7
寮へと戻るバスの中、私は裕香に[線]で気になる子――サラのことを話していた。
[すごいことお願いしたね]
という裕香からのメッセージを見て、[やっぱり無計画すぎるかなぁ]
と返信する。
[でも千鶴さんにはいい薬かもしれない。ほらあたしたちもそうだったでしょ?]
その言葉に、私はしばらく考えていた。
あたしたちもそうだった――。
私と裕香が本気でサッカーを始めたきっかけは、プロサッカー選手のプレイに魅了されたからサッカーを始めたというわけじゃない。和成おにいちゃんが楽しそうにサッカーをしていて、それを見ていた私と裕香も、それに魅入られて、自分たちもそれを追いかけるようにサッカーをしていた。
それがいつころからかおにいちゃんをギャフンと言わせてやると思うようになったんだ。
だけど四年前のあの日、ましろさんと和成おにいちゃんの"本気"の勝負を目の前で見ていて、胸が苦しくなった。今の私じゃ和成おにいちゃんに勝てない。
いや、違う――あの時の和成おにいちゃんは左足が満足に使えない状態で、それでもましろさんの本気やポニーテールFCみんなの本気に答えようしていた。私と裕香は、和成おにいちゃんが左足を怪我していないころから知っていて、その実力も知っている。
だから、ましろさんと勝負しているときの和成おにいちゃんに敵わないと思った瞬間、私は和成おにいちゃんには勝てないという現実を自分から叩きつけた。
それが悔しくて、サッカーは大好きだったから続けていたけど、誰かに勝ちたいと言う気持ちがなくなっていたんだと思う。
中学三年生の時、進路相談が近づいているころに、リーズFCの中学生クラスで練習していたところで矢沢コーチと出会った。
「君、うちのクラブの入団テストを受けてみないか?」
全寮制の高校で、県外だったからどうしようか迷ったけど、お母さんとお父さんは私の好きにやれって背中を押してくれたし、裕香も誘われていた。
裕香の両親は放任主義というか、誘われたと聞かされた瞬間、やるからには一位で入団して来いって言われたらしい。
まぁそんなことより、なにより和成おにいちゃんから、
「プロの下部組織から誘われるってことは、それだけお前たちの将来性を見てもらっているってことだぞ」
といわれたから、入団テストを受けた。
私と裕香は合格し、スクレイバーFCの下部組織に所属することができた。
バスが学生寮近くのバス停で停まった。
バスから降りると、「ファイ・オーッ! ファイ・オーッ!」
トレーニングジャージを着ているマライアSCAチームのメンバー二十人が二列に並んでジョギングしているのが見えた。
「おつかれさまです」
「あら? 市澤さん。今帰ってきたの」
二年、サイドバッグの五木先輩が声をかけてきた。たまに男性と聞き返したくなるくらいにからだの筋肉がいい具合についていて短髪。豪快な笑い声でチームのムードメーカーだ。
それでいてぬいぐるみあつめとか刺繍をするのが好きだったりと乙女趣味があるんだよなぁ。
チームのユニフォームにメンバー一人一人の名前入り刺繍がされているのだけど、それをしたのがこの五木先輩だったりする。
「はい。ちょっと」
「あぁ、そうそう今日は寮長が学校でクッキーを焼いたとか言っていたから――」
「はいはい。無駄話をしない。した人は残り1キロ増やすわよ」
私と五木先輩が駄弁っているのが聞こえたのだろう。列のうしろを走っていた海老川先輩が注意して来た。
キャプテンなのに、どうしてうしろを走っているかといえば、サボっている人がいないか見るためらしい。「「すみません」」
私と五木先輩は小さく頭を下げた。
「それから梨桜、ちょっとあとで――、夕食のときに話があるから」
そういわれ、私が首をかしげていると、Aチームの面々は私を置いていくように走り去っていった。
☆
夕食はカレーだった。
といっても、辛いものが苦手な人もいるから、その人達用にと肉じゃがも献立として出ている。まぁ私はどっちでも好きだからいいけど。
「いただきます」
ご飯とカレーのルーを絡めるようにスプーンで掬い上げ、口に運ぶ。「うぅんぅん」
うん、カレーって結局辛いんだなと実感。
料理長のおばちゃんから聞いたことがあるのだけど、基本的にカレーの時は中辛を使っているそうだけどもこれ絶対辛口も混ぜてるよね?
