昔話
妖精たちは今日も女王にいくつかお菓子を見繕ってテーブルに置いたが、女王は微笑んで礼を言うだけで食べようとしない。一定の距離を保ちながら正面に並ぶ私たちを、真剣な眼差しで見つめた。
「約束を守ってくれてありがとう。私も、すべての真実を話すわ」
そう宣言され、私は心臓がひとつ大きく脈打ったのを感じる。いよいよか、という期待と、何が飛び出すか分からない不安をわずかに感じながら、透の後ろで耳をすませた。
「何から説明すればいいか分からないから、昔話をさせてもらうわね」
清志は「孫が生まれたんだ」と静かに言った。同時に会いたい、とも。月明かりに照らされている、孤独に生きてきた男の横顔。女王はそれを見て、それならどんなに断られても、何度もお願いするべきだと言った。説得された清志はめったに連絡を取らない息子に頼み込んだ。案の定渋っていた息子に「写真でもいい」と言ってみると、写真が3枚だけ送られてくる。小さく柔く、まだ目も開いていない孫を初めて見た時、清志は間違いなく、この子は自身の宝物だと感じた。
それから写真を定期的に送ると父親がうるさくないと学習したのか、清志の息子は折々に写真を数枚送って寄越す。清志は柄にもないと自分でも思っていたが、可愛らしいパステルカラーのアルバムを買って、それを1枚1枚丁寧に並べていった。赤子の成長は早い。やがて寝返りができるようになって、ハイハイをして、可愛らしくお座りができるようになって。そのすべてを奇跡のように喜んで、女王や妖精たち、そして自分の妻の写真に向かって報告した。普段は無口で武骨な清志が嬉しそうに笑うと、妖精たちも嬉しかった。
やがてしつこいくらいの催促に息子が折れて、清志の孫、透が初めてこの家に遊びに来た。よちよち歩く透に会った清志は、緊張しているのかいつも写真に向かって見せる笑顔がない。普段を上回る仏頂面で、息子の奥さんはひるんでいるようだった。それでも透は臆せず近づき、おとなしく抱っこもされる。怖がっていた奥さんが気を遣って清志と透のツーショットを撮るときも、ご機嫌な顔をしていた。
そして、透はバラ園をいたく気に入った。バラの美しさに見惚れ、香りに頬を緩ませ、声をあげて笑う。それを見た清志はひどく愛しい視線を向けた。息子は嫌がっていたけれど、透が喜ぶのでちょくちょく透を連れて遊びに来るようになった。女王と妖精は人間の目に見えないのをいいことに、透の近くまで行って可愛い顔を眺める。今まで断絶していた家族の絆が、わずかにつながったように感じた。
「覚えていないかもしれないけど、あなたはここによく来ていたわ。清志にも、とても懐いていた」
女王の静かな声で語られる物語に、透は目を見開いていた。あまり来たことがない、祖父との関係も良くないと言っていた透は、物心つく前の出来事など覚えていなかったのだろう。そして彼の両親も、それを話さなかった。幸せな関係を知らなかった理由を考えて、私は首を傾げる。その答えがあるだろう女王の昔話に、再び耳を傾けた。
透は3歳になった。清志の家に来ると笑顔で彼に駆け寄り、一緒にバラ園に出る。妖精たちは穏やかで幸せなその光景に嬉しくなって、周りを飛び回った。
だから清志がちょっと目を離したすきにいなくなった透のもとにも、何匹か妖精がついて行っていた。透はまだ自分が祖父とはぐれたことに気づいておらず、ご機嫌に花を愛でている。足音が近づいてきても、祖父だろうと思って気にかけていない様子だった。
もし気付いていたとしても、わずか3歳の透に何ができただろうか。強盗目的で裕福な家を狙っていた大男。腕っぷしに自信があり、目撃者は黙らせればいいと考えて、近所でも有名なバラ園に堂々と侵入した。そこで祖父だと思っていた知らない男を認識した幼子が泣こうとした瞬間、その小さな命を奪おうと刃を振り下ろす。
絶叫したのは周りにいた妖精たちだ。何匹かは女王の元に、何匹かは清志の元へと飛んでいく。先に透のところまでたどり着いた女王は、目の前の光景が理解できなくて固まった。ふくふくとした手足を力なく投げ出して、赤黒く染まった草の上に転がる透。同じ色に染まる刃物を持つ男。清志の宝を奪おうとする男に、女王はかつてないほどの怒りを覚えた。体は冷えていくのに、頭は沸騰したように熱い。
殺してやる。
女王は至極当然のことのようにそう思った。そして庭の草花は女王に従順だ。すぐに屈強な蔦が男を襲い、その気道を塞ぐ。ギリギリと首を絞める蔦を何とか取ろうともがき苦しむ男。女王はそれを、スプレーをかけた害虫が死ぬのを待つかのような気持ちで見つめた。やがて力を失った男を認めると、男にのみ集中させていた神経がやっと周囲に向き、外野の音が聞こえてくるようになる。清志が透の名を叫ぶ声。息子が救急車を呼ぶ声。息子の奥さんが半狂乱で泣き叫ぶ声。天使のような透と妖精が飛び回っていたバラ園は、地獄と化していた。
なぜ目を離した、と責める息子と奥さんは、透とともに救急車に乗っていった。やがて警察も来るだろう。何せ目の前には女王が殺した大男が倒れている。そしたら清志は長時間拘束されることになるだろう。透のそばにいることも、医者に助けてくれと縋ることもできずに。そしてあの傷では、幼い透に会うことは二度と叶わない。人間の力では、もはや施しようがないのは明らかだった。だから清志は呆然としながらも、女王に向かってはっきりと言う。
「どんな手段でもいい。助けてくれ」
女王はその願いを叶える提案を口にした。




