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真導士サキと空白の地 セレンピア  作者: 喜三山 木春
第一章 禁秘の泉
9/29

合鴨の剣士

「神官さま!!」


 大扉をくぐってすぐ、ニーザス神官だけがどこかへ連れて行かれた。

 離されてはまずい。あせりに圧されて大声を出す。そうしたら、紅赤の祭服をまとったひとりが、自分たちの方へ歩み寄ってきた。

「ご心配なさいますな。われわれは、習学者のどなたにも、危害を加えようとは思っておりません」

 いかにもやさしげな口調で言われたけれど、やっていることは誘拐であり、監禁である。突然の横暴に対し、お兄さんの態度が、一気にすさんだものになった。


「オレたちは急いでいるんだ! いますぐ町に帰せ!」

 お兄さんの怒りをまともに受け取ることなく。紅赤の祭服の男は、ただ同じ言葉をくり返す。

「 "泉" で学び、真実を得られたならば、いつでも帰ることができます」

 空虚に感じる言葉と、あせる気持ちが混ざり。自分の口からも、いつになくとげとげしい声が出た。

「…… "泉" とは、何でしょうか?」

「学ぶことに熱心ですね。あなたなら、すぐに真実を得られますよ。さあ、こちらへ。さっそくですが、手荷物をあらためます」

 その尖りをも受け流し。男はまた、何かを語っているようで、何の返答にもなっていない言葉を返してきた。

 その有無を言わせない口調に反発したのか、お兄さんが懐に手を入れながら問い返す。

「……金が欲しいのか」

 これを、男は即座に否定した。

「いいえ。危険な物をお預かりするだけ。刀剣類は習学の邪魔となりますので」

 語りながら祭服から取り出したのは、わずかな黄ばみが見える水晶の塊だった。

 黄ばんだ水晶から、常人では視えない光と、真術の気配が放たれている。

 この気配を自分は知っている。

 今年の秋、ひんぱんに使われていたもの……そう、里を守る剛勇の部隊が、よく使用していた真術。


 これは "探知の陣" の輝尚石。でも――とても弱い。


 光の弱さ。

 形の(いびつ)さと、色の悪さ。

 どれをを取っても、里の輝尚石ではないと断言できる。


 おそらく、紅赤の祭服をまとっていた、大柄の片生が籠めたものだろう。そこまで理解して、これならばと考えた。

 この程度の真術ならば大丈夫だ。

 自分が身につけている術具は、こんな弱い真術では見抜けない。無抵抗のまま、やり過ごしてしまうのが一番いい。

 密やかな決定の元、お兄さんの前に進み出て、さあどうぞと両手で示した。

 知識のうえでは、大丈夫だという確信があった。けれど、うしろめたさを抱えた心が、いつもよりきつく真眼を閉じろと命じていた。


 大丈夫。

 絶対にばれない。

 間違いなく、切り抜けられる。


 心に強く言い聞かせて。黄ばんだ水晶が放つ、弱い光を身に受けた。

 自分とお兄さんを調べ終わった男は、輝尚石を祭服にしまいなおしてから、どうぞと道を開けた。予

 想していた通り、男が持つ輝尚石は、かなり弱い力しか籠められていないようだ。




「おふたりとも、そのままお進みください」

 男の許可を受けて、ふたりでゆっくりと歩いていく。

 歩きながらも、自分の間の悪さと運の無さにうんざりとしていた。

 今朝までは、平和な時を過ごしていたのに。

 急に物事が動きはじめたようだ。この流れは非常によくない。転がれば転がるほど、どんどん負債がたまっていくのは、経験上よく知っていた。

 今日、町に来たのが間違いだったのか。せめて昨日、術具が切れていると気づいていればよかったのに……本当に間が悪い。


 大扉を通ってから、薄暗い一本道がつづいていた。

 ところどころで、黄ばんだ輝尚石が炎を造り、白い壁を照らしている。

 短い道に、これと言った異変も危険もない。特筆するなら、何に使うかがわからない小さな横穴が、壁の下部に開いているだけ。

 通風孔……だろうか?

