明かされた力
簡単な夕食をとってから、師父とふたりで家を出た。
空には、厚い雲がかかっている。明日は、また雪が降りそうだ。
厳寒の夜。
普通なら、家を出るなどもってのほかだろう。
しかし、自分たちにはかえって都合がいい。いくら山奥であっても、人目を警戒するに越したことはないからだ。
はじめて袖を通した "修練ローブ" 。ちょっと心配していたけれど、とくにしわがあるわけでもなく、真術もしっかりかかっている。
やっと手にした、真っ白でまっさらな短い羽。
まさに下ろしたてといった感じのローブなのに、袖を通したとき、覚えのあるぬくもりを感じた。
あれから。
温泉に入ってから、師父に "救援札" について報告を済ませ。そのまま課題の回答を伝えた。
どのような形でもいい。
そう伝えられていた課題の答えは、簡素にも言葉で示した。
買ってきてくれた夕飯を、二人でつつきながらの会話。思った以上に長くなった話を終えるまで、先生はひとことも口を挟まなかった。
当初、考えていたものとは、まったくちがう形となった回答。
真力でもなく、真術でもない。そんな回答こそが、どうやら師父が望んでいたものだったようだ。
今日一日で、何度も抱いた後悔は、ぐうたらな師父から出された「よし」というひとことによって、きれいさっぱり消えていった。
今日、町に行ってよかった。
邪教の "泉" に捕らわれて、本当によかった。
あの出来事がなければ、この答えにはたどりつけなかった。これぞまさに、女神の導きである。
母なるパルシュナに感謝をしながら、前を行く、ぐうたらでずぼらで適当な師父のうしろ姿を、ちらと見やった。
先生も、きちんとローブを羽織っている。
ローブを着ているところなんて、初めて見た。密かに心配していたけど、先生は本当にちゃんとした令師だったらしい。
令師のローブの長さは、慧師や正師と同じ。
でも、ひとつだけ大きくちがうところがある。ローブの背中に、銀色の紋が入れられているのだ。
見た感じ、 "空白の地" の紋とはちがう。どうやらこれが、噂に聞く "令師紋" のようだ。
「 "救援札" の件だがの」
まじまじと師父の紋章を見ていたら、安心して意識からすっかり外れていた話が返ってきた。
「キテナクスにサガノトスの高士が派遣され、しかと対応するとの連絡がきた」
結局、最後の最後まで内容はわからなかったけれど、どうやら自分はニーザス神官を助けられたようだ。
女神の忠実な使いを助けられて、心底ほっとした。
自分がもっとうまく立ち回っていればとの思いがある分、救われて欲しいと強く願う。
「お前、ずいぶんと息があがっているのう」
考え事をしつつ、道なき雪道を歩いていると。師父が笑い混じりに、こんなことを言ってきた。
体力が無さ過ぎる。もっと肉を食って、しっかり動けとの助言に、ぜいぜいしながら反論する。
「先生が……あり過ぎるのです…………」
世の娘はこんなものだ。むしろ、自分は元気な方だ。
そう付け加えようとしたら、お説教の矛先が急所をついてきた。
「そんな風では、外勤としてやっていけぬぞ。真導士の任務といっても、外勤は体力勝負なところがあるからの」
こう言われては黙るしかない。
そうなのか。外勤って体力が必要なのか。
外勤の仕事と言われて思いつくのは、魔獣と戦ったり、不届き者を追いかけたりというもの。体力勝負と言われれば、たしかにそうかもしれない。
お肉……、保冷庫にあったかなと思い浮かべていたら、周囲の景色が変わりはじめた。
「先生、どこまで行くのですか?」
もうかなり山奥に入っている。
そもそも、山の奥深くに家がある。その家から、さらに奥へ奥へと進んできた。
こんなに遠くまで来たのに、まだ目的地につかない。
先生は、どこまで行こうとしているのか。
疑問に思って口を開いたら、「べつに取って食おうというわけではない」と、なだめるような返答がきて。そのあと、こんな指示が出された。
「サキよ。そろそろ真眼を開いておけ」
前を行く師父の声が、くぐもって聞こえる。
何もかもが聞こえづらいのは、音が雪に吸収されているせい。それを思い出して、なるべく大きな声で聞き返す。
「真眼を開いても大丈夫なのですか?」
「星も見えぬし、足元も不安定だ。それにの、この先は場が視えていないと迷う」
迷うとは――と言おうとした矢先、世界が一気に光り輝いた。
その場があまりにまぶしくて、真眼を開いているのがむずかしい。
