解放
ジュジュに先導され、横穴を進む。
「気をつけて行こうね」
声をかけると、ジュジュは短く高い声を出した。
その声を聞きつけたのか、ぞろぞろという音とともに、数匹のシドレ蛇が姿を見せた。
白イタチに威嚇され、一旦は後退していた蛇たち。湿った横穴の住人たちは、居住地が荒らされるのを嫌い、戦う姿勢をとっている。
「ジュジュ!」
声をかけると、ジュジュが手前の一匹に飛びかかった。獣の動きは素早く、小さくはあってもその牙は鋭い。
ジュジュは、先頭の一匹を難なく仕留めて、得意げにふり返る。
その瞬間、まだ混沌としていた頭の海から、今度は幼い日の記憶が飛び出してきた。
「あ――」
飛び出してきたのは、大きな木の下で見たジュジュの姿。
あのとき、口にくわえていたのは虫だったけれど。仕留めた獲物を、いまと同じように自分に見せてくれた。
「……ジュジュ?」
呼びかければ、白イタチは「えっ?」という表情をした。
「ねえ、ジュジュ……だよね?」
そんな相手の名を、恐る恐るもう一度呼ぶと、それはそれはなつかしい声が頭に入りこんできた。
(やっと思い出したのー!!)
高い高い声に、つい耳をふさいだ。
でも、その行動がまったく意味を成さないという事実も、ちゃんと思い出すことができた。
(もう、ずっとずっとずーーーーっと待ってたのに、サキったらすっかり忘れちゃって。ひどいんだから!)
きゃんきゃん怒鳴るその子に、まずはきちんと謝罪をした。
「ご、ごめんね」
が、それで許してもらえないことも、体験的にわかっていた。
(本当にもう! どれだけ気を使ってきたと思ってるのさ! それにね、今回のも無茶が過ぎるの! 帰ったら先生に叱ってもらうといいよ!! まったくもう、ちっちゃいときから、そういうとこだけ変わらないんだから!!)
「でもそれは……」
(言い訳しない! サキは変なところで頑固だ。黙って家にいさせてくれるっていうんだから、べつに修行にこだわらなくてもよかったのに!)
「それはだめ」
かつては、このまま言い負かされていた。
しかし、自分はもうそこまで幼くない。
言い返すべきところは、しっかり言い返しておこう。
そう思って、その黒くつぶらな瞳を見返し、一音一音を強くはっきりと出して拒否を伝えた。
(何で?)
「何でって、いっしょに外勤になるって約束が……」
さみしくなるから形にしないよう、あえて名を避けた。
しかし、だれの話をしているかはわかったようで。ジュジュはしっぽを膨らませながら、さらに高く大きな声を、頭に響かせてきた。
(もーーーー!! あいつとの約束なんか、どうだっていいでしょ!!)
「どうだってよくないんです! ……あ」
ついうっかり敬語にもどれば、くったりというように肩と頭を下げる。
(はあ……困った子だね。ホントにもう)
思い出して元に戻るまで、あっという間だった。
本当を言うと、まだぼんやりと霞がかったところが残っている。
でも、ふたりで過ごした日々があったことも。ジュジュがもつ不思議な力も。二度と忘れることはないだろう。
急な記憶の復活で、胸がどきどきと高鳴っている。
鼓動を鎮めようと深呼吸をしていたら、かつてと同じように、ジュジュが自分に知識を与えてくれた。
(真眼をしっかり開きなよ。頭の布を取らなければ、だれもわからないんでしょ? 真眼を開けば、蛇を動かすくらいわけないんだからさ)
ジュジュの助言のとおりに、隠匿がかかった布の下で真眼を見開き。横穴の奥にいる蛇たちに、言霊を発した。
「どいてください」
たったひとこと。それだけで横穴にいた蛇たちは、その姿を消していった。
どこかに隠れた蛇たちに、「もう、人を噛んではいけませんよ」と言いおいて。唯一無二の親友といっしょに、横穴を進んでいく。
横穴を抜けたら、そこは内陣だった。
いままでいたどこよりも強く、真術の香りが立っている場所に駆け寄り、大急ぎで捜索を開始する。
目的のものは五つ。
鍵束と剣士の大剣と、荷箱にしまわれているだろう三つの真術。
五つのうち、四つまでは即座に発見できた。
しかし、どこを探しても最後のひとつだけは、どうしても見つけられなかった。
時間が惜しかったのもあり、ひとまずその四つを抱えて、内省室へ駆けもどる。
内陣から出てすぐ、魔獣たちが自分に近寄ってきた。それを、抱えていた "浄化の陣" でしのぎ、なかにいる彼らに声をかける。
「ありました!」
ついに鉄格子まで到達すると、お兄さんが手を伸ばして自分を呼び寄せた。
「サミー! じゃないのか! いや、そんなことはもういいや! 鍵をくれ! オレが開ける!!」
