対価
昼食後、私と透、純子、雪那は改まってリビングのソファに腰かけ、透を今夜バラ園に連れていくことを話した。透は一瞬息をのんだが、それは事前に納得済みのことだったので、覚悟を決めた顔でしっかりと頷く。そこまではよかったのだが、事の核心は透が来てから話されることや、透はやはり契約者であるらしいことなどを説明した後、契約者として生きなければやがて死ぬことを告げると、笑うのに失敗したような複雑な顔で固まってしまった。瞬きも忘れたまま呆然とし、やがてゆっくりと俯く。予想通りに絶望する透を、私はなるべく心を無にして見つめた。事情を説明していた雪那は表情を動かさないまま、俯いた透の後頭部に向かって話し続ける。
「妖精たちはお前に危害を加えるつもりはないみたいだし、拒否して今まで通りの生活に戻ることもできる。契約内容を確認して、お前の祖父さんみたいに契約者として生きることもできる。それは自由だ」
雪那の言葉に、透はのろのろと顔を上げる。
「いや、でも、拒否したら死ぬんでしょう………?」
「拒否した瞬間に死ぬわけじゃない。契約者に放置されたら、あのバラ園も妖精もいずれは死ぬ。そうしたら連動して死ぬらしい。だから今日明日の話じゃない」
それを聞いて、透は再び俯いた。すぐには死なないと言われたところで、あまり慰めにはならなかったようだ。妖精の死が100年後とかなら構わないだろうが、おそらくそんなに長くはないだろう。1ヶ月後か、半年後か、1年後か。もし10年永らえたとしても、高校生の余命としては少なすぎる。透は震える声で、縋るような視線を雪那に寄越した。
「なんとかならないんですか? その、契約者? としては生きずに……例えば庭の手入れだけ定期的にしてあげるとか、今までみたいにお菓子をあげることで力を補給するとかで、ずっと生きるみたいな道は」
透の必死の提案を聞いた雪那は、真剣な顔を崩してきょとんとした。
「それはたぶん、契約者が妖精にしてやることそのままだと思うけど」
「え?」
透は言っていることが分からなかったようで首を傾げる。雪那は姿勢を崩してソファにもたれながら説明した。
「もしかして契約者は生贄を捧げるとか、そんな危ないこと考えてないか?」
「え………違うんですか」
透の問いかけに雪那は頷く。
「一般的に妖精との契約は『住むところを提供する代わりに庭を綺麗にする』ってことだから、そんなに大変なものじゃない。大体の契約者は今まで通りに庭の手入れをして、特に変化なく暮らしてるんだ。お前の場合は命がかかってるからもっと重い内容だと思うけど、さっきも言ったように妖精たちは危害を加える気がないし、生理的に無理なことはさせないと思う」
それを聞いた透は、私の目から見ても明らかにほっとしていた。力が抜けたようにソファに深く座る。
「俺、てっきり満月の夜に生き血を捧げるとか、ちょっとでも機嫌を損ねたら契約違反って言って襲われるとか、そんなこと思ってた……」
「そもそも妖精は血とか好きじゃない。たまに命を欲しがるやつもいるらしいけど、今回のは甘いものが好きなの知ってるだろ」
そうでした、と透はつぶやく。今日もイキイキとお菓子を作っていたことを思い出したのだろうか。口元にはちょっと笑みも浮かんでいた。私も無意識に力を入れていた体をそっと緩めて、「高橋くんの作ったお菓子、みんな喜んで食べてるよ」とフォローを入れておく。透はそれを聞いて照れながら笑った。
「あはは、そっか、よかった」
そうして透が緊張から解放されたところで、再び雪那が真剣な顔に戻る。
「だから、契約内容は確かめなきゃいけないけど、呑める内容なら契約者として過ごすことを勧めるよ」
それを聞いた透は再び固まる。たいした対価を払うわけではないと理解しても、魔物と触れてこなかった人間が今夜から妖精のパートナーになるかもしれないなんて、確かに気が引けるだろう。できれば関わりたくないと思ったから、庭の手入れとかお菓子をあげるとかで乗り切ろうとしたのだし。私は透の心中を察しながらも、いち魔物としてはたいした損失もないのだから「もう契約者でいいじゃん」と考えていた。雪那もその辺りは人間寄りな考えが出来ないので、透にとっては相当の覚悟がいることも、さらっと提案してみせる。
「正直、この件を丸く収める一番の方法は、お前が契約者として生きることだ。妖精たちとの契約を果たせば女王も回復するし。あの庭も、というか祖父さんの家か。人手に渡すとか取り壊すとかは諦めて、お前の家で管理すれば人間に対する怪奇現象も起こらなくなるだろ」
透が初めて洋館に来たとき、譲ろうとしても取り壊そうと思っても、いろいろな理由でダメになると言っていた祖父の家。女王が追い払っていたと言っていたから、その不気味さに断られ続けていたのだろう。
「………そう、ですよね」
透は雪那に同意しながらも、顔には迷っていることがありありと出ていた。もうひと押しいるかな、と考えて私は口を挟む。
「お祖父さんも特に変わったことなく暮らしてたんでしょ。だから大丈夫だよ。何かあったらまた私たちに相談してくれればいいし」
透はまだ心から納得していないように見えたが、契約者として生きることになった後も私たちがいる、ということは多少心を動かしたのだろう。私に「うん」と頷いてから雪那に向き合った。
「とりあえず、それも選択肢に入れて考えます。俺も死にたくないので」
その言葉でひとまずの説明が終わったことを悟り、私はほっと一息つく。重苦しい空気からやっと解放されるのか。今日の夜のことはまた夕飯の後に詳しく話し合うと言っていたので、ここからしばらくはまた自由時間だろう。純子と透のお菓子作りを手伝おうか、そういえば優美と清香から連絡きてたな、と1人で考えを巡らせていると、それまで静かに聞いていた純子が雪那を呼んだ。
「雪那さん、今日解決するかもしれないのなら、高橋さんとの契約をいま変えたほうがいいんじゃないですか? 今日中にバラの種は探せないでしょう」
そこで私もはっとする。透は今回の仕事が終わる前にバラの種を見つけて、私たちに渡すことを契約していた。しかし、バラ園は危ないから種探しはしばらく休む、代わりに対価は仕事の終了後でもいいことにしよう、と契約変更の話をしていたのだった。すっかり忘れていたが、純子は覚えていてくれたらしい。雪那も思い出したという顔で「ああ」と返事をして、どこからか契約書を取り出す。
こうして妖精との契約も書き換えられればいいのにね、と私は思ったが、また重い空気になるのが嫌で口には出さなかった。