 でも、通風孔なら上側に開いているのが普通だ。通風孔だと考えると場所がおかしい。


 一本道の終わりに、鉄格子の扉があった。扉の前まで行けば、あちら側にいた人物が、ひとことも発しないままそれを開く。

 鉄格子をくぐると、机と椅子が並ぶ執務室のような部屋に出た。そこまで大きな場所ではないが、天井がとても高い。

 入って左手の上部に、二階の回廊のようなものがあった。しかし、回廊につづく階段は、部屋のどこにもないようだった。




 部屋の中央で立ち止まっていると、後方から「さらに進むように」と声がかかる。言われるがままその部屋を突っ切り、向かい側にあったもうひとつの扉を開ける。

 ぎいぎいと音がする木の扉を、力を込めて開けた途端、視野が一気に広がった。


「ここは」


 お兄さんは、おどろきのあまり言葉を詰まらせた。

 部屋を抜けて出た場所が、春のようにあたたかく、外かと思えるほど明るかったためだ。

「……どうしてこんなに(ぬく)いんだ? いまは真冬のはずなのに」

 たどりついた場所は、地下とは信じられないくらい広く、高く、光に満ちている。


 奇妙なその空間を見渡してみれば、そこら中に椅子が卓が備えられていた。そこでは十人ほどの人が、思い思いにくつろいでいる。

 奥には建物らしき建造物と、複数の扉が見えていた。いま通ってきた部屋と同じように、こちらの高い場所にも回廊がある。

 まるで、二階建ての家を、まとめて地下に詰め込んだような。それこそ、小さな町と呼んで差し支えないような場所が、明るい地下に広がっていた。


「……何だよここ。これじゃ、絵本のおとぎの国だ」

 おどろきとも、あきれともつかないようなお兄さんのぼやきに、自分も力なく同意した。


 見れば見るほど奇妙な場所だった。

 一見して、普通の町のような姿をしている。しかし、町ではないことはひと目でわかる。町の姿を偽装しているこの場には、男しかいないのだ。

 くつろいでいる人。

 熱心に書物を呼んでいる人。

 どこかへ歩いて行こうとしている人。

 妙にうれしそうにしている人。逆にとても暗い顔をしている人。

 この場所にいる人たちは、行動も表情もさまざまだったが、みんながみんなして男ばかりなのである。




「お前たち、新たな習学者か?」

 ふたりで地下にある町の様子を眺めていたら、横から声をかけられた。

「その習学者っていうのが、いまいちよくわからないんだけど……。オレたちは、ついさっき連れてこられたばかりだよ」

 声をかけてきた人が、紅赤の祭服をまとってなかったからだろう。お兄さんは、警戒を残しながらも、やや砕けた口調で返事をした。

「来たばかりなら、まだ何もわからないんじゃないか。オレがいろいろと教えてやるよ」

 そう言って、お兄さんの肩を軽く叩いた男だったが、ふと自分の姿をみとめると露骨に顔をしかめた。

「……おい、お前。なんだその暑苦しい格好は。顔の布を取れよ」

 言われるまま、術具の布に手をかけてずり下げた。

 顔を露出して、これでいいでしょうかと答えたら、男の表情がますます険しいものになる。

「どうして面布(めんぷ)を取らない? この "泉" のなかが、寒いわけないだろう。いいからその布を取れ」

 さきほどよりも強い口調の命令に、ただ首をふった。

 ここは自分だってゆずれない。人前で術具を外したら、声が元にもどってしまう。

「外すだけで十分でしょう」

 自分としては、こう言うしかない。

「……あやしい奴だな」

 当然、事態が悪化することもわかっていた。

 じりじりとにじり寄ってくる男から、同じだけ後退して距離を取る。

「布の下に、まずいものでも隠し持っているんじゃないか?」

 さらに寄ってきた男から、また一歩の距離を取り。そして、服の下にある "お守り" に意識を合わせた。


 これを使うなら、せめて物陰に隠れたい。人前で真術が展開するのはまずい。

 でも、もしかしたら、もう使うべき時なのかもしれない。もしも自分が真導士だとばれたとしても、状況が状況だ。

 紅赤の祭服たちの件を報告すれば、里の調査が入る。一緒に "救援札" についても報告ができる。

「やめろよ。オレたちはさっき持ち物検査を受けたばかりだ。何も指摘なんかされなかったぞ。問題ないんだからもうやめろって、サミーがいやがっているじゃないか!」

 ……いや、やはり駄目だ。

 自分がこの場から消えたら、お兄さんと神官はどうなる?

 一緒に連れ立っていたのだ。あやしまれるに決まっている。

 こんな地下から、一瞬で姿をくらませば、すぐさま真術を使ったとばれてしまう。

 自分が真術を使ったとなれば、いっしょに連れてこられたお兄さんとあの神官が、無事で済むだろうか?

