序文
*序文*
中世までわが国において「歴史」とはつまり「皇家遍歴史」の事であり、そこにおいて注視され記される事は「第何代皇帝の皇帝が何時をもって即位し、何を為し、何某を産み、何時退位して何某にその座を譲ったのか」という事実の列挙でしかなかった。
その事自体の理由については、それこそ近世以降の「歴史」に記されているとおりのさまざまな要因があるのだが、もっとも大きなものとして「文におこし記す」というそれその事自体が、さまざまな要因から大変な大事業であり、それ以外について手を出す余地を持ち得なかった、ということにある。
中途にいくつかの政変を起こしながらも、そもからして誕生のその瞬間から長い長い戦乱と、ほんのつかの間の平穏を、さも大洋を息継ぎ息継ぎ泳ぎ渡るかのごとく繰り返した中世までのわが国では、文字の読み書きとはつまり高等にして貴なる技能であったがために、それはもっぱら実用的な――つまり目下進行中のあまたの戦ごとのためになる――使用に割かれていたことが、近世以降の歴史学者たちを大いに悩ませ、悔やませた事は想像に難くない。
我々の偉大な先達諸兄は、祖国の歩んできた道のりの多くを、皮肉にもその祖国が道を引く過程で踏みしだき、地の底に葬り去ったかつての「敵国」たちの遺文から補完し、精査する事となった。時によっては「歩き間者の隠れ蓑」とさえ呼ばれ、実際、研究の傍らそのような任を受ける事になった歴史学者の逸話も多く残されている。紙束を背負って諸国を回り、各国の語学にも通じ、並みの行商人よりも旅の転地の狭間に暮らす事が、当時の歴史学者の常だったといえる。
そんな彼らの無聊を慰め、時に学問の大いな助けとなったのが、吟遊詩人たちである。
勇壮な戦歌、あるいは悲恋歌、騎士道歌。狭い土地をめぐり、一通りの話を仕入れては新たな土地へ、と渡る彼らは、歴史学者の求める多くの出来事をすでに知りえ、そして惜しみなく披露してくれる。もちろん大いに誇張されたものもあれば、元からして創作である事もあっただろうが、それらが昨今までの歴史の解明にどれほどの光明をもたらしたことかは、わが国における歴史学の語源が、詩人の学問(サァリィ‐トリジィ)である事から伺える。
時が近代に至って、歴史学の上では、これら吟遊詩人たちによって語られたことごとをより精査し、過ちを配する事に力が注がれたが、歴史学者はそれと同時に、それら誇張され、あるいは創作された物語を再発見し、「演史」「読楽史」と呼ばれる新たな物語の一ジャンルとして世に送り出した。
吟遊詩人と呼ばれる者たちが時代に追われて久しく、歴史学者が草原を寝床、星空を天井とすることもなくなった時代、「誤りである」と消しさられてもおかしくなかった荒唐無稽な物語の多くが現代まで息づいている事は、歴史学者たちの、かつての盟友たちへの手向けであったのだろう。
ある人物について知ったとき、私の脳裏によぎったのが、この、歴史学の初歩として学ぶ「歴史学の歴史」であった。その人物が、あるいは我々歴史学者の祖であり、開であったのかもしれない、という根拠のない胸騒ぎを覚えたと同時に、私はこれを歴史として調べ、修めることができないであろうことを悟った。――いかに未熟とはいえ、歴史学者ともあろうものが、「根拠もなく」「かもしれない」と覚え、そして疑えなくなってしまったからだ。
だからあえて、私は「我らの歴史」を逆行する事を選んだ。
歴史学者としての確証ある記述ではなく、吟遊詩人のごとく物語としてこれを書き記したいと思う。
願わくばこの「物語」がかつての歌のごとく人々を伝いあまねく天地に広まる事を願って。
最後に、この物語の出版に当たって大いに尽力してくれた得がたき多くの友人たち、とりわけ、レオス・カネッティ、アウグティア・ヘルダー両名。多くの困難をパブの隣席で笑い飛ばし、分かち合った親友”陽気なヨハン”。暖かな食事と清潔な衣服、そしてあふれんばかりの愛情でもって私の心身を支えた、有能なる助手にして愛妻マルレーヌに感謝をこめて。
天暦529年13月4日 ラースロー・アタチュルク
*訳者序文*
今回本書を訳するにあたって、「歴史書ではなく物語として」という観点からそれを行った。これは出版社の意向であると主に、上の序文に記されたアタチュルク氏の遺志に、それが最もかなうであろう、という訳者の考えからでもある。そのため、歴史的記述については最終版である第九版を参照し、後に発見された事実については訳注、あるいは文中に括弧でくくって記すものの、原文のそれをできうる限りそこなわない形でさしはさむ様注力したつもりである。
また、アタチュルク氏の遺言にそい、作中の歴史背景について読者のなじみが薄いであろうと思われたところは、第三版の諸外国での出版を受けて付録された「大陸記補章」から、いくつかの作中の出来事についての顛末は第五版付録の「大陸記追章」から抜粋し、物語の一部として足す形で訳している。
これらの行いに対して、おおらかに受け入れ、理解を示してくれたアタチュルク氏縁者の方々に感謝するとともに、この序文をささげる。
平成28年8月18日