大志教と内省室
「剣士さま!?」
耳鳴りが残る右耳をおさえながら、炎が直撃した場所を見やる。
もうもうと立ちのぼる白煙の向こうに、ふたりの神官が倒れていた。
剣士に押し飛ばされたふたりは、咳きこみながらも、直撃地点から遠ざかろうと動いている。目を凝らしてさらに探したが、剣士の姿は視界のどこにもない。
再度呼びかけると、立ちのぼる白い煙のなかから、大きな影がざっと飛び出してきた。白煙から姿をあらわしたのは、まぎれもなく混髪の剣士、その人だった。
「ご無事で」
声をかけた相手は、自分たちを背にかばい。控室の上部――二階の回廊に、鋭いまなざしを向けた。
「皆、下がれ」
視線の先には、赤い人影があった。
たっぷりとした髭をたくわえ、紅赤の祭服をまとった人物は、輝尚石を剣士に向けて掲げている。
「嘆かわしいこと」
さも残念そうな口ぶりで語り、空いてる左手で祈るような仕草を見せた。
「邪悪なる女神に惑わされ、正しき道を忌憚するとは」
「――ああ、大志教さま!!」
床に伏していたジョシュアが叫ぶと、習学者たちが色めきだった。
「まずい、親玉が出てきやがった……!」
彼らの反応を見て、入れ墨男が焦燥を口にする。
「あれが、大志教」
噂の大志教が姿をあらわしても、剣士が動じることはなかった。
相手を認識するや、両手でにぎっていた木の棒を左手に預け。空けた右手で、旋風の輝尚石を掲げた。
緊迫の場に、か細い悲鳴があがったのは、だれもが剣士の動きに注目していたときだった。
「オスカー!?」
オスカー神官は、大志教の姿をみとめるなり叫びをあげ、どこかに逃げていこうとする。
動揺をあらわにしたその人を、ニーザス神官とご主人が懸命に引き止め。懸命に呼びかけて、正気を戻そうとする。
「大丈夫です。しっかりなさい、オスカー!」
しかし、オスカー神官の荒れようはひどくなるばかり。哀れな神官の様子を見ていたジョシュアが、大志教に称賛をおくった。
「女神に惑わされ、道を失った者たちよ」
状況を確認し終えたのか。大志教が、朗々と語りはじめた。
「パルシュナ教の神官と剣士……いや、あなたは兵士でしょう。志教たちから、報告を受けていました。やはり国や教会に属している者は、邪悪なる女神に傾倒しすぎている。習学者となり、機会を与えることで、正道を見出して欲しいと考えていましたが――」
大志教は、剣士とニーザス神官に語りかけ。そして、手にしていた輝尚石を、胸元から新たに取り出したものと交換した。
「どうやらあなたがたには、特別な教えを授ける必要があるようですね」
先頭で大志教と向き合っている剣士は、取り出された輝尚石を警戒し、旋風を前に突き出した。
ぴりぴりとした緊張が高まるなか。邪教に心を奪われた人々が、大志教に救いを求めはじめる。
「大志教さま、われらは神への道を見出しました!!」
「この者たちとは違います!」
「どうぞ、われらを新天地へとお導きください!」
そんな彼らの声に、大志教が応える。
「ええ、わかっておりますとも。大いなる神は、つねに正しく導いてくださいます」
まるで本物の聖職者のように語り。再び、祈るような仕草をした。
ジョシュアたちの喝采を、一身に受ける大志教。
そんな大志教の背後に、さきほど開かれただろう扉があった。開け放たれた扉の奥に、不自然にゆれている影を見つけたのは、どうやら自分だけのようだった。
(人――?)
松明の明かりが届かない場所で、人影が動いている。
ひとり……いや、ふたりだ。
大志教以外にも、敵が残っていたのかと思った。しかし、奥で潜んでいる人影からは、敵意も戦意も飛んでこない。
奥のふたりは、いったい何者だろうか?
