8 祭礼の日
風にのって、透きとおった音が聞こえてくる。
白い円卓で、ケルティとのお茶を楽しんでいたティアは、庭のほうを見やり、首をかしげた。
「なんの音かしら」
「〈宥め鈴〉でございますね」
壁ぎわに控えるベネトが答えた。ティアはベネトに視線を移す。
「〈宥め鈴〉?」
「お祭りに鳴らす鈴だよ。明日がお祭りだから、練習してるんだ」
そういって焼き菓子を頬ばったケルティを、ティアは見つめた。
「……お祭り? 明日?」
焼き菓子を飲みくだして、ケルティがまたたいた。
「あれ、なんにも聞いてない?」
ティアは首を横へ振った。
王宮探検中に王に見つかり、離宮でおとなしくしていろと釘を刺されたのは五日前のことだ。以降はまた離宮で、ルベルに水をやり、ときどき訪ねてくるケルティと談笑するだけの生活を送っていた、のだがしかし。
ティアはもう一度、ベネトに視線を移した。
「ねえベネト。わたし、表向きは一応この国のお妃なのよね?」
名ばかりも名ばかり、そもそも緑野の国、俗称ヒゲキノ・ヒロイン王国の王女はどこへ嫁いでも、そのうち死を迎える「悲劇のヒロイン」でしかないわけなのだが、体裁上は。
「さようでございます」
「なのに、そのお祭りに出なくていいの? 緑野では、王族は必ず祭礼に参列したわ」
女神ゲンティアナを讃える祭りは壮麗だった。王宮はもちろん、都中が祭り一色に染まり、いたるところにゲンティアナを表す青紫の旗が、金銀の幟とともにひるがえっていた。王宮の庭園は解放されて、いくつもの噴水が青空に虹をかける中、詰めかけた民衆が女神万歳、国王万歳を叫んでいた。ティアは毎回、祭礼に参列したあとは王宮のバルコニーへ向かい、一日中、民衆に手を振った。
「ええまあ、通常は」
ベネトの答えは、めずらしく歯切れが悪かった。
「ただ、明日執り行われるのは、砂塵の国の神であるリモニ神を慰めるための祭礼ですので」
ティアは眉をひそめた。
「なにか問題? お祭りって、ふつうそういうものでしょう?」
ベネトが一瞬口をつぐむ。そして再び口を開いたときには、いつもの事務的な口調に戻っていた。
「リモニ神は神界大戦で大きく傷つき、いまだ癒やされておりません。その傷をつけたのが、ほかならぬ我らが女神ゲンティアナですので、緑野の王女殿下にはリモニ神の祭礼への参列をご遠慮願いたいと、砂塵の王宮から申し入れがありました」
ああ、とティアは吐息を漏らした。
「……それはもっともな理由だわ」
えー、とケルティが不服そうな声をあげた。
「そんなのもったいない。リモニ神のお祭り、すっごく綺麗なのに。王宮の庭が解放されて、こないだは止まってた噴水もあがるし。兄様だって、正式な祭礼の衣装で儀式芝居をされるよ。すばらしいよ?」
「……でも、王宮から参列を遠慮してほしいっていわれたなら、さすがに行けないわ」
「参列しないで、遠くからこっそり見るならいいんじゃない?」
ケルティはにこりと笑みを浮かべる。驚いているティアを手招き、円卓の上へ首を伸ばしたティアの耳元にささやいた。
「こっそり見るのにいい場所を教えてあげる。当日は僕も参列してるから、綺麗なお祭りの衣装を着てるところ、ティア姫に見てほしいし。
――こないだ王宮探検に行ったとき、止まってた噴水があるでしょう? あれを右手に進むとね、大きな石柱があるんだ。その陰からこっそり、祭りの行われる中庭を覗けるよ」
翌朝。
「おはようございます王女殿下。本日はどのようなドレスになさいますか」
侍女の問いかけにいつもどおり、まかせるわ、と答えかけて、ティアははたと、口を閉じた。
少し考え、あらためて口を開く。
「……そうね。飾りの少ない、白いドレスがいいわ」
(石柱の色と同化するようにね)
心の中でそうつけくわえた瞬間、
「お祭りを覗きに行かれるのですか」
まるでそれが聞こえたかのような声をかけられて、ティアはぎくりと肩を揺らした。
そろそろと声のほうへ顔を向ければ、壁ぎわでじっとこちらを見ているベネトと目が合った。
「ええと、その」
しばし、どうやってごまかそうか考えたが、祭礼の日ならばベネトも王宮での打ち合わせはないだろうから自分のそばから離れないだろうと思い当たって、すなおに認めることにした。
「ちょっとだけよ。ケルティ様のお姿と……王様の儀式芝居を一目だけ見たら、すぐに戻るわ。お祭りに参加しているだれにも、見られないようにするし」
ベネトのまなざしが、わずかに、険を含んだ。
「なぜそう王にお心を傾けられます。あちらはどう考えても王女殿下に好感情を向けてはおりません」
「べつに王様に心を傾けてはいないわ。ただ、ケルティ様はせっかくお祭りを覗ける場所まで教えてくださったんだから、行かないと悪いでしょう。王様はそんなケルティ様のついでよ。ついでだから、あんなにも凍りついたような無表情の人がどんなお芝居をするのか見てやるわ。――それとも、台本的に問題があるの?」
勢いこんで言い返したはいいものの、ふと不安になってティアがそう尋ねれば、ベネトはため息ののちに首を横に振った。
「いいえ。……外へおいでになるなら傘の侍女をおつけくださいませ。この国は日ざしが強いですから」
