潜んでいた敵
鉄格子から離れた場所で息を潜めていても、魔獣たちはこちらから目を離さない。
「あいつら、あそこからさっぱり動かない……」
お兄さんの発言に、刺激を受けたのか。鉄格子を掻いていた一匹が、その巨体を使って体当たりをした。
悪しき気配をまとった獅子がぶつかると、鉄格子が大きく鳴る。
「魔獣にとって、人はごちそうだからな」
徐々に凶暴さを増してきた魔獣。その動きを眺めながら、剣士は事も無げに答えた。
「勘弁してくれよ……。どうしてこんなことになっちまったんだ……」
落ち着いた様子を保っている剣士。その横で、お兄さんが頭を掻きむしり、弱気な本音をこぼす。
「あんな……目と鼻の先に、輝尚石が山と積まれてるのに。魔獣がうろうろしてたら、取りに行けっこないじゃないか…………」
そう。どうやらこの内省室は、隠し倉庫でもあるようなのだ。
鉄格子の向こう。魔獣たちが陣取って動かない場所から、少し行ったところに、荷箱や武器が山と積まれている。
荷箱からは、たくさんの真術の香りがしていた。
よくよく視れば、光がこぼれているのもわかる。あそこに輝尚石が隠されているのは間違いない。
そこまでわかっているのに、魔獣が邪魔で取りにいけない。それ以前に、鉄格子の鍵が閉まっている。
動こうにも動けない。悲惨な状況にしびれを切らしたのは、やはりあの入れ墨男であった。
「おい、てめえ!!」
男は、憤懣やるかたないという態度で、またじりじりと自分に詰め寄ってくる。
「元はと言えば、てめえがしくじったせいだぞ! 転送を使ってぱぱっと帰れば、こんな目に合わなかったんだ! どうして輝尚石を壊しやがった!!」
「やめろ」
入れ墨男が話を蒸し返すと、すかさず剣士が間に入ってきた。
「何度も同じことを言わせるな。壊れたのはサミーのせいではない。あれは偽尚石だった。だれが使ったとしても、結果は同じだ」
剣士が、さっきと同じように入れ墨男を諭す。
会話を聞きながら、布の影で唇をぎゅっと噛みしめた。
「んなこと言ったってよ、志教連中は問題なく使ってたじゃねえか! こいつが何かヘマをこいたに決まってるだろう!」
じわりと、鉄の味がした。
入れ墨男が語っているのは事実だ。事実と知っているから重く、苦しい。
そして、その事実を隠しつづけていることが、自分にとって一番の苦痛と思えた。
ずれている。
これは、今日何度も感じてきたことだった。
自分は、道の選択を間違えている。
それをずっと感じていた。どこかに大きなずれがあって、そのせいで望みに届かず。どんどん距離が開いたあげく、こんな窮地においやられた。
当初、望みは手が届くところにあった。
だというのに、望めば望むほど。うまくやろうとすればするほど遠ざかっていき。もはや、どうたどり着けばいいのかすらも、わからなくなってしまった。
自分のなかで、何かがずれている。
根本的な何かを、決定的に間違えたまま行動して。ついに、こんな場所に至ってしまった。
そんな考えが、頭にこびりついて離れてくれない。
「あれ。旦那さん、ケン坊はどこに行きました?」
鉄の味と苦痛とを、噛み締めていたとき。お兄さんが、きょろきょろと周囲を見回した。
お兄さんに言われて、大人たちが子供の姿を探す。無駄に広い内省室を、首を動かして探していると、子供特有の高い声が聞こえた。
「おっとう。ここに横穴があるよ!」
子供が大きな声で父を呼ぶと、また魔獣が鉄格子に体当たりをしてきた。
「ケン、だめだよ。こっちへおいで!」
それにあわてたご主人が、大急ぎで子供を呼び戻そうとする。
「どうして!?」
これに子供が反抗をした。
何で止めるのだというように声を張りあげ、その場で地団駄を踏む。
「横穴はどこに繋がっているかわからない。万が一、魔獣がいる場所に出たらどうするんだい!」
一向に言うことを聞かない息子に、父が強くたしなめた。
