ピース
雪那の肩には肘でなく手を置いて、蓮太郎はじっと前を見据える。はじめからそうしてればいいのに、この2人はじゃれるのが好きだなぁなんて怒られそうなことを思いながら、私も口をつぐんで周囲を見渡した。ここからは話さず動かずの耐久レース。でも集中力を切らしたら、この間のように流血沙汰になるかもしれないので、五感を研ぎ澄ませて辺りを警戒する。肉もいっぱい食べたし、1時間でも2時間でも待ってやると気合を入れた。
しかし、事態が動いたのはそれから15分ほど後。視界の隅にちらついた光を、最初は見間違いかと疑ったが、それは消えることなくヒラヒラと動き続けている。つないだ雪那の手を軽く引っ張って視線でその方向を示すと、雪那もそれを見て頷いた。夜目が利く私とは違う見え方をしているのだろうが、暗闇の中での光は彼にもはっきり見えているはずだ。おそらく手のひらに乗るほどの小さい羽が、雪那の杖に舞っていたような金粉をまき散らしながら震えている。目視できるのはその羽を持つ、折れてしまいそうなほどほっそりとした人影が1体。しかし私の耳は2人分の会話を拾っていた。
「見て、お菓子だわ! なんて美味しそうなの。それにほら、とっても良い匂い」
「本当、お砂糖と魔力がいっぱいね。こんなご馳走、見たことないわ!」
どこかミュージカルを思わせる口調が気になるが、私の耳が聞いた通り、後ろの草からよく似た羽と人影がもう1体現れる。2体は羽を震わせながら低い位置を飛んで、お菓子に、罠に近づいてきた。
「ねぇ、食べてみましょう。白いクリームのケーキがいいわ」
すすす、と両手を伸ばしながら飛んで、光の輪の中に完全に入る。小さな手で柔らかなクリームとスポンジをもぎ取って、顔が白くなるのも構わずかぶりついた。
「ああ、なんて素敵なの。甘くて優しくて、口の中でとろけちゃう」
「イチゴも新鮮で美味しい。きっとお日様の光をたくさん浴びて育ったのね」
妖精たちは完全にお菓子に夢中になって、もう一口、もう一口とケーキを口に運ぶ。私たちは目くばせし合って、そっと雪那の体から離れた。私は草陰から獲物を狙う狼そのままに、息を忍ばせて彼女らに近づく。
「このお菓子、女王様にも持っていかない? きっとお喜びになるわ」
「いいわね! こんなに甘くて美味しいんですもの。またお元気になってくれるわ」
「じゃあ、俺たちも一緒に連れて行ってくれないか」
雪那の呼びかけに、妖精たちは反射的に飛びのいた。先頭にいるのは瞳を金色に光らせて見下ろす私と、楽しそうに笑みを深くする縁。雪那の後ろには目を赤く光らせた悪魔のような蓮太郎。恐怖でしかない光景だろう。予想通り妖精たちは可憐な叫び声を上げて後方に飛び去ろうとしたが、見えない壁にゴツンとぶつかり墜落する。
「そぉんな怯えんなってぇ、お嬢ちゃん。取って食いやしねぇよぉ」
悪者みたいなセリフを言いながら、縁がにゃっはっはと笑った。化け猫が食うなんて言うと冗談に聞こえない。妖精もますます怯えたのか2体で身を寄せ合って震えていた。
「今、女王様のことぉ話してたよなぁ? そいつも含めて、ちょいとおじさんたちとお話ししようぜぇ」
可愛い前足を一歩踏み出して、オレンジの猫は2つの尻尾をふらりと揺らし、ご機嫌そうに微笑んだ。
最初こそ縮こまっていた妖精たちだが、交渉役の雪那と縁が座って目線を合わせ、お茶を入れてお菓子を勧めると次第に態度が軟化していった。今では草の上に両足を投げ出してリラックスし、ミニチュアのティーカップを傾けている。2体とも小さな顔に大きな瞳、細長い手足を持つ美少女で、体には可愛らしい草花を服のように巻き付けていたが、髪の毛には長短の差があった。
「魔法使いさん、このケーキにはあなたの魔力が入っているの?」
「そうだよ。美味しいだろ」
「ええ、とっても! 毎日食べたいわ」
「毎日とはいかないけど、もっとご馳走するよ。だから君たちと話がしたいんだ」
「うふふ、取引ね」
妖精は悪戯っぽく目を細めて笑う。
「でもね、話せないこともあるわ。この間も怖い人間が来て、うっかり口を滑らせた子がいたから」
いや、しっかり話してるじゃん、と思ったが私は黙って様子を窺う。1人と1匹に危害を加えないかだけ見ていればいい。
「怖い人間?」
「そう、私達をここから追い出そうとするの。とっても怖い人間よ」
「いつ来たんだ?」
「覚えてないわ」
妖精は肩をすくめて首を振る。ティーカップを置いて再びクリームとスポンジを千切った。
「でも、そんなに昔じゃないわよ。清志が死んじゃった後だもの」
「キヨシ?」
「ここを愛していた人間よ」
もそもそと口を動かしたまま、妖精が新たな人物のことを語り出す。
「清志がこの庭を造ったのよ。今でも覚えているわ。彼は美しいお嫁さんと一緒にここへ来たの。星が降る夜のような髪を持つお嫁さん。彼女は花が大好きで、清志と一緒に庭を造り始めたの。でもいなくなっちゃった。そのあとは清志が一人で花を植えて庭を造ったの。私たち、外からずっとそれを見ていたわ。なんて素敵な庭なんだろうって。ここに住めたら、どんなに幸せだろうって」
