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何故か事故に遭った時の事を琥瑯は思い出していた。
その日は入学式であった。どの生徒も明るい顔をしている中、琥瑯だけが何かに怯えるような顔をしていた。実際、琥瑯は怯えていたのだ。近くにいる誰もが自分のことを悪く言っているような気がして、聞こえてくる声を全て耳を覆って防ぎたかった。
そんな不安定な精神のせいなのであろう。琥瑯はその日、横断歩道を渡る前、交通事故にあったらしい。交通事故に遭ったときの記憶が琥瑯にはない。事故に遭った直後は何があったのか把握できず、怪我をした後、意識を失ったのだという。
後々聞かされたことによると、琥瑯は車に撥ねられたのだという。賠償金やらなんやらは佐久馬が何とかしたので安心していいと言われた。なぜ、こんなことを思い出すのだろうか。琥瑯には不思議でならなかった。
目を開ける。琥瑯は見覚えのない景色であったので、驚いた。
ここはどこだ?
大きさは琥瑯の借りている部屋と変わりはない。が、そこを部屋と呼ぶには言葉がいささか上等過ぎた。所々垣間見える壁の美しさ、天井の明かりの形から、それなりに上等な部屋であることがわかる。しかし、それを台無しにしているのが所狭しと敷き詰められた段ボールの数々である。琥瑯のいる場所と部屋の外に出る扉の間には段ボールで道が作られている。それはつまり、琥瑯と扉との間しか段ボールが積まれていない場所がないということになる。
琥瑯は自分が椅子に座っていることに気が付く。立とうとする琥瑯だったが、自由が効かない。腕が後ろで組まれており、縄で縛られている。
明らかに捕縛されていた。椅子は重しでも載せてあるのか、少しも動くことはなかった。
「なんだよ、これ。」
「あら、気が付いたようね。」
女性の声とともに扉が開く。
「お前は確か・・・ハバラ・・・」
「あら。私のことを知ってたの?」
「これは何の真似だ?お前は俺を病院から拉致したのか?」
「え・・・病院?」
何かを考え込むようにハバラは言った。
「まあ、いいわ。私は葉原真樹。あなたは」
「奉琥瑯。知っているだろう?お前、見舞いに来てたもんな。」
「あら、知ってたの?」
真樹は挑戦的な笑みを浮かべて言った。その姿が琥瑯には真樹が楽しんでいるように見え、何故楽しんでいるのかが琥瑯には理解できないことだった。
「そうね。多分、あなたにとって無関係ではない事態になってるみたいだからね。教えた方がいいかもしれないわ。あなたからも話を聞きたいし。
じゃあ、まず、私から質問するけど、あなた、空の上を跳んだ記憶ない?」
「なんだそりゃ。」
琥瑯は質問が突拍子もなさ過ぎて呆れていた。
「私のナイフを奪ったり、光線を腕で受け止めたりっていう記憶はないのね。」
「ない。」
だが、琥瑯はまさかあの症状が出たのか、と思い、ギクリとした。
「でも、心当たりはあるのかしら?」
琥瑯の不安が表情に出ていたのであろう。真樹は注意深く琥瑯を見つめながら言った。
「知らねえよ。何かあったのかよ。」
琥瑯は探りを入れる。琥瑯は自分の症状についてよく知っておきたかった。
「まあ、そんなに知りたいなら教えてあげてもいいけど。あなたは空の上にいる怪物と戦ったの。結局ソイツには逃げられちゃったんだけど。覚えてない?」
そんなことが起こるはずがない、と琥瑯は思った。目の前の女は俺を洗脳しようとしているのか、と。だが、そんな奇妙な体験を何度も経験していることに気が付く。
「じゃあ、あれも夢じゃなかったのか・・・」
「あれって?」
「病院で男が炎を出したり、お前が光を出したりっていうのは・・・四本足のときもそうだ。」
「まさか、夢だと思ってたの?いや、でもアンタそれはないでしょう。」
真樹も琥瑯同様困惑しているようだった。
「まあ、でも仕方ないか。魔術なんて誰も信用はしないだろうし。」
「魔術?」
「知ってる?魔術。」
「ピピルマ ピピルマ プリリンパ?」
「アンタ古いの知ってるわね。せめてピーリカピリララにしない?それに魔法だし。」
「パラリル パラリル ドリリンパ?」
「二作目に変えた所で何も変わんないわよ。一般人が考えているのはやっぱり魔法よね。」
真樹は溜息をついた。
「このことを一般人であるあなたに言ってもいいのかわからないけど、魔術っていうのは、そうね。何かに何かを付加する方法とでも言った方がいいのかしら?」
琥瑯はなんのことだかさっぱり理解できなかった。
「言ったところで一般人には理解も使用もできないでしょうけど。魔力を精製できる人間は限られてるし。でも、これは科学とは別の方法ではあれど、決して非現実的な話ではないということは覚えておいて。
で、あなたの置かれている状況か。あなたもそれを知りたいようね。」
真樹はそう言うと真剣な眼差しで琥瑯を見た。
「まずは、ごめんなさい。それをずっと言いたかった。」
「なんで謝るんだ?助けてもらったのは俺の方なのに。」
「いいえ、違うわ。今回のことにあなたを巻き込んだのは私なの。あなた、入学式の日、事故に遭ったでしょ。それ、私のせいなの。病院で戦ったおっさんと実はあなたが事故に遭った現場の近くで戦ってたの。」
とてつもなく非現実的な話であるのにすんなりと受け入れてしまっている自分に琥瑯は驚いた。実際に数々の軌跡を目の当たりにしてきたというのもあるが、琥瑯にはそれだけではないような気がしていた。
「さっき言った法王のカードを巡って交戦していたときにあなたを巻き込んでしまった。そして、魔術師にとってやってはいけないと言われていることを私はあなたにしてしまったの。親からはうるさいほど言われたわ。魔術師との戦いには犠牲が付き物だから、決して犠牲になった一般人に情を持ってはいけない。申し訳ないと思ってはならないって。そうしないとその一般人も苦しむことになるって。私は親が言ってた言葉をよく理解していなかったけれど、今回でよくよく理解することができた。魔術師っていうのは恐ろしいほどに合理的過ぎるのよね。だから、あなたに怪我をさせて申し訳なく思っていたからお見舞いに行ってたのを奴らはあなたがカードと関係があると誤った認識をしてしまったの。魔術師はどいつもこいつも合理的だから、ただの見舞いに行くわけがないって思ったのでしょうね。
本当にごめんなさい。あなたには何度も危険な目をあわせた。」
そう言って真樹は再び琥瑯に頭を下げる。
「別にいいよ。謝らなくたって。俺の方こそ葉原に感謝すべきだろう?ありがとう。何度も命を助けてくれて。」
「そんな簡単にお礼を言ってもらえる状況じゃないのよ。」
少しヒステリックな表情と声色で真樹は言った。
「私はあなたにとんでもない運命を背負わせてしまったかもしれないの。」
「どういうことだ?」
琥瑯は目の前の少女を心配するように言った。
「まだ推測の域でしかないのだけれど、あなたの中にはカードが宿ってしまっている可能性があるの。」
「さっきからカードカードって言ってるけど、それってなんなんだ?」
