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ほおずき市

作者: 植木天洋

 ほおずき市があると、夏が近づいてきたという気持ちになる。その頃には空気がねっとりと重くなり、湿気をはらんで少し甘い香りがする。あ、夏がくる、と思う。

 彼と一緒にほおずき市にいった。近所にある大きな神社で行われている。神社に近づくにつれ、すでにほおずきを手にした中年の男女とすれ違う。これからほおずき市にいこうと、私達と同じ方向に歩いている人達もいる。

 浴衣を着た女の子に目をとられながら歩いていると、あっという間にすれ違うのも一苦労というほどに人が増え、夕暮れを吹き飛ばすような暖色の明かりがあちこちを照らしている神社にたどり着く。

 神社の境内に入ると、鉢に入ったほおずきがずらりと並べられ、威勢のいい声が上がっていた。鮮やかな橙色のほおずきがひしめき合い、次々に売れていく。少し離れたところに、焼きそばやチョコバナナなど、お祭りではおなじみの出店も並んでいる。子供たちが親の顔を見上げて、自分が欲しいものを指さして見せている。

「行っちゃうよ?」

 彼は言葉だけでそう聞いて、ふらりと人混みのなかに入っていく。私は少し躊躇して、その後を追う。鬼灯の露天が並ぶエリアに入ると、左右をずらりとほおずきに囲まれた。

 私は、ほおずきを見ると江戸時代の夜鷹を思い出す。子供の頃、祖母が観ていたテレビの時代劇にあったワンシーンの影響だ。祖母の隣でテレビを観ていると、夜鷹がほおずきの萼を剥いて身を頬張り、それをねっとりと舐めながら客を引く、というシーンがあったのだ。夜鷹の抜けるような肌の白さと背景の群青色の夜空、橙色の鮮やかなほおずきの組み合わせは、子供心にもエロティックに見えた。

 だけど現代のほおずき市は、のんびりとほおずきを品定めする熟年の夫婦や、仲が良さそうな親子連れ、興味深そうにカメラを構える観光客で溢れかえり、活気に満ちている。夜鷹がひっそりと客を引いているような、薄暗く人気のない路地などない。

「ほおずき、すごいけど、どれも同じに見えるね」

 私がぼんやりと考えていると、彼の声が無邪気に聞こえた。改めて見ると、確かにほおずきの生え方も鉢も並べ方も、どれも全く同じに見える。もっと言うなら、ほおずきを売っている少しガラの悪そうな中高年の男女も皆同じに見える。同じほおずきを同じ人が売っている。露天は何十件とありそうなのに、どの角を曲がっても、どの通路に入っても、左右にある露天はどれも全く同じ露天に見える。

 前に進んでも、後ろに戻っても、ずっとずっとほおずきが並んでいる。同じ顔の男女がほおずきを売っている。視界が橙色に染まって、だんだん何も見えなくなっていく。

「こっち」

 急に腕を引かれて、我に返った。「同じに見えるね」と言いながら、彼には通路の区別がはっきりとついているらしく、人混みの中をすいすいと進んでいく。私は彼に引かれるまま、人混みの合間を抜けていく。急に不安になって、左右に並ぶ露天をちらりと見た。やっぱり同じほおずき。だんだん売り子の顔がのっぺらぼうに見えてくる。

 軒から吊るされた風鈴が、チリンチリンと涼し気な音をたてた。それも、同じ風鈴だった。同じ柄で、同じ形で、同じ音色を奏でる風鈴。チリンチリンという音が重なって、四方から繰り返し聞こえてくる。目眩を覚えて、彼の手首をぎゅっと掴んだ。

 彼はどんどん進んでいく。その腕がぎゅうっと伸びて、腕をつかまれているのにその感覚も麻痺してきた。しっかりした骨の感触のあった手首が、ぐにゃりと曲がる。置いて行かれる。ふいに起きた恐怖と戸惑いに、じっとりとした汗がまとわりつくのを感じた。橙色とチリンチリンという音が、私の周りをぐるぐると回る。

