朝食
翌日、習慣で朝7時にリビングへ降りていくと、純子がいつものように朝食を並べていた。聞けば明け方に透が目覚めたそうで、体調に問題ないことを確認して先ほど帰ってきたらしい。昨夜からずっと忙しくしていただろうに、私たちのためにテーブルに並ぶのは新鮮なサラダと黄金色に輝くフレンチトーストだ。お腹が激しく鳴くのを感じながら、感謝して食卓に着いた。さくさくとふわふわが絶妙なハーモニーを奏でるフレンチトーストにかぶりつくと、ちょうど玄関のドアを開ける音がする。足音から察するに、外に出ていた住人が家に入ってきたようだ。いつもより遅いお帰りだが、おそらく蓮太郎だろう。昨夜は大黒さんとの話し合いが終わった後、仕事か遊びか分からないが出かけていた。
リビングに入ってくる人物を確認すると、予想通り蓮太郎だ。そろそろ就寝時間なので気だるげにしているが、こちらもいつもの習慣で朝食をとるためちゃんと席に着く。しかし、私はそこで不快な臭いを蓮太郎から感じ、思わず袖で鼻を覆った。
「やだ、蓮太郎くさい。血と香水の臭いがする」
フレンチトーストを一口頬張ったところで文句を言われた蓮太郎は、一瞬動きを止めてちらりと私を見る。だがすぐに目をそらしてゆっくりと咀嚼を始めた。こちらは鉄臭いのと人工的なムスクの匂いが混ざって食事どころではないので、その態度にムッとする。
「蓮太郎、先にシャワーと歯磨きしてきてよ。臭くてごはん食べられない」
「そうですよ、蓮太郎さん」
純子が私の主張に援護射撃をしてくれた。
「血を飲んだ時は臭いを消してから来るって約束したじゃないですか」
純子の言う約束に私は覚えがなかったので、そうなの? と内心首を傾げたが、蓮太郎は面倒そうにしながらも食べかけのパンを置いてのそのそとリビングを出ていく。自分の部屋に引っ込んでいく足音を聞きながら、私は先ほど思ったことを純子に質問してみた。
「なんか約束してたの?」
すると純子は私を見て面白そうにクスッと笑う。
「桜が小さい頃、今みたいに臭いって嫌がったんですよ。だから必ずシャワーをしてから来るように約束してたんです。覚えてないですか?」
「えー、全然覚えてない」
「まあ、それ以来は徹底してくれてましたからね。今日はお疲れのようでしたし、気が緩んだんでしょう」
確かに蓮太郎は昨夜から眠そうにしていたし、それから夜の街に出て行ったのだから相当疲れているはずだ。まあ仕事なら仕方ないけれど、あの様子だと女の人の血も飲んできたのだろうから同情の余地はないのかもしれない。
その後すぐに雪那と縁も起きて来て、私と和やかに会話をしながら朝食を取り始めた。雪那は新聞を読みながら純子に入れてもらったコーヒーを飲む、完全なお父さんスタイルだ。縁はほぐしてもらった焼き魚にがっついている。今日も平和な朝が訪れたことに、私は感謝した。
やがて烏の行水の蓮太郎も髪を濡らしたまま戻ってくる。私はすんすんと鼻を利かせ、指で丸を作ってOKサインを出した。私からのお許しが出た蓮太郎は、改めて食べかけのフレンチトーストを食べ始める。動き回っていた純子も私の隣に座って、自らが作ったフレンチトーストを美味しそうに頬張った。
全員が揃ったところで、再びリビングのドアが開く。来るのは少し前から足音がしていたので分かっていたが、いざ目にすると長期滞在しないその人がこの家で寝起きしたことに違和感を覚えた。
「皆さん、おはようございます」
大黒さんが昨日とは違う紺色のスーツに身を包んで登場する。各々挨拶を返す中、純子が「大黒さんも朝ごはん、召し上がりますか?」と声をかけた。
「ありがとうございます。でも、すぐに出なければならないので」
やんわり断ったのを聞いて、やはり忙しいんだなと思う。こんな早朝からどこに行くのだろうか。聞いても教えてはくれないだろうけど。だが純子がコーヒーを水筒に入れますよ、と言うと、それは喜んで受けたので、結局少し待つことになった。
「皆さん、今日もバラ園に行かれるのでしょう? 私も今日中には高橋さんのご両親にお話に行きますので」
大黒さんの言葉に、仕事が早いなぁと感心する。おそらく今日1日で両親のほうは片が付くだろう。それなら私たちも早く家を整えないと。
「うん。今日は何時頃に行くの?」
大黒さんに返事をしてから大人たちに質問する。だが予想外の言葉が雪那から返ってきた。
「俺は夜にしか行けないから、桜は準備ができ次第行ってくれ」
「え、なんで」
「仕事」
「えー! 仕事行くの?」
「日曜日にカフェを開けないわけにいかないだろ。オーナーに迷惑かかるし」
客商売なのだからそれはそうだと納得するが、てっきり皆そろって行くもんだと思っていたので少しむくれる。
「だって、どうせ蓮太郎はこれから寝るんでしょ。純子は家にいるし。そしたら私だけ?」
「縁がいるだろ」
「にゃんこは掃除できないじゃん」
「聞き捨てならねぇなぁ、桜。これでも雑巾がけくれぇはできんだぜ」
皿から顔を上げて口元をぺろぺろ舐めながら、縁が自信満々に言い切った。猫が雑巾がけをするのはすごいけど、逆にそれしかできないのなら私主導での掃除が決定したということだ。
「えー、でもそれだと今日はあんまり進められないかもよ」
「それでいいよ、一気に終わらせるようなものでもないし」
口をへの字にして抗議したが、雪那にあっさり了承されてどうにもできなくなる。諦めて了解の返事をすると、大黒さんに水筒を渡した純子がニッコリ笑いかけてくれた。
「美味しいお弁当を持たせてあげますよ。だから頑張ってください」
単純な私はその言葉ですぐに浮上する。
「甘い卵焼き入れてくれる?」
「ええ、もちろん」
純子が笑顔で受けてくれたので、私も嬉しくなって満面の笑みを返した。「朝にフレンチトースト食べたのに、昼も卵食べるのか」という雪那の心無い突っ込みには睨みで返し、きちんと野菜も食べつつ朝食を完食する。
「さて、じゃあ縁、1時間後に玄関集合で」
元気よく縁に声をかけると、気合の欠片もない声で「あいよー」と返事が返ってきた。私はお皿を流しに運んでそのまま自分の部屋に戻る。とりあえず寝癖を直して汚れてもいい服に着替えよう。準備をするために私は浴室へ向かった。