妖精はクリームを口元に付けたまま、うっとりと目を閉じて当時を語った。
「だから女王様がここに連れてきてくれて、とっても嬉しかったわ。清志は花だけじゃなくて私たちも愛してくれたの」
「君たちの女王と契約したのか」
「ええ、もちろん。ここで暮らしていいと言ってくれたのよ」
清志というのは、おそらく透のお祖父さんだ。そして予測していたが、やはり彼は妖精と契約をしていた。謎だらけの事件にひとつだけ、正しいピースがはまった気がする。
「もしかして、それは清志の命を懸ける契約だった?」
「内容は知らないわ。けど、そんなことしないと思う。命を欲しがる妖精もいるけれど、私達の女王様はあんまり興味がないみたい」
命の代わりに、の意味はまだ謎のままか。私はちょっとガッカリしたけれど、雪那も縁もそこはスルーして話を聞き続ける。
「じゃあ、その清志ってぇ人間は天寿を全うしたのかい」
「そうよ、猫ちゃん。風邪を引いたと思ったら死んでしまったの。老いて弱っていたから仕方ないわ」
言葉とは裏腹に、妖精はしょんぼりしてケーキを置く。
「それから怖い人間がここに?」
「ええ」
今度はケーキをぎゅっと握って身震いをする。細かいスポンジがぽろぽろと膝の上に落ちた。
「たくさんの魔物を消してきた人間よ。私たちに出て行けって、出ていかなければ消すって言うの。女王様は強いから、庭の奥深くまで入らないようにしていたけれど、清志が死んじゃってから力が弱くなってしまって。いくつか花も持っていかれたし、攫われた子もいるし、殺された子も……」
だんだんボリュームが小さくなっていった言葉に、私はある予感を覚える。その人間の正体についてだ。しかし、まだ確証が得られない状態で悪い方向ばかり考えるのはやめ、じっと次の言葉を待つ。
「………次の契約者が来てくれたら、女王様も力を取り戻して、こんなことにはならなかったのに」
「新しい契約者を探しているのか?」
「ちょっと違うわ。もう契約はしているのよ。でもここに来てくれないの。私たちは誰なのかも知らない。知っているのは女王様だけ」
雪那はそれを聞いて少し考え、首を傾げた。
「新しい契約者がいるなら、君たちがそこに行けばいいんじゃないか? ここに残っている理由はないだろ」
「新しい契約者は、清志の後継なの。だから私たちはここにいるのよ。またあの幸せな日々が戻ってくると信じて」
寂しそうにつぶやく妖精は手の中のケーキもすっかり食べる気が失せたようだ。手持ち無沙汰にコロコロといじって俯いている。
「誰がこの庭を継いでくれたのかしら。なんでこの庭に来てくれないのかしら。もう一度あの怖い人間がやってきたら、今度こそ奥深くに入られてしまうかもしれない。女王様が倒されてしまうかもしれない」
そこで2体が同時に顔を上げ、私達を見据えた。
「だから私たち、あなたたちに依頼しようと思っていたの」
私はそこではっとして身構えた。私たちが誰か、はじめから知っていた? 交渉役の1人と1匹を守るため、いつでも動けるようにぐっと力を籠める。危害が加えられない領域の中だと知っていても、以前のような肝が冷える事態を想像してしまった。だが、結果として妖精たちは足を投げ出した格好のまま攻撃を仕掛けることもせず、すがるように見つめてくる。
「殺された子が、怖い人間に言ってたわ。この街にはあなたのような人間を退治する専門家がいるって。あなたなんか、すぐにやっつけられちゃうんだからって……。あんまりそういうこと、人間に言ってはいけないの知っていたのに、最後の最後に強がって言ってしまったの。でもね、私もその話はミツバチの女王様から聞いたことがあったわ。だからお願いしたかったの」
待って待って、怖い人間に言ったの? それが私の予想している人間だとしたらヤバい。非常にヤバい。思わず一緒に身辺警護している蓮太郎を見ると、彼もわずかに顔を渋くさせてこちらを見た。ああ、蓮太郎の表情が変わるなんて、これはとってもマズイ事態だ。座っている1人と1匹を見ると、そちらも顔を見合わせている。しかし、それについては何も言わず、妖精に質問した。
「ここにいる時、俺たちは何回か攻撃を受けたんだけど」
「なぜかしら? 分からないわ。女王様も、あなたたちのことは知っているはずだけど」
「攻撃をしてきたのは女王?」
「そうよ。でも理由は分からないの。悪意はないのよ。でも、女王様はとても弱っていて、あんまりお話ができないから、私達は『なぜ?』って聞けないの」
雪那がパチンと指を鳴らす。ポンッと軽い音を立って2輪の花が現れた。ひとつは例の青バラ。そしてもうひとつは、不気味な女のルージュのような花。茎が赤黒く変色している。おそらく蓮太郎の血だ。
「どちらも女王の花? ……それとも、別物?」
声を落として雪那が問う。そこで私は、あの時別物のようだと話したことを思いだした。意識が朦朧としていたので、夢の一片のような気でいたのだが、ちゃんと聞いて覚えててくれたんだな。
「嫌だわ、その不気味な花。私たちの女王様は、真っ青で綺麗なバラを咲かせてくれるのよ」
またひとつ、謎という空白を正しいピースが埋めた。