 紅赤の男たちは、弱いながらも輝尚石を持っていた。それに、最低ひとりは片生がいる。

 転送で飛べば、すぐにわかってしまう。

 目的は不明だけれど、あの六人は人々をさらう誘拐犯――つまり、全員が賊なのだ。

 法と倫理から外れた者たちが、お兄さんとニーザス神官に何をするか、わかったものではない。


 ――どうしたら。 


 もんもんと悩んでいたら、男に胸ぐらをつかまれ、激しくゆさぶられた。

 この男、とんだ乱暴者である。

 むっとして、にらみ返したとき、思わぬ方向から救いの声がやってきた。


「いい加減にしろ」

 その強い声音の主を、まっさきにふり返ったのは、自分をつかみ上げていた男の方だった。

 男は、ふり返った先に立つ人物を確認するや、なさけなくも「ひっ……!」という音を発し。そして、恥も外聞もないような声を出した。


志教(しきょう)さま、お助けをっ!!」

 男が叫ぶと、近くの扉が開いて、紅赤の祭服をまとったひとりが姿を見せた。そして、状況を確認するや、「またか」という顔をする。

「……今度もあなたですか」

 男から開放されると、お兄さんに腕を引かれ、その背に(かくま)われた。

 男たちの視界から外れた場所で、手早く衣服の乱れを直し、やってきた闖入者(ちんにゅうしゃ)の姿を再確認する。


 自分たちの間に入りこんできた、やたら強い声をした人は、 混髪(こんぱつ)と呼ばれる長い髪を有していた。

 混髪とは、複数の色が混じった髪色を指す。

 故郷がある東の方では、 "合鴨(あいがも)" と呼ぶ人もいる。昔、そんな話を村長(むらおさ)から聞いた覚えがあった。

 普通なら、髪の色は特定の一色だ。けれども、少ないながら色の混じった髪の人が生まれてくる。

 混髪は、かなりめずらしい。

 しかも、この男性の髪は、白と胡桃(くるみ)と金の三色。三色も混じっている人は、数少ない混髪のなかでも、さらにめずらしい。


「今回は、どのようなさわぎを起こしたのでしょう」

「さわぎを起こしたのは私ではない。この男が、新入りに暴力をふるおうとしたのを止めただけだ」

 突如として割って入ってきた混髪の男が、物怖じもせずに言い返すと。志教と呼ばれた祭服の男が、わずかに眉根を寄せた。

「暴力、ですか?」

 そう問われた乱暴者は、大あわてで言い訳をする。

「……いえ、いいえ! 違います。オレはただ、習学に邪魔になるものを指摘しただけでっ」

 混髪の男性は、男の言い訳を一笑に付した。

「その面布がか? 布一枚で邪魔される学びとは、どんなくだらないものだろうな」

 気づけば、地下にいた人々の視線が、自分たちに注がれている。それを気にしたのだろう。志教は、強引に会話を終わらせた。

「お静かに。このような騒ぎは、学びの邪魔となりましょう」

 そして、部屋から顔をのぞかせた仲間を呼び、混髪の男性を連れて行くよう指示を出した。


「待ってください」

 それを許したくなくて呼び止めようとしたら、混髪の男性がやめておけというように首をふった。

「慣れている。気にしなくていい」

 男性はそうとだけ言い残すと、どこか億劫そうな志教たちとともに歩き去ってしまった。


「……この面布が、そんなにも邪魔ですか?」

 場に残った志教に問えば、にこやかな……というより、どこか胡散臭いと感じる笑みが返ってきた。

「いいえ。邪魔ではありません。あなたの心が安らぐなら、つけていてかまいません。そのほうが神もお喜びになる」


 にっこりと笑みながら言ったあと、志教は乱暴者に視線を向けた。

 場の混乱を引き起こした乱暴な男は、自分に対する態度とは打って変わって、あわてふためきながら志教に言い募ろうとする。

「あの、その……オレ、いいえ私は――!」

 志教は、男が何か言おうとしたのをさえぎり。にっこりとした笑顔を貼り付けたまま、さもやさしげな言葉をかけた。

「わかっております。あなたは、この方々に学びをうながそうとしただけなのでしょう」

 自分には胡散臭いとしか感じない言葉であっても、乱暴者にとってはありがたいものだったようだ。

 しおらしくも涙ぐみ、何度も何度もうなずいて、志教の手をにぎる。

「あなたのその気持ちを、神は汲んでくださいます」

「ああ、ありがとうございます!」


 まったく感動を覚えない、あたたかなやり取りだった。

 早く終わって欲しいと思ったのは、自分だけではなかったらしい。自分をかばっているお兄さんが、うんざりとしたような溜息を出した。

「熱心なあなたなら、あらたな習学者にも良い影響を与えられるでしょうね。おふたりともどうでしょう? この方といっしょに "泉" で過ごし、学びを得てみては」

 志教のうれしくない提案に、黙ったまま様子を見ていたお兄さんが、ついに爆発した。


「ちょっと待てって! そんなこと勝手に決めるなよ! そもそも、さっきから何なんだ! 神だの学びだのって、さっぱりわからないし。そもそもオレたちは、急いで町へ帰りたいんだ。もう、いい加減にしてくれよ!!」


