破裂
その日は午後から妖精たちへのお菓子作りを一緒にして、いつも通り7時に夕食を摂った。そして家の守り手である純子を残してバラ園へと向かう。まだ透の両親や引っ越しについての準備はしていないが、透が契約者としての役目を果たして女王の魔力を全回復させることが最優先だ。
透の姿を見た女王の目は明らかに期待に満ちている。説得できるまではここに来なくていい、と話していたそうだから、逆に言えばここに来たということは説得されたということだ。女王はすぐに答えを聞きたそうにソワソワしていたが、小さな妖精たちにお菓子を配り終えるまではぐっと我慢していた。
透がパニックを起こした時は怯えた様子を見せていた妖精たちも、今日はいつも通りお菓子を抱えて楽しそうにしている。各々シートを敷いてお茶の準備をして、夢のように美しく鱗粉を舞わせながら、日常となっていたティーパーティーを再開させた。
女王の前にも妖精たちがお菓子とお茶を置いて行ったが、女王は礼を言いながらも手を付ける様子はない。私たちも座ってお茶をする気はなかったので、立ったまま透の決心を伝えた。ここで契約者として過ごすそうだ、と雪那が言った瞬間、女王の瞳が潤む。さらには聞き耳を立てていたらしい周りの妖精たちも、お茶とお菓子から手を離して一斉に歓声を上げた。
「やったーーーーーーー!!!」
どこかから取り出したクラッカーが四方で銃声のように鳴り響く。鋭い破裂音に私は思わず顔を歪めてしまったが、飛び散った紙吹雪と妖精たちのキラキラ光る鱗粉で、バラが咲き誇る庭に劣らない鮮やかな光景が空中に出来上がっていた。
「ようこそ、透!」
「あなたが来てくれて、とっても嬉しいわ!」
「今日はお祝いね!」
「良かったですね、女王様!」
妖精たちが透の近くをぐるぐる飛び回りながら言葉をかけていく。透は間近に迫る妖精に少し怯えながらも、笑顔で自分を歓迎する彼女たちに悪い気もしないのだろう、引きつった笑みを返していた。テンションの上がった妖精たちが踊る中、1匹の妖精が自分たちのお菓子をいくつか手に抱えて透に押し付ける。
「あげるわ、透。私の一番好きなお菓子なの」
反射的に受け取ってしまった透は狼狽えた。妖精たちに作るお菓子は魔力を結晶化した砂糖を使っているから食べてはいけない。私は人間が食べるとどうなるか知らないが、困った様子を見せていることからお菓子作りを担っていた透もそう教わっているはずだ。だが透はもう人間ではないし、魔物へと変化したのは妖精の力のせい。私はふと食べられるのでは? と思い、透に提案してみた。
「食べてみたら? 高橋くん妖精で魔物化したんだし、いけるんじゃない」
「え、いや、さすがに怖いかな………」
好奇心からの提案を断られて、どう言えば食べてもらえるかと諦め悪く考えていると、会話を聞いた雪那が意外な援護射撃をしてくる。
「たぶん大丈夫だと思うぞ。むしろ栄養になるかも」
「ほら! 雪那もそう言ってるし」
私は楽しくなって透にそう迫るが、食べないように言われた食べ物を口にするのはやはり難しいらしく、困った顔のままドーナツやマフィンを見つめている。すると縁もニヤニヤしながら近づいてきた。
「害があったとしても死にゃあしねぇぞ。ちょおっと楽しくなっちまうだけだ」
かわいい顔を楽しそうにする縁に、透はまたも引きつった笑みを見せる。透としても楽しくなっちゃうのは避けたいだろう。これは食べてくれないだろうなと諦めようとしたが、またもや雪那が割って入ってきた。こちらは縁と違って真面目な顔をしている。
「それがお前の魔力になるか知りたいから食べてみろ。もし魔力になるなら今後は砂糖を売ってもいいぞ」
