もぐら
怒声を浴びて、お兄さんが肩をすくめる。
小さくなった背中越しに、「最悪だ」とだけ聞こえてきた。
「水路にいったい何の用だ!!」
怒鳴っているのは、よりにもよって派手なマントを身にまとった兵士だった。顔が真っ赤になっているのは、寒さのせいだけではないだろう。
兵士のいきおいに飲まれ、言いよどんでいるお兄さんの代わりに口を開いた。
「掃除用具を取りに行くところです」
口から出ていった低い音を聞きながら、自分の態度に辟易としていた。
まったく、何としたことだろう。
男性の。それも兵士の怒鳴り声にもひるまず、堂々とうそを言ってのけてしまった。
年頃の娘としてどころか、人としてまずい。
里に上がってからというもの、強くなることを目指して努力を重ねてきた。しかし残念なことに、どこかで何かを間違えてしまったようだ。
でも、いまは緊急事態。
うそも方便である。
そんな風に考えてみても、うその塊を飲み下すのは大変で、喉が苦しく思えてならなかった。
「そ、そうです。ちょっと道の掃除をしようと……」
咄嗟についたうそに、お兄さんが乗っかってくれた。
しかし、兵士の赤い顔には、疑心がありありと浮かんでいる。その意志を汲んだのか、ふたりの部下らしき兵が、こちらに向かってこようと動きはじめた。
これはまずいかもと思っていたら、予想外の方向から救いの声が飛んできた。
「カイ! 掃除用具は大丈夫だ。店に入れたままだったようでな。もういいぞ、戻ってこい!!」
声がした方を振り返れば、橋の手前にある店から、男性が手招きしている。
「店主。こいつらは店の者か!?」
「へい、すみません。うちの若いのが紛らわしくて……。さあ、ふたりとも早く店に入れ。これ以上、お手間をかけさせちゃなんねえぞ!!」
怒った風の男性に、お兄さんが「すみません、旦那!」と返し、急ごうと腕をひっぱってきた。
お兄さんといっしょになって、小走りで店に入りこめば。旦那と呼ばれていた男性がすぐさま扉を閉め、自分たちに座っていいぞと声をかけてきた。
「……いや、助かりましたよ旦那さん」
「運が悪かったなあ、カイ。今日は客も少ないから、まあゆっくりしていきな」
入りこんだ店は、小さな茶店だった。
手前に小さな卓が、いくつかある。そのひとつをお兄さんが指差したので、お言葉に甘えて席についた。店主は酒屋のお兄さんとは親しいようで、料金も取らずに「寒かったろう」と熱いお茶を出してくれた。
熱い茶をすすりながら、店内を眺める。
店主の言うとおり、店に客の姿がない。奥の方に目隠しされた席があり、そこから人の気配がしていた。奥の席以外から、人の気配は出ていない。
普段なら、どの店も混みはじめる時刻。それにも関わらず、この茶店は閑古鳥が鳴いているようだった。
「こっちの子は?」
「ああ、うちを贔屓にしてくれているお客さんの親戚。神殿に手紙を出しに行きたいっていうから、いっしょに水路から抜けようと思ったんだけど……」
「水路も無理だよ。連中、今日はやたらとぴりぴりしているから。昨日から、兵士がひとり行方不明になっているそうなんだ。そいつを探しているんだろうねえ。検問が厳戒態勢で、蟻っこ一匹とおる隙もないよ」
行方不明という言葉を聞いて、ついお兄さんと顔を見合わせた。
「旦那さん。兵士の行方不明者って、この町で?」
「そうさ。派兵されてきたばかりの兵士が、見回りの最中に消えたらしいよ。そのせいで神殿まわりは兵士だらけだ。町の人間だけじゃなく、神官様も検問を潜らなきゃいけないって話になってね……ねえ?」
心底まいったという顔をした店主が、目隠しの向こうに話をふる。
店主の呼びかけに応じて出てきたのは、年若い神官だった。
身にまとっている祭服は桔梗色。この神官、年が若い割に、かなり高位であるらしい。
年の若さや、年齢にあわないほどの高位の祭服にも目をひかれた。
しかし、何よりも強く意識をひかれたのは神官のひたいだった。ひたいには、パルシュナの横顔を刻んだ銀の飾りがかかっている。そして、その飾りの下から、ちらちらとまばゆい光がもれていた。――この光は、間違いなく真眼だ。
真導士となれない民のなかにも、真眼を開いている者がいる。
予期せず開いてしまった者には、真力や真術を使わないよう、真眼を塞いでおく術具が与えられる。
悪用した過去がある者には、精霊が嫌う毒を真眼に注がれ、いくら真力を放っても真術は使えなくなる。
