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真導士サキと空白の地 セレンピア  作者: 喜三山 木春
第一章 禁秘の泉
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もぐら

 怒声を浴びて、お兄さんが肩をすくめる。

 小さくなった背中越しに、「最悪だ」とだけ聞こえてきた。

「水路にいったい何の用だ!!」

 怒鳴っているのは、よりにもよって派手なマントを身にまとった兵士だった。顔が真っ赤になっているのは、寒さのせいだけではないだろう。

 兵士のいきおいに飲まれ、言いよどんでいるお兄さんの代わりに口を開いた。


「掃除用具を取りに行くところです」


 口から出ていった低い音を聞きながら、自分の態度に辟易(へきえき)としていた。

 まったく、何としたことだろう。

 男性の。それも兵士の怒鳴り声にもひるまず、堂々とうそを言ってのけてしまった。

 年頃の娘としてどころか、人としてまずい。

 里に上がってからというもの、強くなることを目指して努力を重ねてきた。しかし残念なことに、どこかで何かを間違えてしまったようだ。


 でも、いまは緊急事態。

 うそも方便である。


 そんな風に考えてみても、うその塊を飲み下すのは大変で、喉が苦しく思えてならなかった。

「そ、そうです。ちょっと道の掃除をしようと……」

 咄嗟についたうそに、お兄さんが乗っかってくれた。

 しかし、兵士の赤い顔には、疑心がありありと浮かんでいる。その意志を汲んだのか、ふたりの部下らしき兵が、こちらに向かってこようと動きはじめた。

 これはまずいかもと思っていたら、予想外の方向から救いの声が飛んできた。


「カイ! 掃除用具は大丈夫だ。店に入れたままだったようでな。もういいぞ、戻ってこい!!」

 声がした方を振り返れば、橋の手前にある店から、男性が手招きしている。

「店主。こいつらは店の者か!?」

「へい、すみません。うちの若いのが紛らわしくて……。さあ、ふたりとも早く店に入れ。これ以上、お手間をかけさせちゃなんねえぞ!!」

 怒った風の男性に、お兄さんが「すみません、旦那!」と返し、急ごうと腕をひっぱってきた。

 お兄さんといっしょになって、小走りで店に入りこめば。旦那と呼ばれていた男性がすぐさま扉を閉め、自分たちに座っていいぞと声をかけてきた。


「……いや、助かりましたよ旦那さん」

「運が悪かったなあ、カイ。今日は客も少ないから、まあゆっくりしていきな」

 入りこんだ店は、小さな茶店だった。

 手前に小さな卓が、いくつかある。そのひとつをお兄さんが指差したので、お言葉に甘えて席についた。店主は酒屋のお兄さんとは親しいようで、料金も取らずに「寒かったろう」と熱いお茶を出してくれた。


 熱い茶をすすりながら、店内を眺める。

 店主の言うとおり、店に客の姿がない。奥の方に目隠しされた席があり、そこから人の気配がしていた。奥の席以外から、人の気配は出ていない。

 普段なら、どの店も混みはじめる時刻。それにも関わらず、この茶店は閑古鳥が鳴いているようだった。


「こっちの子は?」

「ああ、うちを贔屓(ひいき)にしてくれているお客さんの親戚。神殿に手紙を出しに行きたいっていうから、いっしょに水路から抜けようと思ったんだけど……」

「水路も無理だよ。連中、今日はやたらとぴりぴりしているから。昨日から、兵士がひとり行方不明になっているそうなんだ。そいつを探しているんだろうねえ。検問が厳戒態勢で、蟻っこ一匹とおる(すき)もないよ」


 行方不明という言葉を聞いて、ついお兄さんと顔を見合わせた。

「旦那さん。兵士の行方不明者って、この町で?」

「そうさ。派兵されてきたばかりの兵士が、見回りの最中に消えたらしいよ。そのせいで神殿まわりは兵士だらけだ。町の人間だけじゃなく、神官様も検問を(くぐ)らなきゃいけないって話になってね……ねえ?」

 心底まいったという顔をした店主が、目隠しの向こうに話をふる。

 店主の呼びかけに応じて出てきたのは、年若い神官だった。

 身にまとっている祭服(さいふく)桔梗(ききょう)色。この神官、年が若い割に、かなり高位であるらしい。

 年の若さや、年齢にあわないほどの高位の祭服にも目をひかれた。

 しかし、何よりも強く意識をひかれたのは神官のひたいだった。ひたいには、パルシュナの横顔を刻んだ銀の飾りがかかっている。そして、その飾りの下から、ちらちらとまばゆい光がもれていた。――この光は、間違いなく真眼だ。


