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 能義さんと別れたあと、私はグラウンドへと顔をのぞかせた。

 今日も今日とて、初等部のサッカークラブがグラウンドで汗を流している。

「ヘイッ! パスッ」

 白線で引かれた長方形のコートの中で男の子たちの中に、妙に片言っぽい女の子の声がまぎれていた。

 ――ん? 女の子?

 一瞬千鶴さんかと思ったけど、それとは違う明るい声だった。ということは違う子ってことか。

「あっ!」

 その女の子にパスを送った男の子の声が荒げる。明らかにパスミスをしたのだ。

「よっと!」

 そのボールを女の子が右足を伸ばしてインステップでボールの下をつかみあげた。

 ボールは女の子のほうへとゆるやかに浮かび落ちるところを、右太ももで一度ワンバウンドしてから、クリアされる。

「すげぇ」

 パスを送った男の子が感心したように口をあける。うん、今のはたしかにすごかった。

「タクマ|、今のは軸がワタシに向いてませんでした」

「えっ? ほんとう?」

「はい。すこし右にそれていました」

 パスやシュートといった、ボールを強く蹴るさいに、軸足となるほうの爪先を蹴りたい方向に向けて蹴ると、その方向にボールを行かせやすくなる。

 ただそれは向こうもわかっているから、蹴る方は足のさまざまな部分とボールのどこを蹴って変化をつけるかの駆け引きが必要だ。

 まぁ、今はパスの練習だから、そんな難しいことは考えないでいいけど。

「タクマ、よっつ下がったら胸を張ってください」

 琢磨と呼ばれた少年は、首をかしげながらも言われるがままうしろに四歩下がって胸を張った。

「ホイッ」

 女の子は右のトーでボールを浮かせると、インサイドでボールを相手の方へと蹴り上げる。

「おとととと」

「あ、動かないでください」

 少女の言葉どおり、ボールはタクマの胸に綺麗に落ちた。それこそ釣り師がポイントにルアーを放るのと一緒に精確(せいかく)だ。

「胸のアンネーメンはこれで大丈夫ですか?」

 少女の言葉に、私はすこし首をかしげた。「アンネーメン?」

 さっきのはどう見てもトラップがしやすいように感じたのだけど。

「市澤さん」

 声をかけられそちらに視線を向けると、そこにはマタロウ――もとい間先生が肩をすくめるように私を見ていた。

「今日はどんな用事で?」

「実は私が所属しているクラブが、地元の企業と共同で小学生対象のクラブを立ち上げようとしているみたいで、その入団テストに見合う子を探していたんですよ」

「ほう、それでめぼしい子はいましたかね?」

「うーん、それはなんとも。まぁちょっと気になる子がひとり――いや正確には二人に増えましたけど」

 私は視線を、タクマと呼ばれている男の子とペアを組んでいる女の子に向けた。

 肌は適度に日焼けした健康的な褐色――というよりは地肌からして日本人のような黄色い肌じゃないように思えた。だけど髪の毛は日本人独特の艶のある濡烏で、それをみつあみにしてプレイの邪魔にならないようにしている。

 一五〇はあるだろう、小学生向けのファッション雑誌で紹介されてもおかしくはないくらいに可憐で、なおかつふたつある小山の標高が年齢のわりにすこし高い。

 先ほど伸ばした足を見る限り、しなやかそうだ。体の柔らかさがないと、すぐにこむらがえりで怪我をしそうだし。

「あぁ、彼女は先週こちらに引っ越してきた子でね。名前はサラ・ブライアン」

「外人ですか?」

 そのわりにはすごい流暢に日本語を話しているけど。

「いや日系ブラジル人で、お父さんがブラジル人、お母さんが日本人のハーフなんですけどね」

「ダディのママが日本人なんです。日本語はママとグランマから教えてもらっていました」

 少女――サラの方から声をかけてきた。「ワタシの名前、サラ・タドコロ・ブライアンと言います」

 ミドルネームまであると、いよいよ外国人ッぽく見えてきた。

 ちなみにあとで教えてもらったのだけど、漢字では【沙羅】と書くらしい。

 父方の母親が日本人ってことは、クォーターか。

「ところで、お姐さんは誰ですか? もしかしてマタロウのコレ(、、)ですか?」

 サラさんが小指を立てるように言う。「そんなわけないでしょ」

 私はその質問に、目の前で手を軽く振るように否定する。

 というか、マタロウ先生って妻子もちなんだけどなぁ。こうモテなさそうに見えて。

「それはいいとして、サラさん」

「サラでいいです」

「あぁっと、それじゃぁサラ、さっき"アンネーメン"って言っていたけど、どういう意味?」

 そうたずねると、サラはキョトンとした顔で首をかしげる。

「あぁ、すみません。前にいたところで教えてもらっていたときのくせが抜けてませんでした。日本では"トラップ"というんでしたね」

 ハッとした顔でサラは言う。よかったもし違うものだったらどうしようかと思った。

 まぁくせってそう簡単に抜けないのはわかる。

 小学生のときに和成おにいちゃんからよく指摘されていたけど、意識をすればするほどボールの下をトーで蹴ってしまうくせがあるんだよなぁ。ほんと、いまだに。

「んっ? 前にいたところ?」

 見返すようにサラを見据えるや、サラはうなずいてから、

「ワタシ、前までブラジルにいました。その家の近所に暮らしていたドイツ人の元サッカー選手とよく遊んでいました」

 と答えてくれた。『アンネーメン』はドイツ語で『トラップすること』をいうらしい。

 それにしても遊ぶって、……教えてもらっていたじゃなくて遊んでもらっていた?

