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魔物たちの勇者撲滅記録  作者: 葛城獅朗
バラ園に残した愛
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掃除

 私と縁が透の祖父の家に足を踏み入れたことはそう多くない。本当に最初の頃、バラの種を探していた時だけだ。だから足を踏み入れて、改めてその大きさに感心すると同時に絶望する。リビング、キッチン、寝室、書斎、ゲストルーム、もはや用途不明の部屋………。これ全部お掃除するの? うちよりは大きくないにしても、私が掃除したことがあるのはせいぜい自分の部屋くらいだ。あとは学校の教室。どれを比較に出しても、規模としては負けている。

 そんな憂鬱を抱えていると女王が迎えてくれたが、その顔は明らかに困っていた。やっと契約者が帰ってきて勇者も倒したのだから、これからの生活に希望を抱いてニコニコしていてもいいはずなのに。八の字になった眉を見て、私は首を傾げた。

「どうしたの、女王様。何かあった?」

「…………透が」

 女王は少し躊躇った後、透が大層落ち込んでいることを小さな声で告げる。彼女に案内された部屋のドアをそっと開けて中を覗き見ると、背中を丸めて俯く透がベッドに座っていた。こちらに背を向けているので表情は窺い知れないが、明らかに「落ち込んでいます」ポーズを取られていては疑いようもない。私は縁と顔を見合わせて、音が鳴らないようにドアを閉めた。

「なんで落ち込んでるの?」

 私が女王を見上げて質問すると、困り顔のまま答えてくれる。

「鏡を見てショックを受けてしまって」

「ああ………」

 変わってしまった己の姿を見て衝撃を受けたのか。確かに昨日、大黒さんとも話したように、この姿で今まで通りの生活を送ることは難しいだろう。本人も人間ならざる見た目を認識して、それを一瞬で把握してしまったのかもしれない。

 と言っても後戻りはできないのだから、これは乗り越えてもらうしかないのだ。しばらくそっとしておくか、励ましの言葉をかけるべきか。頭を悩ませ始めた時、縁が何でもないことのようにその役目を引き受けた。

「ちっと話してくらぁ。おめぇは先に掃除始めとけぇ」

 さすが頼りになる猫ちゃん。そう感心したが、後に続いた言葉に私は抗議の声をあげる。

「え、1人で? 縁は雑巾がけしてくれるんじゃないの」

「後でやってやらぁ。それ以外は進めといてくれ」

「えー、こーんな広いお家なのにー」

 私は大袈裟に両手を広げて掃除範囲の広さを訴えたが、縁はその動作が面白かったのか笑うだけだ。

「何もぜぇんぶやれって言ってる訳じゃねぇだろ。頼んだぜ~」

 そう言って床から飛びあがり、器用にドアノブを回すと透のいる部屋にするりと入っていってしまう。「邪魔するぜぇ」と陽気な声が向こう側で聞こえた。

「………皆で手伝うわ」

 女王が同情したのか私にそう申し出てくれる。私はそれを有り難く受けて、とりあえず一番奥の部屋から掃除することに決めた。

 住人の寝室か、それとも来客用の部屋か。重厚な雰囲気が漂う調度品と天蓋付きのベッドが置かれた部屋に入り、純子に渡されたお掃除セットから小さなモップのような道具を取り出す。棚の上とかコンセントがぐちゃぐちゃしている所とかをサッと拭けるアレだ。埃が落ちるので上からお掃除するんですよ、と純子に言われた言葉を思い出し、棚や机の上から取り掛かることにした。

 女王の言葉通り、すぐに妖精たちがやってきて手伝いを始めてくれる。

「ベイビー、窓を開けて換気しなきゃダメよ」

 そう言って勢いよく窓を開け放つ妖精もいれば、

「ワンちゃん、髪の毛が邪魔でしょ? 結んであげるわ」

 そう言ってどこからか持って来たリボンで髪をポニーテールにしてくれる妖精もいた。まるで魔法の世界に住んでいる、小動物と話せるプリンセスのような気分だ。妖精たちにしてみたら、私は赤ちゃんで犬みたいだけれど。

