第二作戦終了
控室を辞して食堂にもどると、食堂に思いがけない人物がいた。
「神官さま!?」
剣士と卓を囲んでいたのは、ニーザス神官だった。
自分の姿を見つけるや、ニーザス神官は席を立ち、こちらの両手を握ってきた。
その仕草に、思わずどきりとしたものの。いま、自分が男性であることを思い出し、可能なかぎり自然にふるまう努力をした。
「神官さま、ご無事でしたか!」
「サミー、あなたも」
互いの無事をたしかめあって、重ねていた手を離した。
「さきほど "泉" に解放されたばかりだ。神官殿にも、事情と情報は共有してある」
剣士が言うと、ニーザス神官は無言でうなずいた。
その姿は、ほとんど別れたときのまま。桔梗の祭服も無事だし、怪我は見られない。
けれど、一箇所だけわかりやすい変化があった。
「神官さま。ひたいはどうされましたか?」
問えば、神官は右手をひたいにやって、こう答えた。
「澪尾神官の第三の目を、封じられてしまいました」
ニーザス神官が連れて行かれたのは、教義室と称されている部屋だったという。
ふたりの志教から説教を受けたが、その矛盾をひとつひとつ丁寧に指摘し、逆に改心させようと試みた。
しかし彼らは、神の教えにある矛盾を省みることも、ニーザス神官の説教に耳を貸すこともせず。若い澪尾神官が有していた真眼を封じ、もう一度考え直すようにとだけ言って、ニーザス神官を "泉" に解放したらしい。
「サミー、見てやってくれ」
剣士は自分に頼みごとをすると、「あちらの様子を見てくる」と、上の部屋に戻っていってしまった。
あの人に、報告したいことがあったのだけど……まあ、仕方ない。司令塔である剣士は、確認することが多いのだ。
ならば、いまは頼みごとに集中するとしよう。
革鞄から木の棒を取り出し。ニーザス神官のひたいに向けて、そっとかざした。
いかにも術具を使っているような演技をしながら、影側でこっそりと真眼を開く。
この部屋なら、 "索敵の陣" に遠慮せずともいい。真眼を開いて、籠められている真術の質と、その強さを探る。
神官のひたいを覆っているのは、人の姿が描かれた布だった。
描かれているのは、後光を背負い、天に両手を差し向けている男性の姿。その絵を記憶に焼き付けながら、気配をたどり、真円を視る。
籠められている真術は薄い。よくよく視ないと、その紋様を確認するのもむずかしい。どうやら、目くらまし用の真術もいっしょに籠められている。
しかし、その真術は隠匿ほどの力はない。
注視すれば、奥にも紋様があると気づける程度。
薄いながらも正しく描かれている光の円は、右へ、左へと旋回しつつ、真術の香りを放っている。
「これは……。光の強さや印の濃さから見て、正規の真導士の力です。どうしてこんなものが……」
残念ながら、真眼を封じているその真術の名前までは浮かばなかった。
蠱惑の真術は、ただでさえ似たものが多く、分類が難しい。
おそらく結界の一種だとは思う。でも、いまの自分では、名称の判断にまでは至らないし、解いてあげることも不可能なようだ。
結界を解くなら、 "解呪の陣" が必要になる。
こちらも蠱惑の真術。それも、かなりむずかしいものだと聞いている。
導士の教本にも載っていないので、たとえ自分が蠱惑でも、導士であるうちは展開できそうにない。そもそも、鎮成を持たないいまの自分では、知っていたとしても "暴走" させるのが関の山。
しかし、これは真導士の真術だ。それだけは断言できる。
これほどの力。片生では、とても展開ができない。
「やはり……。とても強い力を感じます。自力では解くことがかなわないようです」
ニーザス神官は、落胆するでもなく静かに笑んだ。本人にもわかっていたことだろう。深く嘆くでもなく、仕方ないかというような表情を浮かべた。
神官の真眼を封じている真術は、正規の真導士のもの。
とはいえ、この "泉" に真導士がいるとは思えなかった。近くにいて、真術を展開したのなら、自分が気がつく。
念のため、神官に志教のほかにだれかいたかと問いかける。思っていたとおり、この問いには否と返ってきた。
「どなたもおられませんでしたよ。真導士らしき方は、一度もお見かけしなかった。第三の目を封じたのは輝尚石です。だれかに術をかけられたのではありません」
この返答に、人知れず胸をなでおろした。
よかった。
これで "淪落の魔導士" でも出てこられたら、どうしようかと思ったのだ。
作戦は、片生を相手に想定したもの。淪落が出てきたりしたら、せっかくの作戦が、根底からひっくり返ってしまう。