探求心を漲らせた雪那にも詰め寄られて、透は引きつった笑みさえも消した。初対面で脅すようなことを言ったせいか、雪那は透に怖がられている。その恐怖に押されたのだろう、透はおそるおそるドーナツを手に取った。蓮太郎以外が見守る中で、ストロベリーチョコがコーティングされた可愛い生地を小さく齧る。一回咀嚼した途端、透は跳ね上がるくらい驚いて目を見開いた。自分から勧めておいてなんだが、そんな反応をすると思ってなかった私は突然の変化にむしろ恐怖を感じて、透の身に何か起こったのかと慌てる。
「え、まずい?! 楽しくなっちゃった?」
しかし私の心配をよそに、透は大きな口を開けてもう一度ドーナツを齧った。すごい速度で咀嚼し、もう一口、もう一口と頬張り、あっという間にドーナツが消えていく。そうして1個すべて食べつくしてようやく、透が口を開いた。
「うまい………」
恍惚ともとれるため息をつきながら発せられた言葉に、私はひとまず安心する。突然人が変わったように食べ始めた怖さはあるが、とりあえず死ぬわけでも楽しくなったわけでもないと知れて良かった。雪那は透の様子を見て満足そうに頷き、「砂糖売ってやるよ」とニコリと笑う。あげるんじゃなくて売るんだ、と引っかかったが口にはしなかった。透は雪那に礼を言って、手の中にあるマフィンにかぶりつく。先ほどまで感じていた少しの緊張や恐怖は消え去ったように見えた。その様子を見て、縁が感心したように言う。
「はぁ、お前さん、本当に妖精と一体化してるんだなぁ」
いつもなら困惑するような言葉も、透はマフィンに夢中になりながら「そうかもしれません」と肯定した。なんだかメンタルまで強くなっている気がするが、本当にこのお菓子は大丈夫だろうか。しかし、私が首を捻ると同時に濃いバラの香りが近づくのを感じて東屋へ目を向けた。女王が目尻を拭いながら東屋を出て、こちらへ歩いてくる。透が決心してくれた感動はまだ尾を引いていたようだ。さく、さく、と草を踏みしめて距離を半分ほど縮め、立ち止まる。
「…………手を握っても、いいかしら」
聞き逃してしまうような声で告げられたそれは、まっすぐ透に向けられた言葉。濡れた瞳と共にそれを受けた透は、口の中にあるマフィンをごくりと飲み込んで固まった。全身が青く、2メートルを超える女王は明らかに人間ではなく、未だに恐怖をすべて捨てられていないのだろう。だがお菓子でポジティブになった透は恐怖というよりも、戸惑いのほうが勝っている気がした。どう断ろう、というよりも、お願いを聞いても大丈夫? と考えているような。そして頼みの縁に自然と目線が動いたので、縁はニカッと笑って答えた。
「お前さんがいいなら、受けてやんなぁ」
その言葉に決意を固めたのか、透は女王に目線を戻して頷く。女王はまた瞳を潤ませ、胸の前で祈るように両手をぎゅうっと握りながら、再び歩を進めた。私は大いなる一歩を踏み出そうとしている2人に緊張しつつ、透の手にあるマフィンをそっと取る。目だけで礼を言う透ににっこり笑い返し、近づく2人を見守った。いざ近づいてみると、女王はやはり大きい。ここでは邪魔になるかも、と思い後ろに下がって透から距離を取った。じわりじわりと縮まる距離にじれったくなりながら、その瞬間を待ち続ける。
やがて透の目前に来た女王は胸の前で握った手をゆっくり解き、透の手を下からそっとすくおうとした。透は息を呑みながらも、覚悟を決めたように動かない。触れるまであと数センチ。
「女王様ぁあああ!!!」