あふれる白い輝きに苦戦していると、どこか楽しげな師父の声がした。
「おどろいたか」
その声には、とっておきの秘密を披露したような、えも言われぬ満足感が含まれていた。
真眼から真力を放ち、周囲に意識を合わせる。
入りこんだ場に真眼がなじんだとき、真っ先に視えたのは、大気を流れる愛しい精霊たちだった。
「先生、ここは――?」
精霊たちをとらえた目が、つぎに認識したのは、光り輝くたくさんの樹々。
星明かりすらない闇夜に、突如として出現した光る樹木たち。その姿が神々しくて、思わず見惚れてしまう。
呆気にとられた弟子を確認して、師父が場の説明をはじめる。
「 "真木" の山林というやつだの。ここらに生えている樹木は、軒並み "真木" になっている。この規模の山林は、滅多に見られん。よく観察しておくといい」
「すごい……真力です」
「そうだろう。下にある "真穴" も、かなりの大きさ。国内で指折りとされている "真穴" ゆえ、教材としては最高だの」
適当な師父は、巨大な "真木" の山林をそんな風に評し、さらに奥へと進んでいく。
「わしは令師となる以前から、この山林の管理と調査を任されていた」
こんな場所に、真導士でない者が立ち入っては危険だ。
何の守りもない民が、これだけの真力を喰らえば、間違いなく気絶してしまう。万が一、こんな雪山で寝入ったら、華魂樹まで一直線。生きて帰ることが不可能になる。
師父の声を耳に入れながら、視線をぐるりと巡らせた。
足を踏み入れただけで、真眼が限界まで見開いてしまった。
辺り一帯に、強大な力が満ち満ちている。これだけの力があったのに、直前まで気配を感知することもできなかった。
聞けば、この巨大な山林を隠すために、強力な真術が敷かれているとのこと。
師父の説明を聞いていたら、ささいな疑問が湧いてきた。
「管理はわかりますけど……調査って、何の調査ですか?」
「これほどの巨大な "真木" の山林が、何ゆえ放置されてきたか、かの」
放置、と聞き返せば、師父は手近な "真木" に手を添えて、含まれていた真力をわずかに開放した。
「この山林には、人の手が加わった形跡が一切ない。そうかといって、だれにも知られていなかった……というわけでもない。古の時代の記録にも残っておる。大戦中のドルトラントも、この場所を認識していた。だがな、いつの時代のどの支配者も、この山林を利用しなかった」
古の時代の支配者にとっても。当時のドルトラント国王であったヨーディネーロにとっても。この山林は、利用する価値が十二分にあったはず。
「大戦後期は、国同士の消耗戦に突入していたからの。これほどの力を、なぜ使わなかったのか。その避けようがかなり不自然での。相応の理由があると考えられておるが、その理由自体がどこにも伝わっていない。遺跡をひっくり返しても。古文書をひっくり返しても。どこを探しても、各時代の支配者たちが避けてきた理由が、かけらも残されていない」
触れるどころか、口にするのも、記録に残すことすらも憚られる。
そんな秘密が、この山林にはあるようだ。
先生の話に聞き入っていると、 "真木" から開放された真力に、精霊たちが集まってきた。
真力なら、そこかしこにただよっているのに。この子たちは、 "真木" にふくまれている真力がお好みらしい。
「えっと……。それってその、調べること自体、かなりの危険がともなうのでは?」
「お、なかなか鋭い視点だの」
「そんな呑気な……。まさかこんな危ない場所を、先生がひとりで調べていたんですか?」
呆れ混じりにいうと、師父はそこで止まれと手で合図を出した。
「サキよ。お前の疑問はもっともだ。いまでこそ令師だが、ちょっと前までは高士だったからの。とくに名が通っているでもない。真導士として著名な家の出でもない。相棒や仲間とつるんでいる素振りもない。そんな高士が、たったひとりで調査できるような山林なのか――?」
師父は、何でもないように語って、こちらの表情をうかがってきた。
まさにいま、当人の口から出てきたことを考えていた。なので特に遠慮もせず、うなずいて肯定を返した。
「ま、当然の疑問だの。しかしだな、里とて考えなしに役を任じたりはしない。わしが管理者として選ばれたのには、きちんとした理由がある。……さて、ちょうどいい。修行を開始する前に、いまの問いと、先日から保留にしていた弟子からの質問に答えてやろうかの」
質問?