「そうね。それも説明しなくちゃね。実は私たちもカードについてはよく分かっていないというのが現状なの。うーん、どこから説明すればいいんだろ・・・まず、魔術と魔法との違いかな。魔術っていうのはさっき言ったように、何かに何かを付加する力。一方魔法っていうのはあなたが言ってたようなものなの。言葉にすると世界の法則に何かを付加する法、つまり世界の法則に干渉できる力ってことかしら。夢みたいなことが実現できるかもしれないのが魔法ね。まあ、実際には世界に干渉できるくらいに凄いものを残すっていうのが精いっぱいみたいなんだけど、それでも、凄いことではあるの。で、いつの時代、どこで誰が作ったのかわからないものが聖遺物と呼ばれるものなの。それは少なくとも魔法で作られたとされるもの限るんだけど。それで、会話に上ってたカードっていうのもその聖遺物ってわけ。話、長いわよね。何か飲む?」
突然話が振られたので、琥瑯は少したじろぐ。
「それよりもこの拘束を解いてくれないか?」
「ああ、それは無理ね。そこらへんもこれから話すから。」
そう言って真樹は再び話を始める。
「まず、そのカードはもともと日本にはなくて、今よりももっと古い時代に作られた可能性が高いわね。西洋の古い文献にカードについて書かれていたらしいの。でも、古いっていうのと、いろいろな情報が混ざってしまってて、あまり参考にはならないのだけれど。ただ、そこから得られた情報によると、カードはタロットカードに模してあって、枚数は22枚ということ、封印が解かれた地にカードが実体化して色々と災厄を引き起こすということ、そして、封印するためには誰か一人が所有者となること。」
「少し質問いいか?」
「何?」
「何で封印が解けたんだ?」
「それは不明ね。誰かが解いたのかもしれないし、自然と解けるようになっていたのかもしれない。ただ、今分かっているのは、早くカードを封印した方がいいってことね。あなたは記憶がないでしょうけど、カードの能力は魔術を凌駕している。炎術使いとの戦闘を覚えているのなら比較しやすいかしら。カードは魔術師の十倍近い力があるわ。この町を簡単に破壊しかねないレベルね。」
琥瑯は病院での戦闘を思い出していた。あの時は病院が燃えて消火が間に合わなければ死人が出るところだっただろう。その何倍となると、町が火に包まれてもおかしくはない。
「だから、魔術組合は七人の魔術師を派遣することにしたの。ああ、魔術組合っていうのは世界中に魔術結社っていうのがあって、その魔術結社が加盟している団体なの。魔術結社は魔術師の集まりってところか。で、魔術組合は七種類の魔術の専門家をこの土地に派遣したっていうわけ。」
「なんで大勢で来なかったんだ?大勢でやった方が簡単に終わるんじゃないのか?」
「まあ、普通はそう考えるか。でもね、魔術組合とか魔術結社が一番に何を考えているのかわかる?」
琥瑯は無言で首をかしげる。
「それはね、魔術師の保護なの。魔術師には色々いるんだけど、魔術師かできない魔術師もいれば家の伝統として魔術を守っている人もいる。世界を変えようと魔法を目指す者もいる。でも、そのいずれも科学が支配しているこの世界で正体が露見することを望んではいないの。分かる?今でも超能力とか信じられていなくって、否定してるのばかりじゃない。そういう迫害の歴史があったのをあなたも知ってるんじゃない?魔女狩りとか、ね。」
中世の時代、怪しげな人物は宗教の名の下に罪なき命を奪われた。それにはでっち上げが多かったと言われている。彼らは魔女もしくは吸血鬼などという汚名を着せられ正義のもとに断罪されてしまった。琥瑯でもそのくらいのことは知っていた。
「ただね、魔術っていうのはただでさえあまり根拠らしい根拠をもたないものだから、変な噂に流されやすいのよ。今回のカードについては変な噂が蔓延っててね。何の根拠もないんだけど、そのカードの所有者になったものの願いが叶うとか―――でも、そんなわけないって誰でも分かっているはずなのにね。」
少し寂しそうな顔を真樹はした。その姿を見て琥瑯は真樹も年相応な心をしているんだな、と思った。
「誰しも叶わない願いを求めて魔術師になり、魔法使いを目指すけど、願いを叶えた魔法使いなんて誰も聞いたことがない。でも、それしか望む者たちには希望がないから魔法を目指す。だから分からないこともないんだけど、七人がそれぞれ奪い合うことになるとは思いもよらなかったわ。誰一人としてこの町の平和を考えてないんだわ。」
「ところで、それが俺となんの関係があるんだ?」
「そうね。起こったことをありのまま話すわ。入学式の日、私はカードの一枚目、法王のカードがさまよっているのを見つけた。そこで運悪く炎術使いと出くわし交戦。だけど、魔術に失敗して一台の車を暴走させて一人の一般人に怪我を負わせてしまった。それがあなた。」
「それで見舞いに来てたのか。」
「そう。そのあとのことはあなたのよく知る通りよ。そして、ある晩、私の目の前に巨大な浮遊物体である法王に素手で挑んだ謎の人物が現れた。暗かったから姿は分からなかったけど、右手に怪我をしていた。」
琥瑯は自分の右手に目をやるが、後ろで組まれているので見ることはできなかった。
「そして。今日同一人物だと思われる人間が唐突に姿を現し、再び法王に挑んだ。その人物は驚異的な身体能力を持ち、しかし、十分な理性を持っているとは思えない人物だった。そして、驚くべきことに、魔術ではできない魔法の領域に属するであろうことを成し遂げた。
その人物はそのことを覚えていないという。この人物が誰を指すのかくらいは分かるわよね、奉琥瑯。」
琥瑯はカッと目を見開く。驚いたというのもあったが、そんなリアクションしかできそうもなかったということでもあったのだ。
「あなたの身に何が起きているのかは正確にはわからない。でも、法王を襲ったのは偶然じゃない。これは推測だけど、あなたの中にカードがいる可能性がある。」
「なあ、俺はどんな感情を抱けばいい?」
「知らないわよ。今のあなたは災厄の一つになっている。あなたのせいで・・・いやいいわ。」
琥瑯は真樹の言葉が非常に気になったが、聞かないことにした。彼は耳と目を閉じ口を噤んだ人になろうと思ったのだ。
「だから」
その続きの言葉で、琥瑯は殻から出ることを余儀なくされた。
「私と一緒に暮らしなさい。」
会社帰りの男がいた。彼はただ偶然にも建物と建物の隙間が気になり、覗いただけだった。時はすでに夜で、外灯で照らされている場所以外は暗くて足元も覚束ないくらいであった。そんな具合であるから、男が見たのはワイシャツ姿の男が隙間で壁に背をもたれ座している姿だった。体型が痩せていることから、男は地べたに座っていたのは若い男だと思った。髪の毛は長めで、ショートカットの女性と見紛うほどだった。
だが、男が少年の姿を見たのはほんの一瞬のことだった。すぐに視線を前に移し、帰路につく。通り過ぎた後で、さっきのは何だったのだろうと思ったが、すぐに酔って潰れた学生だろうと思い、警察への通報を止めた。男は自分も酒の調節ができずに何度も路上に倒れたことを思い出した。そして、もう少年の存在など忘れてしまっていた。
