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一章 旅先

 

「なんだって」

 少年早瀬始は、門前で出会った男性の言葉を受けて、自分の耳を疑った。

 通り掛り(とお  がか  )の男性曰く(いわ  )

 ――この家には、誰も住んでないよ。

 目と鼻の先に建った一軒家。最近では希しく(めずら     )もない三階建てであるが、始の家ではない。始の父親の弟、始にとっての叔父(おじ)の家だ。何より、始の昔馴染(むかしなじみ)でもある千歳の家。

 遠く離れた地で暮らす千歳に会いにやってきた始の目の前には、以前は確かに千歳とその両親が三人で暮らしていた一軒家がある。外観や窓越しに見える内装が、始の記憶に残った千歳の家と合致している。しかしどうしたことか、通り掛りの男性に言われるまでもなく、傍目(はため)に空き家だと認識できる小荒れた空間に成り果てて(な は  )いるのだ。

「いったい、何がどうなってるんだ」

 家の周りを一周して、判った(わか    )ことが三つある。

 一つ目は玄関・窓・勝手口、中に入れそうな箇所(かしょ)が全て施錠されていること。

 二つ目は、家の内外に人の気配がなく、不気味なほどに静まっていること。

 三つ目は――、始は、意識から外した。

 軟体生物や不定形の魔物なら床下や水道管を通って侵入し、屋内を詳しく調べられそうなものだが、残念ながら始はれっきとしたサル目・霊長類のヒトである。密室に侵入なんて器用な真似は、逆立ちしても、骨がなくなってもできっこない。

 家を間違えたか。家の内外に、人の気配が感ぜられないと、どうしてもそう考えてしまう。

 始は万が一を考え、いったん山道に戻り、別に存在するかもしれない千歳宅を近隣家屋から捜していった。願うような思いで、熱した山道を駆け回った。けれども結果は散散(さんざん)。千歳宅は、最初に訪ねた一軒のみであった。

 ……判ってたよ。とっくに。

 千歳宅。玄関外壁の右上方(みぎじょうほう)に千歳の苗字を刻んだ表札――始の家と同じく〔早瀬〕――があるのだ。これこそ、先程判った「三つ目のこと」だった。

「いったい、どうなってる……」

 千歳とは昨日電話で話したばかりだというのに。表札を仰ぎ、そう呟くのを抑えられない。

 無い脳みそをフルスロットルで回転させて、これからどうするか思案しはじめた始に、背後から声が掛かる。

「君はここに用があるんですか」

 始はハッとして、後ろを振り返るが、声の主は視界を巧妙に擦り抜け、死界から始の肩に手を置いた。

 肩の手を辿って(たど    )、声の主の顔を目で捉えた(とら    )。歳の頃で言えば始と差はない、あどけなさの残る美少年の(おもて)がニコニコと。ついでに、

「顔近いぞ、お前」

 と、始は彼を、眇め見た(すが  み  )

「すみません。思わず近づきすぎました」

 始の肩に掛けた手を下ろし、一歩だけ後ろに退く美少年。次にはちゃんと名乗る。

「ボクは、〈世界魔導師団(せかいまどうしだん)〉の調査部所属、名をヒバリ・アスカといいます」

「ヒバリ・アスカ」

 始はその名前から直感して訊く(き )。「海外出身者か」

「ええ。純血の東洋人なんですが、両親が海外赴任中にボクを産んだものですから」

 微笑を顔に貼りつけたようなヒバリが、一層笑みを深めて言ったのだった。

 ところで、世界魔導師団とはなんだろうか。始は団体名こそ聞き知っているが、何をしているのか詳しく知らない。

 千歳がいない理由を知っているかもしれないと推して(すい    )、始は恥を忍んで尋ねる。

「世界魔導師団ってなんだ。千歳の居場所を知ってるのか」

「千歳というのは、この家に住む一三歳の女性ですね。君のお知合い(しりあ  )ですか」

「ああ。年下のイトコだよ」

「従妹さんですか。つまり、君は千歳さんと縁戚関係にあるんですね」

 ふむふむとうなづいて、ヒバリが微笑のままで口を次ぐ。

「調査に協力してくれませんか。君の協力次第で千歳さんの居場所が、摑めるかも知れませんよ」

 突然の協力要請に、始は一瞬、尻込みした。根掘り葉掘り質問の波状攻撃をされそうで快く応ぜられない。

「返答の前に、まず、お前の素性を教えろよ」

 と、ぶっきらぼうに言った始に、

「ボクは名乗りましたよ。むしろ、君の名前を教えてもらいたいものです」

 質問の仕方が悪かったのか。ヒバリの応答は、始が真に聞きたかった回答に達しなかった。

「(ケッ、メンドくさい奴だな……。)オレは早瀬始。千歳の従兄の中等部二学年生、一四歳。成績普通、身長普通、人気も普通だ、コンニャロー」

 投げやりな口調で、既に話したことも含めて自己紹介した。続けて、本当に聞きたいことを促す(うなが   )

