お蔵番
甲高い悲鳴から一拍おいて、幼い声が部屋にひびいた。
「いったあ! また、ぶつけちゃったよ」
背後の通風孔から姿を見せたのは、見覚えのある少年だった。
「ケン坊!?」
お兄さんが声をかけると、少年はぶつけたばかりの頭をさすりながら、くったくのない笑みを浮かべた。
「あ、カイ兄ちゃん? サミー兄ちゃんも!」
「まいど」と挨拶してきた少年に、「まいど」と返す。
これは、商人同士がする定番の挨拶だ。
表向きは、武器商人に弟子入りしているという話になっているし。架空の実家も、商家ということにしてある。
そのため、周囲にばれないよう、できるだけこなれた風に挨拶を返している。それなりに様になっているのは、悪徳商人殿のおかげだと思っている。
「ケンや。持ってこれたかい?」
八百屋のご主人が声をかけると、少年は自慢をするように手のなかのものを広げて見せてきた。
「うん、おっとう。今度は三つも持ってこれたよ!」
八百屋の息子――町の人々からケン坊と呼ばれている少年の手には、言葉のとおり、三つの黄ばんだ輝尚石が乗っていた。
息子の手にあるものを確認し、うんうんとうなずいた八百屋のご主人は、混髪の男にこう問いかけた。
「剣士さま。こいつをサミーに見せてもいいですかい?」
話の流れを想像していなかったのだろう。
問われた相手は、さもいぶかしそうに自分を見てきた。
「彼に?」
「ええ。じつはね、この子の実家が術具をあつかっているとかで。けっこう輝尚石に詳しいようなんですよ」
これも、先生が考えてくれた自分の設定のひとつである。
輝尚石や術具は、民にとっては高級品。
まだ成人したばかりの若造が、あれもこれもと持っていれば、なかにはおかしいと感じる者も出てくるだろう。
だが、実家が術具屋という話にしておけば、違和感を払拭するのに困らない。家業ならば、持っていても知っていて当然――と、みなされるからである。
ちなみに、この設定を使うときの口上も決まっていて、今回の場合は――
「上物のあつかいはありませんが、行商人に卸すような品でしたら、よく知っています」
と、答えるようにと言いつけられていた。
ぐうたらな師父の助言どおりに答えれば、相手の顔から警戒の色が抜けた。
「見てもらえるだろうか」
どうやら、とりあえずの信頼は得られたらしい。なかなか便利な口上である。
このひとは、周囲を緊張させるような独特の威圧感をもっている。
悪人ではなさそうだ。
しかし、どうにも油断できないような印象がある。さきほどの立ち回りを考えても、あまり警戒されたくない相手だと思えた。
いまは協力的な姿勢を見せて、信頼をかせいでおきたい。
このあと、どう動くかまでは考えが追いついていない。けれど、剣士と呼ばれたこのひとを敵に回したくない。そういう相手だと、本能がささやいていた。
革鞄から木の棒を取り出して指でつつき、ケン坊から手渡された水晶にかざす。
本当のことを言えば、手にもつ前に輝尚石の正体はわかっていた。でも、普通はわかっている方がおかしい。だからこそ時間をかけて、さも調べていますという風を演出する。
心のなかで、ゆっくり十数えてから、じれったそうに待っていたケン坊に答えを伝える。
「……これは "癒しの陣" ですね。こちらのふたつは "流水の陣" 。力は弱いようですが、飲み水としてなら使えます」
事実を伝えた途端、少年の顔が露骨にしおれてしまった。
「…… "転送の陣" じゃないの?」
さきほどとは打って変わって、しょんぼりとしてしまったたケン坊。かわいそうであっても、事実を変えるわけにはいかない。
いかにも残念そうな子供に、転送ではないことを改めて伝えると、今度は唇がとんがってしまう。
「なあケン。こんな高価なもの、どこから拾ってきたんだ?」
鑑定が終わるのを待っていたらしいお兄さんが、当然の質問をケン坊に投げる。すると、唇をとんがらせたままの子供が、さきほど出てきた通風孔を指差しつつ、「蔵だよ」と答えた。
「蔵?」
「うん。そこの穴から入れるんだ」
息子の不十分な説明を、八百屋のご主人が補足する。
「 "泉" のなかにはね、隠し通路のような横穴が、そこらじゅうに空いているんだ。こちらの剣士さまが出てきたのもそう。ほとんどが、大人には入れないような小さい横穴だけどね。この子なら、楽に出入りできる。だから見張りがいないときを狙って、志教たちの蔵から持ってこさせてるんだよ」
父親が説明しているうしろ側で、鑑定結果に不満があったらしい子供が、ますますいじけをひどくしていっている。