その少年は決して酔ってなどいなかった。ただ、今の彼は何も感じることができなくなっていた。目まぐるしく変わっていく状況に思考が追いつかなくなっていたのだ。少年はずっと目を閉じていた。目を閉じていれば何も見なくて済むのだから。醜い現実を目の当たりにせずにいられるのだから。
そんな少年を気にする者など男以外にはいなかった。
虫も静まる深夜のことである。真樹はカードの反応に気が付いた。より正確に述べるならカードに反応した術式に反応した。そして、琥瑯が暴れ出す。真樹の姿は琥瑯から見えていない。光の反射によって別の部屋からでも琥瑯の様子を見ることができるようにしているのだ。
「ビンゴみたいね。」
真樹は自分の立てた推測が合っていたことに満足していた。
「何故か奉琥瑯はカードに反応する。いや、奉の中のカードが他のカードを攻撃しようとするのか。でも、そのカードの正体がわっかなんないのよね。」
はぁ、と真樹は溜息を吐く。その溜息に反応するように術式は反応を止めた。
「あれ?今回はやけに早かったわね。そのくせ被害は出ていない。」
真樹は窓の外を眺める。光の筋が飛ぶようなことはない。
「そして、カードの反応がなくなれば、奉の中のカードも反応を止める。」
奉は動くのを止めていた。椅子に座りながら首をぐったりと垂らし、眠っている。
「きっと今晩のことも覚えていないんでしょうね。一体何なのかしら。」
考えても埒が明かないことであるが、考えずにはいられない真樹であった。
「ふん。すぐに消えたか。やはり、もう一体が目覚めたと考えるべきか。」
人目もつかない暗い路地で少年は言った。その少年は前髪が長く、目までかからんとしているものを片方に流していた。それ故、ゲゲゲの鬼太郎のようになっている。
少年は一歩踏み出す。ぴしゃりという音とともに地面が波立つ。よく見てみると、地面には液体がこぼれていた。だが、その液体があまりにも広範囲に広がっており、ネオンの気味の悪い光に照らされて地面であるかのように錯覚していたのだ。
「こんなに盛大にやってくれちゃって。今度のは一体何者なんだ?」
少年の足元には濡れた布が落ちていた。だが、その布は何かの上に被されていて・・・
少年の傍らには死体があった。若い女の死体。湿った布はよく見れば制服であった。こと切れた少女の顔は生きていれば決してすることの無かったであろう吐き気の催す表情となっていた。一目で死んでいると分かる。
「きっと正義の仕業でございますよ。」
路地の影から卑屈な声がする。
「またお前か。地術使い。」
地術使いと呼ばれた男、背丈が小さく子どもほどの高さしかない年老いた表情がくっくっくと気味の悪い笑い声を上げる。
「あなた様ほどの魔術師なら、私の存在などとっくにご存じだったはずだ。」
男のねっとりとした声に少年は顔をしかめる。
「君は何者なんだ。やけにカードについて知っているじゃないか。それに戦わずに自分の専門を述べるなど」
「魔術師にあるまじき、ですか?」
少年は男のニヤついた表情に嫌悪を覚える。
「それはあなた様の専門を是非とも知りたいからですよ。だから、こちらから名乗ったまでです。」
「ならば、闘えばいい。」
「いやはや、私ほどの齢となれば、一目見ただけでそのお方がどれほどの強さなのかわかります。私ではあなたに到底勝てない。あなたが私の見込んだ通りの術使いなら尚更だ。」
「まあいい。それより正義の情報をよこせ。」
「推測にて正義ではないかと思うだけですよ。情報もなにもあったものじゃないってことはあなただって知っているはずだ。」
小さな悪魔は再び気味悪く笑った。
「ただ、私が昔聞いたところによると、カードは人に寄生するようです。」
「寄生?」
「ええ。まあ、私にはよくわかりません。人伝いに聞きましたから。」
「だが、今のお前の話からすると、カードは今よりも前に封印が解かれたことがあったように聞こえるんだが。まさかあなたでも何百年も生きてはいまい。」
「さあ。真実は私にもわかりません。そして、カードの属性についてもです。これが何を意味するのかは若旦那はご存知のはずだ。」
「地属性ではない、か。だが、お前が真実を言っているのか定かではない。」
「そう。でも、そうなると今までの私の言葉も怪しくなってしまう。もっと大袈裟に言えば、どの人間の言葉も怪しくなる。でも、現実はそうではない。例え信じる根拠がなくとも人は言葉を、嘘か真か判別の付かないものを信じている。だからこそ生きていられるのではないですか?信じているからこそ救われるのです。」
「ふん。まあいい。」
そう言って少年は暗い路地から明るい大通りへ出て行く。
「嘘か真か。それさえも分からない。しかし、それがこのゲームの面白いところなのです。」
小男は少年に聞こえないのを分かって言った。
朝の透明な光が琥瑯の顔に差す。琥瑯は驚いたように目を開ける。そして、勢いよく椅子から立ち上がる。
「あれ?」
椅子から立ち上がれたことに琥瑯は再び驚く。戒めはいつの間にやら解かれていたらしい。琥瑯はいまいち状況がつかめず辺りを見渡したが、琥瑯の周りには昨日と同じくこぎれいな壁紙と積まれた段ボール箱ばかりであった。琥瑯は段ボールで形作られた道を行き、部屋から出る。入ったこともない場所から脱出するのはなかなか新鮮だな、と琥瑯は思い、胸をときめかせた。
廊下を音もたてずに歩いていた琥瑯はある扉から物音がすることに気が付く。琥瑯はどうしようかと迷ったが、色々な事情を話されて、それを見て見ぬふりをすることが琥瑯にはできなかった。
「よう。おはよう。」
扉を開けて琥瑯は言った。真樹はテーブルについて食事を採っていた。コンビニで買った弁当が二つ。一つは向かい側の席に置いてある。
「これ、俺のか?」
ポトリ、と真樹の落とした箸はテーブルの上に音を立てて落ち、コロコロと転がって、床に転がる。
「箸落としたぞ。」
「そういうことじゃないわよ!」
突然怒鳴った真樹に琥瑯は度肝を抜く。さきほどまで口をあんぐりとさせていたのにどういうことか、と琥瑯は思った。
「な、なんなんだよ。」
琥瑯はどぎまぎして言った。
「なんなんだじゃないわよ!」
同じような返答が同じように怒鳴り声で返ってくる。近所迷惑にはならないだろうか、琥瑯は本気で心配していた。
「拘束を解いたのよ?なんで逃げないわけ?」
「逃げて欲しかったんならそう言えよ。」
「いや、普通に考えたらあれは逃げてくださいってことじゃないの。」
「昨日は一緒に暮らせとかなんとか言ってたくせに、急にどうしたんだよ。なんかあったのか?」
真樹は何か迷ったように小言を言っていたが、琥瑯には聞こえなかった。そんな真樹を後目に、琥瑯は床に落ちた箸を拾い、キッチンへ向かう。
「な、なにしてんのよ。」
「あのさ、お前、いっつもそんなの食ってんの?」
琥瑯が言ったのはテーブルの上のコンビニ弁当のことだった。
「な、なにか文句でも?」
