36.克服
よろしくお願いします!
絶叫が響く。
「ああああああああああああ!!」
「ちょっとラインズ! しっかりして!」
エレノラが何か叫んでいるが、それどころではない。
「きゃあああああ!! なんかチクチクするうううう!!」
「女子か! 何だその声、女々しいな!?」
人間数人分の骨の残骸の上に、黒光りする昆虫が一匹。
俺の身長を遥かに上回る巨躯で、そいつは俺にのしかかってきていた。
骨どもはすぐに全滅した。
この悪魔まで現れて、瞬く間に倒されつくしてしまったのだ。
つまり、今は悪魔との一対一である。
逃げようとしたものの予想以上に奴が俊敏すぎたのだ。
戦闘にもならず、マウントを取られてしまった。
虫特有の多脚がチクチクして気持ち悪い。
「ぎちぎちぎちぎちぎち!」
「涎がぁ! 顔にぃ! らめぇ!!」
悪魔の口からあふれ出した体液が、俺の顔にぶちまけられる。
白濁した生暖かい、少し粘性を持った液体だ。しかも臭い。
「絵面が汚すぎるよ! どうしろって言うんだ!」
エレノラが絶望の表情で叫ぶ。
そんなことよりやるべきことがあんだろ!
「早く助けてくれあばばばばばば!」
「ラインズの精神が限界を迎えている!」
「ぎちぎちぎちぃ!」
俺の上に乗った悪魔は、さらに激しく責め立てる。
なんとか堪えるのが精一杯だ。
「『弾力』!」
エレノラが付与術を行使する。
魔力の流れが俺の元へやってきた瞬間、俺の上に乗っていた悪魔が、天井辺りまで跳ね飛ばされた。
『弾力』という術の名前から考えて、俺の体に弾き飛ばされたのだろう。
その弾性は、一回きりのようだが。
「ナイスだエレノラァ! ったく! なんでゴキとエロ同人を演じなきゃいけねぇんだよ! ぶち殺すぞ!」
「じゃあ早く戦ってよ! そんなガクガクした膝で言われても説得力がないんだよ!」
「ああ、やってやろうじゃねぇかこの野郎! 今の俺は殺意の波動に満ちてるぞ!」
「自称主人公としてどうかなとか思うけど、まあ頑張って!」
「いくぞオラァァァ!!」
俺は既に地上に降り立っている悪魔に向かって、手に持った剣を投擲した。
もう一切の出し惜しみ無しだ。こいつは全力でこの世から滅ぼす。
アーツの訓練も忘れずに、剣に魔力を込めてある。
特殊な技は発動しなかったが、威力が割り増しされてたりはするはずだ。
投擲した剣が突き刺さるのを待たずして、俺は渾身の踏み込みを一つする。
召喚魔法を発動しつつ、武器を振り下ろすモーション。
頭上に顕現した鉄槌を手に、俺は最大質量の一撃を奴に放った。
「『連鎖』!」
エレノラが再度、付与術を行使する。
『連鎖』は、その名の通り衝撃が連鎖的に生じるようにする付与術だ。
対物破壊のためなら『破壊』という付与術の方が効率は良いかもしれない。
まあ、『破壊』が面の破壊に対して、『連鎖』は貫通力重視という住み分けが一応、あるみたいだが。
俺が投擲した剣を難なく回避した悪魔は、続く鉄槌にも、あまり動じていないようだった。
その巨体に見合わぬアジリティを遺憾なく発揮し、俺の全身を使った一撃を、紙一重で回避する。
逃げ切れなかった足の数本が、槌撃で、連鎖衝撃によって木端微塵に打ち砕かれていく。
クソが! 外した!
「逃げてるんじゃねぇよ! ゴキの分際で! 『運命変転』!」
タイミングを逃さず、俺は切り札を切った。
一瞬にも満たない暗転の後、俺が最初に知覚したのは、手に握る剣の感触。
剣を投擲する前の世界だ。
「次こそ躱すなよ!」
一度失敗したからか、妙に頭が冴えている。油断は一切ない。
手のひらから剣へ、剣から相手へ射出するように、魔力を移動させる。
「飛べよ! 『羽搏』!」
一度目同様、全力で剣を投擲する。
一度目と違うのは、その剣からさらに斬撃が飛んでいることだ。
ついに成功した。アーツ、『羽搏』により放たれた斬撃の波動は、悪魔が反応できないほどの速度で奴の羽に突き刺さった。
しかし、悪魔は休んでもいられない。
続く投擲剣を慌てて回避する。それでも回避しきれる辺り、やはり素早さは目を見張るものがある。
しかし、無理な回避行動により、その体勢は大きく崩れていた。
「いらっしゃいませ! そして死んで逝け!」
悪魔が『羽搏』と投擲剣を避けることに精一杯になっている間、俺は一度目よりも速く、攻撃の準備をしていた。
狙っていたのは誰も存在していなかった虚空。すなわち、悪魔、ジャイアントコックローチの回避予定場所だ。
想像通り、否、見て来た通りにそこに現れた悪魔に、後のことを全て忘れたような全身全霊の鉄槌を振り抜いた。
願わくば、今後こういう系統の生物に出会いませんように。
あわよくば、こいつが全世界のキモイ昆虫最後の一匹で、これを機に絶滅しますように。
「絶滅しろぉぉぉぉぉぉ!!」
かつてなく切実な思いを乗せた一撃は、インパクトの瞬間、一回目と同様の付与術によって、貫通力特化の連鎖衝撃波を生み出す。
もしかすると、鉄槌だけでは受け止められていたかもしれない分厚く、堅い甲殻。
それすらも、粉々に砕かれて宙を舞う。
むき出しになった肉や気色の悪さが際立つ悪魔の体液など、それらすべてを抵抗なく破壊していく。
だが、それじゃあ足りない。
もっと強く。圧倒的に、偏執的に、一方的に。
例え奴が動かなくなったとしても、何度も何度も叩き潰す。
衝撃波の音が止むときにはもう、悪魔は、生物だったとは思えないほど徹底的に殺され尽くしていた。
その死骸とも呼べないナニカの上に立つ俺は、戦闘終了の安心感と共に、ふと我に返る。
返り血やらキモイ体液を頭っから浴び、テカテカした甲殻の残骸が体にこびりついている。
攻撃中は考えもしなかったが、何度も素手で触れた気がする。
そういえば、口の中にも……。
「すごいよラインズ! あんな普通の冒険者でも引くぐらい虫と接触するなんて! もう虫嫌いは克服したんだね!」
「オエェェ!!」
「吐いた!? 大丈夫!?」
俺は、クルトとシンシアが俺たちに追いついてなお、嘔吐を続けた。




