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 翌日の放課後、Bチームのみんなと一緒に軽めの準備運動(私は怪我をしているから、椅子に座って左足でボールを扱う程度の軽いメニュー)をしたあと、制服に着替え(休み以外での外出時は制服を着るようにと学校の決まりである)、Aチームが練習している第一グラウンドにいる後藤監督と矢沢コーチのところへと向かった。

「そうか請け負ってくれるか」

 後藤監督に、小学生チームのトライアウト――つまり入団テストに参加する、見込みのある子どもたちを集めることを承諾したのを伝えるや、監督は強面な顔をすこし緩ませていた。

「はい。今の私は怪我を治すのが最優先ですし、その分時間に余裕ができましたから」

 後藤監督は静かにうなずいてみせた。「すまないな」

「いえ、大丈夫です。それにもし千鶴さんのプレイを見ていなかったら、スカウトの話を受けようなんて思いませんでしたし」

「中学クラブの監督も、もし彼女が中学生だったらすぐにでもほしいというくらいだ」

 矢沢コーチが、練習をしているAチームの選手たちを一瞥する。

「ここ最近、公式戦では負けが続いていてな。チームの士気が見るからに下がっている」

「それで昨日勝つことの高揚感を思い出させようと、格下のチームと練習試合をさせたんだが、1点を取られたところから、チームの中で勝ちたい、いや勝とうという覇気が見受けられなくなっていた」

 後藤監督が苦虫をかみつぶしたように顔をゆがめた。

 チーム全体の指揮をしている監督やコーチたちのほうがストレスがたまっていそうだ。

「市澤、試合においてもっとも恥だと思うのはなんだと思う?」

 矢沢コーチにそう聞かれ、私はすこし考えてから、

「恥ですか? 昨日の試合のことを言っているのでしたら、1点も取り返せなかったとかですか?」

「それもある。しかしそれは結果でしかない」

 矢沢コーチは私に視線を向け言葉を吐き出すと、フィールド上のAチームに視線を向けなおす。

「おい、灰崎っ! 今のは確実に取りにいけていただろ? 自分の間合いに入ったボールなら確実に取りに行け!」

「すみませんコーチっ!」

「それと深町ッ! サイドバックはセンタリングされたボールがクリアされる場所に集中しろ。ボールが落ちようとしている場所に誰が来ているか、サイドから上がっているやつがいないか注意を払えッ!」

「あ、はい」

 赤チームの海老原先輩が放った白チームのペナルティーエリアへのセンタリングに対応していたFWの妻崎先輩が、それに合わせた右のインステップでゴールを狙った。

 ボールはむなしくゴール端のポストに当たって、白のGKである三年の宗方(むながた)先輩が取って難を逃れてはいたが、矢沢コーチはそれよりも対応できていなかった灰崎先輩とそれをフォローしなかった神崎先輩に檄を飛ばしていた。

 白のセンターバックである灰崎先輩は、走ればボールを取りに行けたのに、走りこんでいた妻崎先輩に気を取られていて、ボールが今どこに向かおうとしているのかを見ていなかった。

 またサイドバッグの深町先輩はハーフライン辺りにいた海老川先輩がボールを蹴ろうとしたとき、そのライン上に神崎先輩が上がっていたのを意識していたのかもしれない。――そのミスが、海老原先輩と神崎先輩の間を割って入ろうとしていた妻崎先輩に注意が行かなかった。

 うん、こうやって客観的に見ると今のは矢沢コーチの言うとおり、灰崎先輩がすばやく対応できていれば、カウンターが狙えていたかもしれない。

 ただピッチの上に立っている選手からしてみれば、視野が狭くなるのもうなずけられる。

 それでも練習をしているAチームの動きを見ていて、昨日裕香が先輩たちに怒りを覚えてしまうのも無理はないと思った。

 海老川先輩や妻崎先輩、諸星先輩といった赤のチームは連携を取りながら攻撃しているけど、白チームの方はみんな個人プレイに固執しすぎたり、無理をしないようにしすぎていて、本来はフォローしあうはずのディフェンダーラインが、まるで自分たちで隙間を作っているように見えたからだ。