この両者以外で、真眼を開いている者はわずか。
その者たちには、それぞれにちゃんとした呼称が与えられていた。
神官で真眼を開いている者は、澪尾神官と呼ばれる。
シェルヴァとは、女神に付き従っていた精霊の名前。女神の信頼と寵愛を受け、神格を有しているため、神霊と称されることも多い。
神霊の名を頂く澪尾神官は、強い信仰心と才能、そして素晴らしい人格を持つ者に与えられる称号。
澪尾神官たちは、パルシュナ教会に属しているものの、それぞれが独自の活動している。
各地の神殿や教会を巡り。許された特別な力を行使することで、民を怪我や病から救う役目を負っているのだ。
この人は、間違いなく澪尾神官。真眼を術具で塞いでいないし、毒で光が濁ってもいない。
つまり――。
ひたいを隠している術具の下で、きつく真眼を閉じた。
わかっている。
いくら澪尾神官といっても、使える真術は少ない。しかも、その活動のほとんどを、真導士が造った術具に頼っている。力の差は歴然としている。
自分の真眼を隠している術具は、里の高士が造ったもの。目の前の神官には、この気配を察知するほどの力はない。
事実は、きちんと理解してはいる。けれど、緊張が身を固くする。
……何でだろう?
知られたくないだけなのに。
だれにもばれたくないだけなのに。
秘密を守ろうとすればするほど、呼吸が苦しくなってくる。自分を取り巻いている状況も、悪い方へ悪い方と転がっていっている気がしている。
間違えていないのに。
過ちなど犯していないはずなのに、どこかが軋んでいるような感覚があるのだ。
小さく呼吸を整えて、気配を鎮める。
この感覚が、ただの錯覚であってくれればいいけれど。
「こちらの神官様も、検問を抜けられずに困っておられたから、店にお招きしたんだよ」
「店主殿のご好意には、感謝をしています」
桔梗の祭服をまとった神官が、「よろしいですか?」と聞いてきたので、こくりとうなずいた。
「神官様も抜けられないとは……。まさか、祭服を脱げと?」
「ええ。神殿以外での祭服の着脱は許されていないのですが、どうしてもと……」
「いやいやいや。神官様にそんなこと言うのが無茶だ。神殿以外で祭服を脱げないなんて、洗礼を受けたやつならだれでも知っていることでしょう」
お兄さんから「なあ?」と話をふられたので、これにも素直にうなずいた。
「仕方がないことです。行方不明者と言えば一大事ですし、彼らにもお役目がありますから」
年若い神官の話によると、昨夜までは、神官なら無条件で祠を通ることができたらしい。
近辺の町で、流行病が発生していて、医者と薬が不足している。
助けになればと出かけていったものの、手持ちの薬が底をついた。
薬を取りに戻った仲間がいたが、待てど暮せど帰ってこない。どうしたことかと様子を見に戻り。この検問騒動に巻き込まれたという。
「もうひとりの澪尾神官は、神殿に姿がありませんでした。行商人相手に薬を探しているのかと思い、町に下りてみたのですが……」
人出が多く、とても探しきれなかった。
そのうえあまりの人混みで、神殿に戻ろうとしても戻ることができなくなってしまったと、疲れたように語る。
「行方不明に流行病に……何だか今年は大変ですねえ」
「冬になれば、何かしらの病気は流行ります。どうやら今年は皮膚病ですね。皮膚病は、薬が合えば治りが早い。しかしながら、今年の皮膚病はめずらしい症状でして。できるなら一度王都に帰って、医療庁や医薬局にあたりたいところですが……」
仲間は、もしかしたら王都に帰ったかもしれない。しかし、検問で情報と道が途切れてしまって困っている。肩を下げた神官に、店主がお茶をついだ。
若い神官が、淹れたてお茶に手をかけると、店の奥――目隠しがある方で、重い音がした。
音を聞いてはっと顔をあげた店主が、あたふたと奥へ駆けていった。
それを見て、あわてたように腰を浮かせたお兄さんは、なぜか自分と神官とを交互に見やる。その顔には、露骨なあせりが浮かんでいて、どうしたんだろうと疑問がわいた。
「あ、あんた。どうしたんだ、いったい」
ついさっきまでおだやかなだった店主が、だれかに声を荒げている。
これはますますおかしい。だって、店にはもう人がいないはずだ。
見た感じ、ほかに人影はなかった。人の気配がないことも、真眼を開いているときに確認した。いったい店主は、だれと話をしているのだろう?