お祝いムードと縮まる2人の距離にドキドキしていた空気は、今にも死にそうな甲高い叫びが切り裂いた。再び耳がキーンとした私は顔を歪めたが、その異変を確かめようと瞬時に振り返る。開けたこの庭の入り口から、何かを背負った小柄な妖精がふらふらと飛んできた。息を切らせ、汗だくになった彼女は女王のもとに辿り着こうと羽を動かしたが、途中で力尽きて墜落してしまう。すぐに数匹の妖精が駆け寄って様子を窺った。しかし何かを運んできた妖精は仲間に気を回す余裕もなく、その場で女王に叫ぶ。
「女王様、ミロが帰ってきたんです! あの人間に攫われたミロです! でも傷だらけで、すぐ手当てしないと」
そう言われて彼女の荷物を見ると、確かにそれは小さな人型をしていた。遠くて詳細までは見えないが、背中には羽のようなものも見える。体のどこにも力が入らないのか、手足をだらりと投げ出していて、伏せた顔も見ることはできなかった。
人間に攫われた妖精の話は以前聞いた気がする。確か私たちのことを勇者に喋った1匹が殺されて、もう1匹は攫われたと言っていた。それでは、あのぐったりしているのが勇者に攫われた妖精で、ここに戻ってきたということだろうか。
数センチまで迫っていた女王の手は透から離れていく。驚きに目を見開いた彼女は「ミロ?」と信じられないように呟き、倒れている妖精にススス、と近づいて行った。しかしその歩みは鋭く出された蓮太郎の手によって阻まれる。困惑した表情の女王は腹のあたりで進行を遮っている手とその持ち主を交互に見つめた。私も蓮太郎の行動の意味が分からず声をかける。
「蓮太郎、どうしたの?」
早くしないと、傷ついているという妖精が危ないかもしれないのに。この状況で止める理由を問うたが、蓮太郎は私には返答せず、女王を横目でちらりと見上げて話しかけた。
「…………あれは、本当にお前の妖精か?」
女王は蓮太郎の言葉を受けて首を捻りながらも、もう一度倒れている妖精に目を向ける。その周りには妖精たちが集まり、遠くから「女王様!」と呼びかけているが、女王は目を細めてその中にいる1匹を見つめ、神経を集中させているようだった。私は蓮太郎が何をもって疑問を投げかけているのか、そして女王が何を感じようとしているのか確かめたくて、蓮太郎のすぐ後ろまで移動する。それ以上近づかないよう、私も蓮太郎の手で制されてしまったので、大丈夫と伝えて蓮太郎の手を下ろさせた。目を凝らしても、妖精たちが群がっているのでよく分からない。鼻もバラの匂いの妖精だらけであまり利く気がしなかったが、集中してすんすんと嗅いでいるうち、ピリッとした刺激を一滴感じた。不気味な赤いルージュ。覚えのあるそれに、心臓がどくりと脈打った。それと同時に女王が小さな悲鳴をあげ、口を手で覆う。
「違う、違うわ。気配が違う。あれはミロでは」
女王が言い終わらないうちに、蓮太郎がおそらく感じたであろう違和感にも気づいた。周りの妖精の1匹がミロとされる妖精の顔をそっと上げさせる。乱暴に繕われたと見られるギザギザの縫い目が走る頬と額、ぬいぐるみに付いているような真っ黒な目。目は上下の高さが揃っていない上、よく見ると腕にも縫い目がある。まるで生粋の不器用者が作った人形のようだった。それが突然、自らの意志で顔を上げたようにぐりん、と動き戦慄が走る。
私がそう認識し、女王が「みんな逃げて」と弱々しい声で叫んだ瞬間、ミロのような人形がパァンと高い音を上げて破裂した。周りにいた妖精は全員吹き飛び、先ほどクラッカーを鳴らした時に舞った紙吹雪みたいに血が吹き上がる。四方に妖精と血液が降り注いだ中心、ミロがいた場所には白い服の人間が立っていた。
「やぁ、ギリギリ間に合ったよ」
嬉しそうに微笑む男を見て、私の喉が狼のようにグルル、と鳴った。




