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CARD  作者: 竹内緋色
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CARD


 それは、いつもと変わらない日常だった。

 信号が赤から青に変わる。信号を待っていたのは俺だけ。俺は横断歩道を渡り始める。

 そして、気が付いたときには俺は意識がなかった。

 全てが真っ黒に染まる前、俺が見たものは迫りくる車の真っ白なボディと太陽のものでない、不自然な光のみだった。

 その時からだろう。俺、奉琥瑯の頭がおかしくなってしまったのは。


 琥瑯が目を覚ますと、そこはよく見知った天井だった。清潔に保たれた、死の色が濃く染みついた風景。琥瑯は周りをよく見渡す。包帯が巻かれているせいか、うまく首を動かすことはできない。体全体がそうであった。

 部屋の片隅に収納があった。花瓶などを載せておくための台としても使われる。その台の上には一つの花瓶があった。いつもは花など飾ってはないので、今の状況が際立って異常に見えた。赤い花が活けられていた。琥瑯は花には疎いので、何の花かは分からなかったが、花屋で売られているようなものであることははっきりと分かった。そして、その花を活けている人物がいた。看護婦ではない。にこやかな笑みを浮かべながら、花をいじっている。年頃は琥瑯と同じくらいであろうか。体つきは大人に近いものの、雰囲気はまだまだ少女のままである。

 花を活け終えたのだろう。少女は琥瑯の方を向いた。そして、琥瑯と目が合う。少女は犬嫌いな人間が犬を見た時のような表情を見せた後、なにやら慌てふためいている。耳まで包帯が巻かれているせいか、声もろくに聞こえはしない。意味もなく病室を物色したあと、花瓶を倒しそうになりながら、琥瑯のベッドのそばに寄る。気味の悪いものを見るような目で再度間近で琥瑯を眺めた後、琥瑯の頭部より上に少女は手を伸ばす。琥瑯はそこに何があるのかを心得ていた。ナースコールのボタンである。そのことにより、看護婦と医師が飛んでくる。琥瑯は安心して目を閉じた。


「外傷の割に骨折等はあまりなかったので、早く退院できそうです、か。」

 琥瑯はあまり眺めの良くない病室から景色を眺めて言った。それくらいしか玖瑯にはすることがなかった。

「あの少女は何者だったのだろう。」

 琥瑯はうわごとのように呟いた。目を覚まして以来少女の姿を玖瑯は見ていない。幻覚だろうと誤魔化すには花瓶の花は鮮やか過ぎた。看護師に話を聞くと、琥瑯が昏睡状態の時、毎日のように来ていたという。看護師も少し不審には思っていたが、琥瑯に危害を与える様子もないので琥瑯の知り合いなのだろうという解釈をしていたようだった。

「三日ねぇ。」

 琥瑯は呟いた。三日とは琥瑯の意識が回復してから今日までの日数である。

「明日退院で明後日学校とか、だるいわ。」

 琥瑯の身体は健康な人間と何一つ変わらない状態になっていた。精神もまた、そうである。

「はぁ、だる。」

 溜息を吐きつつ、琥瑯はベッドに横たわり眠り始めた。あと少ししかない休日の余韻を噛みしめながら。


 琥瑯が目を覚ましたのは夜だった。秋は夜が更けるのが早いので時間がわからない。時計はない。看護師が気を使って食事を机に置いておいてくれていた。夕食後であることは確かだ。 鎮まっている。相当夜は深いようだ。昼間眠ってしまった琥瑯は案の定眠ることができなかった。眠ろう、眠ろうと真っ白なシーツの上で身をくねらせるが、寝付けない。目をつぶるが窓からさす月光が邪魔をして眠れない。本来は推奨されるべきことではないが、玖瑯は病院の中を散歩することにした。

 明かり一つ点いていない廊下で頼りになるのは防火装置の赤い光と非常口の緑の光だけだった。月光は病室側から差していたので、扉を挟んだ向こう側の廊下には光は差さない。廊下に面する窓からはかすかな光で反射する自分の姿しか映るものはない。

 ただでさえみすぼらしい外見が、病院服を着ているせいでより貧弱に映っている。包帯でいたるところを包まれた姿は野戦病院の命短い患者のようだった。そんな屍のような者が散歩の同行者なのだ。玖瑯は開始三分で引き返したい衝動に駆られた。だが、せっかくだからこの階を、三階を一回りしてから帰ろうと思った。ピタリ、ピタリと病院サンダルが音を立てるたびに琥瑯は身を縮める。あまりにも寝静まり過ぎてなんてことのない足音さえもよく響いてしまうのだった。玖瑯は見回りの職員に見つかるのではないかと心配になった。明日退院だから、職員も大した文句を言ってはこないだろうが、それでも怒られるということは気持ちのいいものではない。散歩に出るにあたって琥瑯はそのことを多少なりとも覚悟はしていたつもりであったが、あわよくば、と思う気持ちが強かった。

