帰路
勇者が消えたせいだろうか、それともいつも家で出迎えてくれる純子がいるせいだろうか。「皆さん、お疲れ様です」と純子が微笑むと、私は家に帰ったような安心感に包まれた。終わったんだ、と実感した私は知らないうちに張っていた肩の力を抜く。純子の名を呼びながら、軽くなった足で彼女に駆け寄った。
「どうしているの?」
純子が仕事に出ることはめったにない。誰かが家にいれば用事を済ませにちょっと外出することはあるが、仕事で住人が出払うときは家の守りとして必ず家に残っていた。
「大黒さんに様子を見てくるよう言われまして。家は任せてきました」
「え、大黒さん来てるの?」
「はい、1時間ほど前に」
大家である大黒さんは年に1回顔を合わせるかどうかという頻度でしか帰ってこない。前回は年始に帰ってきていたから、もう今年中に会うことはないだろうと思っていた。何かあったのだろうかと首をひねったら、「勇者や人間の依頼人のことで心配されていたんですよ」と純子が教えてくれる。
「レアケースが続いていましたからね。今日も大黒さんに、もし勇者が現れたら食べていいと言われていたんですよ。私が出なくても大丈夫そうでしたけど、なんだか逃げようとしているみたいだったので、そうしました」
「あれ食べてたんだ」
私は勇者が影にグルグル巻きにされるのを思い出す。捕食シーンには見えなかったけど、もしかしたら鬼にはスタンダードな食事の仕方なのかもしれない。私が鬼に関する新たな事実を書き加えようとしていると、頭の中を見透かしたのか純子がくすっと笑った。
「たぶん、桜が考えている『食べる』とはちょっと違いますよ。取り出そうと思えば取り出せますし」
「…………保存食?」
私が真剣に考えて出した答えに、純子は噴き出す。鈴が転がるような美しい声だが、笑われた私はちょっとむくれて見せた。ごめんなさい、と宥められたが、結局純子の『食べる』は分からずじまいだ。
「ところで皆さん、動けるようでしたら一度、家に戻って大黒さんへご報告してもらっていいですか」
笑いを収めた純子は遠くにいる仲間にも聞こえるように声を張った。ああ、とか了解、とか気力のない返事が男性陣から返ってくる。そこで私は後ろを振り返り、透が倒れたままであることに気付いた。私が最後に見たときは虚ろながらも目を開いていたが、疲れたのか今は眠っているように見える。
「純子、高橋くん起き上がれないかも」
純子にそう言うと、「あらまあ」とそれほど重く受け止めていないだろう返事をして、透のほうへと歩いていった。私もそれについて行って透の様子を改めて窺ったが、やはり静かな寝息を立てている。女王がそばに座って、目にかかっている前髪を横に流してあげていた。触れている髪は変わらず青いし、その下から現れた肌もひどく青白い。
「寝ているだけに見えますが、このまま寝かせていても大丈夫でしょうか」
「怪我はしてないし、女王様は安定してるって言ってたけど」
純子が透の変わり様に疑問を呈したので私が答える。だよね? と確認するために女王を見ると、疲れた顔で微笑みながら頷いた。純子もそれを見てにこりと笑い、分かりましたと返事をする。
「それでは、高橋さんはここで少し休ませてもらいましょう。ここは一旦私が預かりますので、皆さんはお帰りください」
そして純子は女王に「休ませてあげられる場所はありますか?」と聞き、女王は「清志の使っていたベッドがあるわ」と答える。女王は透の体の下に手を入れてひょいっと抱き上げ、スルスルと庭の入り口に向かっていった。このまま家のベッドに運ぶつもりだろう。純子もその後を付いていこうとするので呼び止めた。
「純子1人で大丈夫?」
「ええ、桜も疲れたでしょう。帰ってゆっくり休んでください」
そう言われると急に疲労感が襲ってくる。確かに純子の言う通りだと思って他の2人と1匹を振り返ると、こちらは私よりも疲労を感じているようで、蓮太郎なんか夜行性のくせに今にも眠りそうな目をしていた。最後のアレがよっぽど大変だったのだろうか。妖精を集めて密かに奔走した縁も大あくびをしていた。
「そうだね、皆で帰るよ」
大人たちの疲れ具合に少し呆れながら、笑って純子に答える。私たちも外に出るので純子と一緒に途中まで歩いた。縁がまた大あくびをしていたので親切心から持ち上げたが、「俺ぁ赤ちゃんじゃないんだぞぉ」と抗議される。それでも抵抗をするのが面倒なのかそのまま腕の中に納まっていた。後ろでは雪那が「お前の持ち上げ方が悪くてあばら骨が痛い」と蓮太郎に文句を言っている。先ほどまで命の危険を感じていた場所で何気ない会話ができるなんて、なんと平和なことだろうか。改めてそんなことを思い、私は縁のふわふわの温もりを感じた。この毛に埋もれて寝てしまいたい。
そこでふと、純子の影が勇者を包んだことを思い出して、浮かび上がった疑問を口にしてみた。
「さっき取り出せるって言ってたけどさ」
「ん? 勇者ですか?」
「そう勇者。いつか取り出すつもりなの?」
「んー、今のところ予定はないですね。大黒さんに言われたら出しますけど」
純子は顎に手を当てて考える。
「大体、あの方うるさいじゃないですか。弱い人ほどペラペラ喋ったり、姑息な手を使ったりするんですよね。だから取り出したくないです」
バッサリ切り捨てた純子に、今度は私が噴き出した。これは共感しかない。私が思っていたことを全て言ってくれた。私の中に降り積もっていたイライラが、笑いと共に体から出ていく。
「純子もそう思ってたんだね」
「ええ、実はちょっと前から覗いていたので。言動すべてがムカつきますよね」
「ムカつくー!」
私が体を揺らしながら大笑いするので、ウトウトしていたらしい縁が不服そうな唸りを漏らした。ごめんごめんと体勢を立て直すと、フスッとため息をつきながら再び微睡み始める。こういうところは本当に猫だ。私は縁を気遣って、今度は笑わない疑問を口に出してみた。
「ねぇ純子、なんで勇者に攻撃できたの? 近づくと焦げるはずだったのに」
私の問いに、純子はクスッと笑う。先ほどとはまったく違う、影を感じる意味深な笑み。
「私は、どこにでも存在するからですよ」
また私が理解できない答えが返ってきたが、純子はそれ以上何も言わなかった。