質問とは、いったいどれのことだろう。
この十日で、先生にした質問の数は、とても両手におさまらない。
ほとんどはぐらかされてきたから、質問だけではどの話かさっぱりだ。
弟子の疑問を察したのか。はたまた偶然か。師父は「説明は言葉でするより、見せた方が早かろう」と言って、自分から距離を取った。
大雪に足を取られることもなく、二十歩ほど歩いたところでふり返り。認めたばかりの一番弟子に、真円を描けと命じる。
「真円だけでいい。真円なら、鎮成なしでも描ける。そうであったな?」
何が何だか、である。
しかし、師父は念願の修行をはじめるつもりであるようだ。
急な展開のせいで、ちょっとばかり思考が遅れている。でも、はじまるというならやるしかない。
気まぐれな師父の気が変わらないうちに、手早く真円を描いた。
もちろん、真円を描くだけなら術具なしで大丈夫だ。精霊を呼び込む前の真円は、雪の白さを受けて、いつも以上の輝きを放っているように視えた。
「これでいいですか?」
「よし。そのまま真円を支えておれよ」
真円を描くことが、質問にどうつながるのか?
疑問を頭上に浮かべながら真円を支えていると、不可思議な感覚に触れた。
覚えのある、奇妙な感じ。独特の感触を知覚したと同時に、支えていた真円がふっと消えた。
音もないまま起きた出来事。
そして、真円が消されたという事実。
さらには、かき消された真円の代わりに出現した、新たな真円。
その光り輝く円の姿と、流れ出ている気配を視て。心に抱えていた疑問のいくつかが、一気に氷解した。
「――先生は、正鵠の真導士だったのですね」
おどろきを飲み下せていないまま、謎への答えを口にする。
正解を聞いた師父は、得意げな笑みを浮かべた。
そうか、この感じ。
初めて会ったのに、初めてに思えなかった理由は、先生が正鵠の真導士だったからだ。
真導士は、個人個人で有している気配が違う。
しかし、その特色が反映されていない系統が、ひとつだけ存在している。
それが、正鵠の真導士だ。
正鵠は、気配の特徴をはっきり表現できないとされている。
触れてみれば各々が違う気配だとわかるが、こうだと表現するのがひどくむずかしい。むずかしいけれど、触れてみるとたしかに正鵠であるとわかる。そういう気配をしている。
似ている、知っていると感じたのは正しかった。
長身の友人が持つ気配と、真円から流れてくる師父の気配は、どことなく似通っている。
先生は正鵠――そうか、だからだ。
「つまり、わたしの術具から真術が抜けてしまったのは……」
「わしの真円に入っていたからだの」
またひとつ、渦巻いていた疑問が消え。代わりに、小さな悔いが胸に生まれた。
「だから言っただろう。術具はすべて、木箱のなかにしまっておけとな」
胸に生まれたばかりの悔いを、師父の言葉といっしょにしみじみかみしめる。
「どれだけ強い真術であろうと。たとえ多重真円だろうと、わしの真円に入ってしまえば、何日かで真術が解ける。家に展開している真術も、多重真円だからの。家のなかで真術を保管しておける場所は、正鵠の真術によって守られている、あの木箱以外にはない」
――師父をあざむこうとするからだ。
真っ当な苦言を受けて、ちょっとだけ首をすくめた。
「では、この山の調査を命じられたのも?」
「わしが正鵠だから。さらに付け加えるなら、令師となれたのも正鵠だから……だ。空白の地を含めたどの里でもそうだがの。正鵠の高士は、どこでも望んだ地位につけることになっている。真導士にとって、正鵠は特別な存在。その行動と発言を無視してはならぬ。……お前も聞いたことがあるであろ?」
師父が語った内容は、何度も座学で教わった話であり。幾度となく実感した覚えがあるものだったので、ただ素直にうなずいた。
「さて、サキよ。お前は自らの秘密を、己の意思でわしに明かした」
先生は、支えていた真円を弾いてから、背中に垂らしたままだったフードをかぶった。
「真円を用いず。現存する真術のどれとも似ておらず。邪神の骨をも砕き、抹消する力。たしかに、 "青の奇跡" はあつかいがむずかしかろう。明かす相手を間違えれば、お前のみならず、お前の周囲にも危険をもたらす。禁術で口封じしておらぬ者に、やすやすと明かせる話ではない」
フードをかぶったとたん、師父の顔に影が生まれた。
