即席食堂
「はいはい! みなさん、できるだけ詰めて座ってくださいよ!」
お兄さんが、呼びこみをするときのように声を張った。
さすがは商売人である。
人さばきのうまさと、要領の良さには、思わず感服してしまう。
話を聞いたとやってくる人々を、お兄さんがいい具合に座らせていく。
仲の良さそうな人たちは向かいに。ひとりでやってきた人たちは斜向いに。しかも、配膳するときにうまく動けるよう、適度な空間を空けておいてくれるのだ。
席についた人には、八百屋ご主人とケン坊が、順に配膳をする。こちらも「この青菜は、いまが旬だ」と、野菜の説明に余念がない。
おかげで、即席の食堂ではあるが、それなりの賑わいとなっている。
商売人というものは、みながみなして大変器用にできているようだ。つぎの春には、自分も仲間入りの予定である。けれど、果たして、こんな風に立ち回れるだろうか?
……ちょっとばかり。いや、まったくもって自信がない。
「こりゃ、すげえ!」
「いやはや。久々にまっとうな食事にありつけたな」
指揮勘殿の采配は、見事なまでに大当たりだった。
皿に残されていた残飯を見て、もしかしたらいけるかもとは思った。でもまさか、ここまでの大当たりとは思ってもみなかった。
考えてみれば、そうなのだ。
この "泉" に連れてこられるのは、だれも彼もが男性である。
一般に、男というものは、家事炊事にうとい。それは基本的に女の仕事とされているのだ。
連れてこられたひとのなかに、料理人がひとりもいなかったというのも、女神の思し召しなのかもしれない。
"泉" のなかにも食堂はあれど、ほとんど使われていなかった様子。自分たちが足を踏み入れたときには、そこかしこにほこりが積もっていた。
火も入っていなければ、水も汲まれていない。
食材こそそろえられていたものの、調理が行われた形跡は一切なかった。乾物が入っていた荷箱ばかりが中身を減らし、肉や野菜は手つかずの状態。
時折、志教たちから食事の差し入れがあったらしい。しかし、さすがに毎日ではなかったという。
指揮勘殿の指示にしたがい、大量に昼食をこしらえた。
時間的な余裕がなく、何品も用意はできなかった。仕方なく、今回は具だくさんのスープに焼いたパンだけ。「これでも何とかいけるだろう」という予想を大きく上回り。ほこりだらけで閑散としていた食堂は、もう座席の八割が埋まっている。
「手際がいいな」
剣士は、炊事場の壁に背を預けた格好のまま。スープとパンの用意に追われている自分を、ただ眺めていた。
「ありがとうございます」
せっせと手を動かしながら、とりあえずの礼を伝える。
「近頃の術具屋では、食事も出しているのか?」
剣士の言葉には、つねに独特の険と圧が含まれていた。話せば話すほど、このひとの前で油断してはいけないという気分にさせられる。
一度、食事を用意する手を止めて。下がってきていた外套の袖を持ち、もう一度、腰に強く巻きつけた。
「いろいろありまして、食堂で働いていたことがあります」
「……ほう」
こういうときは、本当の話をするのがいい。
ただし、本当は言うけれど全部は言わない。これが肝要だ。
くり返し開かれていた男たち会合で、よく使われていたこの戦法。隠し事だらけで息苦しいいまの自分にとって、思いがけない恵みとなっている。
「剣士さま。サミーはこう見えて、石頭で意地っ張りの家出小僧なんですよ。この町に来たのも、故郷のおふくろさんと喧嘩して――」
「ああ、カイさん。この皿もお願いします」
ひょっこりと戻ってきたお兄さんに、盛り付けたばかりの皿を、ぐいぐいと押し付けた。
「へいへい。そんな怖い顔するなって、な?」
へらへらと笑いながら、食堂に戻っていたその背中を見送り。調理中から気になっていたことを、声を潜めて剣士に問いかけた。
「あの方は、どうされたのです……?」
目線だけで示した人物は、ひとり炊事場の隅にうずくまっていた。
自分たちがここに来たときには、すでにこの姿勢で隅に座りこんでいたはず。あれからけっこうな時間が経ったというのに、いまも微動だにせず。自身を抱き込むような格好で、ずっとうずくまったまま。
あのひとの分も、食事を作ろうか。
いや、具合が悪いなら病人食をこしらえた方がいいか。どうしたらいいかとたずねたら、剣士が「ああ……」と言葉をもらした。
自分たちの話が聞こえたのか。食堂から帰ってきたばかりのご主人が、剣士に代わってこっそりと事情を教えてくれた。
