29 魔性の美貌
めまぐるしく変化した状況と、とどめのようにつむがれた予想外の名前に、ティアは混乱していた。
(え、待って、この人はなに。どうして、大姉様の名前を。それに、どうしてわたしとミーアソティス姉様が縁者だって、わたしを見ただけでわかったの?)
頭の中では疑問がぐるぐると回っていたが、そのどれも言葉にすることはできずにティアが絶句していると、今度は再び、少女の声が聞こえた。
「あれ、あたしが思わず石投げちゃっただけなのに、なんで動いてくれたのかと思ったら。若様の知りあいだったの?」
そんな言葉とともに、黒ずくめの人影の向こうから現れたのは、星明かりにきらきらと光る、短い金髪の娘だった。ティアより三つ四つ年上だろうか。丸い目は晴れわたった青空のような色で、肌はつややかな茶色をしている。その肌の色に、ティアは一瞬、砂塵の王を思い出したけれど、あちらが闇になじむような色だったのに対し、こちらは太陽の下でこそ映えるような色だった。
その娘は、黒ずくめの人影の足もとに転がる死体を見て、一度ぎゅっと顔をしかめたが、躊躇なくそのわきを走りすぎると、ティアの前までやってきて膝をついた。
「大丈夫?」
抱きかかえるようにしてティアを起こし、顔や服についた砂を手ぎわよく払ってくれながら、娘は金色の眉をひそめた。
「ひどい格好だね」
そういわれてティアははじめて、今の自分の姿を見おろした。
神殿に入る前に着替えさせられた、青紫のレースが美しい、生贄としての格式あるドレスは、すり切れ破れ、血やらなんやらで汚れきり、ぼろ雑巾もかくやというありさまになっていた。手も、ドレスの破れ目から色気のかけらもなくのぞいている足も、血の赤と汚れの黒と青あざだらけのまだら模様だ。このぶんだと、髪もひどいことになっているのだろう。
(予想以上にひどかったわ……。というかあの黒ずくめの人は、よくまあこの状態のわたしを、ミーアソティス姉様に結びつけられたわね)
そう思ったティアの体に、影がかかった。
顔をあげて、まさに今考えていた黒ずくめの人物がすぐそばに立っていたことで、ティアは思わず悲鳴をあげそうになった。――まったく、足音も、近づく気配もしなかった。
すぐそばまで来たことと、星明かりに照らされていることで、黒ずくめの顔がよく見えた。
年頃だけでいうならば、砂塵の王と同じくらいか。塗りつぶしたような黒髪に縁取られた頬は、病的なほどに青白い。薄い唇にもほとんど血色がなく、ただその双眸だけが、魔術的な翠の色に光っている。まるで血が通っていないようなその美貌は、もはや端整などという域を通りこし、見ていて寒気がするほどだ。
けれど、これと似た種類の美貌の主を、ティアはもう一人知っていた。
(どことなく、小姉様に似てるわ。湿地の民、なのかしら)
湿地の民は、あやしい美貌を持つという。下の姉アーシュミーヤの美貌も、湿地の民だった祖母の血を強く引いたからだといわれていた。
(でも、湿地の民なら赤い髪のはずよね。ほかの特徴は当てはまっているんだけど)
湿地の民は、この大陸に住まう民族の中でもっとも華奢、言いかえれば脆弱な肉体を持つ。目の前の黒ずくめな人物もまたしかりで、だぼつく袖口からのぞいている手首など、今しがた武装した兵士二人の喉笛を掻き切ったとはとうてい信じられない、ティアが力をこめて握っただけでもぽきりといきそうな細さだった。肌の色が青白いこともあって、よけいに儚く見える。砂塵の民も痩身だったけれど、あちらがしなやかにたわむようだったのに対し、こちらは、今にもぽっきりと折れそうだ。
そんなことを考えながらまじまじと見ていたティアを、その美しい黒ずくめが、魔術めいた翠眼を剣呑に細めて見おろした。
「口がきけない?」
あ、とティアはまたたきする。そういえば命を救われたお礼もいっていなかったと思い出し、あわてて口を開いた。
「助けてくれてありがとう」
「そうじゃなくて」
ものわかりの悪い幼子を前にしたようなため息ひとつ、黒ずくめが首を振った。
「おまえはミーアソティスの身内じゃないの、って聞いたんだけど」
そうだった。やはり聞きちがいではなかったのだと思いながら、ティアは答えた。
「ミーアソティスは、わたしの姉様よ」
この黒ずくめがどこの国に属する人物で、なにを思って聞いてきているかわからないから、あえてそう、最低限の答えを返したのだが。黒ずくめは納得したようにうなずいた。
「じゃあおまえが緑野の第三王女か。リールティアラ、とかいったっけ」
淡々と、黒ずくめがつぶやく。えっ、と、いまだティアの肩を支えていた娘が、驚いた声を出した。
だがそれだけで、そのあとは黒ずくめにも娘にも、とくに動きが見られなかったので、ティアは、つめていた息を吐き出した。
「……そう、わたしはリールティアラよ。でも、こんなありさまなのに、よくわたしが王女だなんてわかったわね」
黒ずくめの翠眼が、なにかを懐かしむように細められた。
「ミーアソティスによく似てる」
ティアは目をまたたいた。
「そう、なの?」
上の姉姫、緑野の第一王女ミーアソティスは、今から十二年前に、湿地の国へ嫁いだ。そのときティアはまだ一歳で、それ以降、一度も会わないままにミーアソティスは死んでしまったから、ティアは上の姉の顔を知らない。死後に造られた彫像なら見たけれど、あの手の像は、多分に美化されているものだ。
「そうだよ。その、魔性の美には程遠い顔がね、そっくり」
黒ずくめの答えが、一瞬ティアには理解できなかった。
「……は?」
一拍おいて理解して、だがそれでも聞き返したティアに、黒ずくめは愉しげな声をあげた。
「妹のほうは自覚がたりないんだね。いくつになっても子どもじみた野暮ったさの抜けない、魔性の美には死んでも化けない顔だっていってやったら、ミーアはいつもすなおにうなずいたんだけど」
「大姉様になんてこといってるのよ! ……っていうか、ミーア、って」
「ミーアソティスの愛称」
こともなげに黒ずくめは答えたが、姉は、仮にも湿地の国の王妃だったのだ。その姉を愛称で呼び、あまつさえ容姿にけちをつけていたなんて、この黒ずくめはいったい、湿地の王宮でどういう立場にいたのだろう。
「……もしかしてあなた、悲劇の台本で、大姉様をいじめる役だったの?」
ティアは本気でそう聞いたのだったが、黒ずくめは心外そうに片眉をあげた。
「そんなわけないでしょ、ミーアのことはそれなりに好きだったよ。あれはいつでも、自分の身の程をわきまえていて、俺の美しさを邪心なく、純粋な羨望のまなざしだけでもって褒めたたえたから」
――これがまた、自分で自分を美しいというか、とすら突っこめない美貌の主だけに性質が悪い。こめかみを押さえたティアの耳に、聞き捨てならない言葉が飛びこんできた。
「あれはいつも、自分は妹ほど美しくなかったから、せめて美しく死ねるよう努力しなければ、っていってた。結局、『私は妹ほど美しくなかったけれど、妹はあなたほど美しい方の手で死ねることはないでしょう。あなたのような美しい方に最期を飾っていただけてよかった』とかいって死んだから、努力は報われたみたいだね」