 呆然となって足をとめると、違和感を感じた。しばらくおいて、自分の周りをぐるりと見回した。

 人が、いなくなっていた。ほおずきの売り子も、濁流のように行き来していた客や観光客の姿もない。ほおずきだけ溢れかえる露天、がらんとした通路。

 チリンチリン。

 風鈴の音だけが聞こえる。風もないのに、風鈴の音が聞こえる。汗がつうっと一筋流れた。こめかみを濡らし、顎まで垂れる。

 ほおずきがどれも、こちらを向いているように見えた。橙色に囲まれて、立ち尽くす。

 チリンチリン。

 無数のほおずきが、一斉に光りだした。薄い萼が透けて、実が発光しているのが見える。まるでランプのようだ。しかも、とびきりどぎつい色の。目を打つような激しい橙色で、四方が埋め尽くされる。

 光に圧倒されながら、九州の実家で夏に催される精霊流しを思い出した。亡くなった人の魂を乗せた船に、点々と輝く精霊の灯り。爆竹の音。精霊船を投げ込む、巨大な焚き火。線香の強烈な臭い。

 このままでは戻れなくなる。逃げなくては。激しい焦りを感じて、それに突き飛ばされるように一歩踏み出した。出そうとした。足は、動かなかった。

 逃げる? どこに? 彼がいないのに、私一人でどこに行けるだろうか?

 四方に伸びる通路を見ると、左右に無人の露天がずらりと並び、はるか向こうまでそれが伸びていた。その先は、霞んで見えない。一体どこに続いているのだろうか。それとも、永遠に伸び続けているのだろうか。

「向こうに行こうか」

 ふいに彼の声がした。落ち着いていて、だけど少し高くて、楽しそうな声音。

 周囲を見回して、必死に彼の姿を探す。人混みから私を見つけ出してくれる時のように、優しく腕に触れてくれないだろうか。だけど、誰もいない。ほおずきだけが輝いている。

 笑うかのように、ほおずきが一斉に揺れた。チリンチリンチリン。風鈴が激しい音をたてる。舌は揺れていないのに、音だけがする。風は吹いていない。空気はしんとしていて、少しも動かない。

 私は、耳をふさいでその場にしゃがみこんだ。目眩がひどい。

 橙色とガラスの音。ただそれだけで頭がいっぱいになって、手足の感覚がなくなっていた。

 とん、と肩に何かが触れた。

 ざわざわざわ。

 人の気配が一斉に私を包み込み、生暖かい風が肌を撫でる。「ほおずきいかがですか! ほおずき!」太くていがらっぽい声が呼ばわる。

「どうしたの?」

 振り返ると、彼が不思議そうな顔で私を見つめていた。私の肩に手をおいて、人の流れから私をかばうように立っている。彼の肩を擦るようにして、カメラを構えた中年男性がすれ違っていった。彼の後ろから来るのは子供を肩車した若い男性。子供はピンク色の甚平を着ている。

「疲れた?」

 彼の問いかけにようやく立ち上がって、足の感覚があることを確かめた。

「ううん、大丈夫」

 一斉に膨れ上がった人の気配に圧倒されながら、なんとか頭を振った。頭の奥が少し痺れいている。彼は安心したようににこっと笑って、私の手を握ってゆっくりと歩き出した。彼の手を強く握り返して、少しザラザラとしてキメの荒い感触と、しっとりとした熱い体温を確認する。

 ほおずきはどんどん売れていた。売り切れて、手持無沙汰に座り込んでいる売り子もいる。一方で、一個も売れた気配のない露天は、必死で売り込みをしていた。

 誰もがほおずきを持って、家路につく。そのほおずきは、その後どうなるのだろうか? どの家の玄関先にも、ほおおずきがずらりと並ぶのだろうか。

 それは厭だ。

「そろそろ帰ろうか」

「うん」

「ほおずきいる?」

「いらない」

「そう?」

「うん」

 後ろを振り返らず、彼の手に引かれてほおずき市を後にした。一年後、またほおずき市は行われる。そして、神社や家々にほおずきが溢れかえるだろう。

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