コップに手を伸ばそうとすると、「あまり水は飲まないほうがいいみたいよ」
と、妻崎先輩から止められた。辛いんですけど? 口の中がヒリヒリしてきたんですけど?
「水で辛味成分が広がるから、辛いものだと余計に辛くなるんだって」
妻崎先輩の隣でカレーを食べている海老川先輩が言う。「だからあんまり水は飲まないほうがいいのよ」
「それでも辛いもんは辛いですよ」
一人、肉じゃがのスープをスプーンで掬いながら咀嚼していた裕香が愚痴るように言った。
裕香って、小さいときから辛いのだけは苦手だったものなぁ。
「まぁそんなもんだけどね。それより聞いたわよ、梨桜さん、小学生クラブのスカウトをしているんだって?」
裕香に視線を向けていた海老川先輩が、私のほうへと視線を向けなおした。
「ええ、まぁ……肉離れが完治するまであまり無理できないのも理由でしたし」
「それでさ、ちょっとお願いというか提案があるんだけど」
「提案――?」
と首をかしげていると、「|和先輩、まだチームすらできていないのにもうちょっかい出すようなこと考えているんですか?」
妻崎先輩が嘆息をつくようにカレースプーンの先を海老川先輩に向けた。
「まだ入団テストもしてないのに?」
「いや、それが終わった後でいいんだけどね。その子どもたちに私たちAチームの試合を見に来てほしいのよ。ほら小学生レベルと高校生レベルの違いを見てもらおうと思ってさ」
別に新しくできる小学生チームじゃなくてもいいとは思うのだけど。
「別にその子たちじゃなくても、たまに見学で来る子たちがいるじゃないですか」
「まぁわたしが考えているのは、自分たちのためでもあるんだけどね。七月のインターハイで負けたでしょ? その時に小学生くらいのサッカー少女たちが観戦に来ていたんだけど、試合終了の笛が鳴ったとき、ビッチから観客席を見上げてみて思ったの、この子たちにはどんな風にわたしたちが映っていたんだろうって」
海老川先輩はカレーを口に運んでいく。それこそ聞かないでほしいと言わんばかりに黙々と。
「出かける前、後藤監督と話をしながら、Aチームの練習を見ていて思ったことがあるんですけど、いいですか?」
私は意を決して、今日の軽めの試合形式の練習で感じたことを海老川先輩と妻崎先輩に臆せず話した。
「ディフェンスラインの視野が狭くなってしまっているか」
妻崎先輩が、肩をすくめるように私を眇める。
「私も小中学校の時はセンターバッグをよくやっていましたから、DFがどういうふうに動くべきかはいつも考えているんです。クロスボールの起動とそれに合わせようとしてペナルティーエリアに走りこもうとしている選手、ボールのクロスされたとき落下地点の近くに誰がいるのか、シュートを放つタイミングで合わせてくるか、サイドから上がってくる人にボールを一度パスしてから点を取りにくるのかって、いろいろと考えるんです」
「…………っ」
海老川先輩が私を睨むように見据える。たかだかBの選手に言われたくないと思っているのだろう。
だけど意見を言えるのは、多分こういう場所じゃないとできないだろう。
AとBの選手がこうやって言葉を介することができるのは、食堂の夕食時くらいしかない。
「私や裕香にサッカーを教えてくれた人がよく口にしていたんです。ディフェンスラインは考える時間が長いが、一瞬で決断しないといけないって」
「一瞬で決断しないといけない……か。たしかにディフェンスラインって攻撃に参加する機会が少ない分、考える時間は前線よりも長いかもしれない。でも守る立場になった場合は一瞬で決めないといけないわけね」
妻崎先輩がうむと顎に手を当てる。「それにあのクロスは妻崎先輩がよく合わせられたと思います」
「いや、あれって偶然の産物みたいなものでね。ちょうどシュートができる隙間ができたと思ったの。だから和先輩にクロスをお願いした。ペナルティーアークよりもすこしうしろに落としてほしいって思ったの」
それはそれですごいと思うのだけど――ん? もしかして神崎先輩が左サイドから上がっていたのって偶然だった?