 妖精たちはこの家にあるお掃除道具もどこからか引っ張り出してきて、埃を丁寧に落としていった。天蓋、天井、シャンデリアなど高いところは、羽がある妖精たちがやってくれるので助かる。中には壺の中に入って遊んでいる妖精もいるが、まあいいだろう。ここは彼女たちの家だし、楽しそうな笑い声がある中で作業するのは悪くない。やがて古い掃除機を引きずりながら持って来た妖精たちもいたので、動くのか疑問に思いながらもスイッチを入れてみると、大きい音を出しながら勢いよく埃を吸い込んでいった。小さい箒と粘着テープでごみを取る通称「コロコロ」は持って来ていたけど、掃除機が使えるのならそちらのほうが助かる。

 ベッドやカーテンなど洗濯をしなければならないものもあったので、洗濯機があるか聞いてみたら妖精たちがはしゃぎながら案内してれた。しかし、そもそもこの家は電気が止まっていたようで、コンセントが刺さっていることを確認しても反応を示さない。まあ家人が亡くなっているので当たり前か。帰ったら純子に報告することにして、ベッドにはコロコロを、カーテンには小さいモップを適当に行き来させておいた。これも妖精たちが楽しそうにやってくれたので、縁がいなくても案外スムーズに進んでいく。

 そうして床にすべての埃を落としてから掃除機をかけた。妖精たちは大きい音を嫌がって「キャー」と言いながら遠ざかっていったので、私が部屋の隅々まで移動していく。絨毯のところとか、結構難しい。軽く汗をかきながら、集中して埃を吸い込んでいった。

「よし、終わったー!」

 広い部屋の汚れを一掃できたことに、大きな達成感を感じながら叫ぶ。掃除機を止めると妖精たちも歓声を上げて喜んでくれた。

「ハァイ、ベイビー。家政婦さんは雑巾もかけてたわ」

 1匹の妖精がバケツと雑巾を持ってふわふわと近寄ってくる。そうだ、縁の得意な雑巾がけ。真ん中に絨毯が敷いてあるけれど、それをどけて床全体を拭くか、少なくとも絨毯のかかっていない床がむき出しの部分は拭いたほうがいいだろうか。後で縁に任せるにしても、水を汲んで用意はしておこうかなと考えて、私は妖精からバケツを受け取った。

 だが水道を捻ってみて、水が止まっていることに気付く。そうだ、人が住んでいない、電気も通っていない、ならば水道も通っているわけがないのだ。私は洗面所でバケツを抱えたまま、「あ~」と情けない声を出す。ライフラインが止まった家ってこんなに面倒なのか。早く透の両親が説得されて諸々の手続きをしてくれればいいのだけれど。

 そんなことを願ってみても、今ここで水を汲めないのは変わらない事実だ。これから廊下も掃除しようと思っていたし、そうしたら水拭きはしたいところ。どうしようかと考えていると、妖精が私の髪をつんつんと引っ張った。

「近くに公園があるわよ、ワンちゃん」

 ちょうどその時、ポリタンクを手に持った妖精が飛んでくる。ニコニコしながら手渡されたそれをしばし眺め、私は決意に満ちた声で言った。

「ポリタンク、あるだけ持ってきて」




 私は5分ほど歩いたところにあった公園の水道でポリタンクを洗い、そこになみなみと水を汲んだ。そうして満タンになったポリタンクを合計6個、肩や腕や脇を活用して持ち上げる。相当な重さになったが、私に運べない重量ではない。そうして意気揚々と来た道を戻っていると、途中で品の良い老夫婦に二度見された。

 帰ってくると縁が妖精と話しながら廊下を歩いていたので声をかける。

「縁、高橋くんと話し終わったの?」

 もふもふの塊は可愛い角度で振り返って是と返したが、私のポリタンクまみれの状態を見て目をぱちくりさせた。

「なんでぇ、そのポリタンクは」

「だってこの家、水が出ないんだもん」

 私は掃除していた部屋まで戻って、床にポリタンクを降ろす。ゴトッと重い音がしたそれのひとつを傾けて、バケツに水を注いだ。

「ということで縁、雑巾がけの時間です」

 私は水に浸してきつく絞った雑巾を縁に差し出す。今まで放っておかれた恨みもあって、どんなものかお手並み拝見するつもりだったのだが、意外にも縁は器用に床を拭いていった。広げた雑巾の上に前足を乗せ、後ろ脚を動かしてスルスルと進む。思わず「おー」と感心の声をあげると、縁も得意げな顔を顔をした。それからは2人並んで雑巾をかけ、とりあえず絨毯がかかっていないところだけサッパリと拭き上げた。妖精たちも協力して窓を拭いてくれたので、この部屋の掃除はもう終わりにしていいだろう。時刻はちょうどお昼だ。