微妙に混乱を残しつつも、お兄さんは荷物のひとつ――鍵束を受け取り、震える手で錠を開ける。
「ご主人、これを!」
内省室に招き入れられてすぐ。展開させていた輝尚石を、そのままご主人に手渡した。
「 "浄化の陣" です! ケン坊をお願いします!」
輝尚石を手にしたご主人は、顔を真っ赤にしながら「ありがとう、ありがとう……!!」と、大粒の涙を流す。
本音で言えば、少年の治癒が終わるまで、その場を離れたくなかった。
でも、いまは本当に時間がない。
予感に急き立てられながら、荷物のなかで一番大きなもの――剣士が求めていた大剣を返しに行く。
「剣士さま、こちらを!」
鞘をつかんだとき、奇妙でささやかな感覚をもった。触れたときに感じた微妙な力は、自分ですら感知できるかどうかという小ささだった。
「……間違いなく私の愛剣だ。恩にきる」
その小さな感覚は、剣士の力強い言葉に飛ばされ、いずこかへと消える。
自分にとって、ひどく重たく感じていた大剣。
剣士は、その大剣を難なくふり回し。どこにも異常がないと確認して、口に笑みらしきものを浮かべた。
持ってきた物を順に渡し終え、手元に残ったのは最後のひとつ。
正円で濁りのない水晶をにぎりしめて、その人に声をかける。
「ニーザス神官! "解呪の陣" もありました。真眼を開放できます。どうぞ、こちらへ!」
口早に呼びかけた相手は、なぜか真眼の解放を拒んだ。
「いいえ、私はあとです」
その言葉を不思議に思っていると、若い澪尾神官は、まったく予想もしていなかったことを口にした。
「――どうか、剣士殿を先に」
解呪を終えた剣士が、たったひとりで内省室を飛び出していく。
当然ながら、外に出た剣士に、魔獣たちが襲いかかってきた。
するどい爪と牙で、獲物を引き裂こうとした魔獣たち。邪悪から生まれた凶暴な獣たちは、自らが炎に焼かれるまで、反撃があることを予想もしていなかったようだ。
剣士が動いたのは、ただの一度。
愛剣と呼んだ、大ぶりの剣を横に薙ぎ払っただけ。
たったそれだけの動作が生んだのは、片生が放っていたものよりも、はるかに強烈な火炎流だった。
「うおおぉ……何だありゃあ」
「すごい……!」
剣士が生み出した火炎流は、魔獣たちに相当な苦痛を与えていた。
もっとも剣士に近づいていた一匹が、両目を焼かれ、のたうち回っている。後方の魔獣たちは、本来の力を取り戻した剣士を、毛を逆立てたまま注視していた。
魔獣からの視線を、一身に浴びている剣士は、いまだ臆する素振りを見せぬまま。取り戻した真眼を煌々と輝かせて、大剣を前に構え直した。
「彼は、焔角騎兵なのです」
ただひとりで魔獣に立ち向かう剣士。その勇姿を確認したニーザス神官が、密かに共有していたらしい剣士の秘密を明かした。
「あれが、焔角騎兵……」
神官が口にした剣士の正体を、お兄さんが復唱する。
ため息まじりに出された声には、憧れと尊敬が入り混じっているようだった。
焔角騎兵は、澪尾神官と対を成す存在。
その勇壮さから、女神が従えていた神獣ノヴァイの名を頂いている。
焔角騎兵は、真眼を開くことを許された剣士に与えられる称号。ドルトラント王国の国軍に属し。そのほとんどが、騎士として名を馳せていると習った。
剣士が言ったことは、すべて真実だったのだ。
たしかに、焔角騎兵であれば、魔獣と渡り合える。魔獣を斃し。歴史に名を残した剣士たちは、すべてが焔角騎兵だとされている。
真導士と縁が薄い民であれば、魔獣退治と聞かれれば、焔角騎兵の役目だと答えるのが普通である。
焔角騎兵としての本領を見せた剣士が、一歩前に出た。
敵の歩みに反応して、魔獣たちが咆哮をあげる。怒りと飢えが入り混じった叫びが壁で反響すると、場に満たされていた臭気が、さらにきつくなった。
「……仲間を呼びはじめましたか。このままでは出られなくなる。急ぎましょう。邪悪なるものたちは、剣士殿と私で食い止めます。みなさんは、いまのうちに内陣へ」
"解呪の陣" によって、第三の目を取り戻したニーザス神官が、内省室からの撤退をうながす。
「ええ、そうしましょう。……サミー、輝尚石をありがとうね。こいつはあっしが持っているより、サミーに返した方がいいだろう」
ご主人から返却された "浄化の陣" は、まだたっぷりと真力を残していた。
当たり前と思っていた貴重な力を、ぐっとにぎって。「まかせてください」と答え、すっと背筋を伸ばす。
邪魔なものを取り払ったからだろう。気分がすっきりとしている。