「でも、もし取られたらって思ったら蹴り損ねることもある」
「だから一瞬の決断なんだと思うんです」
私はカレーを平らげ、水を飲み干す。「まぁ言葉の続きを言いますと、後は野となれ山となれ」
その言葉に、海老川先輩と妻崎先輩はずっこけた。
「いい加減過ぎない?」
頭を抱えるように、妻崎先輩は私を見上げるように言う。
「それが自分の思ったとおりにいけばいいですけど、相手がどんなふうにボールを扱うかは知ったことじゃないんですよ。自分はあくまでゴールまでボールを導いているだけですから」
そう言い返し、私は平らげたカレー皿を食堂のカウンターへと持っていった。
☆
梨桜がサラに千鶴との勝負をしてみたらと言った放課後から翌日、璃庵由学園初等部――六年三組の教室内のことであった。
「チヅルッ!」
すでに帰り支度どころか、今日も学校のサッカークラブに参加しようとしていたサラは、ボールがはいったネットを肩にかけながら、クラスメイトの畑千鶴に声をかけていた。
「サラさん? どうかしたんですか?」
「オォ、サラでいいです。それよりチヅル勝負しましょう」
勝負? と首をかしげるチヅルに対して、「サッカーです。アインシュ・ゲゲン・アインシュでやりましょう」
「もしかして、一対一でやりたいってこと?」
「OHッ! またくせでドイツ語で話してしまいました。でもチヅルよく知ってましたね」
癖が出てしまったものの、すぐに理解してくれた千鶴に、サラは興奮気味に顔を近づけた。
「顔が近いから。まぁドイツ語の数字くらいは覚えているつもりだから」
「ならやりましょう。今すぐやりましょう。早くチヅルと勝負がしたいです」
「――なんでそんなにわたしと勝負がしたいんですか?」
けげんな顔つきで、千鶴はサラを見据えた。
「そんなの決まってます。チヅルがサッカー上手いからです。上手い人と勝負するのはすごく楽しいです。自分より上手い人に勝つとうれしいです」
サラは、それこそ千鶴の気持ちを逆撫でするような言葉で捲し立てる。
「上手くなんてないですよ」
「そんなことないですよ。チヅルは――」
「わたしなんかッ! おねえちゃんより上手い人なんていないッ!」
そう叫ぶや、千鶴は学生かばんを手にとって、教室を飛び出していった。
「おいっ、いったいなんの騒ぎだ?」
教室の片隅、教師用の大きな机に座って、様子をみていた間太郎が、サラのところへと駆け寄った。
「なんであんなふうに辛そうなんですか?」
サラは自分のうしろへとやってきていた担任を見上げた。「ワタシ、チヅルすごいって思ってます。だから勝負したいって思います」
「サラの気持ちがわからんでもないがね。たしかに畑は上手い。だが本人は上手くなんてないって思っているからな」
「どうしてですか? ちっともわかりません」
頬を膨らませるようにサラは詰め寄る。
「自分が目標としていたその人よりも上手くないって思っているからだろうな」
「どうして比べようとしているんですか? 自分より上手い人がいると追い越したいって思うんじゃないんですか?」
「もうな――その人と勝負することができないんだよ」
間は、叩頭するように教師机へと戻っていく。「勝負ができない?」
サラは主のいない机を見据える。
「――だったら、ワタシがその人以上に強いってチヅルに思わせるです」