「お腹すいたー。ご飯食べようか」

 隅に避けておいた純子お手製のお弁当を運ぶ。気合の入った重箱弁当だ。持って来た時は気づかなかったが、包みを開けると重箱の上にはクッキー缶が乘っており、「妖精さんたちへ」とメモ書きがしてあった。

「お、これ妖精さんたちへだって」

 そう言ってクッキー缶の蓋を開けると、シンプルなクッキーの数々。きっと魔法の砂糖を使った特別製だろう。妖精たちはすぐに寄ってきて、嬉しそうに声を上げた。

「私たちに? なんてステキなの」

「とっても美味しそう。甘い香りがたまらないわ」

 妖精たちは近頃すっかり虜になっていたお菓子の香りにうっとりとする。私がクッキー缶を差し出すと、きゃあきゃあ言いながら1匹1枚とって飛んでいった。

 私たちもご飯を食べようと重箱を開ける。1段、2段は色とりどりのおかずで、3段目は小さめのおにぎりがみっちり入っていた。紙皿とお箸も入っていたので、縁の希望を聞いて取り分けてあげる。私はもちろん卵焼きを取った。縁と妖精と雑談をしながら、あっという間に半分を平らげていく。

 縁の2皿目を取り分けている時に、ふと部屋にこもっている透のことが気にかかった。もうお昼だけど、透は食事を取っているのだろうか。というか、水の出ないこの家では水分すら取っていないのでは。私はお皿を差し出しながら、直接会った縁に聞いてみた。

「ねぇ縁。高橋くんの様子ってどうだった?」

 おにぎりにかぶりついた縁は、咀嚼をしながら「うーむ」と唸って考える。

「人生に絶望してたなぁ。もう終わりだ、学校に行けねぇ、外も歩けねぇって嘆いてたぜ」

 縁のおにぎりには鮭が入っていたようで、一瞬嬉しそうな顔をしてもう一口を頬張った。

「俺ぁよく分からないんだが、学校に行けねぇっつうのはそんなに一大事なのかね」

「そりゃあそうだよ。生活のほとんどが学校なんだし」

 私も人間退治をしていなかったら、生活の大半を学校が占めていただろう。学校の授業、学校の友達、部活に入っていたかもしれない。そしたら家なんて寝に帰るだけだ。世界を形作っているのが学校と言っても過言ではない。高校生が今までの世界を壊されたら、透のような反応になるのが普通だった。

 だが縁は私の言葉に首を捻る。

「でもよお、まだ16歳だっていうじゃねぇか。若ぇんだし、居場所が無くなったってんなら、新しい場所に移りゃあいいだろ。あいつにはこの家と契約者っつぅ役目もあるんだしよぉ」

「そんなすぐに割り切れないでしょ」

 長く生きてきたからか、縁は生を長期的なものとして考えているなと感じることがあった。失敗してもやり直せばいい、住めなくなったら別の場所に移ればいい。言っていることとしてはたぶん合っているのだろうが、高校生にしたら1年だって充分に長いのだ。物事を人生単位では考えられない。大人になってから受験に失敗しても「また来年頑張るかぁ」と思えるのかもしれないが、高校生は1回でも落ちたら「人生終わった」と嘆く人も少なくない。それくらい、時間と居場所に関する感覚は違うのだ。それを説明すると縁も納得する。

「まあ、若人はそうなのかもなぁ」

「そうだよ。高橋くん、立ち直れるといいんだけど」

「そりゃあ、いつかは立ち直るだろうよ。時間は偉大だからなぁ」

「もう、だから、縁の1年と高橋くんの1年は違うんだってば」

「わぁってるよ。そりゃあ今の聞いて理解しましたよぉ。早く立ち直れるように、生きがいを与えてやるってぇ」

「え、何か考えてるの?」

 縁が自信ありげに言い切ったので、私は目を丸くした。透の落ち込みようを見て、すでに策を考えていたのだろうか。私が驚くのを見て、縁はふふんと笑った。

「あいつが学校休んでうちにいる間、何を楽しみにしてたか知ってるかぁ?」

 私は思い当たる節がなく首を傾げたが、縁は明確に答えてくれない。「まあ楽しみにしとけぇ」とだけ言って、食事を再開した。

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