「そんなの美味いか?チェーン店の牛丼の方が遥かにマシだろ。」
「なによ偉そうに。」
「晩飯もそんなんなのか?」
「だったら、何なのよ。」
「仕方がないから俺が作ってやるよ。」
「なに?私が料理も作れないなんてバカにしてるの?」
「それ、今朝から何回目だよ。」
琥瑯と真樹は登校していた。真樹の家は比較的高校から近く、それほど遠いわけではなくバスを使うのがもったいないので30分以上歩いている琥瑯はうらやましく思った。
「しかし、お前の家も魔女が住んでそうな場所だったな。小さいころ見た魔女の雑貨屋と同じだ。」
「なんか文句でもあるの?それとなんでお前呼ばわりしているわけ?」
「文句はないが・・・あと、名前ってなんだったっけ?」
「真樹よ。葉原真樹。言ってなかったっけ。」
「多分。」
傍から見れば、二人は仲の良いカップルに見えただろう。何やら言い合っているが、痴話喧嘩の範疇だ。
そんな二人の姿を見て、意気消沈している者がいた。
「葉原さん・・・」
磯山尚であった。
「おお、てらそま。」
琥瑯が話しかける。
「僕はそんな名前じゃない!」
磯山は糾弾する。
「あなたの知り合い?」
「何を言ってるんですか、葉原さん。私はあなたの隣の席の、磯山です。」
てらそまは悲し気にそう話した。
「だから、磯山だ!」
「何この人。なんで何も言ってないのに答えてるの?」
「行こうか、真樹。」
「つーか、なんで呼び捨てなのよ。」
「ダメか?」
「ダメに決まってるでしょ。」
「じゃあ、なんて呼べばいい。」
「そりゃあ、葉原様に決まってるでしょ。」
「うるさい。真樹。」
「だから、名前をそれも呼び捨てするな!」
真樹と琥瑯はてらそまをいなかった者のように扱い、校門をくぐっていく。
「だから、てらそまじゃなくって、磯山だって。」
そんなてらそまの声は小さく消えていった。
「だから、てらそ(ry
「そう言えば、さっきのてらそまも魔術師なのか?」
靴箱で靴を取り出すとき、琥瑯は思い出したように言った。琥瑯は飛んできた靴を片手で難なくキャッチした。琥瑯に靴を投げつけた張本人である真樹は言った。
「なんで余裕でキャッチしてるのよ。」
「投げてきたから取ったまでだが?」
「普通はこんな至近距離で投げられたら受け止められないのよ。」
真樹は琥瑯の手の上の自らの靴を奪い取り、言った。
「校内では魔術師関係のことは口に出さないこと。どこに伏兵がいるのかわからないから。話は家で聞くわ。」
琥瑯はぼんやりと四本足に襲われたとき四本足の姿を見た人物が他にもいたことを思い出したが、黙っていろと言われたばかりなので、言わないことにした。
「ほら、ぼさっとしないで行くわよ。」
「学校の中まで一緒なのか?」
「あんたは監視対象なの。暴れたらすぐに殺せるように見張るためよ。」
「それはありがたいな。」
琥瑯はくすんだ表情で言った。
暗い路地に充満する臭いに岡嶋は思わず顔をしかめた。もう齢40近くなるが、こんな臭いに慣れるほどの経験は岡嶋にはなかった。
「おお、ヒマジンの岡嶋さんがわざわざお出ましとは―――うえっ。」
自分より歳は若いが階級は上の刑事は充満する異臭に耐えられず、嘔吐してしまった。そういう岡嶋も白い手袋をした手で必死で口元を押さえて、迫りくる吐き気に抗戦していた。
何故これほどの異臭がしているのかという理由を岡嶋は考えた。それは考えるまでもなく自明であったが、そうして現実逃避をしないことにはやっていけそうもなかった。
まだ、死体があるからだ。
普通、刑事は検死官が遺体を片付けてから現場を調べる。現場を調べるのは鑑識がするが、未だ刑事の勘とかいうものが迷信されており、刑事はまず現場に赴く。だから、岡嶋はまだ現場に来なくてもよかったのだ。
岡嶋は変色した地面を見る。アスファルトで舗装された地面には水たまりのような奇妙な模様ができていた。しかし、それは液体のような艶はなく、むしろ表面がひび割れ始めていた。岡嶋はそれが赤黒い色をしていること、死体を中心に構成されていることから、何であるのかが推測出来た。
「今回も同じか。」
岡嶋は死体の状況を見て、かつては胴のつながったごく普通の女子高生だったものを見て言った。岡嶋はこの死体を見るためだけに早くから現場に来ていた。捜査から外されている岡嶋は直接見ることでしか情報を得られなかった。岡嶋に声をかけてきた年下の上司もそうなのだろう。彼には事件の詳細が送られてくるだろうが、実際の現場を見ないと分からないこともある。若いのに熱心だ、と岡嶋は感心した。だが、同時に未だ嘔吐を続けている刑事に対し、無理をし過ぎるなよと苦笑した。
F高校の教室。そこでなにやら騒がしいことが起きていた。
初め、琥瑯はなにが起こっているのかに気が付くことはなかった。琥瑯はいつものように一人教室で本を読んでいた。愛読書は大槻ケンヂ。だが、いつもより教室が騒がしい。それでも琥瑯は気にすることなく本を読んでいた。読書に集中していても、耳を塞がない限り音は聞こえてくる。琥瑯は教室に広がっていた声を聞きとった時、顔を上げた。
「あの娘可愛くない?」
「何組?」
「確か6組の―――ハバラ―――」
琥瑯はクラスメイトの様子を窺う。ほとんどが男子であったが、多くのクラスメイトは教室の外の廊下を窺っている。
琥瑯も廊下に視線をずらす。するとそこにはよく見知った少女がいた。その少女は何事もないかのごとく、廊下の壁にもたれてスマートフォンをいじっている。魔術師にスマートフォンとはなかなかだな、と思ったのが通じたのか、琥瑯の視線と真樹の視線がぶつかる。真樹は焦ったように視線をスマートフォンの方へ向ける。
監視。
そのような言葉が琥瑯の頭にもたげた。
琥瑯は何をしようと考えるでもなく、真樹のもとへ向かった。気付かなければ平気でいられただろうが、教室が真樹についての話題で盛り上がっているのを知ってしまった途端、自分と真樹の関係が知られてしまうのではないかという不安に駆られたのだ。真樹と自分は特別な関係ではない。異常な関係だ。そんな事情を説明できるはずがない。そんな考えが琥瑯の頭の中に浮かんでいた。
「なにやってんだよ。」
多少ぶっきらぼうかと琥瑯は思ったが、あまり親しくすると変に疑られる可能性があるので、よしとした。
「校内では馴れ馴れしくしないでよ。関係がばれたら大変でしょ。ただでさえ、伏兵がいる可能性が高いのに。」
「どういうことだ?」
琥瑯は真樹の言った、伏兵がどうのこうのというのが気になった。
「今朝も言ってたが。」
「帰ったら話すから、ここではその話はやめてちょうだい。なんか、ただでさえ目立ってるっぽいし。」
「いや、それはお前が悪いんだろ。」
「へ?なんで?」
ふと廊下を二人組の少女たちが通り過ぎる。それはごく普通の風景であって、別段気にするほどのことではなかったはずである。しかし、琥瑯は聞いてしまった。
「この前さ、うちの近所で殺人があったらしいよ。」
「マジで?それって結構ヤバくない?」
真樹は琥瑯に向けて言った。
「ねえ、奉くん、大丈夫?」