 お兄さんの心からの叫びが、地下に木霊する。

 場が、しんと静まり返った。周囲にいた全員の視線が、笑顔を貼り付けたままの志教に集中する。


 そこにいた者たちの反応は、さまざまだった。

 乱暴者と同じように、怒りで顔を赤らめた者。

 波乱の予感に、おびえた目を向けている者。

 止めに入ろうとしたのか。もしくは、この場から逃げようとしたのか。緊張の面持ちで、椅子から立ち上がった者。


 志教は、各々の反応をたしかめるように周囲を見回して、お兄さんに一歩近づいた。

 貼り付けた笑顔はそのままに。しかし、右手は懐に入れている。

 懐からは、弱々しいながらも真術の気配が流れてきている。流れてきている気配は、明らかに炎豪。まずい状況を想定して、うしろからそっと、お兄さんの上着をつかむ。

 何もかも観念し、 "お守り" にすがろうかと服のなかに手を入れたとき、予想もしていなかった人物が場にあらわれた。





「カイ。サミー」

 うしろから声をかけてきたのは、町で馴染みの八百屋のご主人だった。

「旦那さん!」

 思いがけない再会のせいか、お兄さんの声がひっくり返った。

「ふたりも "泉" に来たのか……」

 残念さをにじませた言葉が、語られなかった本音をあらわしている。

 旦那さんは、何か伝えるかのように自分たちの顔を交互に見てから、いまだ笑顔を保っている志教に声をかけた。

「……志教さん。ふたりはまだ混乱しているようだ。この状態じゃ、学びなんてできっこない。あっしはこのふたりの知り合いですんで、落ち着くまではまかせてください」

 旦那さんからの提案を受けた志教は、にこにこしたまま「そうですか」とうなずいた。

「わかりました。神と学びへの道は、つねに開かれています。落ち着きを取り戻したら、ぜひわたしどもの教義室へおいでなさい」


 笑顔の志教に、「あい、すみません」と頭を下げた旦那さんは、こっちだというように手招きをする。

 横目で見やれば、笑顔を貼り付けた志教のうしろで、乱暴者がもの言いたげに自分たちを見ていた。面倒の火種が、いまだくすぶっているのを察知して、小走りで旦那さんに駆け寄る。

