占術師
細く白い手が包みを開くと、辺りに香りが満ちた。
明かりは、少ない方が好みだ。そのように語った細身の客人は、薄暗い部屋できらびやかな布を広げ、満面の笑みを浮かべた。
「大志教殿、ありがとう。とてもいい生地だね」
踊り子のような衣装をまとった青年は、贈ったばかりの布を羽織り。腕でその感触を満喫している。
「肌触りもいい。柄も素敵だ。遠慮なく使わせてもらう」
とうに声変わりを迎えているだろうに。その美声も、容姿も、まるで少女のようだった。
性別を超越しているとすら感じる相手は、布をまとったままくるりと回り、薫香を部屋中にまいて微笑む。
「気に入っていただけたようでよかった。慎重に選んだかいがありました」
「まさか礼金だけでなく、こんな土産もいっしょに――なんてね」
満足したのか。占術師の青年は、その身体を包んでいた布を、付き人の老人に手渡し、向かいの席に再び腰をおろした。
「ずいぶん、気前がいい話ですな。デグラ様」
青年に付き従っている老人は、布を畳みながらも、探るような会話を選んだ。
「これくらい当然ですよ、フィリベルト殿。セリノ様の占術が、幻とも言われていたこの "泉" に、われわれを導いてくださったのですからね」
当たり前の回答を選ぶと、老人は静かに口を閉ざした。
青年と老人が、どのようなつながりか。想像はついていない。だが、青年に礼を持って接していれば、この老人は黙っていることが多い。
「私どもがお二人に出会えたのは、まさしく神のご加護だったのでしょう」
言えば、老人は無言でうなずいた。
とくに必要がなければ、こうして青年の影となる。御しやすい相手でなくとも、邪魔者とも言えない。微妙な存在だ。
翻って、主である青年の方は、非常にわかりやすい人物と言えた。
「時にセリノ様。これから、どちらへ旅立たれるおつもりでしょうか」
「ボクの行く先は、いつだって気が向くままさ」
ただしこれは、つかみどころがない奔放さを、見て見ぬふりをすればと条件がつく。
「もし急ぐ旅でないのでしたら、もうしばらくの間だけでも、ご滞在いただきたいのですが」
いま、出ていかれては困る。
だからこそ、あのような高級品をわざわざ買い求めた。すべては、類まれなる才能を持つ青年を、この "泉" に留めておくため。
「デグラ様。それは、セリノ様がお決めになること……」
口を閉ざしたはずの老人が、重々しく語りはじめた。しかし、それを青年自身が手で制した。
「いいよ」
口調の軽さは、当人の気まぐれな性格をよくあらわしている。
「もうしばらく、あんたたちといてあげる」
どうやら今回は、その気まぐれが良い方に向いたようだ。高い買い物ではあったが、狙った効果が出たならそれでいい。
「セリノ様」
老人が、咎めるように呼びかけると、青年はあからさまに機嫌を損ねた。
「フィリベルトは黙ってて。このボクが、いま、そう決めた。文句あるの?」
一部分だけ長く伸ばした、秘色色の髪をもてあそびつつ、青年はつんと顎をあげた。
「あんたたちは、金払いもいいし。占いが当たれば、こんなおまけだってついてくる。……それに、どうも表が騒がしいみたいだからね。湿気った隠れ家でも、いまは我慢しておくよ」
気まぐれな客人に、「それは、ようございました」と応じる。
すると、占術師の青年は、薄く紅を引いた唇に人差し指をあてたまま。まるで秘密を語るように、そっとささやいた。
「大志教殿。素敵な土産の礼に、ひとつだけ予言を追加してあげよう。ボクがただで占うなんて、ほとんどないからね。ありがたく受け取るといいよ」
思いがけぬ提案に、自然と身体が前のめりとなる。
「これはこれは。あなた様の占いは、まさしく正確無比。いまはまだ、隠れ潜んでいなければならないわれらにとって、ありがたい福音となります。……して、此度の予言は、どういったものでしょうか」
実際、この青年の予言はよく当たる。
これまで、占術師と名乗る者にも、預言者と名乗る者にも、数え切れぬほど会ってきた。だが、この青年ほど、物事を正確に言い当てる者はいなかった。この青年の占術は、まさしく格が違うのだ。
つぎは、いったい何を語るのか。
発言を、ひとつたりとも聞き逃すまいと、耳をすませて待っていれば。青年は、人を惑わすような笑みを作ったまま、不穏なことを口走った。
「あんたがようやく探し当てたこの "泉" に、牙のある魚がまぎれこんでいる」
語ると同時に、青年が面白がるように首をかしげた。
「早めにつまみ出した方がいいんじゃないかな? 魚の牙は、かなりのものだ」
かしげた拍子に、長い髪が肩からこぼれ落ちた。澄んだ水を思わせる髪が、わずかな明かりを反射しながら、ゆったりとゆれている。
青年が口にした新たな予言を、どう解釈するか。
その受け入れ方を悩んでいると、忙しない足音が客室に近づいてきた。
「――デグラ様! 大志教様、大変です!!」
だれも近づくなと言いおいていたはずの客室。そこにやってきたのは、部下ではなく信徒だった。
「あなたは……先日信徒となられたばかりの方ですね。どうしたのです。客人の前で、そのような大声を出して」
ぜいぜいと息をしている者に、落ち着くよう声をかける。
ところが、やってきた信徒は、動揺をおさえようともせず、まるで喚くように報告をあげてきた。
「習学者の一部が、反乱を起こしました!」
その内容に、思わず目を見張る。
「六人の志教たちはすでに……! 大志教様、神に牙むくおろか者たちに、聖なる裁きをお与えください!!」
信徒が願いを口にして、床に膝をつく。
一拍もおかず、客室にくすくすという笑い声がただよいはじめた。
「ほうら、ね」
さもおかしそうに笑う、占術師の青年。
青年は、色をのせているまぶたを、その頼りない指でひと撫でして言葉をこぼす。
「言ったとおりだろう? ボクの占いは当たるんだ」
そうして、またくすくすと笑い。
すべてを見通すと噂されている、天色の瞳を輝かせながら、両手を空に向かって掲げた。
「すべては星が導くままに――」