提案は、マリーナの耳を疑うものだった。
「それは、一体どういう意味でしょうか……?」
「そのままの意味だ。私は君に結婚を申し込みたいと考えている」
「すみません。やっぱり意味が分かりません」
「実は、君に会いたくて辺境領での療養を決めたんだ」
「……はい?」
まとめるとこうだ。
聖女選定の儀には、当然ながらアルベルトも出席していた。聖女候補たちからは見えない位置で、誰が聖女にふさわしいかを見極めるため。
聖女候補には幼い子どもも多く、泣いたり喚いたりしている者もいた。煙たがる者もいるなかで、幼い子どもたちを見事にあやしていたのがマリーナだった。同年代の女性に比べたら身なりは貧しく垢抜けてもいなかったが、堂々とした佇まいだった。
気づけばマリーナのことを目で追っていたのだと、アルベルトは告白した。
「聖女に選ばれるには、加護にもう少しだけ強さが必要だった。だが、その質の高さには目を見張るものがあると神官たちも口を揃えていたよ。だからマリーナ、君は辺境領へと送られたんだ」
「初耳すぎて何をどうしたらいいのかさっぱり分かりません……」
「喜んでいいんだよ」
(無理です! 喜べません!)
マリーナが目眩を覚えている一方で、アルベルトは畳みかけてくる。
「最初は怖がらせてもいけないし、緊張して距離感を測っていたが、君は私の想像通りの……いや、想像以上の人間だった。どうか、私の一生に連れ添ってはくれないだろうか?」
「で、ですが、この教会からわたしがいなくなると街の皆が困ります」
「心配はいらない。神父殿は勿論、国王にも話はつけてある。君を王都へ連れて行くことができたら、代わりに神官を数名派遣すると」
(国王さまに話!? わたしなんかの代わりに、神官が数名?! 等価交換どころじゃないんだけど)
「私なら君を故郷に連れて行くこともできる」
「……それは非常にありがたいのですが、つまり、両親への挨拶を兼ねて、という意味ですか?」
「ご名答。さらに、各地の美味しいものも教えることができる」
「流石に食べ物でつられる訳には」
「しかし、マリーナ。自分の発言を思い返してごらん? ここまでの会話で、君は一度も私の存在を拒絶しなかっただろう。つまり、君に足りないのは『はい』という言葉だけだ」
(ごっ、強引にも程がある……! これが勇者さまの交渉術?)
「どうかな?」
しかし、アルベルトの指摘は正解であり。
アルベルトが仔犬のような上目遣いをしたところで、マリーナは根負けした。
「……至らないところばかりだと思いますが、よろしくお願いします」
「足りないところはふたりで協力していけばいい。大事にするよ、マリーナ」
翠色の瞳は、ようやく心の底から微笑んでみせるのだった。
そこからはあっという間に話が進み、マリーナはアルベルトと共に王都へ行くことになった。
まさしくとんとん拍子。
マリーナは念願の里帰りが叶い、家族と涙の再会を果たした。勇者との婚約に反対する者は誰もいなかった。
王都へ戻ると、辺境領での働きが認められ、王都でも教会の仕事を得ることができた。
勇者の婚約者になったことでひがまれることもあったものの、それはすべてアルベルトが水面下で『処理』して事なきを得た。
季節の変わる頃、ささやかな結婚式が開かれた。辺境領からは神父と辺境伯も参列してくれた。
一方、足の治ったアルベルトは王都で私塾を開いた。勇者の手ほどきを受けたい者が殺到して、それはそれは大層な賑わいをみせたのだった。
・・・
「お母さまー! 治してー!」
青い屋根の、小さな家の庭。
色とりどりの花に水をやっていたマリーナめがけて、ふたりの少年が飛び込んできた。
背格好は同じものの、ひとりは黒髪にオレンジ色の瞳。もうひとりは、オレンジ色の髪で、翠色の瞳をしている。
黒髪の少年の右膝は擦り傷で赤くにじんでいた。
「ユーリったら、もう。また転んで擦りむいたの?」
「ごめんなさい。お父さまが稽古をつけてくれるって言うからうれしくって」
「レン。あなたは?」
「僕は大丈夫。だって、僕の方が強いもん」
「なんだって!」
レンに向かってユーリが飛びかかろうとしたとき、低い声が響いた。
「こらこら、ふたりともそれくらいにしておきなさい」
遅れてやってきたアルベルトは、もう足を引きずってはいない。
眉を下げて両手を合わせ、上目遣いでマリーナを見る。
「すまない。勢いあまって」
「程々になさってくださいね? いくら手加減したとしても、アルベルトさまは勇者なんですから」
ユーリの膝からは血が流れている。
マリーナはしゃがんで彼に目線を合わせてにっこりと微笑んだ。そして両手を膝にかざす。
「痛いの痛いの、とんでいけ」
ふわっ。オレンジ色の光が生まれて、ユーリの膝を包み込んだ。
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