「で、お前の所属してる世界魔導師団って、なんだ。千歳の家で何を調べてるんだ」

「なるほど、さっきもそれを訊きたかったんですね」

 解って(わか    )いたと言わんばかりにヒバリが鬱陶しげ(うっとう    )な横髪を指で弾いた。

 ……解ってたなら気を配って最初から回答しろよ。

 と、始は思ったが、不要な横槍は入れないことにした。話が前に進まない。

「世界魔導師団はですね、」

 嫌みなほど艶やか(つや    )な腰丈の黒髪を靡かせ(なび    )ながら、ヒバリが語る。

「世界で起きている魔法的・魔導的、あるいは魔物潜在的事象を調査し、各各(おのおの)の事象を根源から取り除き、解決することを目的とする魔導師のみで組織した団体です」

「……はい」

 セリフを紙に書いてくれないか、と、始は口に出しかけて、プライドを保とうとなんとか吞み込んだのだが、――あえなく首を傾げて(かし    )しまった。

 やれやれ、と、ヒバリが嫌みっぽく目を細めるが、やはり口には笑みを湛えて(たた    )説明を簡略化(かんりゃくか)する。

「『非科学的な事件を担当する警察』と考えてくれればいいですよ」

「最初からそういえよ。解りにくいぞ」

「失礼しました」

 ヒバリが会釈して、嫌みのない笑みに戻る。

 ……笑顔がデフォルトの人間なんて、初めて見た。

 始は、目の前の長尺黒髪美少年を(いぶか)しんで見やる。

 そんな目線に嫌な顔ひとつせず、笑顔を常時発動しているヒバリ。

「おや、ボクの顔に何かついていますか」

「いや何も。(その笑みに感情はないな)」

 と、始の反応は無愛想そのもの。後半は心の中の文句で、ヒバリには伝わっていないが、たとえ伝わっていてもなんら問題ない。彼と仲良くなりたいと思わない始だから、ヒバリに不快感を悟られたところで不利益はあるまい。

 始は一つ気づいて、ヒバリを窺う(うかが   )

「魔導師が出張っきてるってことは、千歳がいなくなったことに魔導的なことが関わってるのか」

 〈魔導(まどう)〉は、魔法的な力と道具・機械の力を融合したものらしい。つまり、魔導的とは、魔導が関わる事象全般を示す語句である。現代生活に溶け込んだ携帯端末やパソコン、車や船なども魔導的であると言えば解りやすい。これらは、道具・機械と魔法的なものの合体物だという。

「『魔導的』と表現すると誤りですね。今回は『魔法的』な事象なんです」

 と、正してヒバリがさらに説明した。

「いわずと知れていますが、〈魔法〉とは、非物質の〈魔力〉を、生命が宿す心の強さともいわれる〈精神力〉によって結合、意図的に自然現象を具現させるものをいいます」

 そこでヒバリが始に目を配った。

「……で」

 と、始は促した。始が持っている魔法についての知識は、「手から火が出せたり、濁った水を綺麗にできたり、目からビームを発射できるすごいこと」という外面的なものだけだ。悔しいが、魔法が何によって生ずるかなど、いま初めて知ったのである。始にはさらなる解説が必要だった。

 始の無知を知ってか知らずか、要請されずともヒバリが端的に解説を始めた。

「要するに魔法というのは、使う者、一般的に〈術者〉といわれる者の魔力と精神力が揃っていれば、それなりの願望を叶える力になる、と、いうことですよ」

 たまに嫌みっぽい態度が鼻につくヒバリだが、反面、始にも解るように懇切丁寧(こんせつていねい)に解説してくれる。そのお蔭で、始は僅か(わず  )かも知れないが現状を理解できた。