真樹がそう言って心配せねばならないほどに、琥瑯の様子は豹変していた。目が血走っている。真樹には今の琥瑯を支配しているのが何なのかが理解できなかった。
琥瑯はいきなり走り出すと、話していた二人組の女子の一方―――近所で殺人があったと言っていた方の女子の肩を掴み何やら言っていた。真樹は突然琥瑯が走り出したものであるから声が遠く聞き取ることができなかったが、話しているというより怒鳴っている、や、強迫していると形容した方がいい話し方に見えた。
「奉くん、なにやってるの!」
真樹は困惑しつつも強く言い放つ。すると、琥瑯は我に返ったように女子から手を離した。一安心、と真樹が思ったのは束の間だった。琥瑯は携帯電話を取り出すと、電話をかけ始めた。電話をかけるのは校則違反でもなんでもない。が、まだ琥瑯になにか憑りついているように真樹には思え、真樹は琥瑯に対し恐怖を抱いた。
「もしもし、奉です。先日殺人があったとの情報を得ました。佐久馬さんは殺人は起こっていないって言っていましたよね?はい。はい。そのくらい分かってます!早く確認してください!」
廊下に響き渡るほどの大きな声で琥瑯は通話していた。教室中の生徒は琥瑯に注目していた。
「大丈夫・・・奉くん?」
真樹の言葉に目もくれず、琥瑯は背を向けて廊下を独り歩き、真樹から遠ざかっていく。
真樹は琥瑯を止めることはできなかった。
岡嶋は公園のベンチで身体を休めていた。その右側にも同じようにベンチがあり、そのベンチには少女の死体を見て嘔吐した刑事が疲れた様子で座っていた。
「そっちはどうだ?」
岡嶋は言った。その言葉は事件の進展はどうだ、という意味である。
「そんなの決まってるじゃないですか。全然ですよ。府警の連中が出張ってきて、俺らにはほとんど情報を与えない。ただ、現状を報告せよってだけですよ。」
「そのくらい十分予想はついていたがな。こんな小さな田舎町でもう三人も殺されているんだ。明らかに殺したというのが分かるように、な。」
「岡嶋さんの方はどうですか?何かタレこみとかありました?」
「あったらキャリアどもがうちに雁首そろえてお出ましだよ。」
「ですよね。でも、この事件は考えれば考えるだけおかしいんですよ。ホシは普通証拠とかそういうものに気を使いますよね。でも、今回は指紋、DNA、ゲソ痕が残り放題なんですよ。まるで人を殺すことをお腹が空いたからコンビニに寄ろうとしか考えていないような、そんな感じがして気持ちが悪いです。」
青い顔で刑事は言った。
「そういえば、うちに『自分は犯人だ』って感じの通報があったな。」
岡嶋は言った。
「へぇ。そりゃ大きな手掛かりじゃないですか。」
そう言う刑事の口調は少しもそうは思っていない調子であった。刑事はよく知っていた。そう言う類の通報は山のようにあるということを。そして、それは十中八九、デマであることも。
「まあ、なんだ。そういう大変なこともことも―――ああん?」
後輩でありながら上司である男に慰めの言葉をかけようとしていた岡嶋は、突如鳴り響いた携帯電話の着信音に話のコシを折られ、誰からの着信出るのかを確認せず、不機嫌に電話に出た。
「誰だ?って、佐久馬か。今頃何の用だよ。は?お前、その情報をどこで仕入れた?まだ情報は解禁されてないはずなんだが・・・ふむ。なるほどな。だが、今回も情報は渡せないな。俺はお前にされた仕打ちを忘れてはいないからな。」
そう言うと岡嶋は電話を切った。
「岡嶋さんが情報屋だって噂は本当だったんですね。」
刑事は未だ俯きがちで言った。
「俺はそんなんじゃねえよ。」
「でも、さっきの佐久馬って一年前の事件の時の弁護人ですよね。あの時も何故捜査情報が漏れたのかって大騒ぎになったじゃないですか。」
「ああ、休憩はもう終わりだ。俺は忙しいんだ。」
バツが悪そうな表情をしながらも岡嶋は言い、公園から去っていった。
真樹が一日琥瑯を観察して感じたのが、コイツは何をするか分からない、ということだった。昼間豹変したように女子に問い詰めたというのもあったが、真樹がそう思うのは琥瑯が何を思ってあのような行動を起こしたのかが理解できなかったというのが大きい。ただ、感情のままに動いたというわけではなさそうであるのは真樹も気が付いていた。行動自体は何かの感情に基づくものであろう。が、その行動や感情の素となる事情が何かあるのではないか、と真樹に思わせた。真樹の中には琥瑯について知りたいという欲求と知ってどうするのか、自分はカタギの人間ではないという諦めが混在していた。
琥瑯は一切クラスメイトと話すことはなかった。あの件以来、常に苛立ったような素振りを見せている。クラスメイトも話しかけ辛そうであったし、教師すら教室に入った瞬間目を見開いてギョッとしていた。琥瑯は教室の外の廊下にいた真樹を完全に無視していた。それは意図的なものというよりは、真樹のことにかまっていられないということだったのかもしれない。
だが、そんな琥瑯の様子などお構いなしに琥瑯に関わろうとする者もいた。
「おい、貴様聞こえているか。」
琥瑯はその声に応じて俯いていた顔を上げた。そこにはいつぞやの少女、松ヶ崎がいた。
「表に来い。」
普段の琥瑯ならその言葉に応じることはなかっただろう。だが、琥瑯はその時非常に気が立っていた。琥瑯は松ヶ崎の言葉に応じて松ヶ崎の後をついていく。
松ヶ崎が止まったのは校舎と校舎の間にある中庭のようなスペースだった。普段からあまり人通りがないが、今は放課後であるというのもあってより人気のないものとなっている。
「この前言ったことを覚えているか?」
「戦って負けたら入部しろってヤツか。だが、何故俺なんだ?何故俺に構う?」
琥瑯はひどく睨みながら松ヶ崎に言った。琥瑯は鬱陶しい松ヶ崎をボコボコにするつもりでいた。これ以上勧誘されるのを防ぐためである。
「理由など知らん。一度私が決めたことだ。意地でもやり通す。」
随分自分勝手な信念だな、と琥瑯は思った。
「いいだろう。早くやろうか。」
琥瑯は言った。
「待ってください。」
「うん?」
中庭に松ヶ崎のものでも、琥瑯のものでもない声が響いた。
「その勝負、私が受けて立ちます。」
声の主は一人の少女だった。メガネをかけた気の弱そうな―――初め、琥瑯はその少女の正体を思い出せなかった。が、ふと四本足の時にぶつかった少女であると思い出す。
「この勝負に私が勝ったら、この方には読書部に入ってもらいます。」
そんな部活あっただろうか、という考えよりも先に、いつの間にか自分が賞品のように扱われていることに琥瑯は呆然とした。
「おい、勝手に決め―――」
「いいだろう。」
琥瑯の反論をかき消すように松ヶ崎は言った。
「倒す奴に名乗るのは私の流儀ではないが、今回は無謀にも挑んできたお前に敬意を表して名乗ってやろう。私は松ヶ崎綾だ。」
「鳳翔。それが私の名前です。」
伏目がちな翔の目には強い意志が漲っていた。綾はそんな翔の様子を見て鼻で笑ったが、それは決してあざけりの気があってではなく、楽しみで仕方がないというものであった。