「旦那!」

 片足をかばいながら走ってきたお兄さんが、ごく小さな声で旦那さんを呼ぶ。

「いいから、こっちにおいで」

 旦那さんは、さらに小声で応じて。手だけで、いまはしゃべるなという仕草をした。

 先導されるまま、地下の町を歩いていく。

 うしろからは、まだじっとりとした視線が届いてきていた。その視線から逃れたくて、急ぎ足でついていく。

 旦那さんは、地下の町の隅にある階段を使って二階に昇り、一番手前の扉を開いた。招き入れられた場所は、殺風景ながらも、どこか温かみを感じる静かな部屋だった。

「……おかみが、心配してましたよ。買い出しから戻ってこないって」

 扉を閉めながら、お兄さんが今朝方の出来事を伝える。

 店の様子を聞いた旦那さんは、悲しげに眉を下げて、大きな息を吐いた。

「そうか。あいつにはすまないことだなぁ……」

 入って右手に、大きなのぞき窓があった。

 首を伸ばして、階下の様子を探る。志教や乱暴者の姿は、もうどこにもない。不快な視線が途切れたことに安堵して、ようやく自分も肩の力を抜いた。


「旦那は、いつからここに?」

 まだ警戒している様子のお兄さんが、言葉少なに問う。

「二日前さ。大荷物だと検問に引っかかると聞いてね。知り合いに案内されて "もぐら" に入ったんだよ」

 旦那さんの話を聞いて、自然とお兄さんと目が合った。

「やっぱり "もぐら" か……」

 お兄さんがつぶやけば、旦那さんは「お前さんたちもかい」とわずかに顔をしかめた。

「 "もぐら" の底が抜けて、転がり落とされたんだ」

「昔の名残だね。 "もぐら" まで賊が追いかけてきたら、穴に落とす仕組みを作っていた。通じる道は、全部塞いであったはずだけど、開いた馬鹿者がいたんだろうね」


 しばらくの沈黙のあと、旦那さんはことさら明るい声でこう言った。

「とにかくまあ、ふたりとも座りなさい。茶や水くらいなら出してやれるから」

 さあさあと勧められて席につく。

 部屋には、自分たち以外だれもいない。それでも安心できないようで、お兄さんは声を落としたまま会話をする。

「旦那、この "泉" ってのは、何なんですかい?」

 率直な質問。

 応答までは、やや間が空いた。

 内容が内容だったためだろう、答える旦那さんの声も、お兄さんと同じように小さいものだった。


「ここはね、邪教(じゃきょう)の隠れ家なんだよ」


「邪教? そういや赤い祭服の神官が、 "神" がどうのって言ってたけど……」

 水を手に戻ってきた旦那さんが、のぞき窓に視線をやりながらこう語った。

「そう。その "神" というのが、あの人らの信仰対象らしくてな。この "泉" は、 "神" とやらの教義を広める神学校らしい」


 大地は、女神パルシュナが創ったもの。

 この教えは、大地のすみずみまで浸透しており。四大国のどこの国も、国教はパルシュナ教と定められている

 地方によっては、その地の英雄や、精霊が神格化されて崇められていることもある。

 けれども、その神がかった存在も、女神の恵みを受けたものとされ。パルシュナ教の一部とみなされている。

 そのため、四大国で邪教と呼ばれるものは、女神を否定する邪悪な存在を崇める――つまりは、邪神を崇める宗教を指す言葉となっている。

 旦那さんによれば、この "泉" では、邪神を神と呼び。女神を邪神と呼んで、パルシュナ教をさかんに否定し。町から連れて来られた人を、つぎつぎに改宗をさせているのだという。


 その説明を受けて、気になっていた話を思い出す。

「あの……旦那さん。もしかして、ここにいるのは全員が男性ですか?」

「そう。それも一家の大黒柱か、跡継ぎばかりだよ」

「まさか……、ひんぱんに起きている男の行方不明って……」

 お兄さんがつづきを口にすると、旦那さんが大きくうなずいた。


「ここに連れてこられた連中が、改宗して外に出ていくと、まずは家族を説得する。説得できなければ、家族を誘い出して町を出る。……キテナクスには神殿があるからね。邪教にとって、パルシュナ教こそが邪教ということさ。邪教から逃れて、家族を神の加護が受けられる場所に移す。どうも、ほかにも隠れ家もあるようなんだよ。改宗して家族を連れ出した連中は、みんなしてそっちに移動していってしまうんだ」

 静かな部屋で、お兄さんが喉を鳴らす音がやけに大きく聞こえた。

「……じゃあ、町に戻るには?」

「邪教に改宗するしかない。それができなければ、ずっと "泉" で暮らすはめになる」

 予測できていたとはいえ、旦那さんが出した答えは、うんざりとした気分を増幅させるものだった。

「あの、改宗したフリはできませんか?」

「 "泉" を管理している信者……志教と名乗っているのが六人いるんだけどね。連中、うそがわかるようなんだよ。神を信じたフリをして抜け出そうとした人もいたんだが、あっさりと見抜かれちまってねぇ……」


 お兄さんが両手で顔を(おお)い、そのまま卓に突っ伏した。「まじかよ、最悪じゃねえか……」という嘆きが、部屋にむなしく響く。

 しんと静まり返った部屋に、()れるような音が生まれた。

 緊張を高めながら音がする場所を見やると、そこで奇妙な現象が起きている。

 一瞬、自分の目が信じられなくなって瞬きをした。しかし、何度見ても壁が動いている。何だ何だと思っていたら、壁にぽっかりと穴が空いて、そこからあの混髪の男が出てきた。


「おお。無事だったかい!」


 八百屋のご主人が、うれしそうに混髪の男を迎え入れる。

 ふたりが親しげなのを確認して、お兄さんが浮かせていた腰を椅子に落とした。

 ご主人といっしょになって、卓の方へ歩いてきたその人に、「あの」と声をかける。

「さきほどは――」

 ありがとうございましたと言う前に、混髪の男が口を開いた。

「気にせずともいい。見ていられない性分なんだ。ご主人、こちらは?」

「そっちのはカイ。町の酒屋のせがれですよ。こっちはサミー。サミーは、うちの常連さんの甥っ子でね――そうだ、サミー。頼みごとがあるんだ」

「頼みごと、ですか?」

 聞き返したそのとき、だれもいなかった背中側から高めの声がした。

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