「……千歳が誰かの願望で、ここからどこかへ消されたってことだな」

 ヒバリが暗にそう告げていると始は受け取った。もしか、それは始自身の直感だったのか。

 始の質問から間もなく、ヒバリがコクッとうなづいた。

「意外に鋭いですね」

「意外は余計だ」

 こんな事態になるなら出掛ける前に一度電話を掛けておくんだった、と、始は後悔の念に駆られた。だが、後悔していても始まらない。

「千歳はどこにいるんだ」

 始が一番気になっているのは、それだ。

 ヒバリが気障(きざ)な白いマントを翻し、腕を組む。

「それは、恐らく君が握っています」

「オレが。魔法なんか使えないから何も判らないぞ」

「知っていますよ」

 クスクスと笑ってヒバリが易しい言葉で訊く。「君が最後に千歳さんと会ったのはいつですか」

「会ってはないけど、昨日の夜から今日の早朝まで電話で話してたぞ」

「そうですか。ボクがこの家の調査命令を受けたのが正午頃でしたから、千歳さんが姿を消したのは、君との通話を絶ち、ボクが命令を受けるまでの数刻の間、と、いう推測が成り立ちますね」

 と、ヒバリが微笑。貼りついた微笑ではなく、何かの感情が滲んだ微笑だった。始は失礼ながら、「へぇ~」と、感心してしまった。ちょっと嫌みでいくら怪しい美少年でもロボットではないから感情ぐらい備わっているだろう。

 それはさておき、始は茜色に侵食されつつある虚空を見上げ、ヒバリに情報を提供する。

「オレが電話を切ったのは、確か三時過ぎだったぞ」

「なるほど。時間がかなり絞れましたね」

 計算すると、千歳が姿を消したのは早朝から正午前の約九時間。この空白の時間に、何かがあったのは間違いない。それが判っただけでも前進である。

 ここで、始は不快感を齎す(もたら   )原因の一つにメスを入れた。

「ヒバリは魔導師だ。この家がどうしてこんなに人の気配がないか、判るんじゃないのか」

 そう、千歳宅にやってきてすぐに感じた、不快感を煽る(あお  )気配のなさ。それは単に誰もいないからだけではないと、始の野性的直感が告げていた。

 伸びきった雑草。

 窓越しに観た屋内の埃っぽく霞んだ空気。

 それらから感ぜられる幾星霜(いくせいそう)を経たからこその廃墟然としたさまが、始の不快感を煽っていたのだ。

 ヒバリの微笑を湛えた口許(くちもと)が、その色を強めた。

「野性の勘ですか。そうですね……」

 言葉を選んでいるのかヒバリが顎に指を当て、間を置いてから、おもむろに応えた。

「この家の敷地内の三次元方向に、〈時間経過促進〉の魔法を使ったんでしょう。現場の風化を狙ったものなんでしょうね」

 ……こいつ。

 始は息を吞んだ。この微笑みの美少年は、始が感じ取った事実をそのまま知覚したかのように、明答したのである。魔導師というだけあって只者(ただもの)ではないらしい。

 驚いてばかりはいられない。始は話を掘り下げる。

「時間の流れを速めて千歳んちを風化させたってのは解ったよ。だけど、そんなことをして意味があるのか。魔法を使えないオレからいわせれば、単に魔法の無駄遣いをしてる風にしか見えないぞ」

「おやおや。現場が風化すればいろいろと都合がいいから、そうしたに決まっているじゃないですか」

 ヒバリが抑え気味に笑った。鼻につく態度は相変らず(あいかわ    )だが、次には解説するので始はゲンコツを忍ばせた。

「千歳さんをどこかへ消した(なにがし)は、『自らのあらゆる足跡を風化させたかった』と、推察できます。すなわち、某自身の魔法の痕跡を風化させたというのがボクの考えです」

「それって、魔法の痕跡を消すために魔法を使ったってことだよな」

 始の(とい)に、ヒバリが肩を竦めて首肯した。

「そうです。魔法というのは厄介なもので、使用した一帯に術者の魔力反応を残留させてしまいます。謂わば(い  )『魔力の指紋』ですから、一つとして同じものがありません。無論、残しておけば誰の仕業か調べられる危険が生じます」