 真導士となれない民のなかにも、真眼を開いている者がいる。

 予期せず開いてしまった者には、真力や真術を使わないよう、真眼を塞いでおく術具が与えられる。

 悪用した過去がある者には、精霊が嫌う毒を真眼に注がれ、いくら真力を放っても真術は使えなくなる。

 この両者以外で、真眼を開いている者はわずか。

 その者たちには、それぞれにちゃんとした呼称が与えられていた。


 神官で真眼を開いている者は、澪尾神官(シェルヴァ)と呼ばれる。

 シェルヴァとは、女神に付き従っていた精霊の名前。女神の信頼と寵愛を受け、神格を有しているため、神霊(しんれい)と称されることも多い。

 神霊の名を頂く澪尾神官(シェルヴァ)は、強い信仰心と才能、そして素晴らしい人格を持つ者に与えられる称号。

 澪尾神官(シェルヴァ)たちは、パルシュナ教会に属しているものの、それぞれが独自の活動している。

 各地の神殿や教会を巡り。許された特別な力を行使することで、民を怪我や病から救う役目を負っているのだ。

 この人は、間違いなく澪尾神官(シェルヴァ)。真眼を術具で塞いでいないし、毒で光が濁ってもいない。

 つまり――。


 ひたいを隠している術具の下で、きつく真眼を閉じた。

 わかっている。

 いくら澪尾神官(シェルヴァ)といっても、使える真術は少ない。しかも、その活動のほとんどを、真導士が造った術具に頼っている。力の差は歴然としている。

 自分の真眼を隠している術具は、里の高士が造ったもの。目の前の神官には、この気配を察知するほどの力はない。

 事実は、きちんと理解してはいる。けれど、緊張が身を固くする。


 ……何でだろう?

 知られたくないだけなのに。

 だれにもばれたくないだけなのに。

 秘密を守ろうとすればするほど、呼吸が苦しくなってくる。自分を取り巻いている状況も、悪い方へ悪い方と転がっていっている気がしている。

 間違えていないのに。

 過ちなど犯していないはずなのに、どこかが(きし)んでいるような感覚があるのだ。


 小さく呼吸を整えて、気配を鎮める。

 この感覚が、ただの錯覚であってくれればいいけれど。


「こちらの神官様も、検問を抜けられずに困っておられたから、店にお招きしたんだよ」

「店主殿のご好意には、感謝をしています」

 桔梗の祭服をまとった神官が、「よろしいですか?」と聞いてきたので、こくりとうなずいた。

「神官様も抜けられないとは……。まさか、祭服を脱げと?」

「ええ。神殿以外での祭服の着脱は許されていないのですが、どうしてもと……」

「いやいやいや。神官様にそんなこと言うのが無茶だ。神殿以外で祭服を脱げないなんて、洗礼を受けたやつならだれでも知っていることでしょう」

 お兄さんから「なあ?」と話をふられたので、これにも素直にうなずいた。

「仕方がないことです。行方不明者と言えば一大事ですし、彼らにもお役目がありますから」




 年若い神官の話によると、昨夜までは、神官なら無条件で(ほこら)を通ることができたらしい。

 近辺の町で、流行病(はやりやまい)が発生していて、医者と薬が不足している。

 助けになればと出かけていったものの、手持ちの薬が底をついた。

 薬を取りに戻った仲間がいたが、待てど暮せど帰ってこない。どうしたことかと様子を見に戻り。この検問騒動に巻き込まれたという。


「もうひとりの澪尾神官(シェルヴァ)は、神殿に姿がありませんでした。行商人相手に薬を探しているのかと思い、町に下りてみたのですが……」

 人出が多く、とても探しきれなかった。

 そのうえあまりの人混みで、神殿に戻ろうとしても戻ることができなくなってしまったと、疲れたように語る。

「行方不明に流行病に……何だか今年は大変ですねえ」

「冬になれば、何かしらの病気は流行ります。どうやら今年は皮膚病ですね。皮膚病は、薬が合えば治りが早い。しかしながら、今年の皮膚病はめずらしい症状でして。できるなら一度王都に帰って、医療庁や医薬局にあたりたいところですが……」

 仲間は、もしかしたら王都に帰ったかもしれない。しかし、検問で情報と道が途切れてしまって困っている。肩を下げた神官に、店主がお茶をついだ。


 若い神官が、淹れたてお茶に手をかけると、店の奥――目隠しがある方で、重い音がした。

 音を聞いてはっと顔をあげた店主が、あたふたと奥へ駆けていった。

 それを見て、あわてたように腰を浮かせたお兄さんは、なぜか自分と神官とを交互に見やる。その顔には、露骨なあせりが浮かんでいて、どうしたんだろうと疑問がわいた。


「あ、あんた。どうしたんだ、いったい」

 ついさっきまでおだやかなだった店主が、だれかに声を荒げている。

 これはますますおかしい。だって、店にはもう人がいないはずだ。

 見た感じ、ほかに人影はなかった。人の気配がないことも、真眼を開いているときに確認した。いったい店主は、だれと話をしているのだろう?