ティアはぱちりとまたたいた。それからベネトにかけよって、ぎゅっとその両手を握った。
「ありがとうベネト大好きよ! でも傘の侍女はいらないわ」
「だい……っ」
めずらしく泡を食った様子のベネトが、我に返って、いけませんという前にと、ティアは早口に言葉を重ねる。
「前にケルティ様と王宮探検に行ったときだってつれていかなかったじゃない。木の影とかを歩いていけば大丈夫よ」
傘の侍女とは、緑野の国、俗称ヒゲキノ・ヒロイン王国において、王妃または王女が屋外へ出るときに、傘をさしかける役割の侍女である。侍女たちが複数の傘を持って、さながら移動する屋根のように進むのだ。
下の姉がそうして王宮の庭園を散策しているのを、ティアは何度か、バルコニーから眺めたことがある。色とりどりの傘が進む様子は、上から見ると、咲き誇る花のように美しかった。
が。
「傘の侍女なんてつれてたら、目立ちすぎるもの」
とても、石柱に隠れられるような規模ではないのだ。日ざしを完全に遮るため、傘のひとつひとつもそれなりの大きさがあるのに、さらにそれが複数集まるのだから。
「大丈夫よ。すぐ戻る。約束するわ」
ベネトはティアを見つめたまましばし沈黙した。
「……では、かわりにまた、わたくしだけでもおつけください。ただし今回は」
ぎらり。眼鏡ごしにベネトの目が光ったように、ティアには見えた。
「わたくしが先導させていただきます。決して、おひとりでお先に行ってしまわれませんように」
前回撒いた負い目があるので、ティアは殊勝にうなずいた。
りいん、りいんと、深い奥行きを持った、〈宥め鈴〉の音が響いている。
天を衝くような石柱の陰から、ティアはそうっと顔を出した。
祭場となっている中庭には、日の光がきらきらと降りそそいでいた。そこで、影のような黒衣をまとってじっと立ちならぶ参列者の中に、ひとつだけ小さな人影を、まず見つける。
ティアの視線に気づいたように、その人影――まわりの大人たちと違い、白地に金の蔦模様が美しい衣装を身につけたケルティが、こちらを向いた。目が合った瞬間、いらっしゃい、というように微笑んだケルティの胸もとには、赤い宝玉の首飾りが輝いていた。
そんなケルティを、唇の動きだけで「きれい」と褒めて、ティアは視線をめぐらした。
緑野の国と同じくここにも、王宮の中庭に、神殿だろう石造りの建物があった。緑野のゲンティアナ女神神殿よりはるかに小規模で、花嫁行列の道中見かけた民家くらいの大きさだが、――その神殿の前に、王を、見つけた。
おそらく砂塵の神に扮しているのだろう。王は以前見たときのような額当てではなく、神の象徴であるを金冠を身につけていた。この大陸においてたとえ一国の王であっても、冠を身につけられるのは祭礼において神の代理として神に扮するときだけだ。まるで本物の神様のように、凛と引きしまった横顔が、ひどく侵しがたい雰囲気を湛えていた。目じりには前に見た黒ではなく藍色の線が引かれており、さらにその藍の顔料には金粉か銀粉がまぜられているのか、夜空のようにきらきらと輝いていた。そんな藍に縁取られた紫水晶の目は、光さえも吸いこむような深い艶を呈して、まっすぐに向かいあう女を見つめている。
(って、女?)
そこではじめて、王の正面に若い女が立っていることに気づき、ティアは動揺した。
女は、つややかな褐色の肌といい彫りの深い顔立ちといい、砂塵の民だろうと思われたが、まるで緑野の国の衣装のようにふわふわと薄絹を重ねた作りの、青紫の衣を身にまとっていた。砂塵の民ならば黒であるはずの髪も、なにか染料で染めたのか、ひどくくっきりとした茶色をしている。こちらもまただれかに扮しているのだと思われたが、だれかはわからなかった。
そんな女に、砂塵の神に扮した王が、ひどくあざやかな赤い実をさしだした。大切そうに両手で受けとった女が、その実をゆっくりと口に運ぶ。
ティアがごくりと息をのんだとき、すぐ耳もとで、ベネトがささやいた。
「――王女殿下、そろそろ」
はっと、ティアは我に返って、ベネトにうなずいた。
「わかってるわ」
ただでさえわがままを聞いてもらって、ここにいるのだ。このうえさらにごねるのはよくない。潔く立ち去ろうとした、そのときだった。
視界の端、祭場を隔てた石垣の上で、なにかが光った。
(なに……?)
次の瞬間、ベネトがティアの前に飛び出した。肉を突いたような鈍い音がして、
「ベネト?」
どさり。ベネトの体が、くずれ落ちた。
地に倒れたベネトの、濃紺のお仕着せの肩に、一本の矢が、深々と突き刺さっていた。そこから赤がにじんで、お仕着せを黒く染めていく。ティアは悲鳴をあげた。
「ベネト!」
鳴りつづけていた鈴の音が、止まった。祭礼の参列者が、いっせいにこちらを見る。神殿の前の王も、また。
向けられる視線の色が、驚愕から侮蔑に変わっていくのをティアは感じた。あたりまえだ、神を奉ずるこの大陸の国において、なにより重要視される祭礼の邪魔をしたのだ。
(だけど)
一瞬奥歯を噛みしめてから、ティアはきっと声を張った。
「お願い、薬師を呼んで!」




