おだやかだった朝
「今日の飯も美味かったのう。お前が来てからというもの、何かと楽で助かる」
弟子を取ってよかったと、ご満悦な師父を横目に、せっせと卓をふく。
先生の様子は、まったくいつもどおり。今日もこのまま、だらだらと過ごすつもりのようだ。
ちなみに、わが師父は「師匠」と呼ばれるのが苦手であるらしい。呼ばれるだけで、こそばゆいとぶつぶつ言っていた。
仕方なく、ふたりして呼び名を考えて、どうにか「先生」でおさまった。
聞けば先生は、つい先日令師になったばかりなんだとか。つまり、先生にとって、自分が初めての弟子というわけである。
……ふむ。もしかしたら先生は、修行のはじめ方がわからないのかもしれない。
どんなことでも、初めてがある。そして、初めて行なうことには戸惑いがつきもの。
もしやそのせいで、何日も普通の生活をさせられているのだろうか。そうだとしたら、ここは弟子である自分から申し出たほうが、ことが運ぶのではなかろうか?
よし、言おう。
今日こそ絶対に、修行をはじめてもらうのだ。
食後の茶を淹れて、いそいそと卓まで舞いもどる。
予想していたとおり。先生は、すでにだらだらとした雰囲気を出しはじめている。毎日毎日、飽きることなくぼんやりと過ごして……本当におじいさんみたいだ。
「先生」
「何だ。洗濯物は、もう桶につっこんでおいたぞ」
「ありがとうございます。あとで洗っておきます。……先生、話があるのですが」
「どうした?」
のほほんとした返事を出した師父を、真正面から見つめる。
謎が多いこの人と話していると、ときおり妙になつかしい気分にさせられる。ここに来る以前に会ったことはないのに、知っているような気がしてしまうのだ。
このお年寄りっぽさが、いまは消えてしまった故郷の村を思い出させるからか。
ああ、いけない。
なつかしんでいる場合ではなかった。
のらくらとした師父を動かすには、婉曲な言い回しではだめだ。ここはひとつ、はっきりと伝えなければ。
「先生、修行がしたいです」
「修行?」
「そうです修行です。わたし、修行がしたいんです」
「それはまた、何ゆえに」
何ゆえ?
そんなの決まっているではないか。自分は導士だ。真導士の見習いなのだ。
知らない真術だってたくさんあるし、覚えたい真術も山ほどある。それに多重真円だって描けない。冬があけて春になれば高士となる。高士となる前に、まだまだ成長する必要がある。
「何ゆえって、わたしは修行しに来ているのですよ? 先生のお世話をしに、派遣されてきているのではありません。何もしないでいたら、令師領まで来た意味が、まったくありません」
「意味……か。意味がなければ困るのか」
「当たり前です! 春になったら高士になります。高士ならみんな多重真円が描けて、転送が使えると聞きました。だから、わたしもちゃんと覚えたいのです」
「多重真円と転送。なるほどのう。学びたいのはそれだけか?」
「……ほかにもあると思いますが、知っているのはそれだけです。ほかの真術は、師匠が教えてくれるものではないのですか?」
「そこらへんは、人によりけりだの」
先生はそれだけ言うと、「よっこらしょ」と立ちあがり、仕事場へ入っていってしまった。
これはまずい。逃げられては大変だ。
やっと師匠と弟子らしい会話に持ちこめたのに。この機を逃してなるものか。
「人によりけりでかまわないので、先生の場合を教えてください」
「まだ決めておらんなあ」
「そんな、困ります。修行がはじめられないので、いますぐ決めてください!」
強く言えば「いますぐか」なんて返事をして、頭をかきながら笑う。
本当に本当に困った人だ。
どこまで、のほほんとしているのだろう。
もう、これ以上あと回しにされたくはない。決意を胸に、両手を腰に当てて、逃しませんよという顔をつくる。
「何だ何だ、そんなにかっかして。そう怒らんでもよかろうに」
「怒りますよ! この調子ではすぐに春がきてしまいます。わたしは外勤になりたいので、真術をたくさん覚えたいのです!」
「外勤? そんな面倒くさいものを目指さんでも、こつこつ輝尚石を造っていてもいいのだぞ?」
輝尚石を作っていれば、里に対しての最低限の義務を果たせる。内勤も外勤も希望しない人は、里に居住申請書を提出し。好きな場所に定住しながら、輝尚石を造って生活していると聞いた。
でも、それではだめだ。自分は――いいや、自分たちは旅がしたいのだ。