「そうか!」

 始は得心がいった。

「その魔力の指紋を消すために、時間を操作して、千歳んちの風化を速めたのか!」

「そういうことです」

 ヒバリの話によれば魔法は三次元方向、つまり立体的に掛けられ、家を風化した。家の外は勿論、中に残っていたであろう魔力の指紋も全て風化してしまったということだ。

 世界が強いコントラストに染まっている。

「日が落ちそうですね」

 と、ヒバリが言って、始を横目に問いかける。

「ボクが調査の拠点にする宿が近くにあります。場を移しますか」

「そうだな……」

「では、行きましょう」

 突然現れ、妙な成行き(なりゆ  )で関わり合いになった少年魔導師は非常に胡散臭い(うさんくさ  )微笑の美少年でもある。だが、「拒否」の二字は始の頭からとうになくなっていた。

 ……千歳、待ってろ。必ず迎えに行くからな!

 始の心には、まだ見ぬ悪から、消えた千歳を救い出す意志が固まっていたのである。

 案内されて始がやってきたのは(ふもと)の旅館。両親と何度か利用した宿で、始は勝手を知っていた。砂利敷(じゃりじき)の純和風の門はもとより、一室一室に露天風呂が設置された、それなりにお高い旅館だ。

 ヒバリが世界魔導師団の経費で宿泊費を払った。始は調査の協力者として宿泊に便乗したので実質タダである。

 和製メイドもとい仲居(なかい)に二人が案内されたのは八畳和室の二間(ふたま)続き。旅館に寄り添う渓流を窓辺の板間から眺望(ちょうぼう)できる二階の一室であった。

 雑貨はどこだ、風呂はどこだ、夜食はいつだなどと、粗方のサービス内容を説明して、仲居が部屋を去る。それから始達は板間の小テーブルを挟んで(とう)の椅子に座った。

 始は、改めてこのヒバリという同年代の少年を観察した。その風貌たるや奇妙(けったい)というほかないだろう。腰丈の黒髪、常に微笑を湛えた顔、背中に白いマント、服は普通極まったチェック柄のカッターシャツに灰色のズボンだが、腕に小型の盾のような白金の籠手を装着している。籠手と同素材で形成した具足を履いていた。和室とあって具足は脱いでいるが何より、彼が帯剣している姿に、この上ない奇妙さと物騒さを覚える始である。

 ……間違いなく銃刀法違反だろ、これ。

 警察と同一の世界魔導師団にヒバリが所属していることを考慮すれば、銃所持が帯剣に代わっただけとも言える。一歩譲ってそこには納得がいくが、「ザ・魔導師」と称されそうなマントや手足のゴテゴテは果して(はた    )必要だろうか。必要だから身につけているのだろうが、全身カジュアルの始は隣にそんな恰好のヒバリを連れて歩くのが少しばかり恥しかった。

 ……えせコスプレイヤみたいだし。

 本物の魔導師なのだから何も服とズボンをカジュアルにする必要はなかろう。よくある文様入りの宗教的な衣装でも着ていればいい。そうすれば、始はヒバリとの友人関係を否定できる。変にカジュアルを着込んでいるせいで、始が友人関係を否定する前に同類のような扱いをされてしまう。ついさっき部屋に案内した仲居がヒバリを怪訝(けげん)な目で観て、次に、哀れむような目を始に向けて去っていったのにはかなり応えるものがあったのだ。

 本当なら渓流を眺望できるはずの窓辺だが、西に山を控えた旅館周辺はすっかり夕闇が広がっている。心が洗われるような清冽(せいれつ)なる渓流も、とんと映らなければ話題にならない。本題を切り出す潮時(しおどき)である。

「ヒバリ。気になったんだがいいか」

「はい。なんですか」

 神話に登場する美の神を具現したような美少年ヒバリが微笑で耳を貸す。

「お前は、千歳の家が魔法で風化したっていったよな。お前はどうしてそれに気づいたんだ」

 魔法の残留魔力は、一定時間が経過すると自然界の魔力と融け合い、個人の「魔力の指紋」として検出できなくなるそうだ。千歳の家は、既に魔力の指紋が風化したあとだったとヒバリが話していた。なら、どうやって、ヒバリは魔法が関わったと考えたのか。

「ああ、」

 ヒバリが一瞬目を丸くして、もとの微笑に戻った。

「そういえば、ボクが調査に出発した経緯を話していませんでしたね。君の問に答えるには、まずそれを話す必要があるでしょう」

「そうか。じゃあ話してくれ」

 と、始は促した。千歳の安否が気にならないわけではないが、千歳の所在を明らかにするには、それなりの知識や権限を有しているであろうヒバリの協力が不可欠。多少不安はあるが、ヒバリと連携を図る(はか  )ためにも、彼の話をよく咀嚼(そしゃく)せねばなるまい。