「でも――」
「だめだ!」
息子を怒鳴りつけるなんて、温厚なご主人にしてはめずらしいこと。しかし、それだけ子供の身を案じているのだ。
いつまでたっても戻ってこない息子に焦れて、ご主人がケン坊のところまで行き、その左手をつかんだ。
「いやだよ!! だって、おいら以外は入れないじゃないか! ここでじっとしてたって、助けなんか来ないんだし。あの大志教だっていつ戻ってくるかわからないし……。それに……それに、おいらもう家に帰りたいんだ!」
けれど子供は、その手をふりほどいて、ずっと溜めこんでいただろう本心を吐き出した。
「おっかあが待ってるから、早く帰りたいんだよ!!」
涙声でそう言って、ケン坊は横穴に入っていってしまう。
子供の素早さにおいてかれた父親は、それでも横穴に手を入れ、まだ小さなその右足を捕らえて、身体を引き出そうと力をこめる。
「ケン、だめだ!!」
ご主人が、戻っておいでと呼びかけだとき、横穴のなかからケン坊の悲鳴が聞こえてきた。
「ケン!?」
横穴に入った少年に、何かが起こった。
よくない、何かが。
それを察知した大人たちが、魔獣すらも忘れて横穴に集まった。
「ケン、ケン! しっかりおし!!」
子供の叫びを聞いたご主人が、抵抗するように暴れる右足を引いて、横穴からケン坊を引きずり出す。
子供の全身があらわになると、すばやく動く何かが、穴からいっしょに飛び出してきた。
「蛇っ!?」
いち早く、その正体を確かめたお兄さんが、足元にあった大きな石をつかんで投げつけた。その石は見事に直撃し、紫と緑の模様が入った一匹は、その場で動かなくなる。
息をついたのも束の間。穴からもう三匹の蛇がやってきて、自分たちに襲いかかってきた。
「おめえら、もっと下がれ!!」
「下がれったって、反対側は魔獣の巣だ!」
入れ墨男とお兄さんが、蛇を避けながら言い争う。その間にも、蛇は首を高くもたげ、威嚇するような鳴き声を出している。
じりじりと近づいてきた一匹が、動きの鈍い親子に狙いを定めた。蛇の動きを察知して、革鞄で殴りつけようとしたが、すれすれのところで避けられてしまった。
「サミー、危ないっ!!」
呼ばれて、反射的に飛び退いた。しかし、動きは蛇のほうが圧倒的に早い。
避けきれないとあきらめかけたとき、革鞄から白い塊が飛び出してきた。
「ジュジュ!?」
自分と蛇との間に割り入ってきた白イタチは、空中で蛇の首をとらえ、鋭い牙でその動きを止めた。床に降り立つとそのまま残りの二匹へ立ち向かって、その場を完全に制圧する。
けれども、穴からはまだ蛇の威嚇音がしている。
このまま横穴に入らせてはだめだと判断して、健闘してくれた白イタチを呼び戻す。
「ジュジュ、もういいよ。帰っておいで!」
呼べばジュジュは、くわえていた蛇をその場に落とし、とことこと足元にやってきた。がんばってくれたかわいい子の頭を、指ですりすりと撫でさする。
ニーザス神官が、ジュジュが噛み殺した蛇へ、そっと近づいていった。蛇の模様をじっくりと確認し。噛まれた左手を、赤く腫らしている子供の様子を見てつぶやいた。
「……この柄は、シドレ蛇でしょうか」
神官のつぶやきを聞いて、ご主人の顔からみるみる血の気が引いていく。
「シドレ蛇ですって!?」
真っ青になったご主人が、腕のなかの子供を呼ぶ。
だがしかし、幼い声が返ってくることはなく。荒い息遣いばかりが耳に届く。
「あの、シドレ蛇って何でしょう……?」
荒くれ者であることを、隠そうとすらしなかった男でも。この会話を、ご主人に聞かせたくないという気持ちはあるようで、自分の問いにひそひそと応じた。
「ここいらに棲む毒蛇だ。沼地とか川沿いにいるやつだが……まいったな、 "泉" が温いもんだから、蛇のくせに冬眠してなかったのか」
その会話に、お兄さんが割り入ってきた。