志教たちが輝尚石を使ったという話なので、十中八九盗難品だろう。
ならば、いまは捨て置いていていい。それは国の仕事だ。真導士の責務には当たらない。
そこまで思考をつなげて、重要な話を思い出した。
「神官さま、あの!」
"救援札" についてなのですが――と言いかけたとき。隣の部屋から、喜色満面のご主人がやってきた。
「サミー、よくやってくれたね!」
まるで図ったかのような割りこみのせいで、思いっきり舌を噛んでしまった。
「――っ! あ、ああ……旦那さん、その、ケン坊は無事ですか?」
「無事に戻ってきたよ。あれだけあれば、かなりの戦力になると剣士さまもよろこんでいた。本当にありがとうね」
八百屋のご主人は、自分の行動をほめながら、肩をぽんぽんと軽く叩く。
そんなご主人のうしろから、剣士とお兄さん。それから、大役を終えたばかりのケン坊と、怖そうな顔をした、どうにもあやしい風体の男が姿を見せた。
にこにことやってきて。口々に自分を褒めてくれる彼らには、大変申し訳ないけれど……。いまは、とっても間が悪い。
もうちょっと。
せめて、あとひとこと分だけ、遅くきてもらえたらよかったのに。
内心で無念をくすぶらせたまま、どうにかこうにか、笑顔らしきものを取りつくろう。
こちらの無念さを知る由もない剣士は、潜入調査を終えたばかりの自分に、ねぎらいの言葉をかけ。しばしの休息をうながす。
「本当によくやってくれた。疲れているだろう。少し休むといい」
はい、ありがとうございます――と言いかけて、そんな場合でないことを思い出した。
「いえ、時間がありません。急がないと。ニーザス神官も、どうぞこちらへ」
急にあわてだした自分に、全員がおどろいた様子だった。
そんな彼らに、とにかく奥へとうながし、先を急ぐ。
頭のなかで、伝えるべきあれこれを整理しながら炊事場に入る。その途端、ニーザス神官が、びっくりするほどの大きな声で叫んだ。
「オスカー、オスカーではないですか! こんなところで何をしているのです!?」
大声を出した神官は、炊事場の隅でしゃがみこんだまま動こうともしない人物の横に、両膝をついた。
「あの、神官さま……こちらの方は?」
おそるおそる聞いてみると、ニーザス神官は、その人の顔をのぞきこみながら「わたくしの同輩です。先に町へ帰った……澪尾神官です」と言った。
「どうしました、オスカー。しっかりしてください!」
何度も語りかけ。その肩をゆすり。背中をなでても、オスカーという名の澪尾神官は震えるばかりだった。
同僚の状態を確認したニーザス神官が、「何てことだ……」というつぶやきをもらす。
そんなふたりの様子を見て、八百屋のご主人が、無念そうにささやいた。
「こちらの方も、神官さまでしたか……。だから内省室に送られたんですかね」
「内省室?」
若い澪尾神官が、それはいったいどのような場所かと問うと、剣士が内省室の概要を伝えた。その説明を聞いたニーザス神官は、天を仰ぎ、祈るように目を閉じる。
「でもさ。なんで、ニーザス神官は、内省室に送られなかったんだろうな?」
「事情は不明だが、いまは内省室の鍵が開かないようだ」
剣士が答えると。ニーザス神官が思い当たる節があると語りだした。
「たしかに。志教を名乗る者たちは、だれかを待っている様子でしたね。まだか、まだかとどこかに確認に行って……。いまは仕方がないと、力を封じる輝尚石を出してきたのです」
そのとき、ケン坊が「オイラ知ってるよ!」と口を挟んできた。
「そいつは、きっと大志教ってやつだよ!」
「大志教? 何か知っているのか、ケン」
「うん。志教のうえにはね、大志教がいるんだって。オイラ一度だけ見たことがある。横穴を探検しているときに、こっちに下りてきてさ。わーわー話したあと、志教たちといっしょに、あのひとを連れていっちゃったんだ」
ひととおりの話を聞き終えて、ニーザス神官がつぎの作戦を急ぎましょうかと言った。
「……内省室は、大変危険な場所のようですね。動くなら、大志教とやらがいないうちがいいでしょう」
神官から話題を引き取った剣士が、最大の懸念点をあげる。
「問題は、真術を使う志教だ」
この流れを逃すまいと、自分から話題に食いついた。
「あと少ししたら、その志教が部屋から出るはずです」
「それは本当か?」
「ええ。残念ながら、大志教はすでに帰還しているようです。しかし、いまは来客と接見しているという話で……。あと少ししたら、か――真術を使う志教が、報告に向かうと言っていましたから」