錫色の瞳からあふれた真力が、影のなかで鋭い光を放っている。光の明滅を視ていたら、またも指揮勘殿が動き出したようだった。
「……先生、もしかして?」
指揮勘殿が命ずるまま口を開いたら、先生は当たりだというようにうなずいた。
「当然、詳細はサガノトスから知らされていた。親鳥たちとて無策ではない。わしにお前を託したのは、熟考の末だったろう」
何だ。
そうだったなら、最初から――
「ちゃんと言ってくれれば、こんなに悩まずに済んだのに、と思ってるだろ?」
内心の声を言い当てられて、ぎくりとした。
……この鋭さ、やはり正鵠だ。
わずかに出てきた気配の圧も、病気を隠していたときの長身の大先生とそっくりである。
「だって、すごくいじわるです……」
「そうだの。己でも、ずいぶん意地の悪い課題だとは思った」
師父は軽い口調で答えてから、すっと表情を変えた。
「だがの。ここだけは避けて通れぬ道だったのだ。師匠と弟子というものは、上下の区別こそあれど、人と人の関係であることに変わりない。無理やり口を開かせたところで、心までは開けぬ」
表情を変えた先生が、真眼を見開いて真力を放出する。
その独特な気配が、自分にほどよい緊張を与えてくれた。
「正鵠の力は特殊ゆえ。わしが正鵠であることは、できるだけ隠しておきたい。そして、お前の力もやはり特殊だ。使い方を誤れば、大きな災いをもたらすやもしれん。無闇に知られては、自身の命すらあやうい。力を隠そうとする判断は、至極正しい」
真導士の力は、可能なかぎり秘匿すべきもの。そう習った。
蓄積されていた知識が、ようやく実感に変わる。
「しかしの。それでは得られぬものもある。……ま、お前にはもう必要のない話だ」
師父から受けた、初めての講義。
それに「はい」と返事をしたら、先生がまたひとつ、大きくうなずいた。
「さあて、修行をはじめるぞ」
念願が叶い、やっとこのときがやってきた。
「サキよ。お前の場合、新たな真術を覚えるよりも、 "青の奇跡" を使いこなすのが先だ。うわさによれば、 "青の奇跡" は聞きしに勝るじゃじゃ馬だそうだの」
修行における最初の目標を与えられ、やる気がぐんと湧いてくる。
今日一日の出来事で、身体には疲労が残っていた。
けれども、心は活力で満たされている。
きっとこなしてみせると意気込んでいたら、先生は想像もしていなかったことを言い出した。
「ではさっそく、じゃじゃ馬の暴れ具合を見させてもらおうか」
「え? でも……」
明かしたばかりの秘密に、さっそく踏み込むつもりの師父に、つい怯みを見せた。
青を見せる。
もちろん、いつかは見せることになるだろうと思っていた。でも、初日の最初からとは想定していなかった。
大丈夫だろうか?
小さな自分とは、しっかり手をつないでいる。とうとうジュジュも思い出せた。大丈夫だとは思う……でも、万が一ということだってある。
戸惑い、躊躇っていたら。先生は、何だ水臭いと頭をかいた。
「案ずるな。 "暴走" も "暴発" も、制御するなら正鵠が一番と言われておる。この山林での出来事は、場の真力に阻まれ、だれに知られることもない」
そう言って、先生は周囲に真術を展開した。
初めて触れる、不思議な感覚のする真術。いま、このときに展開したなら、これは正鵠の真術なのだろう。
「お前は、わしを師と受け入れた。わしも、お前を弟子と認めた。ゆえに、わしは己の持てるすべてで、お前を育てると決めた。……それで立派な真導士になれるかはわからんがの。本来の力を無理におさえこんでいるいまよりは、格段に生きやすくしてやれるだろう」
強く断言して、先生がその真力を明らかにした。
その特徴的な光が、自分の怯みを取り払うように立ち昇る。
「正鵠として。そして師父の名にかけて、お前の力を正しく視て、正しく導いてみせよう」
さあ、はじめよ――と言われたので、両目を閉じ、真眼を限界まで見開いた。
視界が真っ青に染まり、背中と胸が熱くなる。
銀と白の世界に、郷愁の色が混ざった。
期待と不安がないまぜになった息を吐き出して、閉じていた力を開放する。
背中に熱が生まれた瞬間。止まっていた時が、再び流れはじめたように感じた。
予感がする。
自分が踏み出した新たな一歩は、試練の風を導くものだと。
そう遠くない未来に、かならず出会うだろう刻を思い。そして、輝く星々に願いをかけた。
しかし、天上の神々は語らず。今宵も美しく輝くばかりだった。