「まずいぞ。シドレ蛇の毒は、大人でも一日で死ぬって言うじゃないか! 早く神殿に連れていかないと……!」
「……こんなチビじゃあ、一日ももたないだろうよ。せいぜい、日暮れまでもてばってとこだな」
会話を終えて、入れ墨男は痛みをこらえるような表情をした。
「ああ、ケン! 何ということだ!!」
ご主人が子供を呼ぶ。
何度も何度も、その小さな身体を抱きこみながら、必死で呼びかける。
そんな父の腕のなかで、子供が親を呼んだ。「おっとう」と二回呼びかけて、その胸にすがり。小さく小さく「おっかあ」と呼ぶ。
親が子を呼び。子が親を求める。
その光景を見つめていたら、しまっていた記憶が痛みを発した。
親子の姿にかぶさるように見えた残像は、幼い形をした骨の山。
地下の牢獄に閉じ込められたまま、忘れ去られていた悲しい子供たちのあの姿だった。
「……神官さんなら、解毒ができるんじゃねぇのか?」
もどかしそうに入れ墨男が聞いた。
声のうしろで、幻聴が聞こえている。
結局、助けることができなかった子供たち。幼くせつないその声が、忘れてくれるなとばかりに自分を呼んでいる。
「第三の目が塞がれてしまっています。この術具を外さないと……」
無念そうにニーザス神官が答えた。
答えを聞いて、入れ墨男がさらに食い下がる。
「おい、術具屋のあんちゃん。あんた、これもさっきみたいにぶっこわせないのか?」
声が多くなってきた。
耳鳴りがひどい。
息苦しさが強くなったせいで返事ができず、首をふってその場から逃れた。
「それは無理でしょう。さきほどのは、偽物の力……偽尚石だったから壊れただけ。第三の目を塞いでいるのは、本物の輝尚石……真導士があつかう正規の真術です。真導士があつかう真術は、真導士にしか解けないとされています……」
鉄格子の方へ歩き出した自分を、お兄さんが呼ぶ。
それにも首をふって足を進め、鉄格子の向こうが見える位置で止まった。
「でもよ。どうしてあいつらが、本物の真導士があつかうような真術を使えるんだ?」
息が苦しい。
耳が痛い。
何だか、背中がうずいている気もする。
すべての感覚をおさえようと、ただ深呼吸をくり返す。
「近頃。街道沿いで、術具の盗難がつづいていたと聞く。おおかた、邪教が盗賊とつながりを持っていたんだろう」
深呼吸をしながらも、向こうの景色を見つめる。
松明が灯って、場を視認するのが楽になった。
落とされた直後は、どこまでも闇がつづいているように思えたけれど。いま、あらためて見てみれば。内省室の外は、教会によく似ていた。
外光はなく、色硝子もない。でも構造だけで考えれば、そっくりな姿をしている。
色硝子があれば、きれいだろうに――。
疲れてきたのか。現実逃避をはじめた頭が、意味のない考えを浮かべた。
背後では、まだ会話がつづいている。
邪教と盗賊とのつながりに言及した剣士は、最後に「よくある話だ」と吐き捨てるように言った。
「…………盗賊だけか?」
男が、試すような言葉で切り返した。
会話を聞きながら、内陣――のような場所から流れてくる、真術の香りにひたった。
「魔獣なんて物騒なブツ、そこいらの賊じゃあ用意できねぇぜ」
男の発言に、剣士は何も応えなかった。
だれも何もしゃべらなくなった場で、真術の香りだけに集中する。
流水、炎豪、これは結界。
癒しと、それから――。
「サミー。あまり鉄格子に近づいては危ないですよ」
案じるように声をかけてきたニーザス神官。
その声と同時に、ふたつの気配を感知して、目を開いた。
ある。
でも、このふたつだけじゃない。
もうひとつ。すごく薄いけれど、内陣から流れてきている。
「サミー、本当にどうした? 危ないからこっちに来いよ」
――ああ、見つけた。
三つの真術の気配を確認して、指揮勘殿が応じるのを待った。
しかし、いつまで待っても応えは返らず。自分のなかは無音で満たされていた。