とくに、手前側にいる人物が問題に思えた。
明かりが差さないような、ひどく薄暗い場所に立っているというのに。その人物の表情が、うっすらと見えている。
その背後にいるもうひとりは、すっかり影に埋没している。それにも関わらず、手前の人物の顔だけが、浮きあがって見えているのだ。
真眼は開いていない。
でも、白い光がそこにある。
「女神に惑わされ、道を失ったものたちよ。あなたがたに、神に通じる道を与えましょう」
大志教の語りが終わるのと、その手にあった輝尚石が輝くのは同時のことだった。
「いってえ!」
描かれた真円から逃れる間もなく、脱走を試みた全員が、闇が満ちる場所へ転送された。
最初に知覚したのは、ひどく冷たく、ごつごつとした床の感触。
中空から吐き出されたせいで、全員がその床に尻や足を打ち付けた。
「いててて。…………おいおい、えらく生臭えな。こりゃあ、いったい何の匂いだ?」
落下の痛みをやり過ごして、つぎに気づいたのは臭気だった。
落とされた場所には、ひどく生臭い匂いに満ちている。
「おっとう、真っ暗でなにも見えないよぉ! どこにいるの!?」
「ケン、動いちゃいけないよ。おっとうが行くから、そこでじっとしていなさい」
親子の会話の影で、地響きに似た音がしている。
空耳……だろうか?
「――しっ!」
剣士もその音に気づいた。あの人にも聞こえたなら空耳ではない。
「皆、動くな。何かいる」
すぐ隣から聞こえた声には、何かを強く警戒する色がにじんでいる。
剣士から、声も出すなという指示が出された瞬間。真っ暗だった場に、炎が出現した。
壁にかかっていた松明に、つぎつぎと火が灯されていく。
徐々に、炎豪の匂いが濃くなってきた。しかし、真術の匂いが満ちても、生臭い何かの臭気はただよったまま。
「オスカー!?」
明かりが灯り、場のありようがはっきりと見えた。
場が照らされると、オスカー神官が悲鳴をあげ、床にうずくまってしまう。
正気を見失ってしまったその人は、助けてください、出してくださいと空に懇願する。
くり返される救いを求める言葉と、 "泉" とは一変した様相とを確認して。だれに言われるでもなく、全員が場の名前を理解した。
「まさか、ここって!」
「なんちゅうこった! 内省室に落とされちまったんだ!!」
内省室という言葉のせいで、オスカー神官の恐慌が、さらにひどくなってしまった。
そのとき、どこからともなく大志教の声がひびいてきた。
「習学者たちよ」
自分たちを、こんな場所に落とした相手は、卑怯にも姿を見せないまま語りかけてくる。
「邪悪なる女神に惑わされ、道を失したあなたがたに、まずはパルシュナの偽りを証明しましょう」
声だけの語りが、内省室に響きわたると。さっきとは違う場所に、松明が灯った。
「あれは――」
明かりに照らし出されたのは、無骨な岩と鉄格子。|
錆付きすら見える鉄の棒の向こうに、うぞうぞと蠢く、複数の黒く大きな塊があった。
「あっちに魔獣がいるぞ!!」
いち早く、その正体を見定めた入れ墨男が言うと。悲鳴をあげた親子が、鉄格子とは反対の壁に避難した。
「間違った教えを広めているパルシュナ教会は、日が出ている時間を、 "女神の刻" と呼んでいるそうですね」
大志教の語りが、ごつごつとした岩に反響する。
それも恐ろしく感じたのだろう。少年が叫びをあげた。
「もしも、母なる女神というものが実在するのであれば。日が出ている間に、諸君らに恩恵を与え。内省室から出る道を示すでしょう」
子供の叫びで、恐怖が掻き立てられたのか。オスカー神官の恐慌が、いっそう激しいものとなる。
「しかし、パルシュナが実在せず。女神の加護というものが虚偽であるならば。諸君らは内省室から出ることが叶わず、そこで夕刻を迎えることでしょう」
ニーザス神官は、大志教の声に耳を立てながらも、取り乱す三人に寄り添い。落ち着くようにと声をかけている。
気丈な神官に倣い、酒屋のお兄さんも三人に声をかけているが、その横顔はすっかり青ざめていた。
「神の下僕たるわれわれは、あなたたち自身が、自ら気づき。道を正すことを望みます」
大志教の言葉に、入れ墨男が強く反発した。
「何が神だ! 神ってのは魔獣を従えてるのか! そんなのまるっきり邪神じゃねえか!!」
的を得たその怒声に、大志教が応えることはなかった。
「日暮れには心を改め、神の道を見出しなさい」
内省室に、恐怖と怒りがあふれる。
けれど、混髪の剣士だけは、声が響いている虚空をじっとにらみ据えていた。
「哀れなる者たちに、大いなる神のご加護があらんことを」
その声を最後に、大志教の語りが途切れた。
場に残されたのは、脱走に失敗した自分たち。
そして、鉄格子の向こうでこちらをうかがっている、獅子の姿をした魔獣の群れだけだった。