冬の思い出~194X
これは、俺が親父から生前に聞いた話だ。たいした話じゃない。かといってありふれた出来事とも思えず、書き残しておこうと思った。同じ日本での出来事とは言え、今ではあり得ないようなことが、ごく普通にあった、そんな頃の話だ。
終戦からわずか二~三年後の事、当時、俺の親父は十代半ばだった。仲の良い友人と二人でちょっと遠出しようと言うことになったらしい。季節は冬。日は短い。遠出するなら自転車があると楽だ。というわけで道端にあった自転車を拾って二人で乗って行くことにした。
自転車のお陰で少し離れたダムまで出掛け、楽しい気分で帰ってくる途中で、巡回中のお巡りさんに呼び止められた。
『お前たちの乗ってる自転車、自分のか?』
もちろん違う。『拾って乗ってんだ』と答えると、盗難届が出ている自転車だと言われた。
「えっなに、じゃあ、それで捕まっちゃったのか?」
驚いて俺が聞き返すと、親父は首を横に振った。
その若い巡査さんに『もう、その自転車に乗ってちゃダメだ。ここで降りな』と言われ、親父と友人は、そこからは徒歩で帰ることになったという。友人の家はもうすぐそこだったが、当時の親父の家はそこから一時間近く歩かなければならなかった。
すると、若い巡査さんは『家まで送ってやるから後ろに乗んな』と、自分の自転車の荷台に親父を乗せてくれると言った。堂々の二人乗りだ。
うちの地元は冬場は非常に風が強い。巡査さんは『そのまんまじゃ、寒いんべ』といって、近くの畑から藁束を取ってくると、親父の足に器用に巻き付けてくれた。にわか防寒ズボンだ。そして、寒風吹きすさぶ中、後ろに親父を乗せて三十分近く自転車を漕ぎ、家まで送ってくれたという。
「良い時代だったよ。親切なお巡りさんだったよなあ」親父はしみじみ言っていた。あの時、親父は七十代後半、実に六十年以上前の出来事だったが、鮮明に覚えていたらしい。
親父の目には、その若い巡査さんが自分の足に藁を巻き付けてくれる姿が、そして一生懸命自転車を漕いでくれる背中が映っているようだった。
そう、それだけの話だ。別に落ちも何もない。
ただ、あの時の親父の顔は、なんというか、とても真摯な表情だった。見知らぬ人からの、裏の無い親切を受け取った、純粋な感謝の気持ちが感じられた。
正直なところ狸親父と呼びたくなることの多かった人にも、そんな一面があることがひどく意外で、気恥ずかしく嬉しかった。
そんな思い出の一欠片だ。
盗難届云々以外、ほぼ実話です。昔はそんなに情報網が発達してなかったから。
今だったら動画をアップされてニュース沙汰でしょうね(笑
1000文字だからこそ、あまり迷わず書けたのかも……と思います。
思い出のスクラップブックにするには、ちょうど良いボリュームなのかもしれませんね。