 琥瑯のいる病棟は両端が階段となっていた。その階段に着いた琥瑯は上も下も深い影を落とす階段を前にこれ以上進む気をなくしていた。飲み込まれて帰ってこれそうもない上下の穴は琥瑯に人間の根源的な恐怖を味合わせるのに十分な代物であった。

 琥瑯は引き返すことにした。

 帰りの道は玖瑯にとって非常に気持ちの軽いものであった。既に何も危険がないということが分かっているというのもあるが、何より自分の寝具の元へ帰れるというだけで心が踊っていた。なので、自分の病室の前に見慣れない人物がいた時に、琥瑯は顔を引き攣らせた。

「熱ってのはさ、摩擦とか何とかで生れるらしいじゃん。でもさ。あれって、結果が先なんだよね。擦るから熱が出る。でも、熱が出てるから擦ったら熱が出るんじゃないかって話になったんだよ。で、何故擦ったら熱が生まれるのかって言われると、運動エネルギーから変換されるとか、そういう話らしいんだよ。俺はよく知らねぇんだけどさ。でも、運動エネルギーとか言われても実感がないんだよね。だって、目に見えないんだもん。それにさ。きっとそのエネルギーどうこうってさ、相対性理論とかいうやつ?から導き出されたとかそういうのでしょう?どうせ。それはさ、そういう理論って言う観点から見るとエネルギーどうこうの話になるわけでさ、別の理論、別の観点から見るとどうなっちゃうんだろうって話。」

 その男は長らく一人で会話していた。琥瑯に向けて言ったのかどうかさえ分からない。

 男は変に分厚い外套に身を包んでいた。帽子を深くかぶっているので視線がどこにあるのかが分からない。そのため、男か女かさえ判別しづらいが、低い声から男であると知れた。男の身長は高い。日本人の平均的な身長よりもありそうであるから、外国人ではないか、と琥瑯は思った。病室に入る際は頭を少し縮めて入らなければならないかもしれない。

「なあ。どう思う?坊主?」

 外国人にしては流暢な日本語だった。琥瑯は何も答えられずにいた。ただでさえ異様な姿の人間に意味の分からない長話をされて、そしてその答えを求められているのだ。悪い夢だとしか琥瑯には思えなかった。

「人の言葉に相槌を打つのは大切だと思うぞ。うんそうだね、とか、いや違うんじゃない、とかさ。前者の場合俺はお前を殺してただろうし、後者の場合俺はお前の前には二度と現れなかっただろうけど。」

 殺す、という言葉が出てきた瞬間、琥瑯は身を強張らせた。

「まあ、どちらでもなかったから、どちらでもないんだろう。」

 精神異常者という単語が琥瑯の頭の中に浮かんだ。

「カードはどこだ?」

 男の口調が一瞬で鋭くなった。脅しているというものではない。獲物の動きを見極める時獣が出すうねり声のようだ、と琥瑯は思った。

 カード?

 琥瑯は一瞬頭が空っぽになる。この外国人はクレジットカードでも落としたのだろうか、それを自分が持っていると誤解しているのだろうか、と琥瑯は思った。

「あの尻軽女がお前に入れ込んでたのは知ってるんだ。あの女が自分の損になるようなことをするわけがない。だから、俺は思ったんだ。お前がカードを持っているか、カードの行き先を知っているかだろう、とな。」

「彼女は尻軽女なんかじゃない。」

 琥瑯の中には赤い花を活けて消えてしまったあの少女の姿が映し出されていた。だが、玖瑯にはその少女が尻軽だとは思えなかった。彼女を侮辱する目の前の男を琥瑯は許せなかった。

「ほほう。ゆっくり聞かせてもらおうか、坊主。」

 暗闇の中でそれははっきりと見えた。男の手の中で何かが光った。それはライトのような直線的な光ではなく、柔らかな炎のような光だった。

 琥瑯は咄嗟に横に飛んだ。背中を横の壁にぶつけられるように滑り込む。その途中の玖瑯の肌に温かい風が吹いた。

 ぶおん。

 気が付いたときには、先ほど琥瑯がいた場所には炎が通り抜けていた。それは下から燃え上がっているというものでなく、火炎放射器のように垂直方向から吹き抜けているというものだった。