「なあ、お前らやめろよ・・・」
二人の少女の作り出した雰囲気に圧されながらも、琥瑯はやっとのことで言葉を紡ぐ。
「いざ、勝負。」
綾は言葉とともに、翔に向かって前進する。そして、翔の目前まですぐさま移動するとスカートのチャックを下ろし始めた。
「なにやってんだよ、松ヶ崎!」
琥瑯は訳が分からなかったが言う。
「何とは、見て分からんのか。スカートのチャックを下ろしているのだ。」
「何で下ろしているんだよ。」
「これが瀬駆姿位娘曼道初歩中の初歩、チャック下ろしだ。」
「ってセクシーコマンドーじゃねえかよ。異次元なんとかはどうした!」
「小さいことはどうでもよいではないか。」
そう言って未だスカートのチャックに手を添えていた松ヶ崎はホックさえも外そうとしていた。
「やばいぞ、それは。犯罪になるッ!」
スカートを脱ごうとし始めた綾を止めるため、琥瑯は綾のもとに向かう。
すると、今まであまり存在感のなかった翔のメガネが不気味に光る。そして、おもむろに制服のポケットから文庫本を取り出す。
「『やめろよ、こんな公共の場で…修治・・・』
『誰も見ていないさ、公威。気にするな』
『でも僕たちが付き合っていることが知れたら・・・』
『そんなことを言う唇は塞がなきゃな。』
そうして修治は公威の形のいい唇を見つめると―――」
「お前もなにしてんだ!」
「何って朗読です。本を口に出して読んでいます。」
「なんという本を読んどんのだ!」
「この本は・・・」
「いや。説明せんでいい。松ヶ崎、いい加減脱ぐのは止めろ!」
「まだ戦いは終わっとらんぞ。」
「こんなものが戦いになるかッ!」
琥瑯は疲れたように息を吐いた。
そんなときである。
ぼんっ、という奇妙な音とともに琥瑯の顔に強烈な風が吹き付けた。何事か、と思って風の当たってきた方向を見ると、綾が地面と水平に腕を横につきだしていた。
「私に攻撃を加えるならば、せめて音速を超えて来い。」
そして、綾の下半身からスカートがハラリと落ちた。琥瑯はそのスカートを丁寧に上げ、ホックを止め、チャックを閉めた。
その様子を見ていた二人の人物がいた。
「あの三人、楽しそうだね。」
木陰から隠れて見ていた人物、土師始が言った。
「アンタ、誰よ。」
そう言いながらも琥瑯たちのことを見ているのは真樹。
しばらく見物していた二人は衝撃的な場面に遭遇する。
当初、真樹には何が起こったのか分からなかった。最初に目が行ったのが綾の下着であったからだ。だが、すぐに違和感に気が付く。
何かしらの攻撃を綾らが受けたのだ。
「アイツ、何者?」
綾を見て真樹は呟いた。先ほどの攻撃は魔術攻撃である。それを腕一本で砕くなど、魔術師でもかなり熟練のレベルである。まだ、魔術師でも再現可能であるという事実が真樹を綾から注意をそらせた。問題はどこから攻撃が来たのかである。そして、その攻撃に気が付かなかったという結果は真樹を焦らせた。すぐさまどこからの攻撃かを見定める。真樹たちがいる中庭で隠れる場所は真樹がいる木陰しかない。となると、攻撃は校舎から―――
綾が校舎の四階を睨んでいるのに真樹は気が付く。その場所を目で追うと、窓が一つだけ空いているのが確認できた。そこからの攻撃か、と真樹は思うのと同時に、綾は一体何者なのかという疑問が湧きおこってくる。攻撃を綾が防がなければ、琥瑯は傷付いていたかもしれない。では、自分たちの味方なのか。だが、自己の利益以外に魔術師が術を衆目に晒すなど―――ふと、校舎の四階の窓を土師までもが見ていた。
コイツ何者だ、と真樹は思ったが、伏せておいた。土師は明らかに真樹より先にどこから攻撃が来たのかを見極めていた。ただの偶然なら良かっただろうが、真樹はそれほどに楽天家ではない。魔術師の自分でも追い切れなかった攻撃をなぜ土師は追うことができたのか。
松ヶ崎といい土師といい、何がどうなっているのかを真樹は整理しきれなかった。
「やあ、お三方、何してるんだい?」
剽軽な声で土師は琥瑯たちの前に出て行った。あっけらかんとしていた真樹は完全に取り残された形である。
「あ、ああ。」
琥瑯は少し戸惑いながらも土師に向かって言った。
「琥瑯くん、昼間は大丈夫だった?」
「あ、ああ。」
バツが悪そうに琥瑯は言った。なんとなく事情を察した土師はにこりと笑顔を作って言った。
「多分、君の望む答えの待つ場所に案内するよ。」
岡嶋は昨日の事件現場である住宅街の中の見通しの悪い公園に来ていた。
「同一犯なのは間違いないんだけどな。」
ベンチに座りながら岡嶋は誰も滑ることなない滑り台を眺めていた。
岡嶋は今日一日、情報提供のあった人物を尋ねあぐっていた。それが情報提供であるならば、仕事が楽なんだけどな、と岡嶋は常にぼやいていた。警察に連絡のある情報は多くはデマなのであった。面白半分のイタズラ電話である。だが、その中でも自分の連絡先まで答えてくれるとなると信憑性は高い。なので、岡嶋は住所、連絡先を答えてくれた家庭を訪問し、事情聴取した。だが、その中でも数件は興味半分で答えたというのがあった。岡嶋は殴ってやりたいという衝動を笑顔で上書きしつつ、一日を過ごした。中にはイタズラでない情報もあったが、あまり参考にもなりそうもなかった。
「今回は本当におかしいんだよな。なんでこんなにも目撃情報が少ない?そして、被害者同士の共通点はない。通り魔的な犯行の可能性は高い。」
一件目の被害者は老人だった。別段特記することもないごく普通の老人だったという。
二件目はごく普通のサラリーマン。
そして、今朝の女子高生。
女子高生に関してはまだ情報が上がってきていないが、大した参考にはならないだろう、と岡嶋は考えていた。通り魔が相手の事情を知っているはずがない。
ジャック・ザ・リッパー
岡嶋の脳内にはそのような単語が浮かび上がっていた。その名は和名にすると切り裂きジャックである。かつて英国を震撼させた殺人鬼だ。
(夜中に人を殺して回ったり、正体不明という点では同じ・・・だが)
実際、署内でも切り裂きジャックの名を耳にしていた。岡嶋はそれを思い出していたのだが、岡嶋は切り裂きジャックと犯人とを結び付けて考えるのに抵抗を感じていた。何の根拠もないが。
「あ、おやっさんだ。」
やけに朗らかな、若い声に岡嶋は自分が呼ばれていることに気が付かなかった。岡嶋は声のした方を見る。数人の高校生が公園内に入ってくる。そして、自分を見ながら話している。この公園にはさきほどまで自分しかおらず、他に人影はなかった。とすると―――
「って、俺のことか。」
ようやく岡嶋は自分が話しかけられていることに気が付く。そして気が付いてみると、集団の先頭にいる少年にも見覚えがあった。
「なんだよ、クソガキ。またシメられにきたのか?」
カメラを首に吊った少年、土師は気さくに言った。
「いやあ、そうでもないですよ。それより、今日は今起きてる事件についてお聞きしたくて。」
岡嶋は追い返すのが面倒臭いな、と思いつつ、一発怒鳴って追い返そうとした。しかし、土師が一歩横にずれた時に見た人物を見て、岡嶋はそのような考えを捨てざるをえなかった。