いまなら、どんな困難にも立ち向かえそう。そんな勇気が、心の奥底から湧いてきた。
浄化によって毒をそそがれたケン坊を、八百屋のご主人が背負う。苦しそうな様子は消えたものの、まだぐったりとしている小さい身体に、お兄さんが手を添えた。
「さあ、オスカー神官。行きましょう!」
親子の準備ができたのを見計らい、うずくまったままの人に声をかける。
"解呪の陣" で、真眼を解放しておいたのがよかったのか。いままで会話のひとつも持てなかった神官が、小さいながらも返事をよこしてきた。
「いやだ……」
真眼が、かすれた光を放っている。
その薄すぎる光が、オスカー神官のなかで恐怖が巣食っていることを、はっきりと示していた。
「だめです。いっしょに――」
行きましょうと言う前に、怖れに溺れた心が、全力の拒否を出した。
「やめてくれ!!」
暴れ、どこかに逃れていこうとするオスカー神官。その人の腕をがっちりと捕まえ、真眼を見開いて力を籠め、名前を呼ぶ。
「――オスカー神官!!」
呼んで、強引に視線を合わせた。
慄き、震える飴色の瞳。正気と狂気の狭間でゆれ動く瞳孔に向かって、叩きつけるように言霊を発した。
「どうか、しっかりなさってください!」
瞳に言霊がぶつかったとき、神官が持つ飴色の瞳が、光に覆われたように視えた。
光の膜が消えると、小刻みに動いていた瞳が、ぴたりと制止する。
「……あ」
神官の目に、正気が戻った。
オスカー神官が、周囲を見回す。
最初のうちはぼんやりとしたまま、内省室にいる全員の顔を見ていたが。魔獣と対峙している同輩の姿を見つけるなり、膝立ちになって「ニーザス……!」と声を張った。
神官が動けることをたしかめた入れ墨男が、吠えるように合図を出す。
「よっしゃ、いくぞ! 全員遅れずについてきやがれ!!」
飛び出した礼拝堂では、焔角騎兵と澪尾神官が奮闘していた。
ふたりが相対している魔獣たちは、さっきよりも格段に凶暴さが増している。
新鮮な獲物が目の前にいる。
それなのに、いつまでたっても血肉を味わえず。少しずつ仲間が削られていく。
憤りに満ち満ちた鋭い目が、自分たちをとらえたのは、内陣まであと十歩の距離だった。
標的を変えた二匹が、焔角騎兵の頭上を越えて、こちら目掛けて駆け寄ってくる。
それを阻止せんと、剣士が大剣から真術を放つ。二匹に向かって展開されたのは、魔獣の牙よりも大きく鋭い、氷の塊だった。
射出された氷の牙たちは、よだれを垂らしながら駆けてきた二匹を、情け容赦なく屠る。
「剣士殿、うしろです!」
剣士が隙を見せるのを待っていたのだろう。いっせいに飛びかかった五匹の魔獣に、ニーザス神官から浄化が放たれた。
しかし、弱い。
五匹の魔獣の足を止めるには、澪尾神官の力では足らず。機敏に動いた剣士の力を合わせても、わずかに及ばなかった。
ふたりの攻撃から逃れた一匹が、剣士に肉薄する。
再度、真術を放とうとした剣士。
剣士の動きよりも早く、剥き出しになった牙が、その左腕を捉えようとした。
もはや魔獣からの攻撃を避けることは不可能。だれもがそう思ったそのとき、魔獣の正面に真円が出現した。
歪みを見せながらも大きく描かれた真円から、 "浄化の陣" が放たれる。
「微力ながら、加勢いたします」
突如参戦してきた人物の声を聞き、ニーザス神官がおどろきと歓喜の声をあげる。
「ああ、オスカー!!」
そんな同輩を安心させようとしたのか。オスカー神官は、やつれた顔で精一杯の笑顔を浮かべた。
「……澪尾神官がふたり。心強いことだ」
ひとこと落とすと、剣士はまた数を増やしはじめた魔獣に、特大の火炎流を放った。
焔角騎兵があつかう真術は、大剣を通して展開されている。
手に持ったとき、妙な感覚がしたのも当然だった。あれは術具――いや、おそらくは古代術具に違いない。
どういった経緯で手に入れた代物か、さっぱり想像がつかない。しかし、焔角騎兵が持っているなら、それは国に認められたものなのだろう。
大剣が持つ、その力のすべてを解放できているとは言い難い。それでも、術具自身が望んで力を貸しているように感じる。
剣士の戦いに、思わず足を止めていたら、オスカー神官から声がかかった。
「こちらは大丈夫です。お嬢さん、早く内陣へ。 "転送の陣" をお願いします」
正気を取り戻した澪尾神官は、それだけ言って剣士の方へ走っていった。
「はい、おまかせください!」
その背中に返事をして、内陣に走る。
近づけば近づくほど、その香りが強くなっていく。
内陣どこかにある転送を求めて、礼拝堂を全力で駆け抜けた。