「組織は世界中に支部を置き、常に『担当事象』を見張っています」

 担当事象とは、世界魔導師団が扱う魔法的・魔導的・魔物潜在的など、あらゆる非科学的事象だとヒバリが注釈(ちゅうしゃく)して話を続ける。

「組織は一定の担当事象を発見し次第、ボクのような団員を派遣し、事態を収拾しています。要するに組織は、逸速く(いちはや  )担当事象を探知し、それがどういった性質なのかを分析できるんです」

「なるほど……。その分析結果がお前に届くんだな」

 始は納得すると、ヒバリがうなづいた。

「探知範囲に特化したレーダですから残念ながら犯人を特定するだけの詳細が得られるわけではありません。ですが、事態収拾に必要と思われる基礎的な情報が素早く確実に調査役に届けられるわけです」

「じゃあ、魔法で痕跡を風化させたんだろう、って、自分で考えたわけじゃないんだな」

 始はここぞとばかりに侮るような細い目線をくれてやった。

「すみません。誤解させましたね」

 と、涼しい顔で言われては、侮り甲斐(がい)もなかったが。

「ただ、魔法による風化だとボク自身も考えていますよ」

 と、ヒバリがニコリ。

 ……いちいち笑う奴だな。

 始は眉間に若干の(しわ)を寄せて訊く。

「千歳の名前を知ってたのも情報が届いたからなのか」

「ええ。千歳さんのご両親の名前も知っています。さすがに親戚である君の名前までは組織も必要ないと考えて、情報を届けてくれませんでしたけどね」

 ヒバリが籠手を鳴らして腕を組み、不意を衝く(つ )ように始を窺う。

「……心配ですか」

 この場に一番適したその言葉に核心を衝かれた気がして、始は即答できなかった。

「……心配に決まってる」

 ようやく出した返答は、搾り出したような低い声になった。

「そうですか……。そうですよね」 

 ヒバリが微笑の奥に何かを忍ばせ、声を落とす。その「何か」の一端を彼が自ら語り出す。

「じつは、ボクは両親の顔を知りません」

「えっ……」

 突然の告白に始は声を漏らすだけで、あとはただただ、哀愁を潜めた微笑の彼を見つめるだけだった。

「ボクには、大切な人との繋がりがないんです。君のように誰かを心配することは全くありませんでした。だから、君のいだく心配の感情を深い意味で理解することができません」

 そう語って口を閉じたヒバリに、始は目を逸らしながらも初めて笑いかけた。

「いいよ、別に。お前にオレの気持を理解してほしいとは思わないし」

 不躾(ぶしつけ)な言葉と言えばそうだろう。

 だが、ヒバリの「微笑」が復活した。

「君は優しいんですね」

 と、ヒバリが昨晩の千歳と同じようなことを言ったので、始は苦笑してしまった。

 ……優しいつもりなんて、ないんだけど。

 始としては、目の前でクヨクヨされては文字通りの目障り(めざわ  )だっただけ。ただ、ヒバリがやっと人間くささを見せたので、同じ人間なんだと認識を改めることができた。友達になってやってもいいと思うくらいには、始はヒバリに心を許していた。

「君とは、仲良くなれそうです」

 と、ヒバリがテーブルの上に、握手の形で右手を差し出した。

 始はその手を軽く叩いて、

「男と握手なんかやってられるか」

 と、応えた。

 ヒバリが弾かれた手を膝の上に置き、

「男の友情というのは、そういうものなんですか。興味深いですね」

 と、微笑んだ。友達が少ないらしいが、

 ……さっきの思考は撤回だ。ヘラヘラしっぱなしの野郎なんかと友達になってやるもんかっ。

 と、始は心の中で声を大にして宣誓した。

「けどさ、お前、確か両親が海外赴任してたっていってたよな。それを知ってるのに顔を知らないってどういうことだよ」

 と、ヒバリの話に辻褄(つじつま)が合わない点があると始は指摘した。

「それは簡単なことですよ」

 ヒバリが人差指を立てて、「ボクは組織の長に拾われ、彼から両親のことを聞いたんです」

「組織の長に拾われたって……」

「彼は、ボクの両親の友人だったそうです。両親が亡くなったときボクはまだ幼かった。彼は気遣ったのでしょう、あえて両親の写真を見せません。正直事(しょうじきごと)をいうと、ボクはそれで随分(ずいぶん)と救われています」

