夢見
修行地に来てから、よく見る夢がある。
ベロマの夢だ。
たったの一度だけ、実習で行った青果の町。
あの町の地下に囚われていた、あわれな亡骸たちが夢に出てくるようになった。
どうしてだろう?
あれから、何ヶ月も経っている。いまになって、なぜあの場所を思い出すような夢を見るのか。
夢を見はじめてから、何日も悩んでみたが、いまだに原因がわからない。
しかも、あの町の夢を見たあとは頭痛が出る。今日は頭痛に加えて背中の寒気がひどい。
掛け布団にくるまり、寝床のなかで丸くなってみた。
しばらく丸くなっていたけれど、ぶるぶると震える背中に我慢ができなくなった。寝床に残りたがる心を叱咤して、布団から脱出する。
抜け出た途端、襲いかかってくる寒気を気力でこらえて。箪笥から、厚手の羽織物を取り出した。
町の古着屋で、男物として売られていたしぶい色の上着。寒冷地仕様で、もこもことしているそれを羽織っても、まだまだ寒かった。
さらなるあたたかさを求めて、視線を暖炉まで滑らせる。すすけた暖炉に向かって念じれば、奥で輝尚石が輝き、薪に着火した。
暖炉に火が入ったことで、ほんの少しだけ部屋の寒さが和らいだ。鏡台の前に座って、起き抜けの自分を確認する。
顔色は悪くない。
眉間にしわが寄っているくらいで、顔自体はいつもどおり。
よかった。風邪をひいたわけではなさそうだ。
頭痛からくるしわを深めながら、鏡のなかの自分とにらめっこをしていたら、足元で鳴き声した。
「おはよう、ジュジュ」
声をかけると、頭の奥がずきりと痛んだ。
とっさに目をつぶり。両手をこめかみにやって、痛みをやり過ごす。
本当におかしい。
こんなにしつこい頭痛がつづくのは初めてだ。夢を見て泣くことはあっても、締めつけられるような頭の痛みが出たことなど、過去に一度だってなかったのに。
ああ、まったく困ってしまう。
風邪でもないから薬も飲めないし。あたたかくするくらいしか、やりようがない。
しばらくじっとして、自分の内側に集中する。
胸の奥からは、つねにふたつの音が聞こえている。ひとつは心臓が発っしている音。もうひとつは、大切な宝である神授の杖が発している音。
鼓動と同じように鳴っている音は、心にやすらぎを運んでくる。その心地いい音を聞いていたら、透明な何かが勘に触れた。
予感を抱いてぱっと目を開き、真上をうかがう。
もちろん、自分の真上には天井しかない。いつ確認してもそうだ。わかっている事実をたしかめたくて、視線を送りつづける。
しばらくそうしていたら、足元にいたかわいい子が、心配そうにふたつほど鳴いた。
「……大丈夫。なんでもない」
そう、なんでもない。
この痛みは、起き抜けだけ。朝一をやり過ごせば、もう大丈夫。
それに、この感覚もきっと気のせいだ。だれもいない部屋で視線を感じるなんて、錯覚としか思えない。
気がつけば、頭から痛みが去っていた。
もう、動いてもよさそうである。
まずは、手早く髪を編みあげた。いつものように編みあげた三つ編みは、普段よりもわずかに膨らんでいる。これは、添え髪を含めているためだ。
添え髪は、未婚の女性である証。
つまり、添え髪を下げていると、すぐに娘だとわかってしまうのだ。
修行地は、里の保護下にはない国の領域。
聖都ダールのように憲兵いてくれたり、真導士に手厚い守護があれば気にしなくてもいい。しかし、聖都ほど守りが厚い場所というのは、国内でも数えるほどしかない。
この地の領主は、民からの信頼があるとは聞く。領地内の町や村に、領兵の派遣もされている。それでも聖都と比べれば、守りが手薄く感じてしまう。
修行地は、領地内でもとくに、人気がないと言われている土地。
身の安全を考え、常日頃から男装するようにと、師父から言いつけられている。
男装するなら、添え髪を隠すのは絶対だ。
慣れない髪型だからか、こぼれ髪が出やすくて困っている。
やっぱり今日も、はらはらと落ちてきてしまった。いい加減、なれないとと考えつつ、布を手にとる。
ひたいにあてる布は、男性がする額飾りの真似事。ついでに、ちょっとした仕込みがある。
この布を巻けば、たとえ真眼を開いていても、外に気配や光がもれなくなるのだ。
布を通して真力や真術を出すと、普段より力が削減される。それに、真眼を開いた真導士を相手にすれば、さすがに誤魔化せないらしい。けれども、民しかいない場所ならこれで十分なのだとか。
真眼を覆い隠すように布を巻いたら、いつもの帽子をかぶる。
そろそろと出てきた髪を、しっかりと押しこんで。最後に大事な腰布を巻いて、とりあえずの支度は完成だ。
外出するときは、ほかにも術具が必要になる。変声するための面布や、いざというときの術具――なんてものもある。
でも、今日は外出の予定がないので、これだけで十分。
「さあ、居間へ行こうね。朝ごはんを作りますよ」
言ってしまってから「あっ」と思った。
ジュジュを相手に、敬語を取る練習をしているのに、油断するとすぐもどってしまう。
「やってしま……やっちゃったね、ジュジュ」
ぺろりと舌を出したら、からかうような高い鳴き声が返ってきた。
修行地に来てから十日目。
この日の朝は、のちに起きる騒動の予感などまったく感じられないほど、静かにゆったりとはじまった。