 しかも昨日の練習試合で誰のせいで負けたのかと、まるで犯人扱いするような険悪な空気だった。

 その戦犯扱いとされていた吉原先輩は、赤のサイドバッグになっていた。

「俺は選手一人一人の技術は高いと自負している。仮にもプロに一番近い選手を育成しているからだ。しかしそれはあくまで個人として。まずサッカーにおいて何が大事なのかは、いかにしてボールを敵のゴールに打ち込むかだ」

 後藤監督はゆっくりと立ち上がる。

「海老川、さっきのセンタリングとボールコントロールはよかったぞ。妻崎もそれによく合わせられた。それから神崎、タッチラインからの攻め上がりはミスれば相手のボールになってしまうからな、それに注意しろ」

 海老川先輩と妻崎先輩が「「はいっ!」」と答え、

「わかりました。和先輩、次は私に送ってくださいよ」

「さっき監督に注意されたでしょうに」

 神崎先輩の言葉に海老川先輩が肩をすくめる。

「それにボールを蹴るのは別にあなたでもいいのよ」

「あははは、センタリングってボールを蹴る力で状況が変わるじゃないですか。そんな緊張するようなことできませんって」

 ボールは宗方先輩の縦蹴りのパントキックで赤側のハーフウェイラインを切っていた。海老川先輩と神崎先輩が、リターンに対応できるところまで戻っていく。

 FWである妻崎先輩は、ボールがくることを信じているのだろう。敵陣に残った状態になっていた。当然妻崎先輩にマークがつけられている。

「時間は大丈夫なのか?」

 ピッチを見ていた私に後藤監督が振り向かず声をかけた。腕時計を見ると時間は16時25分。

「それでは失礼します」

 私は頭を下げると、フィールドをあとにした。


 ☆


 璃庵由学園初等部の校舎が見えてきたと同時に、校門の前に一人の男性がいるのが見えた。

 肌色の生地に黒のラインが入ったパナマ帽子を被った、年齢を重ねたことで増える肌の皺が目立つ中肉中背の男性。

「これはこれは梨桜さんですかな? 見ないうちにお綺麗になられて」

 その男性は、帽子を取り、私に向かって頭を下げた。年齢のせいか白髪がかなり目立っている。といってもおそらく職業によるストレスからだろう。

「能義さんも、おひさしぶりです」

 私は目の前の男性――能義刑事(、、)に倣うように軽く会釈した。

「ところでどうして能義さんが?」

 もしかして、また事件があったとか?

「いやいや、私はちょっと交通安全のために自転車教習のお手伝いでね。それにもう警察は辞めているんですけど、家が近所だったので交通課の刑事からどうしてもって呼ばれたんですよ」

「自転車教習?」

「ほら、最近ながら運転とかで事故を起こす人が多いでしょ? 自転車って身近な乗り物ですし、なにより小学生が遠くに行くためのマストアイテムですけど、一歩間違えれば大怪我をしてしまう危険なものですからね。正しい運転の仕方を子どもたちに教えていたというわけです」

 なるほど、それなら元刑事が学校にいるのも納得がいく。

「まぁ、これはあくまで表向きの理由なんですけどね、実はもうひとつ理由があるといいますか、ちょっと気になる子どもがこの学校に通っているのを聞いていたので」

 能義さんは片方の眉を下に落とした。「気になる子?」

「えぇ、畑千尋の妹がこの学校に通っているみたいでね」

「もしかして千鶴さんのことですか?」

「えぇそうですそうです。まぁお姉さんがサッカーをやっていましたから、彼女もサッカーをしていると思ったんですけど、どうもクラブ活動のときは別の文科系のやつに入っているみたいですけど、たまに練習相手としてサッカー部に呼ばれているみたいなんですよ。おれはてっきりクラブに入っているものとばかり思ってましたがね」

 能義さんは腕を組み、困惑したような声で言った。

「しかしよく知ってましたね。もう卒業して四年は経っているというのに」

「いや彼女のことを知ったのはつい先日です。でも彼女のプレイを一目で見たときに感じたものはありました。この子が本気でサッカーと向き合うことができるようになれば、もしかしたらお姉さん以上に強いんじゃないかって」