「あのお人はね、ちょいと前に内省室送りにされたんだよ……」
「内省室?」
ご主人につられて、自分の声も自然と小さくなった。
「そう、内省室。 "泉" のどこにあるんだかもわからない、謎の部屋なんだ。あそこに送られた人は、みんなして人格が変わってしまう。急に神への信仰にのめりこんだり、あのお人みたいにおびえきって、口も聞けなくなったりね」
ご主人は知っているかぎりの話をして。その小さく丸い姿を見つめながら「……おかわいそうなことだよ」と、憐憫をもらした。
ご主人が説明を終えると、今度は剣士が密やかな声で語りはじめる。
「さんざん教義室には入れられたがな。反抗ばかりしている私ですら、内省室には送られたことはない。どのような理由かは知らないが、むごいことだ」
むごいという言葉のとおり。よくよく見れば、そのひとはうずくまりながら震えつづけていた。
おととい、内省室から出てきて、それきりここから動かなくなってしまったのだという。
「でも、剣士さま。あなたは、なぜ大丈夫だったのですか?」
見ていられなくなって、話の軸を違う場所にうつした。
そうしながらも、意識はべつのところに飛んでいた。
あれから時間が経ったけれど、いまもニーザス神官の姿が見えない。邪教の徒にとって、パルシュナ教会の澪尾神官は、間違いなく敵にあたるだろう。もしや、内省室送りにされてるのではないかと、心配になってきた。
自分のなかでむくむくと湧いてきたそれを、そうとは知らずに切り捨てたのは、混髪の剣士だった。
「あちらに何某かの事情があるようだ。いまは、内省室の鍵が開かないらしい」
「開かない?」
「理由は不明だが。私が来てから、内省室に送られた者はいない。何しろ、志教のやり方に逐一反発している私が無事だからな。鍵が開かないというのは、おそらく事実だ」
そうか。
なら、ニーザス神官もきっと無事でいるはずだ。
自分は、あのひとの力となるという責務を負っている。一刻も早く、ここを抜け出したいけれど。 "救援札" の件だけは、どうしても捨て置けない。
お蔵番となれば、志教の部屋にも、ほかの鍵がかかっている部屋にも出入りができる。松明代わりに取りつけられている、炎豪の輝尚石を交換に行くという仕事があるからだ。
とにかく、勤勉で素晴らしい習学者を演じて、今日のお蔵番に選ばれることが第一。
その第一目標を達成したら、蔵の輝尚石をケン坊に流しつつ、連れ去られたままニーザス神官を探し出す。
ニーザス神官と合流できたら、 "救援札" について早急に確認をして。できるならいっしょに町の術具屋を目指す。
それから、術具屋の高士に取りついで、ついでに鎮成と隠匿を込め直してもらう。
朝出発したときより、少し……いや、かなりやることが増えている。
しかし、弱音をはいている暇などない。自分は絶対に、師父への弟子入りを果たさなければならないのだ。
うず高くなってしまった数々の目標を見据えつつ、剣士との会話にもどる。
「内省室が開かないとしても……。何度も反抗していては、危険ではありませんか」
「そうだろうな」
スープの具合をたしかめながら話をふれば、剣士はそれが何だというような返答をした。
脱出希望者のまとめ役をこなしている剣士。そんな彼の行動をとがめるのも、どこか気が引けた。けれども、大事なまとめ役を失えば、町への道がさらに遠のいてしまう。
できるだけ安全に配慮して欲しいのだけれど、剣士は気にするつもりがないようだった。
「いま、私たちがやれることは、非常に少ない。奴らを斬り伏せてやろうにも愛剣がない。脱出しようにも力がない。道も見えず、手も足も出せない時間は、もどかしく、耐え難い。こういうとき、思い出すようにしている言葉がある」
めずらしく多弁になった剣士に興味をひかれ、つと顔をあげた。
「やりたいこと、すべきこと、選ぶべきことがわからない。そんな時は、自分が絶対にゆずれないことを追えばいい――と。堪え性がない私のために、父が残した遺言だ」
壁に寄りかかりながら、どこでもない場所を見ている剣士。
その目には、なつかしい日々が浮かんでいるようだった。
「どちらにせよ、私はもう目をつけられている。鍵が戻れば、内省室送りは確実だ。だが、君だけは引っかからないように気をつけてくれ。われわれの大事な隠し玉だからな」
剣士は、かつてから視線を外し、自分の目を直視しながらこう言った。
その発言に「ええ」と返したとき、食堂のほうから、やや大きな声が響いてきた。