頻繁な移動が可能なのは、高士のなかでも外勤に属する人だけ。そして外勤となるには、最低でも多重真円と転送を覚えていなければいけない。そうでないと、外勤の任務が回ってこない。
春になったら旅をしたいと相談したとき、正師からそう説明された。だから、このふたつは絶対に習得したいのだ。
それに――。
のほほんとした師父は、弟子のあせりなど、まったく意に介する様子もなく。一本の大剣を手にして、作業台に置いた。
「わかったわかった。朝のうちに考えておくから待っておれ」
適当な返事に「お願いしますよ!」と念を押して。腰に当てていた両手をおろした。
……ふむ、いかに適当であっても言霊は言霊。真導士が「考えておく」と言ったなら、ちゃんと「考えておく」はずだ。
そうとくれば、午後から修行にとりかかれるよう、仕事を早めに終わらせておこう。
急げ急げと自分を追い立てて、仕事をどんどん消化していく。
食器を洗って。謎の汚れにまみれた先生の服と靴を洗って。ばたばたと居間の掃除までして。最後に先生が放り出したままの新報書を手にとった。
新報書は、真導士の里の機密だ。
こんな風に放っておいてはいけない。
角をそろえ。きれいにたたみ直してから新報書入れにもどす。
もどす前に、表紙に書かれている "真導士の十戒" を黙読することも忘れない。
"真導士の十戒" の黙読は、真導士にとって、とてもだいじなお勤めである。
「高士に上がれば、だーれもやらなくなるぞ」とか。「第一部隊では、改変された十戒で、笑いを取っている」なんて話も聞いたけれど、修行中の導士には必要なことなのである。
ひと通りの仕事とお勤めを終えて、いったん自室にひっこんだ。
修行がはじまるとなれば、必要な身支度がある。
割り当てられた自室は、里で住んでいた家よりも広い。窓が小さいのがちょっと気になるくらいで、暮らすのにはいい部屋だ。
寝床も大きいし、毛布もかけ布団もふかふかで、とてもあたたかい。大きな収納がいくつもあるから、物があふれることもない。
備えつけてあるものは、好きに使っていい。必要なものがあれば、勝手に買ってきてもいい。もし金が足りなければ相談するように――なんて言われたので、ありがたく、好き勝手使わせてもらっている。
師父から自室をあたえられ、まっさきに買い足したのが、男物の冬服と外套。それから、雪国仕様の分厚い服たちをしまうための、大きな箪笥である。
町で見つけてきた真新しい箪笥。その横にしゃがみこんだとき、ことりという音がした。暖炉の前で昼寝をしていたジュジュが、扉に作ってもらった専用の出入口から戻ってきたのだ。
どうやら、人気がなくなって、さみしくなったらしい。
意外や意外。ジュジュは、先生には人見知りをしない。
この子のために、出入口を作ってくれたり。食料庫にあったという玩具を出してくれたり。寝床を整えてくれたりと、それなりの対応をしてもらえたおかげだと思う。
なつくほどではないにしろ、いっしょに住むことには抵抗がない様子だ。
自分にとってもジュジュにとっても、この家はたいそう居心地がいい。
近くにあるキテナクスの町は治安もよく、住んでいるのは親切な人ばかり。町までいく途中には、小さなテント村があり。そこに住む同じ年頃の娘とは、さっそく仲良くなれた。
この恵まれた修行生活における問題といえば、師父が派手に汚すことと、修行をしていないことくらいなのだ。
平穏すぎるほど平穏な師父との暮らし。そんな暮らしのなかにも、ひとつだけ重要な規則がある。
あちこちに輝尚石が配置されていても、この家自体は、真術で造ったものではない。つまり、だれにでも扉が開けられる無防備な状態なのだ。
そういうわけで、家にはもしものときの泥棒対策がしてある。その対策というのが、箪笥の横においてある、この大きな木箱なのだ。
見るからに無骨なこの木箱には、強固な真術がかかっていた。隠匿で覆われていても、強い力を発しているのはしかと感じ取れる。この力は、木箱の中身を盗まれないための、堅牢な守りなのである。
真導士が持つ品のなかで、絶対に民に盗まれてはいけないもの――それは術具だ。
真術が籠もっているものは、民の手にわたさない。
民の手にわたる術具は、正規の流れに則って配布されたもののみ。癒しや守護、浄化などのだれも傷つけない真術が主。