「どうして」

 ヒバリは両親の顔を知らないからこそ、さっきのような、「微笑」にならない微笑を作っていたはずだ、と、始は解釈している。

「知りたいと思わないのか。オレだったら我慢できずに『彼』とやらの家をガサ入れするね」

 荒っぽいがそうするのが普通だと始は考えたが、当事者のヒバリは違う。

「ボクは両親に会いたいんですよ。だから、顔を知りたくないんです」

 始は意味が解らず、首を傾げた。

 ヒバリがクスッと笑った。

「この気持(きもち)ばかりは、ご両親が健在の君に話しても、解らないと思いますよ」

「そうかもな……」

 ヒバリに取って、始が千歳を心配する気持が解らないのと同じだ。ヒバリが矛盾した意見をさも当然のように口にしたのはなぜなのか、始には解らないだろう。生まれ育った環境があまりに違うので、万がいち理解できても共感には至らない。

 そんなことは感覚的に解った始だが、もう一言投げかけないと気持が治まらなかった。

「耳でよければ壁のようにいつでも貸してやるぜ」

「ふふっ……。『壁に耳あり、障子に目あり』を捩った(もじ    )わけですか。意味としては間違っていますが、君にしては頭を捻ったものですね」

 ヒバリが嫌みっぽさを取り戻して微笑に帰した(き  )ので、

「お前はそれくらいがちょうどいいよ」

 と、始も嫌みで応えた。

 話を始めて時が経つ。せっかくの露天風呂があるので入っておくことにした。新入生が初めてできた友達を誘うようにヒバリがやたらと一緒に入りたがっていたが始は断固拒否して一人で堪能した。

 入れ替わって入ったヒバリは髪が長いからだろうか、

 ……男のクセに。

 一時間以上の長風呂をして部屋に戻った。

 二人が揃うと山の幸をふんだんに取り入れた夜食が届けられた。ゼンマイやウドなど山菜を醤油と合せ出汁で炊いたシンプルな炊き込みご飯やイワナの塩焼きなどが、短足テーブルにズラッと並んだ。その多くをペロリと平らげたのは意外にもヒバリだったが、始も腹八分目以上に食べ、味も満喫できたので文句はなかった。

 夜食を終えたところで、仲居が布団を敷き終え、二人は(とこ)につくことにした。

「食べてすぐ寝るのは体に悪そうですね」

 言いつつ、ヒバリが(あかり)を消し、始の隣の布団に入って仰向け(あおむ  )になった。

「休めるうちに休まないとな。それに、いろいろと計画が狂ってオレは疲れた」

 と、始はヒバリに背を向けた。

 食いつくヒバリ。

「計画ですか。どんなものでしょう」

「大したことじゃない」

 と、前置きしてから、始は打ち明けた。

「千歳に内緒でこっちに来たんだよ。で、驚かそうと思った」

「災難でしたね」

「ああ。まさか、こっちが驚かされるとは思いもしなかった」

 と、始は素直な心境を呟いた。

 空気を循環させるクーラの低音が聞こえる、静かな夜である。

「薄情にも、今、ようやく気づいたんだけどさ」

 と、切り出した始は、どうしたって声のトーンが落ちてしまう。

「おじさんとおばさんは大丈夫なのか。千歳みたいに、どこかへ消されてるんじゃ……」

 ヒバリが微笑を湛えたままで返答するのを、始は声で察した。

「千歳さんのご両親は無事ですよ。昨日、南国へ渡航した記録があります。今頃、組織の情報部から千歳さんが姿を消したのを聞いているはずです」

 ヒバリが淡淡と話すので、始は溜息をつく。

「共感しろとはいわないが、もう少し気を配って話してくれてもいいんじゃないか」

「すみません。ボクは昔からこうなんです」

 応えたヒバリは、声に笑みを貼りつけたままのようだ。

「もうちょい感情に幅を出せよな。……まあ、無事だって判ってホッとしたけどな」

「情報が役に立ったようで嬉しいですよ」

 まだ笑っているようである。ヒバリに何を言っても笑みを含んだ声を変えそうになかった。




――一章 終――


 



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