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32  砂塵の神



 砂塵の王宮の中庭にこじんまりと置かれた、緑灰色の四角い石室。それが、砂塵の神の神殿だった。緑野の女神神殿のように、天を()くような尖塔もなければ、仰々しい門もない。神殿だと知らなければなにかの倉庫かと思ってしまいそうな、簡素きわまりないたたずまいだった。


 石室の正面、これまた緑野の女神神殿とは大違いの、大人が立って入ろうとすれば頭を打つような、小さな石扉の両脇には、砂塵の兵士が二人、彫像のように立っていた。王が近づくとさっと動いて、向かって右側の兵士が、石扉に手をかける。石が砂の地面をこする、ずずっと乾いた音がして、扉が開いた。


 開いた石室の中からは、冷えた空気が流れ出してきた。王が一度、ティアを振り返って、石室の中へ消えていく。ティアはごくりと息をのんで、その背中を追った。



 石室に入るとすぐに、下りの階段が伸びていた。階段の向こう側は石の壁で、この石室はどうやら、階段を囲うためだけに作られていたようだ。はるか地下へと伸びる緑灰色の石の階段は、どういう仕組みなのか、ぼうやりと緑色に発光していた。おかげで、太陽を完全に遮る石室の中は幻想的な緑の明かりに満たされ、手燭や松明がなくても、視界に不自由することはなかった。


 背後で、石扉が閉められる音がした。女神神殿に閉じこめられたときのことを思い出して、ティアは一瞬ぎくりとしたが、ここには砂塵の王がいるから大丈夫だと、気持ちを入れなおした。


 冷え冷えとした空気の中、王が階段をおりていく。ティアも黙って、そのあとに続いた。



 どのくらいおりただろうか。二人分の足音しか聞こえなかった空気に、ふいに、うめき声のようなものがまじった気がして、ティアは足を止めた。


 ティアの足音が止まったことに気づいたのだろう。五段ほど下で、王が振り返り、こちらを見あげた。


「どうした」

「今、うめき声みたいなものが聞こえませんでしたか?」

「……ああ」


 一瞬、なんともいえないような表情になった王が、ふいと肩をすくめた。


「――気にするな。いつものことだ」


(いつものことって。うめき声が?)


 この下にはきっと、砂塵の神がいるはずで。たしか砂塵の神は、神界大戦の折に緑野の女神ゲンティアナに負わされた傷が、まだ癒えていないという話だったはずだ。


(もしかして、その傷の痛みに今もうめいているの……?)


 だとしたら砂塵の神のほうも、そんな傷をつけたゲンティアナのことを、強く憎んでいるのではないだろうか。


(砂塵の神様がうちの女神様を毒殺しようとしたのが誤解なら、うちの女神様の怒りは鎮まると思って、わたしはここまで来たけど。でも、もし誤解だったならそれこそ、誤解で幼なじみからこんなに傷つけられた砂塵の神様は、うちの女神様を許してなんてくれないんじゃないの? そしたら結局、悲劇は悲劇のままじゃないの)


 これまで女神が鎮まるかもしれないということだけに気をとられて、砂塵の神がはたして現在なにを思っているかということに、まったく考えが及んでいなかった。愕然として、ティアは、また響いてくるうめき声を聞いた。


「……怖じ気づいたか?」


 王の声に、はっと我に返る。


 見あげてくる王の瞳は、あいもかわらず、透きとおった紫水晶だった。


 唇を引き結んで、ティアは三段ほどかけおりた。


「いいえ」


 そして再びおりていくと、聞こえる声もまた、だんだんとはっきりしてきた。


「……てる」


 同時に、なにやら甘い香りも漂ってくる。


「……てない」


 階段が終わり、ぽっかりと広い空間が現れた瞬間、ティアは息をのんだ。



 緑灰色の石壁がにじませる緑の光に照らされたその空間は、無数の花びらと、一枚残らず花びらをむしられた花の残骸で埋もれていた。そこかしこから、まるで花の死臭のように、鼻に染みる甘い香りが立ちのぼっている。


 そしてそんな、花の残骸でできた山の真ん中に、



「愛してる」



 ぺったりと座りこんで、またひとつ、哀れな花から花びらをむしり取っている、白い衣装の青年がいた。


 今、愛してる、を示して花びらの最後の一枚がなくなったが、青年は悄然と肩を落とした。


「そんなはずがない」


 そういって青年は、一度手を握る。そして開くと、まるで手品のように、その手のひらから紫色の花が生えた。


 今度はその花の花びらを、ぷちり、ぷちりとやりはじめた青年は、床まで届き流れるように広がる黒髪に、つややかな褐色の肌、紫水晶を思わせる透きとおった瞳をしていた。色彩だけなら、今ティアの前に立っている王とまったく同じだ。けれど、まとう雰囲気はまるで違っていた。


 見ているうちにも、紫の花びらがまたすべてむしり取られて、今度の花占いの結果は、


「愛してない」


 ぽとり、と青年が、花びらのすべてなくなった花を取り落とした。


「やはりそうなのか……」


 そのまま、ずーん、と音が聞こえそうなほどに落ちこむ青年を見て、ティアは顔を引きつらせた。


「……あの、まさか」


 王が肩越しにちらりとティアを見て、小さく息を吐いた。


「――我らが神。リモニだ」

「リモニ、神?」

「そうだ。……そちら側に落ちている、橙の花びらには触れるなよ。皮膚が(ただ)れるぞ」


 えっ、と、ティアはあわてて足を引いた。


「……あれ、でもこの花びらも、あの神様は今みたいに、素手でちぎって放ったんじゃないんですか? 爛れるって」


 王が肩をすくめた。


「リモニ神の前では毒草も薬草も差異はない。なにせどちらも、ご自身が生み出したものだ」


 そこでようやく、自分の名前に反応したのか、沈みこんでいた青年のかんばせが、ゆるりとこちらに向けられた。


 その紫の瞳でティアを見つめた青年が、王のほうを向いて、ことりと首をかしげる。座っていても背高とわかるすらりとした体躯のわりに、やけに幼いしぐさだった。



「ソカル。だれだ?」





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