「おっと、いけねえや。話を聞かねえといけねえってのに、危うく殺してしまうところだった。避けてくれてありがとよ、坊主。」

 男は笑っていた。心底面白がるように笑っていた。

「ひい。」

 琥瑯は喉から干上がるような声を出すので精いっぱいだった。男はいつの間にか琥瑯の目の前に立っている。

 何かがつうーっと薄れていくのを琥瑯は感じた。耳が聞いたことの無い音を聞きとっている。それが体内の血液の流れる音であるなど、琥瑯は知る由もなかった。

「腐敗に矢は放たれた。矢は大地を貫いた。我ら主の悔やまんを我はただただ願うのみ。」

 男のものではない声であった。男は琥瑯の目の前で地を足につけたまま大きく海老ぞりをしてみせた。

 男の腹すれすれに、何かが音を立てて飛んでいった。光の矢の如く通り過ぎていった何かに琥瑯は見覚えがあった。UFOみたいだ、と思ったのだ。未知との遭遇で現れたものみたいだと。正確にはそれはUFOではなく異星人が高速で移動しているシーンだったのだが、今の琥瑯には関係のない事だった。

「今更お出ましかい?尻軽女。」

「今度それを言ったら殺すわよ。」

 現れたのは花瓶の少女だった。少女は何故か指と指の間にペンを挟んでいる。

「architect of the board. main is the bad. Where is my pain? Where is scarecrow? There is no one. No one noticed in his fire.」

 男は流れるように、歌を歌うように言葉を紡いだ。

「行き思路に子は宿り、眠れる森も子を宿し。紡ぐものは続くのみ。それが望みであるゆえに。望まぬものでもあるゆえに。ただ今は教えゆかん。とこしえに行く闇を。照らさば闇であらんことを。」

 少女は厳かに言った。

 再び男の手から炎が湧きだす。その様は炎が燃え上がるというよりは溢れ出ていると形容した方がしっくりくるものであった。

 男の手を起点として炎は三つの柱を形成する。それは次第に龍の咢を作り出した。三つの首を持った龍が少女に襲いかかる。

「目覚めよ。暁光の果てに我が名は知り得たり。」

 少女の持っていたペンが光を発する。蛍光灯のような強い光だった。少女は両手に挟んだ合計8本のペンを床に叩きつけるように投げた。そして、瞬間、炎の龍は床を縦横無尽に駆け巡る光の槍に貫かれ飛び散って消えた。

「やはり、仕掛けてやがったか。」

 男は迫りくる何本もの槍を躱す。

「逃すか!」

 少女はそう言い放つと、目に見えない糸を手繰るような動作をした。そして、ピカピカに磨かれた床に赤黒い血液が飛び散る。

 琥瑯はふと違和感を得た。床はこれほどまでに輝いていたか、と。壁や天井もそうである。まるで鏡面のように三人の人間を映し出していた。

「なんでひと思いに殺さない。」

 体に数本のペンが刺さった男は憎いものを見るかのように少女を睨みながら言った。

「別に私たちは殺し合うために戦ってるんじゃないでしょ。」

「甘ちゃんだね。」

 にたり、と男は笑った。子どもが遊び道具を見つけた時のような笑顔である。男は地面に手をかざした。

「stand up!」

 地面から火が噴き出す。辺り一面に火が燃え移る。

「さらばだ、尻軽女。お前のその甘さが命取りにならぬように気を付けるんだな。」

「待ちなさい。目覚めよ。暁光の果てに我が名は知り得たり。」

 そう言って少女は光ったペンを男めがけ垂直に放つが、貫かれた男の姿は炎となり四散しただけだった。

「私の目の前で蜃気楼を使うとか、腹立つ。」

 そう言いつつ少女は地面に手を伸ばし目をつぶる。

 玖瑯は消火器を探し、炎を消そうと試みる。

「汝去るべし。・・・なにこれ、うざったい。」

「おい。お前も火を消すの手伝えよ。」

「ったく、発火と引火だけとかふざけんじゃないわよ。消火器もう一本ない?」

 琥瑯は少女に自分の消火器を渡し、他の消火器を探す。消火器を持ってきたとき、少女はぶつくさ文句を言いながらも消火器で地道に消火活動をしていた。琥瑯も消火に励む。

「アンタも十分に準備してたんじゃない。」

 男に向けて少女は言ったのだと琥瑯は理解した。火は思った以上に簡単に消えた。

「今日のことは夢よ。忘れなさい。」

 消化し終えた後、少女は言った。顔が少し煤で汚れている。

 夢の癖にこれが夢だという夢は珍しいな、と琥瑯は思った。

「おやすみなさい。願わくば再び会わぬことを。」

 そう言って少女は姿を消した。

 琥瑯は病室に戻り眠りに落ちた。


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