思わず片生と言いそうになったのを、急いで言い換える。
剣士がそのまま流してくれたので、だれに疑問に思われるでもなく、話題はそのまま進行していく。
「そうか。ちなみに来客とは?」
「志教たちは、占い師と呼んでいましたね」
剣士は、占い師という言葉に、表情だけで小さな反応を示した。
志教たちの部屋で仕入れた情報や、部屋の詳細な配置を伝えきると。剣士は、腕を組んで考えこむような仕草をした。
「……真術使いと大志教が会している間、か」
考え込む剣士の脇から、怪しい風体をした男が口を差しこんできた。
「そいつは、時間が短すぎるんじゃねぇか?」
腕に、胸に、頭にと。たくさんの入れ墨を入れた、人相の悪い男が、そんなんでやれんのかと剣士に詰め寄る。
ちょっと怖そうなその人が問いに、剣士はいけると断言で返した。
「志教連中を制するだけでいい。この人数なら、可能だ」
「そりゃま、あんたは大丈夫だろうけどな。こんな細っこい小僧たちが、うまく立ち回れるもんかね。どいつもこいつも甘っちょろい顔して。まともに喧嘩したこともなさそうじゃねえか」
入れ墨の男の発言に、お兄さんがむっとした顔つきになった。
「何だよ。喧嘩くらいしたことあるっつーの!」
「本当かあ? とてもそうは見えないけどな。今回はただの殴り合いじゃねえんだぞ。真術使い以外の連中も、みんな輝尚石を持っているって話だ。あんちゃん、ちゃんとわかってるのか?」
輝尚石と言われて、お兄さんがぐっと言葉をつまらせる。
しかし、ここで作戦を断念されてはたまらない。
情報と輝尚石の収集を終え。念願だったニーザス神官との再会を果たし。町へ帰還するための希望が、すぐそこで輝いている。
それに、 "泉" に来てからのごたごたで、ついつい忘れそうになっているけれど。自分は、大急ぎで術具屋に向かい、用事をすませないといけないのである。
剣士が連れてきたということは、怪しい入れ墨男も脱出仲間なのだろう。
とにもかくにも時間がない。こんなときに仲間割れなど言語道断。
普段ならば、娘は男たちが話をまとめるまで口をつくんでいるのが常。とはいえ、いまは男装中でもある。そして何より、真術に関しては、自分がこのなかで一番通じている。
うしろで控えたがる恥じらいの感情を押しつぶして、「大丈夫です。絶対にいけます」と強く言霊を発した。
会話に入りこんできた自分を、入れ墨男が「何だって?」と睨めつけた。
だがしかし、もはやこんなことで動揺するような自分ではない。どんなに怖い男の人であっても、 "魔神獣" と比べれば、まったく怖くない。
風渡りを越えて心につけた力を、いまこそ発揮するときである。
「いけるって、どうして言い切れるんだよ」
問われて思い出されるのは、風渡り前日に生まれた英雄譚。
頼れる同期の男たちが選んだ、一発逆転のあの戦法だ。
「志教たちの控室には、蔵より多くの輝尚石が備蓄されていました。乗りこんで志教たちを制すれば、丸ごと戦力になります」
「そんな大量の輝尚石があったら、反撃だってとんでもないんじゃねえのか?」
「いいえ、それはありません。第三の目を開いていない志教たちでは、輝尚石の力を完全に引き出せません。ひとりがひとつの輝尚石を展開する。それが限界でしょう」
説明をつけ加えたとき、剣士から鋭い視線をそそがれた気がした。
しかし、いまはその視線すらも無視して、話のつづきに集中する。
「輝尚石本来の力を引き出したり、複数の輝尚石をあつかえるのは、真術使いの志教だけ。部屋にいる志教たちは五人。ご主人とケン坊を除けば、こちらも五人。この人数で、隙を突けばいいだけです。先制攻撃をすれば、勝ち目は十分あります。それに――」
「……それに?」
「控室のどこかに、 "転送の陣" が隠されています。制して。見つけて。真術使いがもどる前に、町へ逃げてしまえばいいのです。どうでしょう。やれそうな気がしませんか?」
自分が発した言霊に、すっかり飲まれた様子の入れ墨男の顔を見て。
それから、ぽかんとしている三人と、おどろき顔でこちらを見ているニーザス神官の顔を見返して。
最後に、剣士の表情を確かめた。
「第三作戦は、これで決まりだ。一気に攻め落として、町へ帰還する。時間がない。いまから志教たちの部屋に攻め込むぞ。皆、覚悟はできているな?」
剣士が言ったのと同時に、食堂の壁掛け時計から、時を告げる大きな音が鳴り響いた。
夕刻まで、もう時間がない。
速やかに第三作戦に移るべく、全員で行動を開始した。