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魔物たちの勇者撲滅記録  作者: 葛城獅朗
バラ園に残した愛
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新たな生活

 私はまだ弱い。そんな事実をこんな形で突きつけられるなんて。

 人間退治を始めて約1年。正直に言うと、人間ってとても弱いし、怖がりだし、簡単に追っ払えるなと感じていた。だから人間に手こずる魔物は力が弱く、比べて私は強いんだなと。勇者の件で命の危険を感じはしたものの、それは勇者が特別強いのであって、私が弱いわけじゃない。口には出さないけどそう思っていた。完全に調子に乗っていたと、今は心の底から思う。

 こんなに長い時間、全力で走ったのはいつぶりだろう。走っても走っても、後ろのモノと距離が取れない。それどころか、それの変則的な動きに予想外の急襲を受けることもあった。今はなんとか避け続けているけれど、その度に地面に転がったり、小枝に引っかかれたりして、私の体はすっかり小汚くなっている。

 いよいよ息が切れてきた。このままだとやられる。なんとか攻撃のチャンスを作り出さないと。ちらりと後方を振り返ると、夢に出てきそうな真っ赤な目と視線が絡んだ。爛々とした光を宿すそれは、どうやら私を逃がす気はないらしい。無事に生き延びるためには、こいつを倒すしかない。

 正面から飛び込んでは、裂けるほど大きな口か、獰猛な爪の餌食になってしまう。腕力は私の方が上だから、ゴリ押しすればそれでも勝てるだろうけど、ひどい怪我をすることは容易に想像できた。こいつの視界の外から、クリティカルヒットで倒すのが望ましい。

 こちらに攻撃すると、奴は一瞬動きが鈍る。その隙に後ろなり横なりに飛んで視界から外れ、見つかる前に一撃入れよう。そう決めた直後、背中をゾワリとした感覚が襲った。殺気が近づいてくる気配。私はその正体を目で確認するよりも早く、右側に思いっきり飛び上がった。一瞬前まで私がいた地面を、巨大な三本の爪が抉る。その光景に恐怖や焦燥を覚える前に、私は先ほど考えた作戦を実行するため、飛んだ先にあった木の幹を足で蹴った。バネのように真横へ跳躍し、勢いに乗せて一撃を食らわせようと拳を握る。

 だが、私の手が届く寸前、下から再び殺気が迫ってくる感覚がした。急いで攻撃の姿勢をやめ、空中で無理やり体をひねる。先ほど地面を抉った三本の爪が、返す刃ですぐ横を過ぎていった。当たってないのに、その勢いだけで皮膚が焼けそうだ。私は態勢を立て直しながら着地し、再び距離をとるため走り出す。

 もうずっとこれの繰り返しだ。逃げて隙をついて攻撃して、当たらずまた走り出す。終わりが見えない戦いに、体力だけでなく精神も削られた。このまま消耗していけば、先に倒れるのは確実に私。焦燥が鼓動を早くさせ、思考する余裕を奪っていく。危機を感じた私の体が、口の中に隠れた牙を長く変化させた。人の姿から狼に近づく気配。

 潜在能力をフルに発揮し、破壊衝動のみに身を任せる狼になってしまえば、コイツは余裕で倒せるだろう。だが、それでは意味がないのだ。理性を保ったまま、戦闘不能にさせなければ。私は気合を入れるために両頬をパンッっと叩く。下唇に当たっていた牙が短くなっていくのを感じた。

 今の状態でも私のほうが勝っているものはなんだろう。腕力は私のほうが上だが、長い爪を持っている分、向こうのほうが殺傷能力は高い。足の速さも、ギリギリ追いつかれていないから私のほうが上だけど、逃げ続けてたら意味がない。じゃあ跳躍力は? 試してみてもいいかもしれない。

 私はチラリと後ろに目をやって、それとの距離を測る。いける、と確信した瞬間、ありったけの力を下半身にかけ、思い切り上へと飛んだ。空を覆い隠すほど茂る木々が、無遠慮に間を突っ切る私の顔に体に容赦なく当たって痛い。目だけ傷つけないように注意しながら、私は枝葉を突き抜け、広い空の下へと出た。大きい月と、雲のない空。闇に占拠されていた森に長時間いたせいで、月明かりでもまぶしかった。真ん丸な月は私を本来の姿に変えるトリガーだが、ここでは変身しないとわかっているので、一瞬その美しさに見惚れる。

 それを引き戻したのは下から聞こえた不穏なうなり声だ。茂った緑を突き破り、私と同じように飛び出してきた黒い塊。月明かりに照らされてその輪郭がハッキリとなる。ずんぐりむっくりした巨体には毛が生えていて、こちらに上昇してくる空気の抵抗で、その一本一本がなびいていた。頭のてっぺんにはウサギの耳が生えていて、もっと小さくておとなしかったらきっと可愛いのに、なんて現実になりえないことを考える。だって、真っ赤な二つの目の下にある口には鋭い牙がびっしり並んでいるのだ。しかも私を一飲みにしようと裂けんばかりに口を開いている。いくらウサギの耳が生えていようと、愛玩動物になんてなりえない。

 牙の奥の赤黒い口内に入ることを想像したらゾッとしたが、やはりウサギもどきは私の高さにまでは届かなかった。私に食らいつこうとぽっかり口を開けたまま、落下に転じていく。この機を逃すまいと、私も体を鋭い角度に倒して後を追った。黒い巨体は先に緑の中へ消えていき、伸ばした私の脚も間を置かずに緑を突き破る。再び小枝が私を傷つけたが、今度は巨体を見逃さないよう目を見開いたまま、暗闇の中へ戻った。そこには地面に落ちたばかりで態勢が崩れたウサギの頭。間髪入れずに繰り出した私の脚が、すさまじい音とともにその真ん中へとめり込んだ。




「っっっあああああああ~~~~疲れた~~~~~!」

 巨大ウサギがダウンしたのを確認して、私はその場に座り込む。脚の筋肉が悲鳴を上げているのを感じ、お行儀は悪いが脚を大開きにして投げ出した。明日は絶対に筋肉痛だろう。どうせ日曜日だし、ゴロゴロしていようと心に決めた。

「おう桜、ごくろうさぁん」

 いったい今までどこにいたのか、タイミングよく現れたのは、オレンジの毛をふさふさ揺らす縁だ。ご機嫌そうな顔が今は憎らしい。私が苦戦しているのをずっと見ていたのだろう。

「死ぬかと思った」

 私はぶすくれた顔で縁に訴えたが、カラッとした笑い声で返される。

「はっはっは! だぁいじょうぶ、死ななかったじゃねぇか」

「そういうの、結果論っていうんだよ」

「あんなウサちゃんにやられねぇだろぉ、お前は。逆にやられたら戦力外ってぇやつだぜぇ」

 苦戦した身からすれば、その言葉は地味に心に刺さる。むすっとした顔をしたまま沈黙すると、縁はご機嫌な顔のままふわりと尻尾を揺らした。

「さぁ、帰ろうぜぇ。純子が風呂沸かして夜食も用意してるってよぉ」

 その言葉が脳に届いた瞬間、私の腹はぐぅぅと鳴る。正直なお腹め。ちょっと沈んでいた気持ちは見事に浮上して、私の体を軽くさせた。勢いをつけて立ち上がり、踵を返した縁のふわふわについていく。

 最後にちらりと背後を振り返ると、倒れていた巨大なウサギがポンっと軽快な音を立て、小さく真っ白な愛玩動物に変わっていた。

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