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かつてこの大陸の半分以上を武力により支配し、君臨した所謂『皇国』について知らぬものはおそらく我が国には皆無であろうが、その国があらゆる記録においてただ皇国とのみ記され、たとえば王朝名であるとか、あるいは土地や神に根差した固有名詞が伝えられていない理由については、あまり知られていない。
『大帝』ゴドフリート一世や、『征服者』カットルヴァルケル、あるいは『乱痴帝』クートンバロンなど、皇帝の固有名詞や異名は多く残されているにも関わらず、過去のどの資料にも、皇国はただ皇国として記されるのみである。
多くの歴史学者がこれについて自説を持ち、論議を戦わせているが、古くより「そもそもからして、固有名詞で区別する要が無かったのではないか」という説が最も有力視されている。侵略と征服を繰り返し、大陸の北半分を支配していた皇国にとって、それはつまり世界の全てを支配しているに等しかったのであろう。当時、オラジア大陸には他の大陸という概念はなく、大陸を東西にはしる大山脈を越える術は、ほぼ存在しないといって良かった。
国家とはつまり『皇国』であり、それ以外は氏族か部族、あるいは、山脈の向こうに存在するという『蛮族の群れ』のみだったのだから。「われらの他に国はなし」という強烈な自負が、皇国という抽象的な表現をのみ、後世に伝えたのかもしれない。
アーリアンロットという少女がこの世に生を受けたのは、まさしく皇国の支配が頂点を極め、大陸北部のあらゆるヒト種生存圏を平らげて久しい皇国歴102年のことである。大陸北西部の、草原に暮らす騎馬民族の族長筋に産まれた彼女であったが、すでに氏族が皇国に組み込まれて久しく、彼女もまた、皇国貴族風の名を与えられ、皇国の帝都にある人質屋敷で育った。
人質屋敷に暮らし、一家の後継ぎたらしめるがための教育を日々こなしているうちは、皇国貴族の一家として見ればごく平凡な、吹けば飛ぶ子爵家の令嬢でしかなかったアーリアンロットであったが、齢3つになった五歳年下の弟が王族権を得た年、彼女の役柄はそのまま弟へ引き継がれた。
生まれ故郷たる草原へと帰った後の生活は一変した。
コルセットとドレスは屋敷の奥にしまいこまれ、伝来の乗馬服と弓に替わった。覚えるべきはダンスのステップと複雑怪奇な貴族間の力関係でなく、羊の追い方と狼の討ち方になった。それは目まぐるしいまでの変化であり、そして、彼女にとって福音でもあった。――草原に栄える幾つかの町と、それに倍するのどかな村々。そして点在する遊牧する親族たちのコロニーを駆け巡るのは、家庭教師に一日見張られて、冗長極まる手紙の書き方なぞ覚え書きするのとは比べようもない歓びを彼女に与えた。
十歳になるころにはその速駆けの腕前は一級品に磨かれ、元来守役であった老家臣を置き去りに駆け去っては、兎や野犬、狐狸の類を仕留めて帰るようになり、やがて氏族で指折りの狩人たちの中から、輪番で彼女の守役が選ばれることになる。女子供に好かれることはあっても教えを乞われることの無かった狩人たちは、見目麗しい族長筋の令嬢にせがまれると思わずまなじりを下げ、手取り足取りと技を授けるものだから、日を増すごとにアーリアンロットの獲物の目方は増えていった。
面白がってなおも技を乞う彼女自身、砂地に水を垂らすように手管を飲み込むだけの才があったこともあり、教わる方も教える方も嬉々としてするものだから歯止めも加減もない。気が付けば彼女は狩人たちのもっとも優れた教え子となり、ほどなく肩を並べることになる。
とはいえ、彼女の両親は貴族の常として、ともすれば娘を嫁に出すことも考えてはいたようではある。冬が来ればアーリアンロットは生家の一室か、あるいは弟の暮らす人質屋敷に戻り、教育をうけなくてはならなかった。この手の教育に、彼女が狩人たちに導かれるのと同じだけの素直さと情熱を持っていたとは言い難かったが、決して家庭教師に対して反抗的であったわけでも、サボタージュを働くわけでもなく、ごく真面目に修めていった。
しかしこれらの所謂貴族的な教養を得て彼女がしおらしく、淑やかになったかといえば、まるで真逆で。雪に閉ざされる帝都の冬を過ごす度に、彼女はその心をよりいっそう、青々とした草原の日々に馳せては焦がれることになる。――こうして、彼女が15になるころには、一応の貴族令嬢の嗜みと、一端の騎馬民族たる腕前の二面を、彼女は併せ持つこととなった。