「あーあ。また空振りかぁ。いつになったら "転送の陣" を見つけられるんだろ?」
いじけにいじけ、小さく丸くしゃがみこんでしまったケン坊。
親子の会話を聞いているばかりだった剣士が、すっかり小さくなった少年の横にひざをつき、傷跡が残る大きな手で頭をなでた。
「ケン。いままで持ってきたものは無駄ではない。のちにかならず必要となる。その三つは、いままでとは違う場所を探して、うまいこと隠しておいてくれ」
混髪の剣士が言うと、ケン坊の気分はすこしばかり回復した様子だった。
しょぼくれは残っているものの、「わかったよ、剣士さま」と応じて、鑑定した輝尚石たちを引き取りにくる。
「ほかにも輝尚石があるのか?」
「うん。オイラいっぱい集めたんだよ」
小さな両手に三つの輝尚石を抱えたまま、ケン坊は少しだけ胸を張る。
そんな子供に、酒屋のお兄さんは両手を合わせ、申し訳ないんだけどと話を切り出した。
「ひとつ都合してもらえないか。さっき "もぐら" から落とされたとき、足をひねってさ……」
頼まれた子供は、父親ではなく剣士の顔を見やった。
その仕草だけで、関係性が理解できた。
輝尚石集めを主導しているのは、やはりこの剣士であるようだ。
「もちろん、傷を治すのはかまわない。ただ、足を痛めたふりはつづけて欲しい。怪我が治っていては、志教たちに不審がられる。君たちは何も知らない。ここに来たばかりでまだ混乱している。そのうえ怪我もしている。ここに馴染むには、まだ時間がかかる……そういうことにしておいてくれ」
剣士の頼みに、ふたりで了承を返す。
話がついたのを見計らって、八百屋のご主人が「ついておいで」とお兄さんを呼んだ。
「カイや、包帯を巻いておこう。その方が、誤魔化しやすいだろうからね。それから、ほかの輝尚石もサミーに見てもらおう。もしかしたら "転送の陣" とやらが混ざっているかもしれない。……剣士さま、それでよろしいですか?」
「かまわない」
「カイはこっちにおいで。ケンや、その輝尚石を、こっちに持ってきなさい。サミーはここで待っていてくれ。包帯を巻き終わったら、いままで集めたもの奥から出してくるから」
「いっぱいあるからがんばってね、サミー兄ちゃん!」
立ち直ったケン坊の、元気いっぱいな励ましに、右手を振って返した。
「わかりました。まかせてください」
よかった、うまくいった。
安堵しかけたとき。場に残った剣士から、切れ味のある言葉が飛んできた。
「若いのに目が利くな」
その声は、さきほどよりも低く、小さなものだった。
荒い言葉遣いではない。けれども、強い圧がある。
「あれだけの早さで、輝尚石の強度まで視られる者は、そういない」
言われて、思わずぎくりとした。
ゆっくりと数えたつもりだったのに、まだまだ早かったらしい。
「ありがとうございます」
内心のあせりを隠して返答をしてみたものの、心臓の騒ぎまではおさえきれない。
この人は、とても鋭い。
正体がばれないよう、会話にも注意していかなければと、緊張を高める。
あせりや緊張も悟られてはいけない。面布の下で、静かに呼吸を整えながら、表情を崩さない努力をつづける。
「ひとつ聞く。パルシュナへの信仰はたしかか?」
剣士が出した問いには、鋭い刃が潜んでいた。
この質問は、絶対にはぐらかせない。半端な答えも危険だ。
そう直感して、相手の目をしっかりと見返した。
「わたしたちといっしょにきた神官さまが、志教たちに連れて行かれてしまいました。あの方は澪尾神官です」
剣士のひたいを隠している、色あざやかな布。
その布が作り出した影のなかに、燃え盛るまなざしがあった。
剣士がもつ瞳は、燃えるような夕日色。心身の強さをあらわしているかのような瞳には、疑心に似たものが見え隠れしている。
「わたしは、あの方をお助けしたい。そう考えています」
瞳の奥にある、剣士の心に向けて言霊を出すと、剣士の表情がわずかに和らいだ。
「私には事情があってな。できるだけ早く、町へ戻らなければならない」
淡々と語った相手に、自分も聞いておきたいことがあった。
「それは、あなたが兵士だからですか?」
「いまは回答できない。これを答えの代わりとさせてくれ」
すぐに答えを返してきた剣士の顔には、迷いが微塵も浮かんでいない。
それでも、いまの返事で腑に落ちた。
この人は、ただの剣士ではなく兵士だ。
