誘い
「おい、まーだ転送はないのかよ!」
入れ墨男から、またも怒声が飛んできた。
甘んじて受けながら、ひたすらに手を動かし、気配をさぐる。
(おかしい、こんなにも香りがしているのに)
絶対にある。
それは間違いない。
だというのに、どこにも見当たらないのだ。
(どこ)
じりじりとしたあせりを感じつつ、荷箱の輝尚石を漁ってみるが。どれだけ探しても "転送の陣" だけが見つけられない。
(この気配は、どこから――)
荷箱の底に手があたった。無念なことに、最後の輝尚石も転送ではなかった。
やはり、この荷箱にはないのか。
近いようで遠い。
近くだと感じたのは錯覚だった。この転送は、ほかのどれよりも強い気配を有しているのだ。それでわからないなら、覆われて隠されている可能性が高い。
気配が濃い荷箱から一歩離れ内陣を見回したとき。天井に近い回廊に立つ、大志教の姿を見つけてしまった。
「迷い道から抜け出せず。あろうことか、神の祭壇を荒らすとは」
とうとう気づかれた。
大きく動けば、気づかれるのも時間の問題。そうとわかっていたから、急いでいたのに。転送を探すのに、時間がかかり過ぎてしまったのだ。
内陣を見下ろしていた大志教が、自分たちに輝尚石をかまえる。
対抗するべく、荷箱に入っていた輝尚石を前に突き出した。深呼吸をひとつして。荷箱の底の底に埋もれていた真術―― "鎮成の陣" に意識を合わせる。
望外な幸運とは、まさしくこのことだ。
見出した蛇の道には、女神の息吹が吹いていた。今朝から求めつづけていた真術を、しっかりとにぎりこみ。大志教の攻撃を待ち構える。
大志教は、真眼を開いていない。
たとえ手にしている輝尚石が正規品であっても、力のすべて引き出すことは不可能だ。
放たれるのがどのような真術であれ、力比べで自分が負けることはない。
輝尚石を枯渇させるまで粘るか。隙を見て、あちらの輝尚石に干渉するか。鎮成さえ手に入れば、もうこっちのもの。絶対に勝利をもぎ取ってみせよう。
気力を整え、その時を待っていたら、大志教のうしろから初めて聞く声がした。
「諦めな」
魔獣たちの咆哮のせいで、内陣での会話は聞き取りづらい。ほかのみんなとも、怒鳴り合うようにして会話していたぐらいだ。
でも、その声だけは、たいして大きくもないのに、すっと耳に入ってきた。
「星が動いた。あんたに勝ち目はないよ」
大志教の背後に立つその姿を見たとき、最初は男女のどちらかも判別できなかった。
新手の出現を受けて、入れ墨男とお兄さんが、親子をかばうよう立ち位置を変える。渡していた "守護の陣" を使うべきか問われたので、お願いしますとだけ返事をした。
「撤退せよと……」
自分たちの周囲に、守護が香る。
安全は確保できた。一度大きく息を吐いて、内陣の上部に集中する。
あらわれた人物は、どうやら男性のようだ。きらびやかな衣装の合間に見えている体型から、男であると判断した。
何者かは依然不明。少年か青年かも、よくわからない。
何もかもが謎づくしで、どう対処するのが最善かの検討もつかないが、邪教側の人物であることはたしか。油断をせずにいこう。
「あんたたちにとって、ここは悲願の地かもしれないけどね。星は逃げろって言っている」
言葉の意味までは理解できなくとも、会話の流れが退却という結論に傾いているのはわかった。
もしかしたら、戦わずに済むかもしれない。
小さな期待を胸に隠しながら、上階の会話に耳をすませる。
「仮に埋め直したとしても、この "泉" を開く方法は、セリノ様がすでにお伝えしましたでしょう」
ふたつの声に集中していたら、横からあらたな声が出てきた。
この人物は、おそらく高齢の男性。それは声だけでも判断ができたが、今度は姿はまったく見えない。
謎だらけのふたりは、何故か大志教より強い決定権を有しているようだ。
不思議に思っていると、青年が反論を許さないと言わんばかりの言葉を、大志教に叩きつけた。
「あんたが行かないっていうなら、ボクたちだけでも失礼させていただくよ。いくら上客だからって、泥舟に同乗するほどの義理はないから」
青年は、一方的としか思えない言葉で、大志教との会話を断ち切った。
言うだけ言って。それこそ飽き飽きだというように背を向け、闇へ歩き去っていく。
青年が闇へ埋没するその瞬間。身にまとっている衣装以上にきらびやかな輝きが、その両目から放出されているのを視た。
夜空の星の如く、きらきらと輝く光を視認して。ようやくその青年が、噂の占い師なのかと思い至る。
「これも神の試練でしょうか……」
大志教はつぶやき、片手だけで祈るような仕草をした。
そうして、自分たちに向き直ると、手にしていた輝尚石を胸元にしまいこんだ。
「学ぶ意欲すらないとは。残念極まりない。とうにパルシュナに心を食われていたのでしょう」
祭服に手を差し入れながら語る、壮年の大志教。
撤退するとわかっているのに、予感は強くふくらむばかりだった。
「大いなる神が、もう一度、機会を与えてくださいます」
ふくらみきった予感が盛大に弾けたのは、祭服から出された大志教の右手が、強い輝きを放ったときのこと。
「あなたたちが清き魂となり、神の大地に戻ってくる日を、待つといたしましょう」
目を焼くような輝きは、地下の礼拝堂に地響きのような音を誘って収束する。視界が明瞭になったときにはもう、そこにいたはずの大志教も闇に埋もれて消えていた。
残されたのは轟音の余韻と、どんどん大きくなっていく何かの振動。
最初に異変を発見したのは、自分だった。
巨大なくちばしを開き、いまにも力を吐き出そうとしている魔獣に、全力で "浄化の陣" を展開する。
「みんな上を見ろ! 鳥の魔獣が!!」
お兄さんが叫ぶと、獅子型の魔獣を退治し終えた三人が、そろって天井を見上げた。
「鳥と呼ぶような大きさかよ! 馬鹿でけぇ――うおっ!?」
浄化を展開している最中に、場が大きくゆれる。
その衝撃に耐えきれず、全員が手や膝を床についた。
「今度は何の音だ!?」
衝撃が終わっても、地響きのような音はつづいている。徐々に大きくなる音は、まったく想像もしていたかった場所から、その正体をあらわした。
「――み、水だぁ!!」
通風孔と思いこんでいた穴から流入してきた水が、自分たちの足をすくった。
身を切るほど冷たい濁流に飲まれ、ただ渦のなかへと吸いこまれていく。