 私がそう伝えると、能義さんはすこし考えてから、

「高校生で編成されている下部組織とはいえ、プロ女子サッカーのチームに所属しているあなたがそういうくらいですし、お互いましろさんのプレイを直接観ていますからな。千鶴さんがかなりのスキルを持っているというのはわかります。しかしどうして? それくらいならどこのクラブに所属していてもおかしくはないかと」

「原因は、おそらくお姉さんにあるんだと思うんです」

「お姉さん――?」

 能義さんはしばらく額に指を当てていると、納得したような視線を私に向けた。

「ましろさんと関係があると言ったことでしょうか?」

「たぶん、そうだと思います。和成おにいちゃんから言われましたけど、もともと和成おにいちゃんが河山センチュリーズに所属していたときに試合で見せたプレイに魅了されたましろさんは、おにいちゃんと勝負がしたいって気持ちを第一にサッカーをはじめ、腕を磨いていた。そして四年前のクリスマスイブ、本気の和成おにいちゃんと勝負して、和成おにいちゃんが油断した一瞬をついたましろさんが勝利した。それよりもなにより、和成おにいちゃんと本気の勝負ができたことがうれしかったから、勝つことや負けることなんて関係なしに楽しかったんだと思います」

 あの時、梓さんがましろさんのことを思って止めに入ったけど、あの場にいた子どもたちはみんな、二人と一緒にサッカーを楽しみたかったんだと思う。それくらい二人がまぶしく見えていたから。

「ましろさんがこの世に未練を残した大きな理由がそれでしたからな。それがかなった以上、心のわだかまりもなくあの世に旅立つことができた」

 私は能義さんと話をしているあいだ、千鶴さんがサッカーを嫌いになりきれていない理由を考えていた。「もしかして――」

「なにかわかったことでも?」

「いや、これはまだ私の思い違いかもしれませんけど、ましろさんが和成おにいちゃんと勝負がしたくてサッカーを続けていたのと一緒で、千鶴さんもましろさんに勝ちたいって思いながらサッカーをしていたんじゃないでしょうか?」

「……考えられるかもしれませんが、ですがもうお姉さん――畑千尋が殺されてから四年が経っています。いくらなんでもそれは考えられないんじゃ」

「でもそう考えると妙にかみあうんです。千鶴さんの中でましろさんは大きな目標で、今の自分では彼女に勝てないって思っているところがあるから嫌いなサッカーを今でもやっている。でもそれを確かめる方法がなくなってしまっている」

「歯がゆいですな。子どもというのは目標があればそこにまっすぐ純粋に向かおうとする。だけどその目標がなければ、彼女は自分の腕がうまいということがわからないでいる」

 ――わからないでいる?

 私は能義さんの何気ない一言が、この前見た千鶴さんの表情がどうして暗かったのかがわかった気がしていた。

「そうか――だからあんな顔をしていたんだ」

「どうかしたんですかな?」

 私は、学校のグラウンドでミニゲームをしていたときの千鶴さんがしたプレイを、能義さんに具に知らせた。

「なるほどたしかに。そんなプレイをしたり、アシストを決めていればうれしいと思うのは子どもとして当然とは思いますが――」

「たぶん、彼女の中にいるましろさんの存在が、私たちが思っている以上に大きいんだと思います。だから周囲がすごいプレイをしていると認めていても、彼女自身は、おねえちゃんだったらもっとすごいことをしているって自責の念を抱えているんじゃないでしょうか?」

 これは私が思っている以上に、千鶴さんが抱えている闇は深いんだろうなぁ。

「直接ましろさんと勝負したことがあるわけじゃないけど、千鶴さんの力はおねえさんと同等、いやそれ以上だって伝えても、効果はないだろうな」

「千鶴さん自身が自分の腕が誰にも負けないと自負できればいいですが、今の状態でそれはかえって火事の現場でガソリンを振り撒くくらいにあぶないでしょうな」

 能義さんは肩をすくめるように言った。「そうですよね」

 うーん、絶対千鶴さんを小学生チームのテストを受けさせようって、意気込んではみたものの、それ以前に興味を持ってもらえるかわからなくなってきた。


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