「貴様―――奉琥瑯・・・」
岡嶋はどのような顔をすればいいのか分からなかった。自分ではどんな表情をしているのか分からなかった。
「土師くん、まさか、この人は―――」
「うん。刑事さんだよ。」
その言葉を聞いて琥瑯は唖然とした。見ず知らずの大人が自分のことを知っているとなるとそうでしかないと分かっていたものの―――
「なるほどな。どおりで佐久馬が絡んできたわけだ。」
「佐久馬さんをご存じなんですか?」
琥瑯は岡嶋とそんな当たり障りのない会話しかできそうになかった。
「そうだな。で、無実だったお前は今さら何の用だ?この件もお前の仕業か?一家殺し(ジャック・ザ・リッパー)」
琥瑯は突然走り出す。
「ちょっと、奉くん!」
真樹は琥瑯を呼ぶが、琥瑯は答えることなく公園から走り去る。その行動は昼間の件と同じ―――
「奉くんになにをしたんですか!」
真樹は岡嶋にむかって怒鳴っていた。
「お前ら、二度と関わるな。」
「それはどういう意味ですか!」
激昂している真樹にはその言葉が『事件に関わるな』という意味と『奉琥瑯に関わるな』という意味に聞き取れた。
「お前らガキは関わるなってことだよ!実際死人が出てるんだ!お前らガキが興味本位で関わっていいことじゃねえんだ!」
顔の厳つい中年男性に怒鳴られ、少し気後れした真樹だが、ここで負けたままでいられるほど真樹はおしとやかではない。
「誰かが亡くなっているからこそ!だからこそ、私たちは関わらくちゃいけないんじゃないですか!誰かが亡くなって、誰かが悲しんでいるっていうのに、それを知らぬふりで傍観して、心にもない噂を流して!私はそっちの方がよっぽど興味本位で無責任だと思います!」
途中息がなくなってしまい変な所で息を吸いながらも真樹は言い切った。怖くないはずがなかった。しかし、今の真樹にはその恐怖を乗り越えられるだけの理由があった。
岡嶋は真樹の気合に当てられたのか、少し冷静になったようだった。
「こういう輩がまだいるから、ガキは嫌なんだ。」
ぼやくように岡嶋は言った。
「もう一回言っておく。これは忠告だ。二度と、事件と関わるな。そして―――」
岡嶋は心を整えるため息を吸ってから言った。
「危険な目に遭うようなことに関わるな。」
そう言って岡嶋は真樹たちの前から去っていった。
他3人は事情を知らないようなので少しあっけらかんとしていたが、ともかく真樹たちは琥瑯を手分けして探すことにした。事情を何も知らないのは自分も同じじゃないか、何を知ったかぶりしているんだろう、と真樹は思った。が、その思いを胸の奥に深く沈める。何故かそのことを考えると真樹は無性にイライラしてくるのだった。琥瑯の過去など自分にはどうでもいいことのはずである。しかし、気になってしまう。
そのときである。右のポケットが震える。右のポケットには携帯電話を入れていない。真樹は右のポケットから震えているものを取り出す。それは文庫本であった。谷崎潤一郎の『痴人の愛』。真樹は周りを見渡し誰もいないことを確認した後、近くの電柱に身を隠し、本のページを適当に繰る。
「出現地はすぐそこ!」
真樹はカードの出現地に急ぐ。真樹は知っている。琥瑯もそこにいることを。ただ、一般人に正体を知られないことを願いながら走り出した。
町中に浮かんだ物体一つ。それを視認できるのはたった一人の少女だけ。少女は一人待ち人を待つ。危機に訪れる騎士一人。だが少女の待ち人来たらず。少女出来るはただ待つのみ。
琥瑯には何が何やら分かっていなかった。自分は現実から逃げたくてただただ走っていただけだというのに、気が付けば、自分の意識が自分の肉体に置いてきぼりのような、そんな不可思議な感覚に陥っていたのだ。
『おい。お前は何をやっているんだ。』
先行する自分の肉体に琥瑯は問いかけた。
『それを自分自身に聞くのは愚問じゃないのかい?』
まさか返答が返ってくると思っていなかった琥瑯は驚いてしまった。
『何を驚いているんだ。僕は君の中にずっといたんだ。まあ、しゃべったことはなかっただろうけど。』
そう。琥瑯はその正体を知っていた。それは琥瑯が内心ずっと恐れていたものであった。
『まあ、君の場合は、まあ、色々と物申したいこともあるんだけどさ。』
肉体はずんずんと駆けていく。琥瑯の視点は肉体から一定の距離を保ちながらついていく。
『お前は誰なんだ?』
『それ、聞いちゃう?』
やけに馴れ馴れしいことに琥瑯は少し不満を感じたが、何故かそれがソイツにとって自然であるように思っていた。
『まあ、今の僕は少し本来の存在から離れてしまってるから、難しいかもしれない。でも―――』
肉体は少しためらうようにも、焦らすようにも見える態度で続ける。
『僕は君なんだ。それは君が一番よく知っている。』
そう肉体が言った瞬間―――とはいえ肉体自身が口を動かししゃべっているのではなく、何かが、肉体の中にある何かが空気を介さずして琥瑯に言葉を伝えているように琥瑯は感じていた―――琥瑯の肉体と意識は大きく開けた場所にたどり着いた。
「お前、なんだよ。その姿は。」
琥瑯に向かって声を投げかける者がいた。
黒い外套を着た背の高い外国人のような男―――病院の魔術師が琥瑯の前に現れていた。
「お前、カードに取り込まれたな。」
外国人にしては流暢な日本語で男は言った。そして、それと同時に琥瑯の肉体は炎に包まれていた。
炎が勢いを失い、琥瑯の肉体から引いていく。熱風吹きすさぶその中にいたのは白い肌をした人型の者―――それを人間とは決して言えない異形の者が姿を現していた。
『なんなんだ、これは』
琥瑯はそう思ったが、肉体はすでになにも答えることはなかった。
「we are the sinner. We are the crime. Crime is ourselves. I am a pile sinner was crucified. Crucified is everybody. No one lives forever.」
途端、琥瑯の肉体の四本の手足に地中から炎の槍が刺さり、琥瑯は動くこともままならなくなった。
「俺には何も見えん。どこかにいるカードの正体が。だが、見える光術使いには何もできん。神は何を我ら人類にさせたいのだろうな。」
次第に琥瑯の様子がおかしくなる。暴れまわるようにしていた琥瑯はだんだんと大人しくなっていっていた。そして、いつの間にか琥瑯の肉体と精神の分離現象は跡形もなく消え去っていた。
「そろそろ消えていくのか。カードの存在が消えていくのにはなにか理由があるのか。それともそれは俺の考えすぎか。もう半世紀以上も魔術師は人ならざる者たちとの関りを絶ってしまっているからな。やっぱり、狼がいるんだろう。あのじゃじゃ馬もそのくらい頭が回れば俺も登場せずに済んだものを。」
「こうやって夜中も張り込んでるのに、ジャックの野郎は正体も掴めないってのはどういうことだろうね。」
