34 勝敗
王と別れ、兵士につきそわれて王宮の庭を出たところで、ティアは声をかけられた。
「こっちだよ」
砂色の城門に寄りかかるようにして、黒ずくめが立っていた。そのそばに、二番手の男が、影のように控えている。男の背後にはしなやかな黒毛の獣が二頭いて、長い尾を揺らしていた。黒いたてがみに黒い聡明そうな眼をしたその獣は、ここまで荷車をひいてきてくれたエルナトとはまた違う。緑野の国にはいない生き物だが、たしか道中見かけた砂塵の兵士が、こういう獣に騎乗していた。
「どうしてここに。その生き物、なに?」
ルベルのつまった籠を抱えたまま、ティアが首をかしげると、黒ずくめは肩をすくめた。
「ここの王様からの支給品。これでおまえを緑野との国境まで送って、俺たちはまた戻ってこいってさ」
「王様が?」
ついさっきまでティアといっしょにいたのに、いつのまにそんな指示を飛ばしていたのか。目をまたたかせるティアの前で、黒ずくめはこれ見よがしにため息をついた。
「こっちはさっき着いたばかりだっていうのに、遠慮なく使ってくれるよね。まあ、試されてるんだろうけど」
そう、とつぶやいて、ティアはあたりを見まわした。
「ところでツィーは? それにあなたの仲間、あと三人たりないわよ」
「あいつらは人質」
「ひ、人質?」
「に、なりもしないけど。ぞろぞろつれてっても邪魔になるだけから置いていく」
気のない調子でそういって、黒ずくめはくいとうしろの獣を指した。
「早く乗りなよ。俺はさっさと水浴びして、香を焚いた寝室で、上等の寝具に埋もれて寝たいの」
「……それ、亡命者に与えられる待遇なの?」
「働きによるだろ。与えさせないつもりはないけど」
乗りなよ、とはいわれたものの、いざ近づいてみた獣の背中は、ティアの胸より高い位置にあった。ひとまずルベルの籠を先にのせたあと、おそるおそる鞍に手をかけ、腕の力だけでよじ登ろうとしたが、すっかり忘れていた体中の怪我が痛んで、ティアは小さくうめいた。
「……失礼」
そう短くことわりをいれた二番手に押しあげてもらい、ティアはようやっと、鞍の上にまたがった。
ルベルの籠を抱えたティアを、二番手の男が背後から抱えるようにして、手綱をとる。もう一頭の獣にひらりと飛び乗った黒ずくめは、もうすでに手綱を振るっていた。
*
獣を急かして二日。ほぼ休憩なしで駆けつづけて、ティアと黒ずくめと二番手は、緑野との国境付近まで来ていた。
見晴らしのいい砂地だ。なだらかな丘になっている眼下に、甲冑がきらきらしい、緑野の兵士がうろうろしているのが見えた。
「前線への増援か」
つぶやいて、黒ずくめがティアを振り返った。
「俺たちはここまでだよ」
その言葉を受けて、二番手がティアの手に手綱をとらせ、自分はするりと、鞍からおりた。
「えっ、ちょっと待って」
ひとり鞍の上に取り残され、あわてて手綱を握りしめたティアに、黒ずくめがいう。
「手綱を放すなよ。この丘を駆けおりて、そのままあの増援部隊をまっすぐ突っきれば緑野だ」
「まっすぐ突っきればって簡単にいうけど、待ってこの生き物、どうやって止めたらいいの」
「手綱を引けば止まる。けどとうぶんは引かないことをおすすめするね、的にされるよ」
あっさりと恐ろしいことをいうや、とことこと獣を寄せてきた黒ずくめが、次の瞬間、ティアの乗る獣のわき腹を蹴りとばした。
とたん、ティアを乗せたまま、獣が猛然と走りだした。
「ちょっ!」
獣は足もとの砂を巻きちらしながら、なだらかな丘を、矢のような勢いで駆けくだる。ティアは必死で手綱を握りしめ、胸と二の腕の間に、ルベルの籠を抱えこんだ。
物音に気づいたのだろう、眼下の緑野の兵士たちが、こちらを見あげて、目をむいた。いっせいに矢が向けられる。だが、獣の勢いは止まらない。
とっさに、ティアは叫んでいた。
「どきなさい! わたしは緑野の第三王女、リールティアラよ!」
一瞬、困惑が走ったその隙に、ティアを乗せた獣は兵士たちの間を駆けぬけた。
「女神様!」
行く先に、そこから先が緑野の国であることを示す、青紫の旗がたなびいている。その旗のわきを通りすぎざま、ティアは大きく声を張った。
「約束どおり、砂塵の神様にたしかめてきたわ! 砂塵の神様は、あなたを毒殺しようとしてないっていってた! ルベルの実は、毒じゃないって!」
そういってティアは、腕と胸で抱えていた籠から、ひとつルベルの実を取り出す。真っ赤に輝くその実を、一口に放りこんだ。
はちきれそうに熟した、甘酸っぱい果汁が、口いっぱいにひろがって、のみこんだあとには、清涼感だけが残っていた。
「……ほら」
なんだか無性に、笑いだしたいような、泣きだしたいような、不思議な気持ちだった。こみあげてくる涙か笑いかわからないものをまぎらわすために、ティアはさらに声をあげた。
「ほらね! 食べても死ななかった! 本当に、ルベルは毒じゃないのよ! 砂塵の神様は女神様を裏切ってなんていなかったし、今も、女神様のことを憎んでなんていないわ! 約束よ、もう、悲劇のヒロインを生贄にしなくていいでしょう?」