炎豪のように、傷つける恐れがある真術であっても。指でつついて展開したときは、小さな力しか出さないように条件付けして籠められている。
この条件から外れた術具は、民の手に渡してはいけない。とくに、真導士が実戦に用いる術具の流出は厳禁とされている。
そのため「念には念を」という前置きがありつつも、この木箱を使用するよう、師父から言いつけられていた。
真眼から真力を出し、腕にぐっと力を入れて、木箱を開ける。蓋があいた途端、真術の香りと、特有の気配が周囲に満ちた。
その気配に包まれただけで、胸がさわぎだす。
革袋にしまいこんだ輝尚石から、海の気配がしている。木箱の説明を受け。里からもってきた術具を出すように言われて、この革袋を師父に手渡したとき。言いようのない恥ずかしい気分になった。
べつに読心術をかけられたわけでもないのに、気持ちを読まれているように思えて、ついそわそわとしてしまったのだ。
(いくらお前が年頃の娘といっても、不測の事態があれば、師父として部屋に立ち入ることになる。見られたくないもの、触られたくないものがあれば、木箱のなかに入れておけ)
忠告にしたがって、しまっておいた大切な輝尚石。
その隣には、畳んで入れた真導士のローブがあった。今日こそ、短い自慢の羽を身につけることになりそうだ。念には念をいれて、ローブのボタンとほつれをたしかめる。
よし、大丈夫……とうなずいて。今度は、箪笥へと足を向けた。
里からもってきた鎮成の術具。これは普段、身につけていなかった。
籠められている真術を、できるかぎり節約したいというのがその理由だ。
家事で使う真術は、すべて輝尚石経由。
輝尚石の真術なら、念じるだけで放てる。だから、鎮成を身につけていなくても、普通の生活をするだけなら問題ない。
隠していた術具を、こそこそ取り出す。
革袋から出したのは、アンバーとゼニールの飾り。ふたつの飾りに籠められているのは鎮成と隠匿。
青銀の真導士が、出立前に籠め直してくれたものだ。しっかり籠めてくれたから、節約しながら過ごせば、春まではもってくれるはず。
ついでに、隠匿を強化してくれていた。手首に通しただけでは、自分でも真術を感知できないほどになっている。
これなら術具だとばれないはず。しかし、物が物だ。厳重に隠しておく必要がある。
……ふむ、よかった。
ふたつとも、ちゃんとある。場所も動いていないから、とくに触られたわけでもなさそうだ。
本当は、先生の目がなくなってから木箱にしまおうかとも思った。けれども、結局入れること自体をやめてしまった。
もし木箱に術具を入れたら、この真術を感知されるのでは――と、勘ぐってしまい、入れるのが怖くなったためだ。
木箱に籠められている真術を判別できない以上、少しでも不安が残るような危ない橋はわたれなかった。
だって、先生は木箱に入れる輝尚石の種類をたしかめていた。袋から中身を取り出すまではしなかったけれど、真術の種類は調べていただろう。
仮に先生が蠱惑で、隠匿を探せたなら、疑問に思われるに決まっている。
なぜ、こんなに真力の低い真導士が、 "鎮成の陣" を必要とするのか?
どうして、導士ではあつかえないはずの "隠匿の陣" が籠められているのか?
自分に不釣合いな真術だ。疑問に思わないはずがない。
"青の奇跡" 。
これについては、絶対に知られてはならない。
青について里の外で言及しないよう、サガノトスの真導士全員に、禁術がかけられたと聞きおよんだ。
しかし、自分には禁術がかかっていない。慧師が、 "青の奇跡" は禁術で制御できないと判断したためだ。
(サキよ。 "青の奇跡" について、だれにも口外してはならない。虹霓神祇官に認められ。神具に愛され。 "邪神の骨" をも滅する力だ。里の外に知られれば、間違いなくお前の身が危うくなる。春になり、里に戻ってくるまで、断固として秘密を守り通すのだ。よいな――)
巣立ちを前に、親鳥から受けた忠告。
日々、思い出しては胸にきつく刻んでいる。
そう、自分はだれよりも気をつけなければならない。
禁術に頼れない以上、自分の意志だけで秘密を守ることになるからだ。
断じて、師父を疑っているわけではない。先生が悪い人だなんて、かけらも思っていない。
それでも、この言いつけだけは、絶対に守り抜くのだ。
親鳥たちの。そして、自分のために言葉を封じた、里のみんなの気持ちに応えるためにも。
絶対に守り抜かなければならない。