 どう見ても、誰かに教えてもらっていたとしか考えられないんだけど。

「まぁブラジルは日常の中にサッカーがあるようなところだからね」

 マタロウ先生が苦笑を浮かべる。

「それじゃぁそのドイツ人の選手からサッカーを教えてもらってうまくなったの?」

「んんっ? お金を払って教えてもらったことはありません。一緒に遊んでもらっているうちにできていただけです」

 まるで恥ずかしそうに、だけど満面な笑顔でサラは言った。

 その言葉に、この子がサッカーを楽しいものだって心から思っているのだと、思わず嫉妬してしまった。

 身近にサッカーがあるブラジルでは、ボールが道端に落ちていれば、それを蹴ったり、友達とパスをしあったり、それこそ本当に生活の中にサッカーがあるのだという。

「でも、ワタシよりも上手な子、ワタシのクラスにいました」

 サラは両手をグッと握り、興奮気味な声で言う。

「んっ? 見たところあなたも結構うまいとは思うのだけど」

「今日、体育の授業でサッカーをしました。そこでチヅルと違うチームでしたけど、あの子ちっとも動かなくて、つまらないのかと思いましたから、プレスをかけたらすぐにバールを取られてしまいました」

 うわぁ、その時の二人の勝負を(じか)に見てみたかった。

 それにしても、負けて悔しいと思うはずなのに、そのときの事を楽しそうに話すサラを見ていると、それこそ自分よりもすごい人がいたことのほうが、抜かれたこと以上に衝撃だったんだろうなと思う。

「でも、チヅルすごくつらそうでした。あんなにすごいプレイができるのに、泣きそうな顔をしてました。心からサッカーを楽しんでいないんじゃないかってそんな気がしました」

 サラが、それこそ自分のことのように眉を八の字にしていた。

 サッカーの本場ブラジル出身の彼女からしてみても、畑千鶴のプレイがすごいと心から思っているからだろう。

「そうか――」

 一度しか観てないけど、サラも十分うまいとは思う。いや、サッカーが中心の環境で育っていた中で培ってきた実力だろう。「んっ? 同じクラス?」

「どうかしましたか?」

「いや、さっき体育の授業で勝負したのよね? クラブじゃなくて」

「はい。ワタシてっきりチヅルがこの学校のサッカークラブに入っているものだと思って、来てみたんですけど」

 そういえば、グラウンドの中に畑千鶴の姿がないことに、私はいまさらながらに気付いた。

「やっぱり放課後は一人でってことなんだろうけど」

 ちらりとサラを一瞥する。「ところでサラにひとつお願いがあるんだけど」

 多分危険な賭けなのはわかっている。でももし彼女がましろさんしか見ていないとしたら――。

「あなた、千鶴さんに負けたのよね?」

「Oh! 負けてません。油断していただけです。次の授業で違うチームになったら絶対勝ちます」

 頬を膨らますように私を睨み上げるサラに、私は思わず噴出しそうになった。

 あぁ、この子すごい熱血だ。なおかつ負けず嫌い。だからこそお願いができる。

「実はね、お姐さん、ちょっとした女子プロサッカーの下部組織に所属しているんだけど」

「おぉ、プロの人だったんですか」

 目の前にプロの選手がいることがうれしいのか、サラは団栗眼(どんぐりまなこ)をこれでもかと開いて輝かせる。

「いやいや、高校生だからプロってわけじゃないし、そもそもAチームのスタメンになったことなんて一度もないからね」

 しかも今現在肉離れで戦線離脱しておりますよ。

「まぁそんなことはどうでもいいとして、実はそのクラブが小学生クラスのチームを新設するの」

「面白そうですね。ワタシ、見てみたいです」

 見てみたいか……私はサラにぜひとも入ってほしいって思っているけど、今は言わないでおこう。

「それでひとつ相談なんだけど」

「そのチームにチヅルがいれば、さらに面白くなりそうです」

 あのぉ、サラさん? まだ千鶴さんが入るなんてどころか、話すらしていないんだけど。

「で、ワタシはなにをすればいいですか? チヅルにチームに入るよう言えばいいですか?」

「いや、たぶんそれだけじゃ彼女の心は揺らがないと思う」

「そうですか」

 サラは肩を落とすようにうなだれた。うわぁすごいわかりやすい。

「でも、もしあなたに負けたら気持ちは変わるんじゃないかしら。ほらよく言うじゃない。井の中の蛙大海をしらずって」

 言っておいてなんだけど、サラはこのことわざの意味知ってるのかしら。

井蛙(せいあ)(もっ)て海を語るべからずですね」

 知っていたらしい。というかまた難しい言葉を知っておられますな?

「と、とにかくね。サラと千鶴さんが勝負して、サラが勝てば千鶴さんも勝負できる相手がいることを意識すると思うから」

「ワタシ、チヅルすごいと思います。取られたバールがシュトラフラウム付近にフランケされたときに、思わず点が取られるって悔しくなりました。だけどもし同じチームだったら、すごく頼りになるって思いました」

 それこそまるで自分のことのように語るサラを見て、やはり千鶴さんを説得してでもテストを受けて入団してほしいと思った。

 この二人が組んだら、多分すごく面白いチームになるかもしれない。。

「んっ? シュトラフラウム? それにフランケって?」

 私は首をかしげながら、サラを見据える。多分サッカーを教えてもらったドイツ人から聞いたサッカー用語なんだろうけど。

「うぅ、シュトラフラウムはペナルティーエリアのことです。フランケはセンタリングのことを言います」

 まぁ状況からしてそうなんだろうけど。サラは恥ずかしそうに頭を抱えるようにして姿勢を低くしていた。

 それにしてもDFラインから相手チームのペナルティーエリアにセンタリングかぁ。

 自分が思っている以上に、千鶴さんのボールコントロールは群を抜いているのかもしれない。



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