国軍にしろ、領兵にしろ、兵士であるならば、悪党に与することはない。きっと、澪尾神官の救助にも、手を貸してくれるだろう。
お互いが本当を語らずとも、大事な部分の確認ができたなら、この状況では十分だと思えた。
「奇遇ですね。わたしも急ぎの用事があるのです。早く町に帰る方法と、神官さまをお探ししたいと考えているのですが……」
相手も、いまの会話で最低限の確認ができたようだ。
今度は、余計なものを取り払った、直球とも感じるような話題を出してきた。
「私を含め、 "泉" から出たがっている者が何人かいる。だが、われわれを監視している志教たちは、全員が輝尚石を使う。 "泉" に連れてこられたとき、武器はすべて没収されてしまった。丸腰では真術に対抗できない
話題と態度を一変させた剣士は、音を立てないように歩き、外をのぞける場所へと移動していく。
「しかも、志教のなかには、真術をあつかえる者がひとりいる」
外の様子をうかがいながら会話をつづける剣士に、こちらも直球で応じることにした。
危なっかしい会話ではある。けれど、そうでしか伝わらないこともあると、感覚で理解していた。
「真導士ではなさそうですよ」
「片生だ。こう呼べば、精通している君ならわかるはずだな?」
一切の遠慮がなくなった会話。
楽だと思える反面、危険度がぐんと上がった。
しかし、こちらの方が断然話がしやすい。言葉を選びながらの会話は、機転がきかない自分にとって、どうにも負荷が高いのだ。
「ケンが持ってこられる輝尚石は、蔵の通風孔の近くに積んであるものだけ。数も一度に三つがせいぜい。そのうえ、武力とならない種類が多い。片生相手にやり合うことを考えると、いまのままでは効率が悪すぎる」
三人が戻ってくる前に、情報を伝えきろうとしているのか。
剣士の口調が、いきなり速くなった。
「長居をすれば、洗脳される者も増えていく。現に、昨日今日と、 "泉" の人数が減っている。いまは敵意がなくとも、相手は邪教の信徒。いつ本性をあらわすかわからない。早急に、志教に対抗できるだけの輝尚石。もしくは "転送の陣" を入手したい」
そういうことか。
ケン坊が転送にこだわっていたのは、剣士から教わったためだったのだろう。
「輝尚石は蔵にある。蔵には鍵がかかっていて、志教のほか、かぎられた者しか入れない」
「かぎられた者?」
「日替わりのお蔵番だ」
お蔵番と復唱すれば、剣士は外をのぞいた姿勢のまま、こう答えた。
「お蔵番は、習学者の間で、信仰心を競わせるための仕組みだ。心映えがすばらしい。もしくはよく学べていると、志教が評価した者だけが選ばれ。特別に、蔵の鍵があたえられる」
蔵の鍵を持つ者は、その日にかぎり、蔵と各部屋の行き来が許される。主な仕事は、各所に設置された輝尚石の交換だという。
「選任されるのは、決まって昼食のあとだな」
剣士は、志教連中にさんざん反抗してしまったらしい。
そのため、どうあがいてもお蔵番は狙えない。また、できることなら、あの親子に危険なことはさせたくないとも語った。
「君は、輝尚石の鑑定ができる。この役目にうってつけだ。やれそうか?」
質問の体であったものの、これは決定事項だと感じた。さらにいえば、話を聞きながら自分が考えたのと同じ内容でもあった。
なので迷うことなく、了承を伝えた。
剣士の言うとおり、八百屋の親子にはさせたくない。そして、できるならお兄さんにもさせたくない。志教のなかには片生がいる。もしもを考えれば、自分が引き受けるのが一番いい。
「これからの短時間で、どうにか志教たちに取り入るしかないのだが」
ここで、剣士の言葉がはじめて途切れた。
「もう昼食の時間が近い。何か方法があれば」
壁に身を隠すようにしながらも、木枠だけの窓から階下を眺めている剣士。彼にならい、自分も反対側の壁にはりついて、そっと階下をのぞきこんだ。
階下には、まばらながらも人影がある。
志教と呼ばれていた者たちの姿はない。連れてこられた習学者たちが、地下の広場で好きなようにくつろいでいる。
その光景を眺めていたら、ふとひっかかるものを見つけた。
談笑をしていたらしきふたりが、席を立ったのだ。いまのいままで彼らがいた卓には、汚れた食器がそのまま残されていた。
食べきれなかったのか。もしくは気に入らなかったのか。皿のうえに、彩りが足りない食事が、半分も残されている。
それを見ていたら、ずっと沈黙を守っていた指揮勘殿が、ひさびさとなる号令を頭のなかで発した。
「剣士さま。ひとつだけ、試してみたいことがあります」