 店主とお兄さんのあわてぶりをよそに、奥にあらわれただれかが、陽気な声を出した。

「わるいわるい、急な連絡だったものでね。ついさっき商店会で、 "もぐら" を使っていいという許可が出たんだ」

 店主といっしょに奥から出てきた男は、神官と自分の姿を見て、げっという顔をした。

「お客がいたのか」

 男の言葉には、いてはならなかったという響きがふくまれていて、居心地が一気に悪くなる。

 そんな場の状況を察したのか、神官が遠慮しながら申し出た。

「もしお邪魔なようでしたら、店から出ていましょう。お話が終わりましたらお声がけください。淹れてくださったお茶が残っていますし、代金もお支払いしていませんから」

 自分もそうした方がいいのかなと考え、神官といっしょに出ていようと席を立ったとき、店主が大丈夫ですよと声をかけてきた。

「……神官様は、この町に通って長いお方だ。聞かれても問題ないだろう」

「でも、あっちの子は?」

「サミーも大丈夫だ。ロイノエル山にある刀剣屋。あの店の旦那を、あんたも知っているだろ? この子は、あの旦那の甥っ子さ。町の者と呼んでかまわないって」


 ふたりの発言で、決着がついたらしい。

 店主が神官と自分に、こちらへ来て欲しいというような手招きをする。

 男もお兄さんも、それを止めるそぶりがない。本当に大丈夫なようだと理解して、神官のうしろにくっつきながら、目隠しの奥へ入る。


「こいつが、いま話していた "もぐら" です」

 そういって店主が指差したのは、床に空いた穴だった。板張りの床に空けられた穴に、はしごの先端が見えている。

「よその者には、口外なさらないでください。こいつは古い坑道跡でしてね。町の連中も、普段なら使わないものなんですよ」


 キテナクスの "もぐら" は、古い商店を地下で繋いでいる。

 十年ほど前まで、山賊が町の近くに根城をはっていた。キテナクスが安心して暮らせるようになったのは、いまの領主になってからの話。それ以前は、山賊の襲来があるたび、町の人々は "もぐら" に潜んでやり過ごしていた。

「いまとなっちゃ、ほとんど使っていません。なかの手入れもしていない。町の連中も、自分の家から伸びているいくつかの道を知っているだけです」


  "もぐら" に地図はない。

 そのうえ、あちこちに落盤跡がり、いつ崩れるかわからないような坑道もある。危なくて調査に入れないから全容の把握をあきらめているそうだ。


「あっしも、もう何年も入っていませんがね。商店会の許可が出たなら、入るのを止めるつもりもない。 "もぐら" を使えば、神殿近くの商店に出られますよ。なあに、心配はいりません。 "もぐら" を通ってきたら、だれも拒まない。その店の者が、うまいこと外に出してくれます」

 お兄さんの顔を見たら、まかせろというように胸を叩いた。

「この店からだったら、オレも道がわかる。うちの店までいけば、もう検問には引っかからないぞ」

 お兄さんが言えば、 "もぐら" を通ってきたばかりの男が、ちょっとまてと口を挟んできた。

「カイ。途中で崩れそうな道があった。遠回りになるが、うちの店から行こう」

 男の提案に、お兄さんが「そうかい、助かるよ」と返し。そのまま一番にはしごを下りていった。すぐ出発すると理解して、大急ぎで財布を出したら、店主がいらないよと手をふった。

「よければ、今度はお客としてきておくれ。いい茶菓子を仕入れておくからね」


 気をつけてお行きとの言葉を受け取り、自分もはしごを下っていく。

 けっこうな高さを下りて、ようやく "もぐら" に足をつけたその瞬間、身体の奥から幼子の声がしたようだった。

 内側に()まう幼子に対し、少し待っていてと念じ、さらにきつく真眼を閉じる。

 胸のざわつきと抑えながら見上げてみれば、坑道から来る風に吹かれて、桔梗の祭服が大きくはためいていた。

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