30 同行のために
ティアはがばりと顔をあげた。
「あなたは大姉様の、悲劇の罪人だったということ?」
「そういうこと」
あっさりと、黒ずくめは認めた。
「緑野の王や高官たちはね、きっと俺が怖かったんだよ。湿地の王家直属の暗殺一家において、歴代一の才能と謳われ、実際湿地の王に重用されていた俺が。湿地はここらの国の中では比較的まだ神が強いほうで、なにかと緑野とも反目してたから、いつ湿地の王が俺を、自分たちの寝首を掻くよう命じて送りこんでくるかって考えだしたら、おちおち安眠もできなくなったんだろ。実際うちの王は、そういうことも選択肢のひとつに入れてたしね。だからそうなる前に俺を悲劇の罪人にして、処刑させようとした」
「……でも、じゃあどうして」
処刑されていないのか。そんなティアの、言葉にしなかった疑問が伝わったのか、黒ずくめはいかにも不愉快そうに、その美貌をゆがめた。
「なんでこの俺が、緑野のやつらの安眠のために死んでやらなきゃならないの」
「……ええ、それはごもっともだけど、でも」
「ミーアは気に入ってたから、あれの、悲劇って名前の茶番劇にもつきあってやった。くだらない台本のとおり……いや、台本以上に、苦しまないよう綺麗に殺してやった。けどそこまでだ、緑野にまでつきあう義理はない。――とはいえ、そのままなにごともなかったように湿地の国で生きるには、忌々しいことに、緑野の力が強すぎた。だから」
黒ずくめが、右手の闇へ目を向ける。その方角からごろごろと、車輪の音が近づいてきた。
「悲劇の罪人を受け入れていると評判の、砂塵の王のもとへ向かってるところだよ。ほんっと、迷惑な話」
闇からぬっと現れたのは、壮年の男に手綱を引かれた、黒い獣だった。湾曲した大きな角が、星明かりに白々と浮かびあがっている。ティアが背中に乗ってもびくともしないだろう、そのどっしりした体躯の獣は、うしろに荷車をひいていた。
荷車のわきには、獣の手綱を引いているのとはべつにまたもう二人、男がいた。いずれも、黒ずくめと同じく、塗りつぶしたように真っ黒な髪をしている。たぶん、本来は赤い髪なのを、染めているのだろう。
ティアは黒ずくめに向きなおった。
「わたしもいっしょに連れていって。わたしも、砂塵の王宮のすぐ近くに用があるの」
黒ずくめが、その魔術めいた翠の瞳を、きゅっと三日月のように細めた。その瞬間、いまだ律儀にティアの肩を支えつづけてくれている娘が、あ、と引きつったような声を出した。
娘のそんな反応の理由は、次に黒ずくめが、さえずるように放った言葉で知れた。
「俺がミーアにつきあってやったのは、あれが俺のこの顔に、殊勝すぎていっそ哀れな、憧憬と敬慕を捧げたから。ミーアと顔が生き写しなだけのおまえに、かまってやる理由はないね。鏡に劣るその姿で、俺に印象づけたいのなら、這いつくばって、靴に口づけでもしなよ。そうしたらそこにいる娘と同じ、庇護するべきしもべとして、引きつれていってやってもいい」
目と口を同時に開いたティアのかわりに、声をあげたのは、ティアの背後の娘だった。
「ちょっと若様! この子はあたしと違って王女様なんでしょ、さすがに――」
ふん、と黒ずくめが鼻を鳴らした。
「王女だろうが下女だろうが、俺にとっては同じこと。どっちも、俺の鏡より美しくない」
「若様の顔は異常なんだよ、それで、若様が持ってる鏡には若様が映るんだからそりゃしかたないでしょうが!」
「……しもべ、今俺の顔がなんていった? もう一回いってみな」
「そもそも若様、靴を舐めさせるのが趣味なの」
娘の言葉に、黒ずくめが嫌そうに眉をひそめた。
「いやまったく。ありていにいうと、舐めるやつの気が知れないと思ってる」
「舐めさせたやつのいう台詞じゃないよね!」
「けど。少なくともそこまで己を捨てたやつは、俺の情を奪おうなんて、思いあがったことは考えない。せいぜいほしがって啼くだけだ」
そういった黒ずくめの声音が、少し今までと違う気がした。娘もそれを感じたらしく、これまでの勢いをなくした調子でつぶやく。
「奪おうとされても返り討ちにできるくせに」
黒ずくめが、ななめを向いて短く答えた。
「今はね」
そこで、ティアは一度立ちあがった。とたん、忘れていた体中の痛みがぶり返したが、無視して、すぐわきにいる黒ずくめと向かいあうように、体の向きを変える。そして、すっと腰を落とし、地面に両膝をついた。そのまま、膝のびりびりとした痛みにかまわず、上体を倒す。
「ちょっ」
娘のあわてたような声が聞こえたが、ティアはかまわず目の前の――黒ずくめの、細く小さな黒い靴に、触れるように口づけた。
それから顔をあげて、頭上の黒ずくめと目を合わせて、ティアはにこりと口角をあげた。
「はい、これでわたしは怖くないでしょう? 砂塵の王宮までごいっしょさせて」
瞬間、黒ずくめの表情が、激昂したようにゆがんだ。
だがすぐに彼はティアに背を向けてしまったので、その顔に浮かんでいた感情がなんだったのか、見定めることはできなかった。
「若様?」
そのままずんずんと荷車のほうへ歩いていき、飛び乗った黒ずくめに、娘が、尋ねるように声をかける。
荷車の上から、ふてくされたような声が返ってきた。
「俺は一度口にしたことは撤回しないの!」
娘が肩をすくめて、ティアに向きなおった。
「いっしょにつれてってあげるってさ。行こう」
目の前に手をさしだされて、ぽかんとなりゆきを見守っていたティアは我に返った。ありがたくその手を借りて立ちあがり、荷車へ向かって歩きだしながら、ふと尋ねた。
「……ところで、ここはもう、砂塵の国内なのよね? どのあたりなの?」
「まあ一応砂塵の国内だけど、緑野との国境にかなり近い場所だよ――って、こんな話し方で大丈夫? 若様見てるとどうも感覚が狂ってくるけど、あなた王女様なんだよね?」
振り返り、水色の目で窺うように見てくる娘に、ティアは真顔でうなずいた。
「こんな状態で、王女様っていっても格好つかないもの。ティアでいいわ」
娘は一度またたいてから、噴き出すように笑った。
「了解。ちなみにあたしはツィーよ。……まあ、よろしくね」