「と、止めろ!」
硬直から解けた兵士たちが、ティアに群がってきた、その瞬間。
ティアのまわりを囲むように、雷が降った。兵士たちが悲鳴をあげて、ティアからとびのく。
ティアは、上空を見あげた。
「女神様、なの?」
『おまえのその言葉が本当だと、どうしてたしかめられる?』
光の壁の中、ほんのわずか動揺しているような、女神の声が響いた。
『たしかにおまえは今、ルベルの実を食しても死ななかった。だがだからといって、あのときわたしに贈られたルベルが毒でなかったということにはならない。あれの真心を、たしかめるすべなどない』
「そうね。でもそれなら、実際に砂塵の神様に会って、話してみたらいいわ。そしたらわかるわよ、あの神様が、女神様を毒殺しようとなんてしたわけがないって」
背高なくせやたらしょぼくれて見えた、砂塵の神の姿を思い出しながら、ティアはいった。
「……砂塵の神様はね、神殿で花占いをしてたわ。愛してる、愛してない、って、女神様の気持ちを占ってた。愛してる、って出たら、そんなはずがない、って落ちこんで、愛してない、って出たら出たで、やはりそうなのか、って落ちこんで」
女神が、ぽつりとつぶやいた。
『……変わっていないな』
「ね? だから、実際会ってみるのが一番いいと思うの」
『無理だ』
「どうして?」
『神界大戦以降、神は自分の国から出られない。戦いを終えるため、神々がそのように、おのおのを封じあった。そうしてたがいを区切ってやっと、われらはあの大戦を終えられたのだ』
「方法はないの?」
一拍、間があった。
『……ないこともない。ほかの生き物の皮をかぶれば、神も国外へ出ることが可能だ』
「皮をかぶるって」
『ほかの生き物に降りる、依り憑くということだ。神の霊体は他国の空気に触れた瞬間、神は自国を出られないという封じにもとづき消滅するが、ほかの生き物に憑いてその身の内にいるかぎり、外気にさらされることはない』
「じゃあ」
『ただし、そうして憑いている間は、神は器と一蓮托生だ。器が死ねば神も死ぬ。器が死ぬ前に憑くのをやめればよいが、他国にあってそれはできぬ。器に迫る危険を遠ざけようにも、憑いている間は神力すら振るえぬ。振るえば最後、憑いている肉の器が、神力に耐えられず砕けちるからな。そうなれば神の霊体もまた器の外に放り出されて、他国の空気に触れて消滅する。そんな――ひどく脆弱な存在に成り下がるのだ。おおよそ選ぶべき手段ではない』
ティアはくすりと笑った。
「怖がりね」
『なに?』
「だってわたしは行ったわよ。敵国へ、脆弱な身ひとつで。そして砂塵の神様にたしかめてきたのに、女神様は怖いからって、わたしを疑うだけで自分はたしかめにすら行かないの?」
『……わたしになにかあれば、この緑野もただでは済まぬぞ。神の加護を失い荒れはてる』
女神の、脅しめいたその言葉を、ティアは一笑に付した。
「今すでに加護を取りあげて、旱魃にして、雷を降らせてる方がなにをいってるの」
さあ、とティアは、手綱を離して、両腕を広げた。不安定な獣の鞍の上だったが、気がたかぶっているためか、今は不思議と、落ちる気がしなかった。
「いらっしゃい? それともなにか、依り憑くための儀式が必要なの?」
女神が一度沈黙する。そして答えた声は、ひどくおどろおどろしい響きを持っていた。
『……このわたしがわたしの民に、それも、もっともわたしに近い王族の体に依り憑くのに、儀式の必要なはずがあろうものか。だがわたしに依り憑かれるのは、実体をもつ者にとって、そうとうな負担となる。とくにその傷ついた体でわたしを受け入れては――あと数年の命と、なるやもしれぬぞ』
ティアは一瞬息をのんで、――すぐに、にっこりと笑ってみせた。
「悲劇の台本で死ぬよりずっとましよ!」
瞬間、空が光る。轟音がとどろき、雷がティアにかけくだった。
まぶたを閉じていてもわかった強烈な光が消えたのを感じて、ティアはそろりと目を開けた。
ティアのまわりを囲んでいた、光の壁は消えていた。けれど、兵士たちが近寄ってくる様子はない。ある者は腰を抜かし、ある者はあごをはずし、ある者は頭を抱えて地に伏せていた。ただ、指揮官らしき将だけが、蒼白な顔でティアを凝視している。
どうなったのだろう、と思ったとき、ティアの口が勝手に開いて、女神の声が発せられた。
『そこのおまえ。わたしに剣を貸せ』
ティアとはくらぶべくもない、命令することに慣れきったその声に、引っぱられたように、腰を抜かしていた兵士が立ちあがった。彼はうつろな目つきで進み出ると、みずからがさしていた剣を、鞍の上のティアに向けて、うやうやしくさしだした。
その剣を無造作に受けとり、ティアの手が、女神の意思で、手綱を握った。慣れた手つきで、手綱が振るわれる。
『……懐かしい、あれの眷属の獣だな』
女神がそうつぶやいたような気がしたが、駆けだした獣が風を切る音にまぎれた。