夜間街中を徘徊している夜警の警察官を見ながら岡嶋は言った。その岡嶋は警備をしてはいない。岡嶋は軽口を叩き、警察官たちを見つめながらも犯人について考えていた。
「同じ地域で一日一人ずつってのは前例がないな。そう。普通はあり得ないんだ。死体の状況も。」
岡嶋はそれが今回の事件の障壁になってしまっているのではないか、とも考えた。
岡嶋は最初の被害者の状況を見ていない。そして、死体の様子を見た刑事は上司に報告し、さらに上に、上にと報告していった。そして、一番上までいった後、下へ下へ下っていった指令は、情報の隠匿だった。それは当たり前ともいえよう。岡嶋さえ、状況を聞いただけで、死体の状態を写した資料を見ようとは思わなかった。
鑑識からの報告によりさらに警察内部は混乱した。
『日本刀のような大型で鋭利な刃物による一刀両断。』
今や反社会勢力でさえ所持している者の少ない存在が浮上してきたのだ。それはカッパなどの幻獣と同じくフィクションの産物と思われていた。
現実逃避するように皆は日本刀以外で何か可能性がないかと考察し始めた。だが、それは無駄に終わった。署内ではまことしやかに噂が流れた。鑑識は日本刀と記述したが、実はその切断加減は日本刀以上の切れ味であったというものであった。そして、奇妙なことに死体の切り口には蒸留水以上の純度の水が滴っていたという。
とにかく問題だったのが、犯人が日本刀かそれに類似する大きな刃物を携帯して移動しているはずということである。
だが、その目撃情報さえなかった。ただでさえ人の少ない町であり、犯行は深夜に行われていた。深夜まで営業している店などない。
被害者の共通点が見当たらないということで犯人は通り魔的犯行とみられた。だが、と、岡嶋には少し引っかかる点があった。それが何なのかが分かれば岡嶋は名刑事となっていただろうがそれができないから岡嶋は今の状態なのであった。
「あの藪医者は人間ごときが関わるべきではないかもしれない、などと澄ましてやがったが、巻き込まれた被害者はどうなるんだよ。」
明かりの少ない田舎の路地裏は真っ暗過ぎて何も見えない。夜目が効くとはいえ、人間には限度がある。そもそも人間が物を見るという原理は光の反射を眼球が捉えているからである。
だが、そんな中を悠々と歩いている人物があった。ゲゲゲの鬼太郎のように片目を髪で隠した容姿を認識できるものはいなかった。
「瞬時にしか現れないというのは厄介なものだな。」
少年は独り言を言った。少年は人と話すことがあまりないゆえに、独り言が癖になっていた。
「だが、正義の属性が水ということは、僕にはどうすることもできないな。」
ポトリ、ポトリと建物から突き出したあらゆる穴から水が滴っている。雨などは降っていない。そして、その波紋を感じることができるのは少年だけであった。
「事件は夜間、人通りの少ない場所で起こっている。そのくせ、時間に何の一定性もない。法王の場合、昼夜問わずランダムだが、夜間だけというのはどういう性質を表すのか。」
もう民家からは光が消え去っている時間だった。草木も寝静まり、風も吹いていない夜だった。
「全く動かないから、死体なのかと思ったよ。君、大丈夫かい?」
少年は何も見えてはいなかった。光学的には認識できていないが、彼は人体に巡る液体の流れを認識することができた。
「・・・・・・」
その人は動くことはなかった。寝ているのか、と少年が人から注意を逸らそうとした時、少年は人の血液の流れが急速に速くなったことに気が付き、後ろへ飛ぶ。丁度先ほどまで少年の頭があったところに一陣の風が吹き付ける。
「死体の様子から察してはいたけど、本当に刀なんて。」
少年には刀すら見えていない。だが、人の手の先から恐ろしいほどにあふれている水の魔力から、刀のシルエットが視えていた。少年は間合いを測りつつ下がりながらも、相手の正体について見極めようとしていた。
(人自体には魔力が通っていない。となると、本体は刀か。だが、どうして刀の存在をさっきまで把握できなかった?そして、何故人は僕を認識できる?魔術師―――ではなさそうだな。水術に水術で向かって来る魔術師はいない。)
少年は背負っていたリュックから水の入ったペットボトルを取り出し、ふたを開ける。そして、ふたの口から人差し指を一本突っ込む。少年はバックステップで後ろに下がりながらこの行動をしていた。その様子はかなり手慣れていた。
「水というものは常にどこかへ流れている。上から下へね。でも、流れているのは水だけじゃないんだ。どんなものだって流れている。流れてどこかへ漂流するんだ。もっとも、どこへ漂流するのかなんて、誰にも分からないんだけどね。」
少年が言い終わるとペットボトルの水が噴水のように勢いよく流れた。そのせいか、少年が力を入れていないにも関わらず、ペットボトルはくしゃくしゃにへこんでしまっていた。そして、ペットボトルから出てきた水は空中に漂い、数多の水玉を形成していた。
「魔術においては理論なんてどうでもいいんだ。理屈さえ分かっていれば。」
少年は手を前に突き出す。そこは少年が予測した、剣戟の到達するであろう場所であった。
少年の手のあった場所に何かが通過する。
「まさか、こちらが乗っ取られるなんてね。さすが魔法で生成されたことはある。魔術では太刀打ちできそうにないね。」
そう言う少年の手は剣戟により弾き飛ばされたが、手が切れるということはなかった。
「原子の停止。それを固体化というんだけど、その中でも水は例外なんだ。他の物質は固体化によって体積が萎むんだけど、水はその逆。体積が大きくなってしまう。そこに何か理由がるとは思わないかい?それも、人知を遥かに超えた何かが。」
空中に浮かび、少年とともに飼い犬のようについてきていた水玉がだんだんと姿を変える。それはだんだんと氷の鋲を形成していった。
少年は砲撃を指図するように腕を人に向かって大きく振るう。氷鋲は少年の合図によって、人に向かって突き刺さる。
「なるほど。魔術の性質には準ずるわけか。魔法は使えないんだね。もし魔法が使われていたらどうしようもなかったよ。ただ魔力のデカい魔武器ってところだね。非常に似ている。魔法少女と呼ばれる存在に。」
少年は氷鋲が全て破壊されたことを認知した。リュックサックからもう一本ペットボトルを出し、ふたを開け、口から指を一本入れる。
「水は常に流れてるけど、それは水だけに限ったことじゃない。どんなものにも流れが存在している。その流れつく先を僕らはきっと知ることはないだろうね。」
再び水がペットボトルから流れ出し、くしゃくしゃになって地面に落ちた。
「万物は流転するって偉い人は言ったけど、その流れを正確に把握することなんてできないものだよ。流れは常に一方向ではない。でも、流れがあまりにもばらつき過ぎていると、それはもう液体ではなくなってるんだけどね。」
そう言って少年は腕を人の足元に向かって振るう。
「これ、使う方が熱いから嫌なんだよ。」
ぶしゅうううう。
豪快な音とともに人の周辺にはサウナのような熱気が湧きおこっていた。
「もともと君を手に入れるつもりはなかった。」