店主とお兄さんのあわてぶりをよそに、奥にあらわれただれかが、陽気な声を出した。
「わるいわるい、急な連絡だったものでね。ついさっき商店会で、 "もぐら" を使っていいという許可が出たんだ」
店主といっしょに奥から出てきた男は、神官と自分の姿を見て、げっという顔をした。
「お客がいたのか」
男の言葉には、いてはならなかったという響きがふくまれていて、居心地が一気に悪くなる。
そんな場の状況を察したのか、神官が遠慮しながら申し出た。
「もしお邪魔なようでしたら、店から出ていましょう。お話が終わりましたらお声がけください。淹れてくださったお茶が残っていますし、代金もお支払いしていませんから」
自分もそうした方がいいのかなと考え、神官といっしょに出ていようと席を立ったとき、店主が大丈夫ですよと声をかけてきた。
「……神官様は、この町に通って長いお方だ。聞かれても問題ないだろう」
「でも、あっちの子は?」
「サミーも大丈夫だ。ロイノエル山にある刀剣屋。あの店の旦那を、あんたも知っているだろ? この子は、あの旦那の甥っ子さ。町の者と呼んでかまわないって」
ふたりの発言で、決着がついたらしい。
店主が神官と自分に、こちらへ来て欲しいというような手招きをする。
男もお兄さんも、それを止めるそぶりがない。本当に大丈夫なようだと理解して、神官のうしろにくっつきながら、目隠しの奥へ入る。
「こいつが、いま話していた "もぐら" です」
そういって店主が指差したのは、床に空いた穴だった。板張りの床に空けられた穴に、はしごの先端が見えている。
「よその者には、口外なさらないでください。こいつは古い坑道跡でしてね。町の連中も、普段なら使わないものなんですよ」
キテナクスの "もぐら" は、古い商店を地下で繋いでいる。
十年ほど前まで、山賊が町の近くに根城をはっていた。キテナクスが安心して暮らせるようになったのは、いまの領主になってからの話。それ以前は、山賊の襲来があるたび、町の人々は "もぐら" に潜んでやり過ごしていた。
「いまとなっちゃ、ほとんど使っていません。なかの手入れもしていない。町の連中も、自分の家から伸びているいくつかの道を知っているだけです」
"もぐら" に地図はない。
そのうえ、あちこちに落盤跡がり、いつ崩れるかわからないような坑道もある。危なくて調査に入れないから全容の把握をあきらめているそうだ。
「あっしも、もう何年も入っていませんがね。商店会の許可が出たなら、入るのを止めるつもりもない。 "もぐら" を使えば、神殿近くの商店に出られますよ。なあに、心配はいりません。 "もぐら" を通ってきたら、だれも拒まない。その店の者が、うまいこと外に出してくれます」
お兄さんの顔を見たら、まかせろというように胸を叩いた。
「この店からだったら、オレも道がわかる。うちの店までいけば、もう検問には引っかからないぞ」
お兄さんが言えば、 "もぐら" を通ってきたばかりの男が、ちょっとまてと口を挟んできた。
「カイ。途中で崩れそうな道があった。遠回りになるが、うちの店から行こう」
男の提案に、お兄さんが「そうかい、助かるよ」と返し。そのまま一番にはしごを下りていった。すぐ出発すると理解して、大急ぎで財布を出したら、店主がいらないよと手をふった。
「よければ、今度はお客としてきておくれ。いい茶菓子を仕入れておくからね」
気をつけてお行きとの言葉を受け取り、自分もはしごを下っていく。
けっこうな高さを下りて、ようやく "もぐら" に足をつけたその瞬間、身体の奥から幼子の声がしたようだった。
内側に棲まう幼子に対し、少し待っていてと念じ、さらにきつく真眼を閉じる。
胸のざわつきと抑えながら見上げてみれば、坑道から来る風に吹かれて、桔梗の祭服が大きくはためいていた。